だから,高校と大学の間よりも,学部と院の間に大きな段差があるのだ,と。
● 放送大学大学院の平成28年度修士課程案内の冒頭に,学長の岡部洋一さんが大学院とはこういうものだと書いておられるのだが,そこからいくつか転載。
大学院の主な役割は,自分を考えをきちんとまとめ,それを正しく他人へ伝える技術の研鑽とそれを支える確かな思考法の構築にあります。
講義については,学部よりどちらかというと「広さ」が要求されるのです。
世の中に知られていた知識体系に,あなたが何を新しい知識として加えることができるかが,徹底して要求されます。感想文ではいけないのです。● 理念的にはそのとおりなんだろうけど,実際にはどうなんだろう。
理系は院まで行くのがあたりまえになっているようでもあるけれど,自分で問題を作ってそれを説いて修士論文にするなんてことをやっているんだろうか。
文系はなおさらだ。そんなことが実際にできるのか。
● ここから先はぼくの想像になるのだが,世の中に新しい知見を加えることができる人など,千人に一人いるかいないかだろう(それ以前に,既存の知識のすべてを把握することなどできるのかと思うね)。
が,大学院生はそれよりはるかに多い。新しい知見を加える能力がない人たちが圧倒的に多いはずだ。
● その結果どうなるかというと,どうでもいいような(つまり,すでに何度も行われているであろう)実態調査やアンケートなんてのをやって,それを論文に仕立てるなんてことが普通に行われているのだろう。
黴の生えた調査であっても,その場所でやるのは初めてなのだから,新しい知見を加えたことになるのだ。
● そうして資源の無駄遣いとしか思えないような論文集が,あまたの大学に溜まっていく。誰も読まないんだから,まさしく資源の無駄だ。
その無駄のために,多くの教員が膨大な作業をすることになる。じつに不毛であろうな。
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