2016年3月10日木曜日

2016.03.10 学部と大学院の違い

● 学部と大学院の違いってのは,学部までは向こう側が提供してくれるものを消化するのに対して,大学院になると自分で問題を作って,自分が作った問題を自分で解く,というふうに変わるのだと思っている。
 だから,高校と大学の間よりも,学部と院の間に大きな段差があるのだ,と。

● 放送大学大学院の平成28年度修士課程案内の冒頭に,学長の岡部洋一さんが大学院とはこういうものだと書いておられるのだが,そこからいくつか転載。
 大学院の主な役割は,自分を考えをきちんとまとめ,それを正しく他人へ伝える技術の研鑽とそれを支える確かな思考法の構築にあります。
 講義については,学部よりどちらかというと「広さ」が要求されるのです。
 世の中に知られていた知識体系に,あなたが何を新しい知識として加えることができるかが,徹底して要求されます。感想文ではいけないのです。
● 理念的にはそのとおりなんだろうけど,実際にはどうなんだろう。
 理系は院まで行くのがあたりまえになっているようでもあるけれど,自分で問題を作ってそれを説いて修士論文にするなんてことをやっているんだろうか。
 文系はなおさらだ。そんなことが実際にできるのか。

● ここから先はぼくの想像になるのだが,世の中に新しい知見を加えることができる人など,千人に一人いるかいないかだろう(それ以前に,既存の知識のすべてを把握することなどできるのかと思うね)。
 が,大学院生はそれよりはるかに多い。新しい知見を加える能力がない人たちが圧倒的に多いはずだ。

● その結果どうなるかというと,どうでもいいような(つまり,すでに何度も行われているであろう)実態調査やアンケートなんてのをやって,それを論文に仕立てるなんてことが普通に行われているのだろう。
 黴の生えた調査であっても,その場所でやるのは初めてなのだから,新しい知見を加えたことになるのだ。

● そうして資源の無駄遣いとしか思えないような論文集が,あまたの大学に溜まっていく。誰も読まないんだから,まさしく資源の無駄だ。
 その無駄のために,多くの教員が膨大な作業をすることになる。じつに不毛であろうな。

2016年3月9日水曜日

2016.03.08 SONYのWALKMAN,その後

● 2月に買うことになったSONYのWALKMAN。入院中の息子からぼくのところに戻ってきて,そろそろひと月近く経つのか。
 その間,64GBのmicroSDカードを買い,ハイレゾとノイズキャンセリングに対応したSONYのイヤホンも手当てした。

● のだけども。ぜんぜん使っていない。どうしてるかというと,ずっとスマホ(F-02E)で聴いている。どういうことだ? ハイレゾで聴きたかったんじゃないのか,オレ。
 夢(?)が実現したのだぞ。もっと喜べ。喜び勇んでWALKMANに飛びつけ,オレ。

● こういうのって,子どものときにもあったな。欲しかった玩具を買ってもらったのに,あまり嬉しくなくて,親をがっかりさせたりとか。

● 初期設定が面倒くさいってのもあるね。SDカードに曲をコピーして,プレイリストを作って,っていう一連の作業が億劫だ。
 って,それが理由でWALKMANをほったらかしにしているのだとすると,ぼくの音楽やオーディオへの興味もその程度のものでしかなかったのかってことになりますなぁ。

● というわけで,下手するとWALKMANなんてどこに置いといたっけってな感じになりそうだ。ぼくの耳だと古いスマホで充分ってことだったか。
 ただ,ひと揃い買ってしまったのでね,使わなきゃね。使いますとも。

2016年3月8日火曜日

2016.03.07 自分のミッション

● 企業だとホームページや広告や包装紙に自社のミッションを掲載しているところがある。たとえば,栃木県内で弁当を販売している「お米のひろば」のミッションは次のようなものだ。
私たちは「米」を通して我が社に関わるすべての人たちの幸せを創ります
 意味するところは明瞭だ。拡散していない。わかりやすい。

● こういうミッションって個人も持ったほうがいいのかもしれないね。あまり若いと,自分のこともわからないし,世間のこともわからないから,ミッションといっても分不相応だったり頓珍漢だったりするかもしれない。
 けれど,中年以降になれば自分を見切ることもできる。見切ったうえで自分は何に貢献できるかを考える。

● 貢献するばかりが能ではないかもしれない。自分の自分による自分のためのミッションでもかまわないと思う。
 が,世間のどこかでお役に立てるミッションのほうが,自分を奮い立たせてくれるように思う。

● で,ぼくも考えてみた。3つほど作ってみたんだけど,ここに公開できるようなものにはならなかった。
 輪郭がくっきりしなかったり,とんがりがなさすぎたり,無理やり捻りだした感がありすぎたりする。難しいものだ。

2016年3月7日月曜日

2016.03.06 幸せは小さなもの

● とはよく言われることで,これにまったく異論はない。大きな幸せなんてないと思う。
 大学に合格できた,就職がうまくいった,明日が結婚式だ,子どもが生まれた・・・・・・。こういうのは大きな幸せだろうか。そうだというなら,大きな幸せっていうのもあることになるけれど。

● 幸せっていうのは,でも,すぐに完結する出来事のひとつかふたつで構成されているものではないか。小さなものだ。そう考えたほうが平仄が合うように思える。
 その人の人生が幸せなものだったかそうではなかったか。それを計るモノサシはその人の学歴でもなければ,生涯賃金の多寡でもない。ヒラで辞めたか役員にまで上りつめたかでもない。結婚したかしないかでもなければ,子どもに恵まれたかどうかでもない。友人が多いか少ないかでもない。まして,勲章をもらったとかそんなことは関係ない。

● 笑顔でいた時間の長さで決まると言ってみたい。幸せ=笑顔,である,と。幸福度は笑った回数とイコールだ。
 となれば,人を笑わせることが人に幸せを与えることだ。ということは,つまり,この世で最も価値の高い職業はお笑い芸人か。この世で最も価値の高い個人は,明石家さんま,か。マジでそうかもしれないよね。

● 「笑う」以外にも,美味しい,楽しい,面白い,嬉しい,ビックリした・・・・・・という肯定的な評価を示す形容詞や動詞を当てはめられる瞬間や時間をどれだけ積み重ねられたかなんでしょうね。
 これを貫くと,人の幸せってお金には左右されないね。主には性格に左右される。些細なことでも大げさに喜べること。これすなわち,使っても使っても減らない無窮の財産といっていいだろう。

● したがって,高級レストランでなければ美味を感じられない人は不幸である。ブランド品でなければ洋服じゃない,バッグじゃない,と思っている人は不幸である。
 その無窮の財産を持っている人は,お金の使いでが自動的に増えることになる。不幸な人が10万円を投じて得られる享楽の質量を,1万円で引きだせたりするだろう。

● 無窮の財産。修行(?)次第で誰でも手にすることができそうにも思えるけどねぇ。大事なことは三流の智者にならないことなんだろうな。三流の智者って,つまり多数派だからね。多数派に与しないでいられること。
 難しいかな。おまえはどうかって言われると,まさしくその三流の智者だなぁ。

2016.03.05 久しぶりのラーメン屋

● 自転車に乗って,とあるラーメン屋に行った。日本風中華料理店といった方がいいか。
 前回行ったのは,17,8年前になる。2,3度続けて行った。その後,バッタリ。

● そのときにも,もうだいぶ長くやっているんだよと言われていたような記憶あり。そこからさらに20年近く,同じ場所で営業を続けている。それだけでたいしたものだと思う。
 常連さんがついているんだろうな。昼飯はここと決めている人。にしても,飽きられないというだけで驚異的。

● 前回(17,8年前)行ったときの印象は,昔ながらの中華そば的な味で,わりと油を多用するんだなっていうものだったんだけど,今回は違っていた。
 注文したのはネギラーメンだったんですけどね。さっぱり系。スープまで全部飲み干しちゃいました。塩分取りすぎだよね。

● 二十年の間に味を変えてきたんだろうか。それともネギラーメンは昔からこういう味だったのか。前回注文した料理は何だったけなぁ。

● 夜も営業している。ただ,ビールの値段を見ると,けっこうお高いような。座席の配置から見ても,一人でふらっと飲みに来るには不向きかもしれない。何人かで来るところだ。
 実際,そういう使われ方をしているのだと思う。夜は来たことがないんだけど。

2016年3月2日水曜日

2016.03.02 吉野家があれば生きていけるか

● ひと頃は吉野家があれば生きていけるんじゃないかと考えた。朝は納豆定食を食べて,昼は牛丼かカレー,夜は定食ものをたべればいいじゃん。
 下手に自炊するより,いいかもしれないぞ。自炊するにはガスがまず必要だし,鍋も釜もプライパンもしゃもじも食器も必要だ。そうしたものを並べておくための棚も。食材を保存しておくために冷蔵庫もいる。
 そういうものを一切持たずに生活できるのじゃないか。

● 出勤するときに何も持たないで出るっていうのは,古き良き時代のオトーサンの美学だった。今はちょっと難しかろうな。
 同じように,什器の類を一切持たないで生きていく。やろうと思えばできるのじゃないかと思った。

● けれども,これはさすがに無理だったね。理由は三つ。
 てきめんに飽きる。これがまずひとつ。凄まじい勢いで飽きる。
 一日に三度,吉野家(じゃなくてもいいわけだけど)に足を運ぶには相当な律儀さがないと無理だとわかった。規則正しくルーティンをきちんと繰り返せる人じゃないと無理なのだ。一日に三度,出かけるってのはけっこうな労働だ。
 三つめは,自宅でちょこっと何か食べたくなることが,絶対にあってね。
 っていうか,それを実地に試しちゃう時点でどうなのよ,ってことでしょうけど。

2016.03.01 朝食比較

● 宝積寺駅東口の「ちょっ蔵食堂」。卵かけご飯に味噌汁,漬物。250円。この味噌汁はきちんとした手作り。インスタントじゃない。

● 「いろり庵きらく」の朝食セット。たぬきそば,ごはんにきざみ海苔を散らして明太子を載せたもの。380円。汁物の代わりにそば。炭水化物はたっぷり取れる。

● 「モスバーガー」のハムカツバーガーセット。モスの朝食は色々あるけれども,ぼくが注文するのは主にこれ。ハムカツバーガーとコーヒー。430円。

● 吉野家は,「豆腐ぶっかけ飯」が290円。「納豆定食」が360円。「豆腐ぶっかけ飯」を食べたことはまだない。「納豆定食」は何度も。

● 健康ランドで泊まると,朝食は600円だった。どうしたって前の晩に作り置きすることになる。そういう事情はわかるんだけど,これで600円かぁと思うわけだね。ビジネスホテルとかでも,そういうところが多いですよね。
 それに比べると,吉野家の「納豆定食」の360円は安いと思った。生卵と納豆,焼き海苔。不満をいえば味噌汁。具がない。家で同じものを食べれば,原価70円だよなとも思ったりね。