2018年5月26日土曜日

2018.05.26 昼寝で見た夢

● まずい。昼寝をしてしまった。寝たのは15時から16時の間。起きたのは19時過ぎ。3時間以上寝てしまった。今夜は寝れないだろうなぁ。
 おまけに妙な夢を見た。宇都宮で迷子になっている夢だ。

● 宇都宮のGセンターにいる。最近,移転したらしい。なぜ自分がそこにいるのかはわからない。センター長のTさんと以前の職場の上司だったKさんが親しそうに話している。リアルで知り合いのはずはないのだが。
 次の瞬間,センターの内部にいる。5階か6階。階段で下に降りていくのだが,物売りがしつこくて閉口した。どうしてここに物売りがいるのだ?

● エレベーターがあったのでそこからはエレベーターを使うことにした。が,中に座席があるのだ。エレベーターではなくてマイクロバスだった。それがジェットコースターのような急坂を降っていくのだ。
 乗っているのはよく知っている人(しかし,名前は憶えていない)とぼくの2人。とあるところで,バスは泊った。知り合いの彼がデマンドした場所らしい。そこに用事があるのだという。
 ぼくも一緒に降りた。全然知らない場所だ。

● 駅に行きたいのだが,現在地がわからないので,どのバスに乗ればいいのかもわからない。が,何とかなるだろうとバス停まで歩くことにした。
 駅に行くのは反対側の車線に出なければいけないようだ。ので,そうして,来たバスに乗った。たくさん来たので,適当なのに。
 ら,バスというバスが道路の途中でUターンして反対側に出るのだ。道路は先まで続いているのに。これじゃ,わざわざこちら側に来る必要はなかったわけだ,と思ったところで目が醒めた。

● ぼくが乗ったバスは駅に向かうバスだったんだろうか。全然違う方に連れて行かれたんだろうか。何だか妙に気になっている。

2018.05.26 烏山の「クローバー」

● 相方の調子が良くない。近くの医院に行った。風邪だった。感染性はないと言われて安心したらしい。処方された薬も効いたようで,これで肉を食べれば元気になる,と言う。
 ぼくとしては,それくらいだったらとにかく寝てればいいと思う。薬なんか要らない。病院というのは病気をもらうところであって,治すところじゃない。
 食欲がないときに無理に食べるのは最も良くない。まして肉を入れてしまうとは,身体に余計な負荷をかけるだけだ。

● と思うんだけど,本人が食べたいというんだからな。
 というわけで,烏山の「クローバー」で昼食。11:20に着いた。土曜日,予約なしではだいぶ待つことになる。ここは原則,予約すべし。

● が,「クローバー」では待つことが苦にならない。待合室に自転車雑誌がいくつかあるからだ。特に「自転車人 別冊山と渓谷」のバックナンバーがけっこうあるのは貴重。
 平野勝之さんの連載エッセイも読めるしね。これ,単行本になってるんだろうか。なってないだろうな。見たことないもん。

● 黒服の男性にサーブしてもらった。申しわけない。何が申しわけないかというと,こちらは短パンにTシャツで来ているからだ。いくら何でもこの格好はなかったか。

● 「クローバー」の窓から見える風景は充分に秘境感(?)がある。わざわざそういうものを求めて自転車を漕がなくても,ここにあるじゃないか。
 このあたりはパラグライダーにも適したところらしく,鳥人間を何度も窓外に見かけた。あれで高さや方向を調整して,降りるべきところに着地できるのが不思議で仕方がない。不思議だと思うのは無知だからだが。

2018.05.25 氏家「みやこ家」で“まぜめん”

● 相方と氏家の「みやこ家」へ。金曜日の夜ゆえか,今日はしばらく待たされた。

● “まぜそば”の小さい方と“ライス”を注文。残った“まぜそば”の具をご飯に載せて喰う。貧乏喰いと言われるかもしれない(たしかに品はない)。
 が,でき得るなら合理的な食し方と言ってほしい。これが旨いのだ。

● 食べる前に具をご飯に移せばいいじゃないか,って。そういうわけには参らない。
 “まぜそば”なんだから,好みの調味料を加えてよく混ぜなければならない。しかる後に麺だけ食べて,残った具をご飯に載せるのだ。
 つーか,全部食べようとしても,具は残ってしまうのだ。具も残さず食べようとすれば,左で皿を持って,皿の縁を口につけて,丼飯を喰う要領で食べなきゃいけなくなるね。

● 蕎麦屋の天抜き(天ぷら蕎麦から蕎麦を抜いたもの)と同じだ。通はそれを肴に日本酒をやるらしい。
 日本酒にはピッタリのアテになるだろう。日本酒と汁物は相性がいいのだ(ぼくはやったことがないので,伝聞で申しあげている。蕎麦屋に行って,蕎麦を抜いてくれと言うのは,なかなか勇気がいる)。

● だったら天ぷらに汁をかければいいじゃないか,って。そうはいかない。あくまでも天ぷら蕎麦から蕎麦を抜くのだ。そうじゃないと蕎麦の香りが汁に移らない。
 したがって,天ぷら蕎麦より手間がかかる。天抜きの値段は,最低でも天ぷら蕎麦と同額だ。

● それと同じで(じつは,まるで同じじゃないんだけど),混ぜないで具だけをご飯に移すのは邪道なのだ。たとえ見た目が汚くても,その工程を省略してはならぬのだ。

2018年5月24日木曜日

2018.05.24 那須クラシック音楽祭

● 那須クラシック音楽祭実行委員会からプログラムが届いた。ファンディングが成立したのは,慶賀の至り。
 期間は9月の1ヶ月。会場は主催者がオーナーを務める弦楽亭を中心に,那須町のあそこやここ。

● ぼくが漠然と思っていたのより充実の内容。弦と管に分けて,“ジュニア音楽コンクール”までやるのだ。
 大ホールにガサッと集めてというのじゃないから,それを踏まえると料金も控えめ。ホテルなどが出資する無料コンサートもあり。

● ここまで準備が整えば,第1回の音楽祭は半ば成功したも同然。じつは整っていなくて,アナウンスを先にしちゃってる部分もあるのかもしれないけれど,そうであってもここまでくれば大丈夫だと思う。
 第2回以降につながるかどうか。そこがわかる人は現時点では一人もいない。わかっているのは,1回やればいろんなノウハウが身につくということだけだ。

● ところで。主催者側にも会場を提供する側にも無料コンサートの費用を負担するホテルにも,地場者がいない。革新を起こすのはいつだってよそ者だ。
 だから,よそ者が住みつきたくなるようなところにはポテンシャルがある。栃木県だと那須と益子。

● 不思議だ。那須も益子も交通の便がいいわけではない。他の町と何が違うんだろ。
 那須にはよそ者が住み着くけれど,塩原にはそれがない。高原はよくて山あいはダメ? 益子にはよそ者が来るけれど,真岡には来ない。益子には陶芸という文化・芸術の代表が集積しているから? そういう単純な話?

● そんなのはわからないけど,外に向かって開かれているというか,よそ者を受け入れる素地がないとダメでしょうね。
 従来の居住者が強固すぎるつながりを作ってしまってて,よそから来た人をはじくようなところはダメなんだろう。自治会加入率が100%に近いようなところもダメだろうね。閉鎖性が強すぎる。

● 地域振興ってそこに都会を持ち込むってところがどうしたってあるから,すでに強すぎる絆(ありていに言えば,相互監視)が存在するところは,まずその“絆”を壊さないと出発点に立てないだろう。
 那須にしたって益子にしたって,最初から今の那須や益子ではなかったはずだ。開拓者がいたんだろう。地元の抵抗や嘲笑を受けながら,自分の周囲に小宇宙を作っていった人が。

2018年5月19日土曜日

2018.05.19 都市伝説

● 今日の昼食はセブンイレブンのカツカレー。コンビニは街の大衆食堂にとっても驚異であろうな。
 以前からコンビニ弁当には保存料がどっさり入っているという風評がある。コンビニ側は一切の抗弁をしない。頑なに沈黙を守っている。大人の対応としてはそれしかない。いちいち抗弁してたら,その度に話題になってしまう。痛くもない腹を探られることになる。
 支持を受けているがゆえの余裕かもしれない。財布を開いてお金を払ってくれるお客さんがたくさんいるのだ。風評など放っておけばいいと考えるだけの余裕があるのだろう。

● コンビニ弁当には保存料が入っているから食べない方がいい。そういう風評がなぜ広まったのかというのは,検討に値する問題かもしれない。
 そういう風評が立つことで得をする側の人間がいる。いつ行ってもコンビニには弁当が並んでいるんだから,保存料をいれて長くもつようにしているのだろうと単純に思ってしまう人がいる。

● かつて船井幸雄という経営コンサルタント会社の社長がいた。著書もたくさん書いた人で,似非科学の普及に功績があった。彼が著書で紹介した人は次々にお縄になったり失脚するという,曲がりやでもあった。
 その彼が,機内食は食べてはいけないと書いていた。航空会社の人に食べない方がいいと言われたというのだ。理由は同じだ。食中毒は絶対に出してはいけない機内食となれば,保存料なしですますわけにはいかないだろうと誰でも考えるだろう。
 しかし,だ。保存料の害というのがいかほどのものであるかちゃんと知っている人がどれだけいるか。少なくとも,喫煙者や酒を飲む人や甘いものに目がない人が,保存料の害を心配する必要はないのではないか。
 ともあれ。保存料が入っているものは身体に悪いので自分は食べない,とCAに言えるほどのエゴイストが,自分の半径3m以内にいたとすると,自分の居場所を変えたくなる人もいると思う。

● 機内食に保存料が使われているのかどうか,ぼくは知らない。が,コンビニ弁当となると話は別だ。
 SNSでもコンビニを告発する投稿を見ることがある。自分はコンビニ弁当をつくる工場で働いていたことがある。マニュアルにしたがって保存料を振りかけたところ,そんな量じゃダメだ,もっと大量に使え,と上司に怒られた。と書かれている投稿を読んだことがある。もちろん,匿名だ。かなり悪質だ。

● はるかな昔。ぼくがまだ青年のはしりだった頃に,家電量販店(栃木県だとコジマ)が広がっていった。そのときもこういうことが言われた。コジマで売ってるものは安いけれどもすぐに壊れる。
 ぼくの親などもその話を信じていた。信じていると,それに適う事例を集めてしまう。たまたまであろうが,他に理由があってそうなったのであろうが,やはりそうかという根拠になってしまう。
 この場合も,そういう風評で得をする側の人間がいた。同じ商品をこれだけ安く売れるわけがないと単純に信じてしまう大衆がいた。

● 最近の小学校では運動会でも順位をつけない,ゴール前で後続者を待って皆で同時にゴールするのだ,という話もひと頃は流布した。今でもそう思っている人がいるかもしれない。
 しかし,不思議なことがある。目撃者がいないのだ。自分の通っている小学校の運動会ではそうしているという児童は一人もいない。自分が勤務している小学校ではそうしているという教師も一人もいない。自分の子供が通っている小学校の運動会でそういう光景を見たという保護者も一人もいない。
 ここから導かれる結論はひとつだ。実際にはそういう事実はなかった。つまり,これは都市伝説の類だった。口裂け女(古い!)の話と同じだ。

● 誰かが言いだした。あるいは,同時多発だったかもしれない。今の小学校ならいかにもありそうなことだと考えた人が多かったのだろう。それを聞いてそうなのだと信じてしまう。
 “いかにもありそうなことだ”から信じるのは,思考停止の典型だ。都市伝説は多数者の思考停止から生まれるのだ。

2018年5月18日金曜日

2018.05.18 Facebook雑感

● 友だちが「いいね」した投稿を表示しなくなっている。いずれ復活するのだろうと思っているのだが,今のところはその気配がない。
 したがって,情報を拡散させるためのツールとしてはだいぶ弱くなっている。拡散させるためには「シェア」しなければならないわけだから。「いいね」ボタンをクリックするのと,シェアするのとでは,明らかに後者の方が障壁が高い。

● 「いいね」の対象記事が自分のタイムラインに表示されないのは,ありがたくもある。これ,どちらがいいのかは,ぼくには判断しかねる。
 ただ,「○○さんがこのイベントに興味があると言ってます」を表示してもらうよりは,「いいね」の対象記事を表示してもらった方がありがたいかな。

● FBの機能はてんこ盛りだ。が,ほとんどの人は,投稿と「いいね」とコメントとメッセしか使っていないだろう。それでいいのだと思う。
 それ以上の機能を多用すると,だいたいは嫌われるんじゃないか。うるさい!ってね。

● それ以上に気になるのは,占いをはじめとする診断アプリが依然として猖獗をきわめていることだ。
 ぼくの場合だと,“昭和○○年生まれの人は,今年大きく人生が転換します。特に△月生まれの人は2ヶ月以内にその転換が訪れます。詳しくはこちら”というのが表示される。4月当初から同じものが出ている。ひと月半経っても“2ヶ月以内”は変わらないんだけどね。
 それを「いいね」したりシェアする人の数も減る気配がない。ネットリテラシーを決定的に欠く人が相当数いる(中高年に多いはずだと思っている)。ネットリテラシーを欠くと,その影響は本人にとどまらず,他人に迷惑をかけてしまうことになる。

● あと,広告の表示だ。表示される広告を見ていると,FBが追跡しているのはFBに投稿したものに限らない。
 GoogleアカウントでFBにログインしているんだけれども,スマホ(Android)じたいをGoogleアカウントで使っているわけだし,パソコンもブラウザはChromeなので,同様にGoogleアカウントが基本になる。そうしなければ,不便でしょうがないという程度にはGoogleに依存している。
 その結果どうなるかというと,TwitterにツイートするとFBに表示される広告がそれに沿ったものに変わる。アマゾンのサイトに行って,何かの商品を参照すると,FBの広告がそれを反映する。
 具体的に実害はないんだけれども,あまりいい気分のものではないよね。

● ちなみに,FBに表示される企業の広告に「いいね」すると,その「いいね」は半永久的に使われるからね。その広告に載っている商品に限定されず,半永久的に。
 3年後や5年後,10年後の当該企業の広告にも「××さんがいいねしました」と表示され続けるんだよ。これまた,実害はないと思うけれども,「なんだ,こいつ,こんな商品をいいと思ってるのか」と思われるかもよ。
 一時の気迷いで半永久的な禍根を残してしまう可能性があるってことね。

● それやこれやを考えると,無料の代償はけっこう高いのかもしれないねぇ。

● Twitterには140文字という制約がある。FBにはそれがない。が,140字を超える投稿はFBでもかなり少ない。スマホを使っている人が多いからだろう。
 日本語の140字は相当に広い空間でもあるのだろう。400字詰め原稿用紙で7行分だもんな。かなりの長さだよね。

● そこで考えなければならないことは,あまり長いとスマホでは読むのも大変だということだ。基本,長文投稿は嫌われると思うべきだろう。ぼくなんかはFBではわりと長さを気にせずに書いてしまうんだけど,よくないね,これはね。
 FBでも簡潔を旨とすべし。難しいけれども,簡潔にしてなお意を尽くす文章を追求すべし。

2018年5月17日木曜日

2018.05.17 結婚制度は空洞化する

● 今日は古紙回収の日なので,古紙をゴミステーションに持っていく。新聞を取らなくなっているから新聞紙と折り込みチラシはなくなった。その分,ダンボールが大きく増えた。ネット通販のせい(?)だ。どちらのご家庭でも同じでしょう。
 洗濯物を干して掃除機をかけ,かたわら朝食の準備をして,食べたら洗って片づける。

● 何というか,家事って楽だ。これなら,男やもめにも蛆がわくこともあるまいし,若い独身男性が自分でお弁当を作って会社に持っていくのもむべなるかな,と思う。
 何を言いたいのかというと,男が生活していくのに女手は要らなくなったということ。

● 女が生きていくのにも男手を必要としない。かなり以前からそうなっている。女性は結婚したら退職するものという風潮はとっくに消えている。
 今は女性でも自分の食い扶持を稼ぐことは難なくできる。男性の稼ぎに頼る必要はない。

● こうして男女とも互いを必要としなくなったのに,結婚が廃れないのが不思議だ。
 晩婚化,非婚化は以前から言われていて,実際にそういうことになっているのだけれども,結婚という制度じたいは盤石のように思える。

● 最も古い女性の職業は売春だと聞いたことがある。叱られるのを覚悟で申しあげるんだけど,ぼくは結婚も売春の一形態だと思っているのだ。結婚が通常の売春と異なるのは,相手が不特定多数ではないことと,行為の度に金銭の授受が行われるわけではないことだ。
 女性が結婚しないで生存を確保することは難しかった時代が長く続いた(そうじゃなくなったのはさほど昔ではない)。その時代の結婚は,行為の度に金銭で精算するのではなく,自らの生存と生活を確保するという報酬と引替に性を提供する長期売春であったろう。

● もはや女性がそんなことをする必要はなくなった。にもかかわらず,結婚は祝祭であり続けている。
 その理由はひとつしか考えられない。子供が欲しいということだ。これがなくなると,結婚という社会制度は崩壊していくはずだ。

● ぼくは少子化を問題視するのは問題だと思っている。向かうべくして向かっている方向のように思う。ので,今後当分の間は,子供を持ちたいという欲望も希薄化するのではないかと予想している。
 それが非婚化・晩婚化なのであるけれども,それがさらに進行するだろう。結婚という制度は存続するけれども,その制度を利用する人は減り続ける。

● それで困るのは,じつは年寄りだけだ。支えてくれる人が減り続けるわけだから。が,年寄りが困ることによって誰が困るか。誰も困らない。放っておけばいい。
 が,年寄りはすでに社会のマジョリティーであって,選挙制度の下では彼ら年寄りの利益が優先されがちになるだろうことも,容易に予測できる。

● さて,このせめぎ合いはどうなるか。ぼくは少子化はメカニカルなものだと考えているので,年寄りの利益がどうであろうと,選挙結果がどうであろうと,少子化は進行し,結婚制度は空洞化すると思っている。