2020年9月27日日曜日

2020.09.27 東京メトロのフリーペーパーに驚く

● 半蔵門線の住吉駅で「メトロミニッツ」という月刊のフリーペーパーを発見。発見というのも何だけど,今まで気がつかなかったものでえ。
 A4,本文38ページという堂々たるもの。スターツ出版が編集発行を担当しているが,発注元は東京メトロなのだろうね。

● 不思議なのはメトロの沿線はあまり出てこなくて,取材対象が日本全国に及んでいるところ。今月号では「Cycling in 茨城」というタイトルで水戸が紹介されている。
 特集記事は New “フルサト” ツーリズム。「もう1つのふるさとを見つける旅に出ませんか? というご提案です」というわけなのだが。


● New “フルサト”の定義は「生まれ育った場所でなくても,せわしない東京の日常に疲れた時にふと “帰りたくなる” 土地のこと」との由。
 生まれ育った場所そのものではなくても,そこに近いところに住んでいる田舎人には関係のない話になる。

● ぼくもその口なんだけど,東京をNew “フルサト” にできればと思っているのだ。
 田舎人の中には,東京の大学を出てUターンしてきたという人も多いと思うのだが,残念ながらぼくは東京に住んだことがない。が,東京の面白さ,いろんな面での濃密さというのは,若い頃から惹かれていた。休日にはしばしば出かけていた。
 ただ,若い頃は点でしか東京を知らなかった。御茶ノ水なら御茶ノ水のこことここ,秋葉原なら秋葉原のこことここ,という具合に,点でしか知らない。点と点は脳内の地図上ではつながっていない。

● エリアというか街として知るようになったのは,わりと最近のことだ。年齢でいえば50歳を過ぎてから。そうして,街として(面的に)ふんわりと東京を知るようになると,東京以外の都市,たとえば京都,大阪,金沢,札幌,那覇に対する興味は急速に消えていった。東京だけでいいと思うようになった。
 幸い,北関東のわが家から東京は近い。週末は東京で過ごすようになってきた。ぼくはもう “日常に疲れた時” を味わうことはないと思うが,日常に飽きることはしょっちゅうありそうだ。
 そういうときに目先を変えるのに東京は絶好だ。充電するというと,今の自分には変な言い方になるが,そんな気分で出かけていく。

● で,週末の東京行きを繰り返した結果,東京をNew “フルサト” にできつつあるような気になっているのだけれども,そうなればなったで,東京に馴れてしまう。今までは刺激であったものが,刺激として機能しなくなる。
 そうなっては少し困る。生粋の東京人はどうしているのだろう。東京があたりまえで,地方が新鮮に映るのだろうか。しかし,やはり東京にしか住めないと思い至るという流れになりそうではあるよなぁ。

● ぼくは東京には住めないと思う。週末に行くところにとどまる。経済的な問題は度外視しても,東京に住むだけのパワーはないと自認している。
 現役を退いているから,満員電車に乗るなんて目には合わなくてすみそうだが,それでも東京の持つパワーに抗しきれる自信はない。New “フルサト” も基本は,遠きにありて思うものだ。

● 自分のことを語りすぎた。「メトロミニッツ」の話だ。
 基本は観光案内といっていいと思うんだけれども,丁寧に取材を入れている印象。格調高い誌面づくり。こういうのが無料で読めるんだったら,書店にあまたある旅行雑誌は要らないんじゃないかと思えてくる。
 月1で出していたら,ネタ切れにならないのかと,余計な心配もしたくなる。定期購読したくなるが,電子版があってバックナンバーも読めるらしい。

● 東京都交通局のフリーペーパーもあった。こちらは主には沿線の旨いもの屋の紹介で,これなら理解できる。他の私鉄でもやっていることだから。
 が,「メトロミニッツ」のこの編集方針はPR誌の域を越えているように思える。東京メトロのメセナ事業というわけでもないだろう。ひょっとして東京メトロは関係ないんだろうかと思ってしまう。

2020.09.27 清澄白河散歩-深川江戸資料館

● 宿泊している銀座のミレニアム三井ガーデン東京から晴海通りを見ると,けっこうな人が歩いている。これから仕事だよという人もいるだろう。っていうか,朝のこの時間帯ではそういう人が多いのかも知れない。
 一方で,休日の銀座を楽しもうという人が集まっても来ているだろう。ここから見ていても,そういう人は見分けがつく。


● コロナ禍でも4~6月の深刻期を脱して,だいぶコロナ以前に戻ってきた感がある。
 欧州では第2波がやってきて,再びロックダウンに踏み切る動きがあるらしいが,どういう訳の訳柄か,日本(というより東アジア)では死亡者が少ない。
 なぜそうなのか。それを説明す
る仮説も専門家から提出されているけれど,ともかく日本ではコロナをあまり深刻に考えない気風が一般化しつつある。
 政府がGoToキャンペーンを打ちだしたときも,マスコミ報道を見る限りでは日本中こぞって反対なのかと思えたが,今はそうではあるまい。政府は正しかったと考える人が多くなっているのではないか。

● ぼくはもう現役を引退したので,釈迦のいう八苦のうち,怨憎会苦(会いたくない人に会わなければならない苦しみ)からは解放された。この世は苦だというとき,その苦の最大のものが怨憎会苦であることが,しみじみ了解される今日この頃というわけだ。
 ので,ことさら気分転換を要することもないし,頑張った自分へのご褒美として東京のホテルに泊まるというのも当たらない。だいたい,ぜんぜん頑張ってないからね。
 というわけで,申しわけないようなものではあるのだが,ぼくも東京を楽しもうとしている側の人間だ。

● 申しわけなさついでに,起床は9時近かった。10時までにチェックアウトしなければならないプランで泊まっているのだけども,1,500円追加して11時アウトにした。
 東銀座から日比谷線で人形町に出た。22日にも同じようにしている。人形町に泊まると銀座に出たくなり,銀座に泊まると銀座以外に行こうとする。


● 人形町の吉野家で朝兼昼食を食べた。これも22日と同じ。宇都宮駅構内の吉野家が閉店してから,吉野家の牛丼を食べる機会が激減中。が,この1週間で2回も。
 正午近いのだが,かなり空いてるのは何でだ? この街に限らず,日曜日となれば,地元の人より地方からやって来た人たちの方が圧倒的に多いはずだ。地方にはファストフードのチェーン店しかないというのが実情だ。せっかく東京にいるんだから,地元にもある吉野家じゃなくて別のものを食べたいと思うのかもしれない。
 が,隣のマックには行列ができている。よくわからない。


● 水天宮前から半蔵門線をひと駅乗って,清澄白河にやってきた。門前仲町なら蛎殻町にあるホテルを定宿にしていた頃,隅田川大橋を渡って何度か歩いたことがある。その際,清澄庭園は見ている。
 が,この駅で降りるのは初めてだ。東京はエリアによってくっきりと色合いが違う。駅前の清澄通りを歩くだけで,はっきり感知できる。さっきまでいた銀座とはまるで違う。
 通りに面して建っている建物群がそう思わせる。高さの並んだ木造洋館(とは言わないのだろうが)が並ぶ一画があって,それが独特の空気を作っているのだ。
 滝沢馬琴生誕の地でもあって,碑が建てられている。滝沢馬琴に限らず,けっこうな数の文人に所縁があるところだろう。


● 門前仲町もそうだけれども,ここもお寺が密集している。こんなにお寺ばかりでやっていけるのかと思う。兼業僧侶ばかりなんだろうか。にしては,それな
りに立派なお寺なんだが。
 っていうか,東京ってさ,高輪や白金台にも寺町と言いたくなるくらいのところがあるし,浅草は言うに及ばずで,東京は寺の街でもある。


● 深川江戸資料館。入館料は400円。
 常設展示の「江戸の町並み再現」が一番面白い。面白いというか,実物大で見せてくれているのでわかりやすいということ。

● 説明書きによると,江戸時代の日本人の平均身長は,男が155cmで女が145cmだったらしい。そのくらいが適正で,今は男も女も無意味にでかくなり過ぎているのではないかとも思う。
 が,江戸時代というのはその前の安土桃山に比べても,日本人の身長が縮んだ時代らしい。
 ということは,食に事欠くのがあたりまえの時代だったという
ことか。あまり住んでみたいとは思わないね。ひと頃,江戸時代礼賛の風が強まったことがあったけれども,少し冷静になれというところですかね。

● 月見飾りの展示があった。月見団子は直径が10.5cmもあったんだそうだ。おにぎりよりもでかい。ご馳走を食べることのできる行事でもあったのだね。
 十五夜(旧暦の8月15日)は中国伝来と認められるけれども,十三夜(旧暦の9月13日)を言祝ぐのは日本のみに伝わる風習とのこと。


● 「江戸のまんが展」も開催中。漫画という言葉がこの時期の史料に登場しているらしいのだが,現在の漫画とは当然異なる(今の言葉では戯画)。
 じっくりと見ていけば,けっこう想像を刺激してくれるはずだと思うのだが,そのじっくり見るということ自体,誰にでもできることではないようだ。なぞるようにそそくさと見て,終わりにしてしまった。

● このエリアにはすでに何度か来ている。が,さらに何度も来ることになるだろう。何と言うんでしょうか,庶民の街という風情がね。それが江戸の昔から続いているという感じで。
 隅田川の向こう側で何があろうと知ったこっちゃねーや,と
いう気風があったんでしょうか。あるいは,隅田の向こうは自分の征服対象だとでも思っていたんだろうかなぁ。その程度の気概はあったのかもしれないなと思わせる何ものかを孕んでいるような気がする。たぶん,考えすぎだと思うんだが。

2020年9月26日土曜日

2020.09.26 荻窪散歩-白山神社

● 今週末も東武電車で東京に行く。わが町にはJR線しか走っていないので,勢い,JR宇都宮駅に着く。東京に行くんだったら,そのままJRに乗り換えるのが簡便だし,所要時間も短くてすむ。
 ところが,東武駅まで移動して東武線に乗るのは,第一にぼくが暇人だからだ。隠居生活なので時間だけはある。第二に,時間はあってもお金はあまりないからだ。節約できるところは節約したい。

● ビジネス書や自己啓発書には,時間をお金で買えるなら躊躇わずに買え,と説くものがある。タクシーで移動すれば車内で仕事ができる。時間より貴重なものはないのだから,当然そうすべきだ,といったような。
 ところが,時間があってお金はないとなると,時間でお金を買うという行動パターンになる。時間がかかるのを厭わなければ,東武なら宇都宮から東京まで800円で行ける(金券ショップで東武株主優待券というのを買っているわけね。それが1枚800円)。JRの半額以下になるのだから,どうしたって,では東武で,ということになるのだ。

● さらに細かいことを言うと,春頃までは栃木と南栗橋で乗り継ぐ必要があったのが,ダイヤ改正で南栗橋で乗り換えればすむようになった。心理的にはこれがけっこう大きい。
 南栗橋で乗り換えれば,あとは押上から半蔵門線に乗り入れて,日本橋,大手町,九段下,表参道を経て渋谷まで一本なのだから,利便性はJRを上回る。

● 東武で東京に向かうと,5本の川を渡る。細かく数えればもっと多いが。
 壬生を過ぎたところで思川。静和を過ぎて渡良瀬川。栗橋の前で利根川。北千住の前で荒川。浅草の前で隅田川。
 何を言いたいのかといえば,鉄橋で川を渡るのは楽しい。レールから伝わってくる音も変わる。

● 最近は,曳舟で浅草行きに乗り換えて,浅草に出ることが多くなった。その理由はいたって単純で,かつては半蔵門線の水天宮前のホテルに泊まることが多かったのに対して,コロナ以後は日本橋か銀座に泊まるようになった。特に銀座が多くなった。今夜も銀座のホテルに泊まる。
 銀座に出るのだったら,三越前で半蔵門線から銀座線に乗り換えるよりも,浅草から銀座線に乗ってしまった方が早い。

● 浅草駅前の富士そば。かつ丼セット,740円。富士そばって,下手な街の蕎麦屋より旨くないですか。いやいや,もっと旨い蕎麦屋がわが地元の栃木県にもたくさんあるけれども,富士そばより不味い蕎麦屋っていうのもなくはないようなね。
 その蕎麦屋のかつ丼でありますよ。少し,ご飯が固かった。難しいのだが,これくらい固い方がいいという人もいるのかね。

● さて,今日はホテルに入る前に行くところがある。荻窪に用事があるのだ。荻窪に行くならJRの中央線。それしか頭に浮かばないのが田舎民で,ぼくもずっとそうだった。
 そうじゃなくなったのは最近のことで,特に東武で東京に出るようになってからのことだ。否応なくメトロでの移動を考えるようになる。それを手助けしてくれるものが2つあって,ひとつはスマホの乗換案内アプリ。もうひとつは,メトロの24時間券だ。

● メトロの24時間券は,購入時から24時間,600円でメトロに乗り放題という切符。1日乗車券はほとんどの交通機関で販売しているが,それは購入日の終電までというわけだから,せいぜい半日券だ。メトロは24時間というのがミソ。
 24時間券があることは知っていたが,それを使うほどには移動しないから自分には関係ないと思っていた。せいぜいが200円区間を往復するくらいのものだったから。

● それがコロナのせいで状況が変わった。3月までは東京に泊まると,クラシック音楽の演奏会を見つけて,それを聴きに行くのがセットになっていた。ホテルでまったりするのと音楽を聴きに行くのと,この2つで時間は埋められるので,都内を観光するという発想はあまりなかった(とはいっても,トータルすればけっこう観光もしている。東京は歩くのにはお誂え向きの街だから)。
 6月から東京詣でを再開したものの,コロナは演奏会も封じてしまったから,ホテルを根城にして都内を移動することが増えた。となると,メトロの24時間券が力強い味方になる。

● 今は演奏会もだいぶ復活してきた。今日,荻窪に行くのもそのためだ(目的地は杉並公会堂)。荻窪なら浅草から銀座線に乗って,赤坂見附で丸ノ内線に乗り換えるのがもっとも簡便。

 いつもは荻窪駅の北口から青梅街道を歩いて杉並公会堂に向かうのだが,今日はいつもとは違う行路を辿ってみた。

● 白山神社に出くわした。商店街の端の方に参道の入口がある。少し行くと道路が参道を寸断している。めげずに行くと,二の鳥居があって,その先に社殿があるっぽい。
 のだが,遮断のロープが張られていた。これより先は進入禁止。すでに暗くなっていて,神様も本日の営業を終了されたらしい。荻窪鎮守の神様であらせられる。

● 白山神社は全国にある。それぞれに勧請由来があるに違いないが,その多くは後から捏造されたものではないか。もっというと,白山神社とか熊野神社とか八幡宮とか天満宮とか,神社のブランド名はいくつもあるが,多くの神社では名前は後から付けられたものではないかと思っている。
 要するに,名前に必然性はない。なぜこの地に白山神社が,などと考えても仕方がない。熊野神社になっていたかもしれないのだ。その程度に考えておくのがよいと思う。

● 帰りは飲み屋街を歩いてみたんだけど,賑わっている店もあるにはあるが,お客の戻りは総じて鈍い印象。賑わっている店は居酒屋系。当然ながら店によってバラつきがある。
 黒服の客引きも立っている。閑古鳥が鳴いているのだろう。コロナによって壊滅的な打撃を受けたのは,サブカル的なというか,アングラ的なというか,裏街道的なというか,日陰者的なというか,そうした業種だ。コロナは日陰を淘汰する。
 酒場でいえば,外から見られてもなんら支障のない居酒屋はどうにか持ちこたえているけれども,見られるのをよしとしない,キャバクラやクラブは大打撃を受けた。

● が,人間は日陰なしでは生きられない。裏も必要だ。コロナが収束すれはもちろんだけれども,収束しなくてもこれらの業種がどういう形でか復活することは間違いないだろう。
 人間は群生動物だ。群生の仕方はひと色ではないけれども,人間もしょせんは動物の一環であって,そうそう高尚にはできていないはずだ。
 しかし,そうした業種に厚い内部留保があるとは考えづらい。持ちこたえられるかどうか。

● ぼく一個に関していえば,6月から週末の東京来訪を再開しているし,中止しないでやる演奏会があると聞けば,できるだけ出かけるようにしているくらいだから,コロナはコロナ,オレはオレ,という感じだ。
 が,それでもなお,屋内に数人が集まって,至近距離でマスクなしで談笑をする図にはやや抵抗がある。飛沫が飛び交うところに身を置くのはイヤだなと思っている。そうじゃないところなら,満員電車の中であってもノーマスクでいてもらってかまわないのだが。

● というわけなので,荻窪のコンビニで缶ハイボールを買って,丸の内線の車内で動くパブを決め込んだのだ。
 けど,そんなことをやってる人は他にいない。少し周囲を気にして,小さくなりながら,350mlの缶ハイボールを飲んだ。

● で,今週火曜日までいた銀座の別荘に辿り着いた。ミレニアム三井ガーデンホテル東京。馴染み感のある1007号室。税込みで9千円ちょっと。18時イン10時アウトのショートステイだけど。
 この時期だからこそのこの値段。泊まれるときに泊まっておけ。貯金の減少は気にするな。通常価格になれば,ぼくには縁のないホテルに戻るのだから。

● ちなみに,前回は広めの1318号室に泊めてもらったのだけれども,ぼく的にはこちらの部屋の方が落ち着く。ヘタなゆとり(ムダ)はない方がいい。
 ギュウギュウに密度を高めて,狭さを極めるというのも鬱陶しいけれども,スイートルームのゆとりがくつろぎにつながり,つまりはそれがカンファタブルというものだとは思わなくなった。ゆとりは少しでいい。
 その部屋で飲み直した。そのまま寝てしまった。

2020年9月22日火曜日

2020.09.22 コロナで大学が窮地にあること

● 右は今日(9月22日)の日経新聞の記事。
 小中高は通学しているのに,大学はなぜ同じようにできないのかというのは,ぼくにはわからない。飛沫防止の衝立を立てたり,消毒を徹底するのが間に合わないからだろうか。とりあえず,マスク着用を徹底させればそれ以上の対策は不要かと思うんだが。

● 大学側もオンライン授業という対応はしているわけだ。しかし,いつまでもこの状態だと大学は存在意義を問われることになる。
 要するに,学生が支払う学費に見合ったサービスを提供していないわけだから。通信制大学並みの授業料しか取ってはいけないという話になる。

● ぼく一個は医大や音大,美大,実験を伴う工学系は別として,大学なんか通信制だけあればいいと思っている。そもそも,文系学部なんて要らないだろう。
 昔と違って今はインターネットがある。独学の方がよほど効率的だ。その程度の独学もできないやつに対面で授業をしても仕方がない。まぁ,自分のことは棚にあげて言っているのだが。


● 学士の価値も地に落ちている。落ちたものをわざわざ拾うこともないだろう。
 現在の大学は学士配給機関にすぎないのだけども,その学士が無価値になっているのだから,さて(特に文系の)大学の価値って何だろう。これが価値です,というものが思いあたらない。


● ぼくは,大学時代の “仲間” とは卒業と同時に縁が切れた。そんなものだろう。
 しかし,だから大学時代の仲間に価値がないとまで言うつもりはない。後に残るか残らないかよりも,大学に在籍した4年間をどう彩れるかが重要だからだ。
 仲間にあまり情緒的なものを求めない方がいいだろうけれども,とはいっても,20歳前後のよくいえば多感な数年間を,利害関係の介入がない話をするために使えるのだ。その話し相手がいるというのは,それ自体が恵まれた状況だ。
 その恵まれた状況を買うために大学に学費を払っているのだと考えてもいい。授業料ではなく。


● だから今の状況は学生からすれば,大学には何もしてもらっていないということになる。学費を払っているのに,これはどうしたことか,と。
 大学が所定のサービスを提供しなくていいという話にはならない。オンライン授業をやっていますというのは,やるべきことの一部を代替しているに過ぎない。抗弁としては弱すぎる。

● オンライン授業ならどこにいても視聴できるわけで,どこにいても視聴できるものは独学の範疇(独学で用いる教材のひとつ)とも言える。授業の聴講においても,友人と情報交換できるというのが大学の持ち味だ。
 それができないのなら,たいていの大学のオンライン授業よりは放送大学の放送授業の方が練れたものになっているはずだから,やはり放送大学の授業料以上の額を徴収しているなら返還しろという話になる。

● とはいえ,このコロナだ。大学単独で動ける余地は少ないのかもしれない。この状況なら通常授業を始めてしまえばいいと思うが,それは部外者だから言えること。
 もう来年の入試の準備が本格化しているだろう。大学側も困っているだろうね。この状態がこれからも続くとなると,潰れる大学がけっこう出てくるんじゃないのか。その方がいいとも思うんだが。愚にもつかない文系学部のバカ教員がいなくなってくれるんだからさ。

● 今年の新入生に言いたいことは,ここで短気を起こすなということ。大学に入ってしまったのなら,基本,卒業して,地に落ちたとはいえ学士をもらって社会に出ればいい。
 なぜなら,その流れに乗った方が楽だからだ。よほどの才能か能力があるのなら,ここでの方向転換もありなのだろうが,大学に行くという選択をした時点で,おそらくそうした才能や能力はないという証拠になる。
 まったく運が悪かったというより他はない。必要以上にバタバタしてエネルギーを消耗しないことが肝要かと思う。

2020年9月20日日曜日

2020.09.20 店選びで失敗

● 夕食は中華を食べに出かけた。相方がネットで見つけた芝公園のホテルの1階にある中華レストラン。飲み放題付きで5千円というので。
 東銀座から都営浅草線,三田線と乗り継いだ。


● ところが,これがどうも。料理を作っているのは,明らかに素人。アルバイトの青年だったりするんだろうか。
 ホテルのレストランというより,町の中華屋。率直に申しあげると,日高屋といい勝負かもしれない。
 もちろん,日高屋にはないメニューや食材があるわけだけれども,仕上がった料理の味ということになると,比較対象は日高屋になる。

● ウェイターも無作法とフレンドリーを混同している。中華居酒屋として赤提灯でも出して商売するなら,それもありかもしれないが,レストランを標榜する以上,これでは手抜きにしか見えない。
 要するに,素人が料理を作り,素人が給仕している。お金を取ってはいけない料理を,お金を取ってはいけないやり方でサーブしている。


● 飲み放題は3時間。どうも料理を出す間合いも3時間店にいることを前提にしているようなのだ。つまり,間延びする。サッサと次を出せよ,と言いたくなるのだ。
 料理がまともなら破格の時間だと言えるのかもしれないの
だが,最初の前菜を口にした時点で帰りたくなった。次の餃子でこれはダメだと見切るしかないと覚悟した。この状態で3時間も留め置かれるのは,ほとんど軟禁だぞ。
 デザートのあとに中国茶が出た。このお茶が一連の料理の中で最も旨かったかもしれない。


● これでは潜在客を食いつぶしているようなものではないか。要するに,一度来たら二度と来ないだろうから,お客をわざわざ遠ざけているようなものだ。
 ホテルSはこの中華屋の運営には一切関わっていないだろう。場所を貸しているにすぎないのだと思う。しかし,ホテルとしてはそれでいいのか。
 ネットでもホテルSの1階にあると紹介されている。ホテルの評価にもマイナスに作用しているのではないか。

● 2人で1万円をドブに捨ててしまった。ネットだけで店を選ぶとこういう失敗をすることがあるという,これは教訓。写真は嘘をつくし,ホテルのレストランとなれば,たとえ5千円でもそれなりの空気と水準を想定してしまう。
 ネットのクチコミ欄には好意的な意見も載っている。わからぬものだ。一般論として,食べログやAmazonのコメントにはあまり信を置かない方がいいと思っているが,ではどうすればいいか。

● ネット以前は,実際に店構えを見て,お客が入っているかどうかを確認して,決めたものだ。食べログなどよりこの方が間違いは少ないのだと思うが,どうしてもネットに頼りすぎてしまうきらいがある。

2020年9月19日土曜日

2020.09.19 早稲田散歩-漱石山房記念館

● 東武線で宇都宮から浅草。浅草から銀座線に乗り,日本橋で東西線に乗換えて,早稲田にやって来た。地下から地表に出ると,まず目に入ってくるのが穴八幡宮。なかなかに由緒のある神社らしい。
 自分の記憶に誤りがなければ,早稲田に来たのはこれが3度目。1度目は都電荒川線を三ノ輪から早稲田まで乗った。このときは,都内に残る唯一のチンチン電車に乗ることが目的だったから,早稲田に着いて何をすることもなく引き返した。

● 2度目は早稲田大学交響楽団の演奏を聴くために,大隈講堂に来た。高田馬場駅から歩いたのだが,道に迷った。スマホのナビが役に立たなくて腹を立てた。が,今にして思えば,スマホが悪いのではなく,当該ユーザーが地図の見方を知らなかっただけかもしれない。
 ちなみに,帰りも迷ってしまった。方向音痴という言葉は自分のためにあると思っている。

● 3度目の今日は,ここ早稲田で開催されるコンサートを聴くために来たんだけど,やはりいったんはとんでもない方向に歩きだした。地図で現在地を確認して歩きだしたのに,アサッテの方向に行ってしまう。せめてもの慰めは,これはおかしいと早めに気づいたことだ。
 「Waaaaay」というアプリを入れている。目的地を入れると,だいたいこっちの方向だよと教えてくれるアプリだ。最短距離で行ける保障はないが,おおよその方向がわかるというのは,すごい安心感をもたらしてくれる。方向音痴には必須のアプリだと思ってますよ。


漱石山房通り
● そのコンサートを無事に聴くことができて,さて,次は何をしようか。今回は決めてきている。夏目漱石の記念館がこのあたりにある。行ってみようと思う。漱石はここで作品を書いたのかと感慨に浸ってみたい。
 漱石の小説はぼくも一応は読んでいる。中学生になるときに「坊っちゃん」を読んだ。以後,高校と大学ではほぼ読んでいないが,社会人になってから「明暗」まで読んだ。講談社学術文庫が発刊されたとき,「私の個人主義」や「文芸の哲学的基礎」も出された。たしか読んだ記憶がある。内容は忘れているが。
 今はあらかた青空文庫に入っていて,タダで読めるようになっていると思う。読み返す機会があるはずだと,今のところは思っている。


● 漱石山房通りと名づけられた通りはかなり狭い。軽自動車だってすれ違えないくらいの狭さ。この通り以外にも,昔ながらの狭い通りが残っている。
 ともかく,この通りを歩いていくと,迷うことなく漱石山房記念館に出るわけだ。建物の隣は漱石公園。庭に公園という名を付けたのか。
 漱石生誕の地もこの近くにある。漱石は早稲田で生まれて早稲田で亡くなったのだね。


● 入場料は300円だが,無料で使えるエリアもある。館内のカフェだ。カフェスペース,けっこう広いのだが,ほぼ満席。
 スタバ代わりにしている人もいるっぽかった。パソコンを持ち込んで何かをしている人とかね。区立の施設ゆえ,ドリンク代も安いのじゃないかな。
 けれども,多いのは本を読んでいる人だ。外国人もいる。漱石が住んでいたこの場所で文庫本を開くのは,ファンにとっては気分のいいものなのだろう。
 この人たちの中には常連さんもいそうだ。ここを常用できるところに住んでいるとは羨ましい。

● 見どころは書斎を復元した部屋。座布団に座って,小さな文机で執筆してたんですねぇ。椅子は使っていなかった。和風スタイル。
 漱石の蔵書は東北大学の図書館に疎開して戦災を免れた。「洋書約1650冊,和漢書約1200冊」というから,量的にはさほどのものではない。今の読書家ならこれに数倍する蔵書を有しているだろう。雑書が大半だというだけの話だ。
 本など持たないという人だって,ネットでけっこうな量の活字を読んでいるだろう。ひょっとしたら,多くの現代人が読む量は漱石を凌ぐかもしれない。どうでもいいニュースやゴシップ記事しか読んでいないというだけだ。


● ということを感じたのは,漱石の書が展示されていたからだ。ぼくにはまったく読めない。見事に読めない。
 楷書に翻訳(?)した銘板が添えられているので,それを見てこういうことが書かれているのかとわかるのだが,明治の文人はこうした筆文字が読めたのかと感心する。それがどうした,とも,ついでに思う。
 ま,でも,これは書ですよね。ひとつの技芸だ。漱石は相当な使い手だったに違いない。


● 漱石の名言を紹介しているプレートもある。そのいくつかから,不遜にも,漱石にも青いところがあったんだなぁと思ってしまったんですけど,ごめんなさいです。申しわけありませんでした。
 この意気込みは時代の然らしめるところでしょうかね。明治という時代の。青年客気の気風に満ちていた時代の。国を開いて,成長期にさしかかった日本という国の。


● 記念館を後にして,早稲田駅に戻り,諏訪通りを上ってくと,学習院女子大学のキャンパスがある。中高校も併設されている。生徒たちが「ごきげんよう」と別れの挨拶をしていた。「ごきげんよう」なんて言葉,聞くのはずいぶん久しぶりだ。
 が,前回聞いたのはどこだったのか思いだせない。映画かTVドラマで見たのをリアルと混同しちゃっているのかもしれない。


● 念のために申せば,この言葉を使う階層に対する憧れや臆する気分は皆無だ。彼女たちも大人になれば,使わなくなるだろう。
 どこかに “ままごと” の気配も感じるしね。「ごきげんよう」を言う私を演じる遊びをしているという気配。
 しかし,このこの言葉を使う階層には残ってもらいたいものだ。時代がかっているとか,浮世離れしているとか,そういうのは残さなくてはいけない。
 本当に真ん中だけになってしまったら,この上なくつまらない社会になるだろう。いや,「ごきげんよう」は浮世離れはしていないんだけど。


● 諏訪町から高田馬場駅まで歩いて,東西線に乗った。東京はほんと坂でできているなぁと思う。
 この界隈は早稲田大学の城下町だが,学習院女子大学もあり,都立戸山高校があり,他にも中学校,小学校,専門学校,予備校(今は使わない言葉なのか)がわんさかある文京地区だ。かつては神田だったけれども,今はここが学生街の筆頭ですかねぇ。


● 日本はすっかり老人国になったから,若者が蝟集する街は貴重だ。時々はここにやって来て,若い人たちから気力をもらうのがいいかもしれんよ。といって,只今現在は学内閉鎖中なんでしょうけどね。
 学生街ゆえ,学生向けの安いお店も多い感じ。そういうところへロートルが入ってもいいものか。いいに決まっている。というわけで,早稲田は下町の雰囲気だ。気安い街だと思った。

2020年9月17日木曜日

2020.09.17 釜川散歩

 ● 宇都宮の釜川が田川に合流するところを見てみたいと思った。そこから釜川を遡れるだけ遡ってみようか,と。
 とはいっても,宇都宮市当局が観光案内の動画を作っていて,それを見ればおおよそ了解できる。わざわざ歩くこともないかと思いもするんだけど,宇都宮の色街は釜川沿いに広がっているという仮説(?)を確認したくてね。

● 今の釜川は改修が進んで親水公園的な機能まで備えるようになったけれども,昔は暴れ川だったと聞く。いや,暴れ川だった頃の釜川をぼくも知っている。
 昭和50年代の釜川は夏になると,けっこうな割合で洪水を起こしていた。泉町の飲み屋が被害を受けるので,陣中見舞いに飲みにいくというのが,酒飲みの習わしだった。

● 住居とするにはまったく向かないエリアだったはずだ。そういうところは悪場所になる。
 だから,釜川沿いを歩くことは,かつて悪場所だったところを歩くこととイコールにならないか。

● 宮の橋を渡って,隅田川テラスならぬ田川テラス(右岸側)に降りてみる。合流地点に行くにはここを歩くのがたぶん最短距離になるだろうし,迷う心配もない。静かだからウォークマンのイヤホンを耳に突っこんで,音楽を聴きながら歩くのにも恰好だ。
 昨年の台風19号の際は光景が一変したはずだが,今は穏やかきわまる景観だ。

● 都市には川が付きものだ。人は川のほとりに住み着き,そこから集落ができていくのかもしれない。そこからの発展過程はいわゆる複雑系に属するものだろうから,初期値のわずかな違いが結果に大きな違いをもたらす。定式化は難しいのだろうな。
リバーサイドアパート群
 栃木県内に限っても,宇都宮を流れる田川は小さな川だ。鹿沼の黒川,小山の思川,足利の渡良瀬川,日光の大谷川の方が河川としては大きいし風格もある。都市に河川は付きものだけれども,大きい河川が大都市を作るというわけでもなさそうだ。

● 少し歩くと左岸側にアパート群が現れる。正直,家賃はそんなに高くなさそうだ。
 部屋から川面を眺めながら老後を暮らすのも悪くはないな,と思ってみたりする。思うだけで,自分が実際にそのようにすることはないのだけれども。

● 合流点は意外に近かった。前もって地図で確かめているわけだが,信号なしのところを歩くとJR駅前からさほども離れていないところで合流することが実感できる。だから何だと言われると困る。全然,何でもない。
 今の釜川は人工河川と化している。コンクリートの三面張りだ。日本初の二層構造の河川なわけで,自然が作った二層構造などあるわけがない。徹底的に人間が手を加えている。治水とはそういうことだ。

● ここから釜川沿いを歩いていくことにする。少し歩くと,釜川と田川がほとんど隣合わせと言いたくなるほどに接近するところがある。
 もうここで合流させてしまえばいいではないか,ほんのわずかな距離を暗渠で繋げばいいだけじゃないか,と思いたくなる。

● で,その箇所で田川に降りてみると,ここでもどうやら合流しているっぽいのだ。釜川の水の半分はここで田川に抜いている。
 大水が出たときの備えだろう。全部ここで抜いてしまうには暗渠では間に合わないのかもしれない。

● このあたり,左岸より右岸の方がわずかに低い。かつての釜川は大雨のたびに洪水被害を出した。
 おそらく右岸側の方に大きな被害が出たはずだ。右岸か左岸かで,地価も違ったのかもしれない。
 しかし,そういうことも今ではほぼ問題にならなくなっているだろう。治水技術が釜川をおとなしくさせたためだ。IT技術だけが技術なのではない。土木工学や
建設技術も,日々,自らのフロンティアを切り開いているものだろう。

● 厩橋。いい響きの橋名だな。うまやばし。名前の由来が気になるところだ。
 橋の名前ってね,特に田舎はそうなのかもしれないけれども,青雲橋とか開運橋とか,何だこれっていうような名前を平気で付ける。あるいは,小さな橋なのに○○大橋とか。
 釜川の橋にはさすがにそういった名前は付いていないようだ。そういうことをしなくてもすむ謂われというか故事来歴があるんでしょうかねぇ。
ただし,釜川橋という名前はある。

● このあたり,右岸側にコンクリート製の高層住宅が連なる。宇都宮の中心部といってもいいエリアに入っている。
 おそらくだが,というか個人的な見方なのだが,宇都宮の旧市街が往年の賑わいを取り戻すことはない。人口はすでに減少期に入っている。
 パイは小さくなるばかりだ。そのパイの奪い合いで,旧市街が駅東に打ち勝つという状況は想定しにくい。
駅東にコンベンションセンターができるとあってはなおさらだ。

● ひょっとすると,旧市街からは商業施設は消滅して,旧市街がそっくり “閑静な住宅街” になるのかもしれない。
 今の60代は旧市街の往年の賑わいを知っているだろう。バンバという通り名で代表される。映画館がいくつもあり,露店で賑わった。毎日がお祭り的な祝祭空間だった。ノスタルジックにその復活を望んでいるのかもしれないが,それが実現することはない。

● 車社会に対応できなかった云々の問題ではない。今の時代に応じた快適空間を作れるかどうかだ。JR駅から東武駅までの大通りから一般車両を駆逐できるかどうかが,メルクマールになるだろう。
 それができれば往年の状態に戻ることはなくても,衰退を食い止めることはできるかもしれない。しかし,おそらくもう手遅れだろう。

● RIVERSIDE CAFE という喫茶店もあったが,すでに営業はしていないっぽい。
 この先に今小路橋がある。上流から続いてきた釜川の二層構造はここで終わる。下流端から歩いてきた身にすると,ここから始まるという感じなのだけど。
 このあたりまで来ると,右岸より左岸の方が土地が低くなる。細かいことにこだわっていて申しわけないのだが,川沿いではこれを揺るがせにはできないよなぁと思っていて。

● ここは8月にも歩いたところだ。色街の名残りが濃いと勝手に思ったのだが,今回も同じ印象。
 もちろん,今は色街ではなくなっている。おそらくだけれども,東武百貨店の裏側(宮園町)に流れが移り,さらに江野町,泉町へと変わった。
 とはいえ,泉町にも往年の勢いはすでにない。オリオン通りに飛んだ。ただし,泉町もオリオン通りも釜川の支配域(?)だ。
 泉町の飲み屋はスナックとかバーとか,二次会に使う店が多かったのだが,“二次会=スナック” という図式は過去のものになっているのかも。ひょっとすると,二次会という言葉じたい,死語になりつつあるかもしれない。

● バンバ通りを釜川が横切る。朱塗りの橋は御橋。お殿様が二荒山神社に詣でるときに渡った橋だからという謂われのようだ。
 現在のバンバ通りは,パルコが去った後の空きビルがそのままになっていて,宇都宮の購買力低下を語るもの寂しい通りになっている。

● で,すぐにオリオン通りに達する。釜川は暗渠になってオリオン通りをくぐる。この先,釜川は泉町から戸祭に至るのだが,ここまででいい。気が済んだ。
 宮の橋から何箇所か行きつ戻りつして,ここまで約1時間。悪くない散歩コースだと思う。
ほどよい生々しさ,生活感がある。取り澄ました都市景観もある。あるいは,都市の裏の顔も垣間見える。
 スマホと財布だけを持って歩くといいだろう。しかし,1回歩けばいいかなとも思った。

2020年9月12日土曜日

2020.09.12 10月から東京もGoToトラベルの対象に

● というニュースをネットで見た。遅きに失したとしても朗報。これで都内の宿泊業者も赤字前提の料金でオファーを出さなくてすむ。GoTo補助分を上乗せできる。
 自分のことを言うと,4月と5月は外出を自粛した。そうせざるを得ない雰囲気があったからだ。
 正直のところ,コロナがどういうものなのか把握しかねていた。その情報を得るのに怠慢だったことは認めるけれども,専門家の間でもかなりの幅があって,実際はどうなのかが掴みかねた(これは,基本的に今も同じ)。

● ぼくはテレビを見ないので,コロナ騒ぎで脚光を浴びたにわか専門家の話は聞かないですんでいるのだが,それでもいろんな意見が錯綜していて,外出してもいいのかダメなのかの判断がつきかねた。という状態では,外出しない方に傾くことになる。
 ぼくなんかはそれだけですむ。が,宿泊業で食べている人たちにとっては,シリアスを極める話になる。意見が錯綜すれば,その錯綜した中で最も危険度が高いものを基準にせざるを得ない。
 イライラもしたろうし,ジリジリもしたろう。どっちなのかハッキリさせてくれと思うことも一再ならずあったろう。

● 6月になってから毎週,東京泊を重ねるようになった。東京でPCR検査の陽性者が増え始めた時期だ。
 しかし,重症者が増えたとは聞こえてこないし,死亡者のニュースも入ってこない。検査数が増えれば陽性者が増えるのはあたりまえだ。その多くは無症状者であるに違いない。
 症状がないのに入院させていたのでは,医療崩壊を自ら望んでいるようなものではないか,専門家が素人である知事や都職員をきちんとリードできていないのではないか,と思った。

● 陽性者が増えていようが減っていようが,コロナに感染するリスクはある。しかも,そのリスクは増加期だから大,減少期だから小,というわけではあるまい。
 感染リスクを下げるには三密を避ける,集団で盛りあがっているところに近づかない,といったことしか知らない。
 それさえ注意すれば大丈夫なら,苦戦しているホテルに今こそ泊まるべきではないかと思った。義を見てせざるは勇なきなり,というほどではないけれども,お金の使いでをマックスにできるチャンスではないか。
 いや,それ以上に,ホテルで過ごす快を求めただけのことではあるのだが。

 6月に泊まったのは潮見にあるホテルだった。地方から東京ディズニーリゾートに遊びに来た人を宿泊客として見込んでいるのかと思うのだが,そのディズニーリゾートが閉園を続けている。
 で,泊まってみて驚いた。2人で泊まっても1万円まで行かないのだから。1人だと5千円しない。ということは,カプセルホテルよりすこし高いだけじゃないか。
 これで採算に合うわけがない。合うわけがなくても,従業員に仕事を作らなければいけないし,空気を泊めているよりはマシだ。

● GoToの対象になれば,宿泊客の負担を増やさずに宿泊料を値上げできる。少なくとも,これじゃ赤字というラインから採算分岐点の上に頭を出してひと息つくことができる。
 いや,そこまではできないかもしれないが,最悪期を脱するための援軍を得たことにはなる。

● 東京もGoToの対象になるということは,10月以降の宿泊料金が数日中に大きくあがるということだ。GoTo対象になったからといって,ぼくらが支払う料金が安くなるわけではない。
 7月末に同じ現象が全国的に起きた。GoToを本当に実施するのかどうなのかバタバタしていた時期と,実施の細目が決まった後とでは,宿泊料金にけっこうな変動があった。

● そのためのGoToなのだから,それでいいのだ。けれども,ぼくらとしては今のうちに予約しまくっちゃった方がいいのじゃないかと思う。値上げ前の今の料金から割引されるからね。
 もっとも,都内の宿泊料金はすでに10月からグンと上がる設定になっているんですよね。予め,このことを折り込んでいたのか。でも,さらに上がるかもしれないからねぇ。

● ぼくらができることは,出かけることと泊まることだ。そこから先のことは神の見えざる手にお任せすればいいし,お任せするしかない。
 自分の快を追求すればいいのだ。“義を見てせざるは”の世界に生きる必要はない。当然のことだが。

● 10月からの宿泊料金が安くなるわけではないのだから(むしろ,少し高くなるのじゃなかろうか),10月を待つこともない。9月中も週末は東京で過ごす予定だ。
 面白いように貯金は減っていくが,それでいいのだ。お金は使いでがあるときに使っておくべし。それが今だ。
 みんなが安心して旅行に出かけるようになったら,わが家では出かけるのを絞るつもりだ。

2020年9月9日水曜日

2020.09.09 「青春18きっぷ」で新潟に

● まだ7時前。この時刻に駅に来るのは,久しぶり。6:57発の上野行き10両編成。この時刻だと,サラリーマンより高校生が多い。
 この時刻に出ないと間に合わないのかい? 7時10分には宇都宮駅に着いてるんだが,そこからバスに乗って・・・・・・。高校生やってくのも楽じゃないなぁ。

● ぼくはと言えば,「青春18きっぷ」があと1回分残っているので,これから新潟に行こうと思う。ので,黒磯行きの車中の人になった。
 こちら下り列車も高校生けっこう混んでる。こんなもんだったか。もっとも,こちらは4両編成なんだけどね。

● 黒磯から新白河行きに乗り換える人,黒磯駅から新白河行きに乗る人,多数。ここでも高校生が多い。黒磯から白河の高校に通う生徒がいると聞いたことがあるので,それかと思ったのだが,高校生のほぼ全員が黒田原で降りて行った。
 黒磯の先が即,福島県ではなかったんでした。那須町があった。で,那須町にも高校があったのだった。

● 福島で最も変貌したのは,新白河駅周辺でしょうなぁ。西郷駅の頃は,久田野とか白坂と同じ光景だった。
 今は駅前に東横インが建っている。新幹線の駅ができて,4階級特進くらいの感じなんだけど,この東横イン,採算取れているだろうか。

● この列車に乗ってきた人は,次の白河まで行きたい人が多いのじゃないか。すぐに郡山行きに接続するのでそれに乗ればいいわけなんだけども,白河まで行ってくれればありがたいと思う人はけっこういそうだ。
 が,そうなると郡山からの列車も白河までとなって,あとひとつ先まで行ってくれれば新幹線に乗換えられるのにってことになりますか。

● 郡山駅。在来線のホームにあった立ち食いそばのスタンドは撤去されたっぽい。ので,磐越西線発着ホーム(1番線)のキヨスク売店で焼きそばパンを買って,車内で朝食。
 会津若松行きの磐越西線の車中を眺めると,ぼくと同じ “青春18” 爺がけっこう乗っている。若者もいるんだけど,爺の方が多い。高齢化が進むと,爺や婆の行動様式も変わってくる?
 若者は “青春18” で動くものというのが,たんなる思いこみになってきてるんだろうかな。

● 郡山を発車すると,まもなく磐梯熱海。磐梯熱海の次が中山宿。下の方に旧中山宿駅が見える。昔はスイッチバックだったのだろうな。
 そうしてどんどん勾配を稼ぎ,何度もトンネルを抜ける。すると,広大な平地が広がる。会津盆地が忽然と現れる。会津の奇跡と言いたくなるような,伸びやかな光景に一変する。

● 会津若松駅で新潟行き「快速あがの」に乗換え。会津若松は,磐越西線,只見線,会津鉄道が集まる,古の大都でありますな。
 車を運転して来たのは二度しかないが(うち,一度は仕事だった),鉄道では何度も来ている。来ざるを得ない。ここはそういうところだ。

● 郡山から新津まで直行する磐越西線の列車はない。すべて会津若松で乗り換えることになる。
 しかも,会津若松で進行方向が変わる。別の路線になるというのが乗っていての自然な気持ち。郡山から乗ってくると,会津若松から只見線に入ってくれた方が,同じ路線に乗っているという気持ちになる。

● 新潟から会津に向かったのは二,三度あったと思う。会津から新潟に向かうのは,今回が初めて。ここからは阿賀野川に添って,新潟平野まで下って行くことになる。
 その阿賀野川,かなり上流のはずなのに,ほとんど流れていないのではないかと思わせるほど勾配が緩やかな箇所がある。湖か沼に見えなくもない。不思議な光景にも映る。すでにして大河の趣あり。
 津川駅で上下線の待ち合わせ停車。撮り鉄の爺さんがやっぱり目立つ。絶対数は少ないんだが。

津川駅
● 新津駅に着。磐越西線はここで終わる。ここからは信越本線に入る。この駅は羽越本線の起点駅でもある。鉄道網の要衝に位置するわけだ。
 が,運行状況を見るとターミナルではなく通過駅。秋田方面への特急列車は新潟から白新線を通って,新発田で羽越本線に合流する。羽越本線の新津~新発田間は盲腸線的な扱いになっている。内陸の新津はお呼びじゃない感じ。

新津駅
● 新潟駅に着いた。ここで降りるのは,これが二度目。前回,改札口を出たことは間違いないのだが,駅の外に出たかどうかは記憶にない。やはり,“青春18” で動いていた。とにかく,乗るのを優先していた。
 あの頃から今に至るまで,あまり変わっていない。何のために電車に乗るのと問われれば,乗るために乗っているというのが答えになる。
新潟駅
 なので,新潟駅を通過したのは,もっと多いと思う。なんで新潟を通過しちゃうのかと言われても困る。そういう巡り合わせなのだ。新潟に用事があって新潟に行くのではないので。

● 日本海側第一の都市は金沢ではなく新潟。日本海側で唯一の政令指定都市なのだし,新潟大学の学部数は金沢大学のそれを上回っていたのではなかったか(金沢大学では学部を廃止して学域に分けている)。
 明治維新時の人口は江戸より多かったと聞く。農業が基幹産業だった時代が長く続いたが,その間,新潟は最も多い人口を養い得る土地だったのだ。
 上越新幹線の開通が北陸新幹線よりずっと早かったのは,田中角栄は関係ない。理の当然というやつだ。

● 指原莉乃が “新潟へようこそ” と迎えてくれる。指原莉乃と新潟と何の関係が,と思うんだけど,とにかく指原莉乃が迎えてくれるのだ。
 新潟駅前から延びる飲み屋街がある。もっと本格的な盛り場があるのだと思うが,新潟なんだから酒も肴も不味いはずがない。北関東の山民としては,新潟とか秋田とか富山とか,日本海側の酒肴に対しては,絶対的なリスペクトを抱いている。残念ながら,貧乏移動ゆえ飲むことは叶わないのだが。

● ともあれ,先に述べたような次第で,新潟の街を歩くのは初体験になる。新潟といえば万代橋でしょ。行ってみることにする。
 万代橋のだいぶ手前に,こういうモニュメントがある。以前の信濃川は今よりずっと幅広で,ここが万代橋の東詰だったということか。

● そこからしばらく行くと,現在の万代橋がある。川に架けられた橋でこれほど長いのは初めてお目にかかる。東京湾にかかるレインボーブリッジや横浜ベイブリッジは別格だ。東京湾は川じゃねーし。
 橋と川面の距離が意外に近いんだね。国内最長河川。長野県内の千曲川は,小諸だったか上田だったかで見たことがある。新潟県に入って信濃川と名を変えたあとの川を見るのは,今回が初めて。何だか初めて尽くし。
 すぐそこが日本海だ。河口も河口,信濃川の最も広い部分なのだが,いや立派なものですな。川は気持ちを清々とさせてくれる。
 太宰治のひそみに倣って言うが,新潟は凡庸な街ではない。

● 新潟駅構内の立ち食い店でラーメン。大盛りで590円。そば・うどんがメインゆえ,ラーメンの汁もそば汁をベースに,ちょっとアレンジしてるっぽい。
 ぼくが新潟で使ったお金は,この590円だけでした。
すまんす。たぶんないと思うんだけど,もし機会があれば,お金をタップリと持参して,新潟で飲んでみたいものだ。新潟市内は冬でも温暖で降雪は少ないと聞く。そんな冬に静かに飲んでみたいものだよ。
 シチュエーションとしては1人がよろしいかな。もの静かな美人が隣にいればなおのことよろしいのだが,さすがにそのシチュエーションはないと思うのでね。

● ともあれ遅めの昼食も食べられて,長岡行きの列車に乗りこんだ。恙なく長岡着。新潟第二の街に敬意を表して,街を歩いてみるべきかと思うのだが,この駅で降りたことはない。今回もまた。
 ここから上越線に入ることになる。水上行きは2両編成だった。そこに下校の高校生がたくさんいるので,この道中最も混雑した区間となった。

● ところで。新潟を歩いていて,ン?と思ったことがあった。ぼくの記憶によれば,新潟は秋田,青森に次いで,全国で3番目の美人の産地なのだ。
 が,新潟では自分の記憶は自分が勝手に作ってしまったものだろうかと思ったのだ。要するに,・・・・・・何というか・・・・・・普通じゃん,って。
 しかし。長岡で自分の記憶は正しかったことを確信した。車中の女子高校生の美人比率がだいぶ高かったので。新潟美人の産地は長岡だったのだ。長岡っていうか,長岡を中心とした雪国エリアだ。

● 小千谷で高校生の3分の1が降りて,それ以上の高校生が乗ってきた。飯山線が分岐する越後川口でも,只見線が分岐する小出でも,新幹線が停まる浦佐でも,あまり乗降はない。
 北越急行が出る六日町でかなり減ったが,まだ立っている高校生がいる。高校生がいなくなったのは越後湯沢だった。越後湯沢から長岡まで通っている高校生もいるのだ。けっこうな遠距離通学だろう。

水上駅
● この区間の圧巻はやはり清水トンネルでしょう。ループありの,トンネル内の駅ありの。しかし,それらよりもゴーッという音とともにずっとこのままなんじゃないかと不安にさせるほどの長い暗闇。
 この区間に定期券で乗っている人がいるのかどうかは知らないけれど,いるとすれば,彼にとってはそれも馴染みの数分間なんでしょうねぇ。
新前橋駅
 チラッと見える湯檜曽駅には雨が打ちつけていた。けっこうな降りのようだ。が,水上に着くと雨はなし。

● ここまで来れば,今回の日帰り旅は終わったようなもの。高崎行きに乗って,新前橋で両毛線に乗換え,小山から宇都宮線に乗るだけだ。もう飲んでもよかろうと思って,小山駅で缶ハイボールとツマミを買って,車中で飲んだ。
 今回乗った列車はすべて時刻表のとおりに運行されていて,スケジュールのとおりに動くことができた。したがって,今日中に帰宅できる。これほどパンクチュアリティな鉄道は日本だけか。

● 今回は “青春18” で回ったからアレだけれども,ぼくは移動に交通費をかけるくらいなら東京で宿泊や食事にお金を遣いたいと考えて,そのようにしてきたし,今もそうしている。遠くへ行くばかりが旅ではないという言い方もある。
 しかし,物理的な移動距離の大きさがもたらす面白さというのもある。時間をかけて遠くに行くほど日常から離れられる。そのことがもたらしてくれる快感がある。

● 宇都宮駅の電光掲示板が吾妻線と上越線(の一部区間)が大雨のため運休しており,現時点で復旧のメドは立っていないと報じていた。
 そうなる前に通過できた。けっこうラッキーだったのかもしれない。

● 会津から新潟に入り,前橋経由で帰ってきた。これだけ乗って2,410円ですからね。“青春18” の威力はすごい。
 春にはほとんど利用者がいなかったと思われるが,この夏はそれなりに売れたのじゃないか。ぼくを含めて爺が多かったかもしれないが。
 この切符がいつからあるかといえば1984年だ(1982年まで遡ってもいいかもしれないが)。そのとき18歳だった人は,今年で54歳になる。利用者が高齢化してもおかしくないというわけだ。
 この切符は老後の友になり得る。乗り鉄にとってこんないいものはない。あとしばらくは元気でいて,“青春18” のお世話になりたいものだ。