2016年3月7日月曜日

2016.03.06 幸せは小さなもの

● とはよく言われることで,これにまったく異論はない。大きな幸せなんてないと思う。
 大学に合格できた,就職がうまくいった,明日が結婚式だ,子どもが生まれた・・・・・・。こういうのは大きな幸せだろうか。そうだというなら,大きな幸せっていうのもあることになるけれど。

● 幸せっていうのは,でも,すぐに完結する出来事のひとつかふたつで構成されているものではないか。小さなものだ。そう考えたほうが平仄が合うように思える。
 その人の人生が幸せなものだったかそうではなかったか。それを計るモノサシはその人の学歴でもなければ,生涯賃金の多寡でもない。ヒラで辞めたか役員にまで上りつめたかでもない。結婚したかしないかでもなければ,子どもに恵まれたかどうかでもない。友人が多いか少ないかでもない。まして,勲章をもらったとかそんなことは関係ない。

● 笑顔でいた時間の長さで決まると言ってみたい。幸せ=笑顔,である,と。幸福度は笑った回数とイコールだ。
 となれば,人を笑わせることが人に幸せを与えることだ。ということは,つまり,この世で最も価値の高い職業はお笑い芸人か。この世で最も価値の高い個人は,明石家さんま,か。マジでそうかもしれないよね。

● 「笑う」以外にも,美味しい,楽しい,面白い,嬉しい,ビックリした・・・・・・という肯定的な評価を示す形容詞や動詞を当てはめられる瞬間や時間をどれだけ積み重ねられたかなんでしょうね。
 これを貫くと,人の幸せってお金には左右されないね。主には性格に左右される。些細なことでも大げさに喜べること。これすなわち,使っても使っても減らない無窮の財産といっていいだろう。

● したがって,高級レストランでなければ美味を感じられない人は不幸である。ブランド品でなければ洋服じゃない,バッグじゃない,と思っている人は不幸である。
 その無窮の財産を持っている人は,お金の使いでが自動的に増えることになる。不幸な人が10万円を投じて得られる享楽の質量を,1万円で引きだせたりするだろう。

● 無窮の財産。修行(?)次第で誰でも手にすることができそうにも思えるけどねぇ。大事なことは三流の智者にならないことなんだろうな。三流の智者って,つまり多数派だからね。多数派に与しないでいられること。
 難しいかな。おまえはどうかって言われると,まさしくその三流の智者だなぁ。

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