2019年11月27日水曜日

2019.11.27 氏家の「みやこ家」

● 今月1日からダイエットを始めている。糖質制限。炭水化物を摂っていいのは1日1回。
 それを始めるきっかけになったのは,10月31日に「みやこ家」でまぜそばとライスを食べたことだ。このままだと糖尿病になって片足を切断することになるかもしれないぞ,という不安。
 もちろん,それ以前から体重がめざましく増えていることは自覚してたんですよ。それが喫水線を越えて,嫌でも認めざるを得なくなったのが10月31日だったってことなんですね。

● で,糖質制限は今日に至るまで継続している。ただし,あまりストイックにしては,自分にはハードルが高くなるので,次の2点を自分に許している。
 第1点。1日1回の糖質摂取にあたってはいくら摂取してもかまわない。平日は昼にカップ麺を1個食べるだけのことが多いのだが。
 第2点。糖質以外なら何をどれだけ食べてもかまわない。いちいち糖質に換算するとどれくらいになるなんて計算はしない。

● ともあれ。ラーメンを食べにいく頻度も減った。もし行くなら朝のうちに言ってくれと同居人には頼んでいる。朝も昼も炭水化物は抜くからだ。
 で,今日はそのようにしてひと月ぶりの氏家「みやこ家」。

● 写真は麺と一緒に注文するセットメニューの一番安いやつ。餃子3個に半ライス,杏仁豆腐が付いて190円。
 注文したのは同居人である奥様。杏仁豆腐にかかっているのは黒蜜。この杏仁豆腐,ひと口だけ食べさせてもらった(餃子と半ライズは半分こ)。
 なめていはいけない。先月,東京駅地下街の「筑紫樓」で食べたのより,190円のセットメニューに付いてくるこの杏仁豆腐の方が旨い。

● 杏仁豆腐まで自家製だとは思えない。どこかから仕入れているんだろうけども,これを作っているメーカーには敬意を表します。
 って,そうだとすると,「みやこ家」のみならずそちこちで食べられるものなんだろうかな。

● メインは石焼濃厚つけ麺。今日は王道で行ってみた。奥様は並盛りでぼくは大盛り。
 セットメニューを半分食べたのもあってか,完食できなかった。こんなことは初めてだ。胃が縮んでいるようだ。これも糖質制限効果か。

2019年11月24日日曜日

2019.11.24 久しぶりのシェラトン都ホテル

● ここが東京の別荘だと思うに至ったシェラトン都ホテル。が,ずいぶん,ご無沙汰してしまった感ある。
 ロイヤルパークがメインになったから。ひとつには安いこと,次に北関東から出るには便利な立地であること,そして歩いて楽しい人形町が至近であること。

● そちこち寄り道しながら,地下鉄で目黒駅に着いた。目黒駅からお抱えバス(?)で別荘に。
 部屋は1101号室。トイレは2つあり,クローゼットは3つある。部屋は完全セパレーツのリビングと寝室。スイート仕様ながら,ラウンジも使えて37,000円だったらしい。何かの間違いではないかと同居人は言っている。

● 唯一の不満はパソコンやノートを開いて作業ができるデスクがないことなのだが,そんな野暮なことはここではしないでくれという,ホテル側のポリシーなのかもしれない。
 ラウンジにパソコンやタブレットを持ち込んでいる人を見て,そんなのは部屋でやれと思っていたのだが,部屋でやるのはなかなか難しいのだった。

● そのラウンジへ。ここで炭水化物を摂ることはわかっていたので,今日は朝から炭水化物は控えている。何せ,今月からダイエットに乗っているのだ。炭水化物を摂取するのは1日1回と決めている。
 そのままカクテルタイムに突入。いつもは18時からなのだが,今日は17時30分からと,30分ほど早まっている。ありがたいことだけどさ。

● カクテルタイムとは名ばかりで,夕食タイムなのだが。ホテル側もそのつもりで,腹に溜まるものを用意している。
 今回はハイボール2杯に留めておく。というか,それ以上飲みたいとも思わなかったので。

● でもって,最後に炭水化物だけをドッサリと。1日1回なのだが,その1回はどれだけ摂取してもいいことにしているのだ。
 でも,1日1回にしてから胃が少し小さくなったかもしれない。えっ,それで,って言われそうだけど。

● ところで。ラウンジの空気は以前と様変わりしている。小さな子供を連れた夫婦,子供と一緒に来ている母親のグループ。
 それに釣られてというわけではないのだろうが,大人だけで来ている人たちも大きな声で喋るようになっているような。ラウンジが騒音に満ちるようになった。静謐が消えた。
 自宅の居間と公共空間の区別もできない輩が集うようになった。自分を勘定に入れ忘れて言うと,下品の気が満ちるようになった。

● 未就学児を無料にしたと聞いたとき,いずれはこうなることを予感していた。インターコンチネンタル東京ベイも同じだったからだ。
 長居は無用だ。そろそろ,このホテルからも足を洗うべき時期が来たのかもしれない。

● この状態は,スタッフにとっても辛いのではないか。どうやってモチベーションを上げていけばいいのか。モチベーションが上がらない仕事はいたずらに消耗するだけだ。
 このあたりは経営の判断だろうから,ぼくが良し悪しを論じても仕方がないのだが,ホテル側が失うであろう目に見えないものと得るであろう利益と,さてどちらが大きいか。

● 次はサウナに。先日,サ道の本を買った。まだ読んでいないのだが,買う前に立ち読みしたところによると,サウナは水風呂が肝のようだ。だとするとぼくはサ道に入門もしていなかったことになる。
 で,今回は8~9分のサウナのあと気が済むまで水風呂に浸かるというのを4セット。でも,サ道本にある麻薬的快感というのは味わうことができなかった。今後の精進が期待されますな。

● 今までは5~6分サウナに入っていて,水風呂は1分という感じだったかな。それを2セットで終わりにしていた。
 これってね,かつてはそれですんでいたのに,今ではそこまでいくのに倍以上の刺激を与えなければならなくなったっていうことかもしれない。つまり,加齢現象。

● 社会人になったときの体重は54kg。30歳で60kgに到達し,それが70kgに乗ったときには愕然とした。数年前のこと(→ ここには相方から異議申し立てがあった。数年前じゃない。もっとずっと前から)。
 ところが,今日,サウナの後に体重計に乗ったら,80kgになっているではありませんか。これはいかん。ちょっと以上に危機感が必要だ。
 炭水化物の摂取制限を始めたくらいだから,自分でも異変(?)に気づいていたわけだが,数字を突きつけられるとねぇ。当然,糖質制限は厳格に継続する。

● コレステロール値は高い方が長寿だとか(ガンになりにくい),鬱になりにくい(なっても回復が早い)と言われる(コレステロールはセロトニンの原料になるから)。血糖値が高めの方が認知症になりにくい,ともね。
 しかし,この体重はいかん。あと15kgは落としても,セロトニンの原料不足は起こるまい。

● 翌朝。ホテル1階の「四川」で朝食。ハラールコーナーにあるひよこ豆のカレー。朝食はもっぱら和食だったし,今もそうなんだけど,ここではひよこ豆のカレーが楽しみ。肉入りのカレーもあるんだけど,ぼくはひよこ豆カレーのファンだ。
 ハラールコーナーがあるからといって,イスラム世界の住人は今日は見かけなかった。ひよこ豆のカレーを取る人もあまりいなくて,自分が全部食べてしまいそうで申しわけないなと思ったことだった。
 本日の炭水化物摂取は,この1回だけ。体重のことはいったん忘れて,ガッツリ行こう。

● あと,カットフルーツ。梨があった。今どきですからね,この時期に梨があっても驚くにはあたらない。甘くて旨い梨だった。秋口に食べた梨は,今年はハズレだねと思わせるものだったのだが。
 さて,これだけ喰ったんだから,昼は当然抜くっすよ。

● 次はサウナ。今日は3セット。とにかく,水風呂にある程度長く浸かるように昨日からしてるんだけど,意識が飛ぶような快感にはなかなかなかなか辿り着けない。ってか,そんなもの,あるんかい。
 サウナは地元の日帰り温泉施設に行けばいい。その地元の施設には3年以上ご無沙汰だ。まだあるんだろうかな。

● ちなみに,庭園は閉鎖されていた。昨日も今日もあまり天気がよろしくない。滑りやすい状態だ。それゆえの閉鎖なのだが,傘をさして濃厚な酸素を呼吸するのも悪くないのになと思った。

2019年11月22日金曜日

2019.11.22 若宮正子さんの素敵さ

● 某所でこんなのを見つけた。日銀に事務局がある金融広報中央委員会が出している啓発誌というんですかね。となれば,読む価値なし?
 それがそうでもなくて,若宮正子さんのロングインタビュー記事があったんですよ。“世界最高齢のアプリ開発者”と騒がれた人ね。

● その若宮さんがこう仰っている。
 よく,『70歳になったら人生を振り返って自分史を書こう』などといわれますが,70歳で自分史を書くのはまだ早いと思います。むしろ,自分のコンテンツをいかに増やすかに時間と労力を使ったほうがいい。大切なのは自分史よりコンテンツ作りです。それに,ブログやフェイスブックに今日あったことを書いていけば,それが蓄積されて結果的に自分史になるので,あたらまって人生を振り返る必要なんてないのです。
● 自分史を書くだの,終活だの,アホかいな。コンテンツを増やすとは,守りに入らない,戦線の縮小を考えない,ということか。整理なんかしないでもっと散らかせ,ということか。
 たしかにね,終わりに向かって着陸しようとするよりも,ワシャワシャやってたら突然パタッと終わりが来た,っていう方がいいかもしれないね。

● 84歳になってこう語れる人がいるという事実に励まされる。いるだけで社会を賦活できる人って,最も良質な社会貢献をしているといえるだろう。
 真の人間国宝とはこういう人。つまり,存在しているだけで,何事かを社会に放射できる人だ。

● ぼくもね,戦線縮小を考えているわけですよ。現役時代にはやっていて60歳になってやめたことのひとつは,年賀状を出すことだ。60歳になったことだけが理由ではないのだが,年賀状のやりとりはやめることにした。
 来ても返さない。返してしまうと次の年にまた来てしまうからだ。自分も出さないし,誰からも来ないというのがいい。まだ,そうなっていないが,あと1年か2年でそうなるだろう。
 しかし,これはそのままでいい。SNSがここまで普及すれば年賀状のやり取りなど何の意味もない。

● あとは何だ? 同窓会に出なくなったことか。それもそのままでいい。戦線縮小とは別の話だ。
 あとは? う~ん,あまり変わってないか。変わるとすれば仕事を完全引退する来年4月以降ということか。どう変わるかちょっと楽しみだが,仕事の有無ごときで大きく影響されてたまるか,とも思っていてね。影響されるんだけどさ。

● やりたいことがあるなら,現役世代のときからできる範囲でやっているのでなければいけない。
 定年になったら,退職したら,隠居したら,というのは,つまりはやりたいことは特にないということなのだ。その時点で勝負はついている。悪いけれども,先はない。

● なので,ぼくも仕事以外に,あるいは仕事中に仕事をサボってやっていることを,おおっぴらにやりたいと思っているけれども,そうはいっても制約要因がある。
 ひとつは経済的なもの。給料がなくなって年金に変わる。可処分所得は確実に減る。自分がこれまでやってきたことのあらかたはさほどにお金のかからないものだが,中にはかかるものもある。
 東京のホテルに泊まってアーバンリゾートを満喫するとか,東京にコンサートを聴きに行くというのは,したくてもできなくなるだろう。年に数回,外で酒を飲むことがあったが,それも厳しくなるかもしれない。

● ふたつめは,家事見習いを始めなければならないことだ。ぼくの場合は奥様は引き続き仕事をなさるので,ぼくが主に家事をやることになる。
 家事なんてのは,頭を使えば,どんなにかかっても1日2時間で終わるはずだが,家事を楽しむということになるとその限りでない。
 自分がどうなるか。少々楽しみでもあるのだが,使える時間は多少制限されることになる。

● しかし,制約といってもその程度のものだ。仕事がなくなるので,他が変わらなければそれだけで戦線は縮小することになるが,それを埋める手立ては一応,準備できてるつもり。
 どうなるか,4月以降が楽しみだね。

2019年11月20日水曜日

2019.11.20 久しぶりの外飲み

● 酒はすっかり家飲み派になった。酒を飲むためだけに外に出ることはなくなった。ホテルのラウンジで飲むのも家飲みの範疇だ。

● 昔は外で1人で飲んだものだった。1人で飲むときこそ,外で飲むべきだと思っていた、家で1人で飲むのはアル中のイメージに結びつきやすいというか,あまり健康的とは言えないと思ってた。家で飲んだ方が安いけれども,安いからといって家で飲むのは感心しない。
 当時から休日にわざわざ飲みに行くことはなかった。仕事帰りに飲むのが専らだったので,外で飲んで家に帰って,そのまま寝るという生活をしていた。
 ちなみに,職場の飲み会は飲むのに数えない。

● それが変わったのは,やはり結婚が契機でしょうね。それでガラッと変わったというわけではないけれども,加齢がだんだん外で飲むのを億劫にさせた。
 家で飲んでる分には,最終電車に間に合うかとか,ホテルに泊まるとか,そういう心配をしなくていい。酔ったらそのままゴロンと寝ればいいだけだ。

● 外で飲むのがつまらなくなったということもある。1人で飲みに行って,カウンター席に座って,大将や女将と話をする。そういうことがつまらないと思うようになってしまった。
 ほかのお客さんが話しているのを聞いているのもつまらない。毎度毎度,同じような話だし。結局,床屋政談なんだよね。

● 若い頃は,酒場のカウンター席に座ること自体が社会勉強だと思っていたのだと思う。酸いも甘いも噛み分けているスナックのママは人生の先生だ,と思っていた。先生にいろいろ教えてもらおう,と。
 こちらが歳を取ってくると,そこのところが薄れてくる。店を出たあとの彼女たちの生活ぶりも具体的に想像がついてしまう。それでは先生にならない。

● チェーンではない居酒屋の商売は難しくなっているのではないかと思う。まず,料金面でなかなかチェーン店に対抗できない。割高になってしまいがちだ。
 チェーン店は画一的だ。画一的というのは悪いことばかりではない。客とすれば,事前に予測可能になるからだ。初めての土地であっても,出てくるものも値段も既知なのだから,安心感がある。
 しかも,チェーン店の品質管理はかなりのレベルで,ヘタな個人経営の店より旨いものが出てくる。

● そういう中で,流行っている個人経営の居酒屋には,チェーンにしてしまうと必ず抜け落ちる何物かが店内に満ちているように思う。
 その何物かのかなりの部分は地元客や常連客が作っているもので,したがって,ヨソ者には入りづらさにつながるかもしれないのだが,そこを押して入ってみると,いい店であることが即座に理解できるという具合だ。

● というわけで,久しぶりの外飲みなのだ。宇都宮は県庁近くの「庄助」。この店も久しぶり。3年ぶりくらい。大将は最近亡くなったらしい。そんなに高齢ではなかったと思うが。
 で,大将と店を切り盛りしていた,若干歳は喰っているものの,3人のお姉さん方が名跡を継いでいる。

● メニューにも変化がある。かつての看板メニューだったオコゼの唐揚げはなくなっていた。いや,この日はたまたま仕入れがなかっただけなのかもしれないけれど。
 しかし,まぁ,居酒屋の肴とすれば,充分以上の品数といっていいだろう。

● 旨くて安いのは基本。居酒屋は富裕層やインテリではなく,大衆のためにあって,大衆が支えているのだ。うなるほどのお金を持っている大衆はいない。
 安くて,家ではなかなか食べられない味。それを1つや2つではなく,いくつも揃えておく。何事によらずプロは大変だな。

● マグロのブツもいい部位から取っている感じだね。ハイボールがグイグイ進んで困る。
 もつ煮。コチュジャンを使った辛味噌が添えられているが,それだけでは辛さが足りないので,ぼくは七味を振りかける。さらにハイボールが進む。
 ショップカードに使われているのがゆず味噌で,ゆずの中身をくり抜いて味噌を詰めて干す。それを薄くスライスしたもの。これに合うのはやはり日本酒だろうと思って,最後に日本酒の燗を1本飲んだ。

● ところで。上述のような理由で,1人で飲むのだったら外に出る必要はない。外で飲むのは誰かと同じ時間を過ごすためだ。
 とはいっても,同じ時間を過ごしたい相手などそうそういるものではない。逆に,ぼくと一緒に時間を過ごしたいと思っている人も,たぶん数人しかいないはずだ。是非にという限定を加えると,1人もいないかもしれない。

● 還暦を過ぎた爺さまとしては,若い人と接する時間はすこぶる希少で,したがって大事にしたいものだ。
 勤めていれば,若い人と接する時間は自動的にできるわけだが,その環境にいるだけではダメだ。仕事絡みでは,彼がこちらに見せる表情は限られたものになるからだ。上下関係を介在させないことが望ましい。

● その若い人が女性であればなおいい。最も良質な時代との接点を持てることになるだろう。
 しかし,問題が2つある。ひとつは,若い女性であれば誰でもいいというわけではないことだ。もうひとつは,こちらの方がシリアスなのだが,若い女性が爺に興味を持つかという問題だ。普通は持たないはずなのだ。
 だから,興味を持ってもらうことは端から諦めるしかない。数ある爺の中には例外もいると思うが,自分がその例外だと思ってはいけない。

● 興味を持ってもらわずとも,こいつだったら時間を使ってやってもいいと思ってもらえれば,御の字というものだ。
 では,どうしたらそう思ってもらえるか。たぶん,万古不易の方程式はない。方程式はないけれども,かなり緩やかな括りはできるかもしれない。ただ,それをも明確に示す能力は自分にはない。

● 今回,アキレタト○エが付き合ってくれた。ありがたいこってす。二次会までつきあってもらった。どうして一緒に飲んでくれるのか本人に訊いてみたいものだが,訊いたことはない。
 大した話をするわけでもないが,自分の中で何らかの組み替えが起こっているはずだと思う。効果は一時的だとしても,組み替えが起こることが事の本質で,それがあるのとないのとでは,水が流れているか一箇所に留まっているかくらいの差ができる。
 一箇所に留まっている水は腐る。ボーフラが湧いてくる。

● ゆえに,年に2,3回,一緒に飲んでくれる若い女性の友人を持っていると,生活が固着しなくてすむのではないか。
 可能なら,そういう友人が数人いると天下無敵の爺になれるだろう。つまり,一緒に飲んでくれる若い女性の友人1人は,同年代の同性の友人百人に匹敵するかそれ以上だからだ。

● そういうことだから,費用は当然こちら持ち。あたりまえの話だが(ただし,アキレタには奢られ下手なところがある)。
 仕事を完全引退して年金生活になると,それが難しくなるかもしれない。その場合,金の切れ目が縁の切れ目になるだろう。むしろ,そうでなければならない。
 そうならないために,つまり金の切れ目を作らないために,打てる手がないか,目下考え中。

2019.11.20 二荒山神社

● 何年ぶりかで二荒山神社の階段を登ってみた。二荒山神社には縁がある。結婚式に披露宴はここの会館でやった。息子のお食い初めも,当然,ここで。
 ま,お食い初めなんてやる必要があったかどうか,いささか疑問なのだが。

● が,その後はご無沙汰が続いていた。ここに初詣に来たのも,さて何回あったろうか。
 大通りを歩いている人の中には,鳥居の前で足を止めて礼拝する人もいる。自分を超えるものに頭を垂れるのは,自然な行為であるように思われるが,その自然さに妙な違和感を持ってしまうのは,どういう訳の訳がらか。

● この神社の御祭神は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)。「豊城入彦命は第10代崇神天皇の第一皇子で上毛野君・下毛野君の始祖と古事記にあります」とのことだ。ほかに,「大物主命(大国さま)事代主命(恵比寿さま)を合わせて祀られました」ということ。
 これだけで充分だろうと思うのだが,稲荷社もある。だからなんだと言うわけでもないが。





● 階段(参道)の途中にも。学問の神様やら,武道の神様やらのお社がある。お酒の神様もいれば,疫病を鎮めてくれる神様もいる。まこと,八百万の神々がいらっしゃる。
 お酒など滅多なことでは飲めなかった大昔,手術だの放射線療法だのがなかった大昔,これらの神様は相当なリアリティをもって存在していたのだろうな。

● 逆に言うと,神様がリアリティを持つのは,決して幸福なことではない。神社が物販やご祈祷や結婚披露宴や葬式や,いろいろと食べていくために善男善女を相手に商売しているくらいが,たぶんちょうどいいのだろう。

2019年11月16日土曜日

2019.11.16 「髙なべ」の醤油ラーメン

● 国道4号沿いのこちらのラーメン店に初めて入ってみたよ。先月,雨の休日に立ち寄ったんだけど,あまりの待ち人の多さに怖気づいて回れ右して帰ってしまったんだった。

● 味噌が売りの店かと思われるんだけど,ネギ醤油ラーメンを注文。ラーメンはやっぱり醤油が基本でしょ。初めての店で味を見るには,醤油が好適。
 ネギは辛ネギと白髪ネギから選べるので白髪。麺は細麺と太麺から選ぶので太麺。

● で,結果はというと,透明というかノイズがないというかしつこくないというか,正調の醤油ラーメン。昔,食べたことがある,と思わせる味でもある。
 実際には食べていないのかもしれないのだが,食べたことがあると思わせる味なのね。醤油でこの味ならば,次の機会があれば麺は細麺にしてみようと思った。

● あとね,アルバイト(だと思う)のお嬢さんにスタイルGoodの人がいて,たぶん,彼女目当てでこの店のラーメンを食べに来てる人もいるんじゃないかと思った。

● ま,それはともあれ,ラーメンはとにかく激戦。ぼくはそちこちの店で食べまくるほどのラーメンファンではなく,行く店も限られているのだが,鋭角的にガツンと旨いという店は知らない。
 氏家「登竜」の醤油ラーメンと益子「ぎおん」のラーメンは,しばらく食べないでいると食べたくなる不思議なところがあるんだけど,実際に食べに行ってるかとなると,それはまた別の問題。

● この店はどうなるかな。しばらく食べないでいると,また食べたくなるかな。

2019年11月10日日曜日

2019.11.10 東京散歩-隅田川

● 隅田川を散歩。永代橋を渡って江東区佐賀に至り,隅田川大橋でホテルに戻ってきただけなのだが。
 何事もない。もう見慣れているといっていい光景だ。が,10月12日,13日はこのあたりはどんなになったのか。すっかり旧に復しているので,そこをイメージするのが難しい。

● 白人女性が何人もジョギングしている。日本は平和ないい国だなと思える光景だ。平和を絵画にすると,ここに来て写生するのがいいのじゃないか。
 喉元過ぎれば熱さを忘れる。いい意味で使われる諺ではないのだろうが,喉元を過ぎたのにいつまでも熱さを忘れないでいたら,生きていくことができなくなる。忘れるように人間は作られている。忘れていいのだと思う。

● 江東区佐賀からの光景。日本IBMはここにある。ここといっても,隅田川右岸側。日本橋箱崎町。
 パソコン事業をLenovoに売却したときは驚いた。が,今からすればその時期で正解だったね。NECや富士通は腰が重すぎて,いよいよどうにもならなくなるまで手をこまねいてしまった。結果において無為無策。
 けれども,そのIBMにしてもすでに昔日の栄光はない。南無,諸行無常。

● といっても,だ。厳密にいえば,将来はどうなるかわからない。IBMが往年の栄光を再び手にすることは絶対にないとはいえない。いえないけれども,そういうシナリオはなかなか見えてこない。
 やはり,南無,諸行無常。

● 日本橋と頭に付いても,箱崎町まで来ると空気は墨田区と変わらないように思う。
 だから何だと言いたいわけではない。隅田川が作りだす何ものかがあるのかなと思っただけ。

2019.11.10 ロイヤルパークホテル

● ロイヤルパークホテルに投宿。久しぶりの感じがする。相方がすでにチェックインをすませている。
 カードキーがないとエレベーターに泊まる階を指定できないんだから,相方にロビーまで降りてきてもらうか,ラウンジで落ち合うしかない。もっぱら後者になるわけだ。今回も同じ。

● ホテルに着いたのは16:30。カクテルタイムは17時からなので,そのままカクテルタイムになだれ込むことにした。
 1時間ほどいて,濃いめのハイボールを3杯飲んだ。このホテルにもだいぶ馴染んだ
感があって,このラウンジも第2の居間のような感じになってきてるんだけど,もちろんわが家の居間ではない。馴染み過ぎてはいけないというか,まぁ,心構えの問題だけど。

● 人形町を歩いてきて,ホテルに戻ると,またラウンジへ。水を1杯,ご馳走になる。そのためだけにラウンジを使うというのが,すごく贅沢に思える。
 じつをいうと,そのあと,アップルジュースを2杯,ご馳走になったんだけど。

● ラウンジで朝食。ラウンジの朝食券に1,500円を追加すると,1階の「シンフォニー」で食べることができる。最初にこのホテルに泊まったのは20年前。
 その頃,ラウンジがあったかどうか知らないが,「シンフォニー」の朝食は楽しみだった。落合さんという名物シェフがいて,オムレツをその場で焼いてお客に供する。威厳があって近づきがたい印象があったが,今はあたりまえになったこのオムレツサービスはひょっとすると,このホテルが広げたものかもしれないと思ってみる。

● で,今回は「シンフォニー」に行ってみようかと相方と話したんだけど,結局,ラウンジにやってきた。
 朝食に関しては,ぼくはもっぱら和食党になっている。ラウンジにあるご飯,味噌汁,かまぼこ,卵焼き,お新香,梅干し。これで何か足りないものがあるか。ちょっと思いつかない。であれば,ラウンジで。

● 息子が小さかった時,食事中はスマホを見るなと注意していた。が,今は自分もそうしている。息子の方が時代を先取りしていたのか。
 でも,食べるときは食べることに集中した方がいいと思う。なぜかといえば,その方が見た目が美しいからだ。
 このホテルのラウンジでも,食べながらスマホをいじっている人が多い。日本人も外国人も。その程度の人しかいないのだと言ってしまってもいいかもしれない。もちろん,ぼくもなかなかできないのだが。

● ホテルの客室にあるPRペーパー。シティエアターミナルが隣接しているんだから,海外に出張して帰国したらすぐに仙台か福岡に講演に行かねばならないようなエリートさんは,このホテルを拠点にすると便利かもしれない。
 バブルの頃のビジネスセンターはすでにないが,ラウンジのスタッフが秘書機能を果たしてくれるかもしれない。
 って,そんなエリートさんがいるのかどうか知らないけどさ。

● 悩ましいのは成田と羽田の兼合いだ。成田は捨てて羽田に特化して拠点を作るのが正解だとすると,このホテルよりもっと便利な立地のホテルもあるだろう。
 具体的には品川方面のホテルがいいということになる。新幹線も品川に停まるようになってるわけだし。
 しかし,ロイヤルパークの立地も悪くないと思う。地下鉄で2駅乗れば,大手町なんだし。東京駅までならタクシーもありだ。
 って,これまたぼくには絶対に関係のない話だな。自分に関係ないことをどうして心配してるんだ,俺。

● ホテルでもクリスマスケーキやおせち料理を扱っている。年賀はがきの販売枚数が激減しているのと同じで,こうした年中行事は多様化というより個人化しているのではないか。
 お金をかけて宣伝してもその効果が下がっている。ホテルでもコンビニでも百貨店でも等しく実感しているところだろう。笛吹けど踊らず。といって,やめるわけにはいかない。大変だろうと存ずる。
 数年前までは,街がクリスマス一色に染まると,そういうものに無縁な,あるいは縁を持とうとしても持てない,一定数の人たちは疎外感を覚えて,外に出るのをいやがるのではないかと思うこともあったんだけども,今はクリスマス商戦がそこまでの誘因効果を発揮することはない。疎外感を生むことすらなくなっている。

● ロイヤルパークホテルの正月宿泊プラン。12/31~1/3の3泊4日で,1人あたり18万円。1泊あたり6万円。カップルで泊まると1泊12万円。
 これを高いと見るか安いと見るか。ぼくは,かなり良心的な値付けと思う。館内レストランでの夕食と朝食が付いての価格だ。
 ただし,良心的であっても残念ながら泊まれない。無理。

● でも,この前後はストンと安くなるのが普通だよね。山高ければ谷深し。狙い目。年末は30日まで。年始は4日から。
 といって,サラリーマンはまず泊まれない。だから安くなるわけなんだが,そこを何とかしたいものだ。何とかしてアーバンリゾートを満喫したいものだよ。
 寒い冬はホテルで温々するのが最高だよ。暑い夏もホテルで涼むのが最高だけどね。交通費をかけて遠くにいくより,近場のホテル。

● はい,最後のラウンジ。そろそろ帰る。
 ちなみに,今回の宿泊費は26,000円。1人あたりなら13,000円。正月料金の6万円と比べてどうよ。夕食はないんだけどね。

2019年11月9日土曜日

2019.11.09 東京散歩-日本橋

● 蛎殻町のロイヤルパークホテルに投宿。ホテルのラウンジに1時間ほどいて,ハイボールを3杯飲んだ。
 まだ18時だ。本格的に炭水化物を堪能すべく,人形町は「兎屋」に。はい,つけ麺大盛り。980円になっていた。柚子胡椒柚子を付けて,ちょうど1,000円。
 胡椒なんか付けちゃったのは今回が初めてなんだけど,これは好みによるでしょう。七味または胡椒でよろしければテーブルにセットされている。あぁぁ,喰いすぎた。

● 相方が三越の食品売場を見たいと言いだした。三越で食品を買っているセレブを見たいというわけなんでした。
 ここまで来てれば,三越は徒歩圏内。で,行ってみた。初めてではない。すでに何度か来ている。だけど,人形町から来てみると,室町と人形町では同じ日本橋でもまったく色合いが違うことがわかる。銀座と新橋以上に違う。室町はよそゆきの街で,人形町は普段着の街だ。

● 当然,ぼくは人形町を良しとする。室町はそこに住む人はいない街だ。夜間人口はゼロ(実際にはそうではないと思うが)。
 よそゆきの街にはよそゆきの気高さというか,演技できる快感というか,単色の潔さというか,独特の良さがあることは認めたうえで,それでも下町的な人形町を採りたい。

● それでも,こうした敷居の高そうなカフェで,70歳を超えているかと思われる老婦人が1人で読書していて,それが周囲に溶け込んでいるのを見ると,場の格といったものを感じるわけだ。
 1人で本を読んでいる品のいい老婦人がこれだけ自然に見えるのは,たぶんこの街だからだ。

● 三越にあった弁当のカタログ。吉兆の懐石弁当10,800円なんてのもあるんだけど,そういうのを別にすればそんなに高いわけでもない。セブンイレブンの予約弁当とさしたる違いはない。
 まぁ,どっちにしてもわが家には関係のないことなので,どうでもよろしいのであるが。

2019.11.09 東京散歩-曳舟

● 9月14日以来,曳舟で下車。直接の目的は曳舟文化センターで開催されるテオフィルス室内管弦楽団の定演を聴くためだけれども,なぜこの楽団の演奏を聴いてみる気になったかといえば,曳舟で開催されるからだ。
 つまりは,曳舟で降りる口実として使った的なところがある。曳舟を歩いてみたかったのだ。

● 「下町中華そば すずめ食堂」。入ってみたいね,こういうところ。待ち人も2人いた。若い女性ね。
 けれども,深く期するところあって,今月から1日1食にしているのだ。いや,厳密には糖質(炭水化物)を摂取するのは1日1回にするってことね。
 体重の増加が止まらない。腹回りの脂肪がどんどん分厚くなっている。結果,腹が出ること出ること。これで外に出てはいけないのじゃないかと思える体型になってきた。
 父親が糖尿を抱えていたということもある。糖尿は母系遺伝だとも聞いたことがあるんだけど,遺伝はともかく,このままじゃ絶対糖尿になると思う。っていうか,すでに境界性と言われているのでね。糖尿なんぞ抱えていいことは何もないので,ここでいったんは消しておくかというわけなんでした。
 今日は夜にラーメンを食べに行くことになると思うので,朝と昼は糖質禁止。

● 曳舟川通り。歩いててホッとする。“田舎”が残っているからだろうか。自分もここにいていいんだと思えるっていうかさ。
 そこが田舎者には座りの良さにつながるのだと思うが,曳舟はしかし東京都の特別区にあるのであって,田舎ではない。たとえば,こういうマンションは田舎にはないわなぁ。

● 先月の台風で武蔵小杉のタワーマンションも機能不全に陥ったようで,いろいろ言われているけれども,こうした被害は改善の動機になる。だから,こうしたことがあって,だからマンションは止めておこうと思ってしまうのは,何も考えない人の発想だ。
 で,そういう人を大衆と呼ぶ。ぼくらはしょせん大衆でしかないのかもしれないけれども,大衆であることに対して,多少の抵抗はしたいと思う。

● 曳舟川通りと明治通りの交差部。車が停まってるのが明治通り。2年前,新木場から東向島まで明治通りを歩いたことがあった。どうしてそんなことを思いついたのか今となってはわからないが,とにかく歩いてみた。
 ここも歩いたはずだ。懐かしい。って,具体的な光景はほとんど憶えてないんだけどさ。

● 曳舟から押上まで歩いてみた。と言っても,曳舟駅から数十メートルも歩けば押上2丁目なのだが。
 曳舟川通りから左に曲がってみる。路地的な道路だ。もっと狭い路地もある。車通行は厳しいと思えるのだが,どのお宅でも大きめの車をお持ちのような。よほど運転が上手いのだとお見受けする。
 都市に住むメリットのひとつは車を持たないですむことだとぼくなんぞは思っているのだが,なかなかそういうわけにはいかないんだろうか。車は自由の象徴だ。公共交通機関の路線や時刻表に縛られないで,自由に行きたいところに行ける。
 が,そのためのコストが高すぎる。ガソリン代,税金,車検,保険。ぼくは車を手放したいと思っているのだが,田舎ゆえそれがなかなか難しい。

● 自動運転と電気自動車が普及すれば,このあたりの事情も大きく変わってくるだろう。たぶん,自動運転が当たり前になれば,個人で車を所有している必要はなくなっているのではないか。
 個人所有の車は遊んでいる時間が長すぎるのだ。自動運転ということになれば,車の稼働率を上げやすくなる。台数は今の3分の1になり,稼働時間が3倍になる。メーカーもかなり淘汰される。
 車はその都度,レンタルで使うものになるだろう。貧乏臭いと思ってはいけない。誰もが格安でハイヤーを使えるようになるのだ。車が文字どおりの動く書斎,動くオーディオルーム,動くシアターになるのだ。

● スカイツリーが間近に見えてきたらそこが押上駅。なので,迷子になることはまずもってない。こうして今回の墨田散歩も終了。
 スカイツリーに登ったことはないし,これからもないと思う。スカイツリーは外から見るだけでいい。だから,スカイツリータウンも,原則,用のないところ。11月になったばかりなのに,クリスマス商戦に入っている。
 って,街ではどこでもそうですけどね。たとえば,こんなものも売られていたんだけど,ダイソーにも同じようなのがあったな。