相方のが残っているが,その相方が車と一緒にしばらく実家に戻っている。歩いて行かざるを得ない。自転車も事故以来,復旧すらしていないので,乗れる状態になっていない。
● 1回目のとき(9月12日)はちょうど稲刈りの最中だった。今は稲刈りも終わって,切り株が残った田んぼが残される。この風景が視界360度広がる。ここはタンボーランドなのだ。
接種会場前の歩道橋。この歩道橋を歩くのは,今日が二度目。前回は,1回目のワクチン接種のとき。ワクチン接種のおかげで,貴重な経験ができる。そうでもなければ,まずもってこの歩道橋を歩くことはなかったはずだからね。
ウォークマンのイヤホンを耳穴に突っこんでいるので,車の通りが多い県道は避けたい。静かな農道(いくらでもある)を選んで歩いて行こう。
このあたりは阿久津村といったのだろうと思っていた。高根沢地区を合併するときに,阿久津と祖母井が綱引きをして,うちの方に来てくれれば名前を高根沢にするよ,と阿久津が甘言を弄したのだとばかり思ってたんだよね。そうじゃなかったのか。
● 昔は子供が多かったから,集落ごとに小学校があった。ぼくが小学校を卒業したのはそういう時代。したがって,ぼくの母校はすでにない(中学校もなくなった)。
人々の暮らしも集落内で完結していた。だいたい,自家用車を持ってる家なんてなかったから,完結せざるを得なかった。何でも売ってる「よろずや」というのがありましたよね。たいてい,小学校の近くにあって,児童相手に文房具も商っていた。
だってね,烏山からさらに線路を延ばして,馬頭から常陸大子まで結ぶはずだったんだもんね。常陸大子で水郡線に接続させる。さらに,烏山から茂木まで延ばして真岡線(現在の真岡鐵道)と接続させる予定もあった。
壮大な八溝ネットワークの完成ですよ。もしそれが実現していたら,今頃は烏山線も廃線になっていたろうけどさ。
きのこは山で採ってくるものから,工場で作るものになった。チタケなるものを珍重する気風がこの辺にはあると言われていたが,見かけなくなったな。
きのこといえば,舞茸,シメジ,えのき,エリンギ,しいたけ。いずれも1年中,スーパーで売っている。秋の味覚ですらなくなった。
この工場の入口に置いてある自販機は,不二家ネクターが110円なんですよ。疲労回復に即効性がありますな,不二家ネクター。
烏山線の各駅を七福神に見立てた烏山線七福神というのがある。だいぶ前にJRが考えた。仁井田駅は烏山線七福神の布袋尊になっている。
● 半世紀前の縁起切符ブームの先陣を切ったのも烏山線だったよね。宝積寺駅と大金駅があったんだから。金運グッズのはしりでもありましたか。でも,金運グッズを持つのってけっこう貧乏くさいでしょ。金運グッズは貧乏を呼ぶと思ってるんですけどね。
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