● 政府がGoToトラベルの停止を決めた。愛知と東京が対象になっていたが,全国的に28日から停止する(東京は16日から)。これをやらなければ内閣支持率の下落が止まらない。致し方がないというところだろう。 むしろ,どうせやるのなら28日まで待たないで即日実施の方がよかったのではないか。即日実施は実務的に無理というなら,2,3日後に実施すればよかった。待つ理由がわからないということになる。
● 宿泊業者,観光業者を考えてということだろうが,こういうときに足して2で割るというやり方は,最も拙い。戦力の逐次投入に近いテイストを感じてしまう。つまり,決断力がない宰相だな,と。
このあたりは決断力というよりセンスの問題かもしれない。ガースーです,もいかにも間が悪かった。
● と思えば,こんな評論家もいる。「今朝も情報番組でGoTo一旦中止の是非論議から,話しがGoToトラベル止めると自殺者数が増える的な話になって,GoToトラベル止めるべきじゃない――みたいな展開になっているのを見ながら,極めて極めて不快極まりない気持ちになりました」と言うのだが,そこが議論の本質ではないか。 不愉快極まりない気持ちになるのは別に構わないが(あなたの勝手だ),不愉快というのは感情の問題であって,だからGoToを廃止すべしということにはなるまい。
● 「経済的な困窮者は政治の力でいくらでも救えます」と言うのだが,どうやって救うというのだ。GoToは困窮しないようにするための施策で,それを政府はやってきた。
それをやめて困窮化させてしまってもいい,そうなっても政治の力でいくらでも救えるじゃないか,というのだろうか。具体的な処方箋をお伺いしたい。生活保護で救済すればいいとでも言うんだろうか。
困窮化させないことが大切だ。困窮化させてしまってからでは遅い。そもそも,困窮化する過程で自殺者が出るのは避けられまい。
● それ以前に「政治の力でいくらでも救えます」というところに,野放図な政治万能論を感じるのだが,政府にだってできることとできないことがあるだろう。
簡単な理由で,政府が打ち出の小槌を持っているわけではないからだ。政府が財政出動するのは税金を投じるということだ。その税金は国民が負担している。
とすれば日本の国民は「いくらでも」負担できると言っているのか。あるいは,「いくらでも」負担させればいい,と。
● まぁ,こういう人もいるということだ。もちろん,そんな人ばかりではなく,数字を積みあげて事実の輪郭を特定しようとする人もいる。たとえば,これは永江一石さん。
東京都のコロナで亡くなった人全体の平均年齢は79.3歳。男性の平均は77.1歳、女性の平均は82.9歳。
男性の平均寿命は79.64年、女の平均寿命は86.39年。
死者数の43%が院内感染。既往症もちの高齢者の寿命を僅かに伸ばすために飲食店や旅行、サービス業の現役の未来をぶち壊すというのがコロナ禍の本質
● 客船が難破したとき,誰を救命ボートに乗せるか。それには順序があって,その順序は古今と洋の東西を問わず同じらしい。
老人は一番最後ということになっている。それはそうだろう。生殖期にある人,それ以前の人から先に助けないと,未来が危うくなる。いつだって,どんな社会や集団にとっても,過去より未来が大切だ。
過去しか持たない老人には申しわけないけれども,最後になってもらう。それを受け入れるのが老人の矜持でもあるだろう。
今はまだ,救命ボートの例を参考にしなければならないほどに差し迫った事態ではないが,しかし,底に秘めておくべき覚悟とは,そういったものではないか。
● ありがたいことに,ぼくらは民主政治の下に生きている。民主政治の場合,政治の天井を作るのは有権者の知的水準なのだろう。
日本に限らず,どこの国でも,大衆とは愚かなものだ。大衆は常に間違え,必ず間違えるものだ,とぼくは認識している。個々のトピックについて大衆の意見が正しかったことなんて,かつてあったろうか。その代表が市民運動だ。ベ平連なんて今から見たら,悲しくて笑えるほどだろう。
が,ぼくらはしょせん大衆のひとりでしかない。そこから出るのは容易なことではない。
● 大衆には目の前の事象しか見えないから,移動を止めろ,感染を抑えろ,に傾く。考えるとはどういうことかなんて,大衆にはわからない。
事象を見る見方にしても,マスメディアを通してしか見ることができない。したがって,現状認識そのものがどうにも頼りないのだけれども,大衆はそんなことには気がつかない。
民主主義は,当然,ポピュリズムと相性がいい。大衆の知的水準が低ければ,何も考えなければ,どうしたってそうなる。日本なんてまだマシな方かもしれない。
● そういう大衆の支持がなければ政権は成り立たないのだ。だから,年末年始の休暇中にGoToを停止するという判断をするのは仕方がないと思うのだが,年寄りを助けるために若者を殺してしまうことにならなければいいがと祈りたくなる。
コロナがいつ収束するかはわからない。それまでずっとGoToを継続するのかといえば,それも非現実的ではあるだろうけれども。