2020年12月30日水曜日

2020.12.30 明治神宮に初めて行ってみた

● 川崎のホテルに逗留(?)しているのだが,今日は原宿に来てみた。正午過ぎの原宿。人波にもみくちゃにされるのはヤダなぁと思ってたのだけど,閑散としている。
 コロナ感染者が急増しているのが影響してるんでしょうねぇ。それとも,この時期の原宿はこんなものなんですか。
 ともあれ。朝は雨だったのだが,11時前に上がってくれた。ラッキーだよ。

● 去年の年末には代々木公園に初めて来た。今年は明治神宮に行ってみようと思う。もちろん,初めてだ。初詣客が全国1位。だから何? って話ではあるんだけども,一度はどんなところなのか見ておかないとと思って来てみた。
 駅前の最初の鳥居をくぐれば,神宮の杜。元々の林に相当な手を加えたようなのだが,
原生林と見紛うような圧巻の杜が出来上がったのだね。素人目にも,これは凄いわ,と思わせる。
 この第一印象が最後まで持続する。しかも,この圧巻の杜が渋谷にあることに呆然とさせられる。

● 明治神宮ミュージアムも拝観。静かでござった。入館料は1,000円。自動券売機に紙幣を入れると,レシートが吐きだされ,それを係員に見せて入館する。
 明治神宮とはその名のとおり,明治天皇と昭憲皇太后をお祭りするお社だから,ミュージアムも天皇や皇太后の御物を展示する施設ということになる。

● 企画展は「宮廷文化の優美」。どんなものが展示されているかは,写真のとおり。正直に申さば,ピンと来ない。まったくピンと来ない。
 つまり,自分の生活や自分の日常とは隔絶したものだからで,なるほどこういう世界があったのかと思うほかはない。いや,今でもあるのかもしれないのだが。

● しかし,最も印象に残るのは,宝物展示室にある六頭曳儀装車だ。屋根に鳳凰の像が載っている。じっと見入ってしまうが,イギリスで作られたもの。国産化にはもう少し時を待たなければならなかったようだ。
 明治天皇が使っていた御常用御机もある。
値段がつかないほどにいいものなのだろうけど,決して華美ではない。経年変化もあるのだろうが,使い込まれているという印象を受ける。
 机上には天皇が実際に使っていたのであろう鉛筆も置かれている。御自身でナイフを使って削ったのだろうか。だいぶ短くなっている。これ以上は補助軸を付けないと使えないだろう。当時,そんなものがあったのかどうかは知らないけれど。

● ミュージアムを出て,神宮の杜をズンズン進んで行く。これだけの建物をよく造ったなと思うんだけれども,やはり肝心は杜の方であって,神宮は杜を守るためのアイコンと捉えるのがわかりやすい。
 トトロの森に連想が及んでしまうのだが,あまり放埒な飛躍は慎まなければならないだろう。

● 杜を歩いていると,ぼくらはアニミズムの民だなと思えてくる。木にも石にも人格があると考えるアニミズムが染み込んでいるような気がしてくる。原始の気性を残しているということだろうか。
 抽象的な教義は弾いてしまうよね,ぼくらは。感性が大切と言われることがあるけれども,ぼくらは古来から理屈より感性で生きてきたのかもしれないね。逆に,きっちりと理屈を通すことを学んだ方がいいのかもしれないよね。

● 帰りは代々木公園を横断して原宿駅へ。この公園を自在に使えれば,QOLを相当に上げることができるでしょうね。
 定年退職したら地方に引越して晴耕雨読などと言ってる輩は,何もわかっていない。豚に喰われた方がいいかもな。東京の恩恵は高齢者にも大きいぞ。地方在住者はそう思う。

● 明治神宮と代々木公園を併せ持つ代々木というところは,何でしょうねえ。駒場の空気を思いださせるところがあるんですけどねぇ。今は遠く霞んでしまった武蔵野の空気でしょうかね。いや,それとも違うような気がするな。
 ま,勝手に感じている,あるいは感じたがっているに過ぎないんですけどね。別にたいした意味があるわけではない。神宮の杜にあてられただけかと思う。

2020年12月29日火曜日

2020.12.29 川崎大師

● 川崎にいるんだけど,何をしていいのかわからない。とりあえず,川崎大師に行ってみることにした。こういう発想しか出てこない自分が情けないぞ。
 が,京急の大師線に乗ったら,川崎大師はどうでもよくなった。というか,途中の川崎大師駅で降
りたくなくなった。京急大師線に乗ることが,この先あるかどうかわからない。なら,ちゃんと終点の小島新田まで乗っておくことにしよう。

● その小島新田は普通に住宅街で,降りたところで特に何があるというわけではなかった。とはいえ,そのまま引き返すのも何なんので,多摩川まで歩いてみる。
 けれど,多摩川に特に面白いことが落ちてるわけでもない。多摩川まで歩いたら気がすんだから,引返すことにする。

● 途中にあったお寺と神社。隣り合っている。元は一体だったに違いない。明治初期の廃仏毀釈で切り離されたものか。もしそうだとすると,こんなところのお寺までやられたわけだから,相当に徹底的にやったのだな。住民の鬱憤を買うようなことを,お寺はしていたのかね。
 ぼくらは元日に初詣に行き,夏には盆会,秋にはハロウィン,冬にはクリスマスと,何でも来いなのだ。宗教を分類しないし,教義も要らないのだ。エンタメ性とご利益があれば,それで充分だ。

● 小島新田駅から川崎大師まで歩くことにした。1.6㎞。
 こんな張り紙を何度も見かけた。道路の新ルートに反対するもの。最初は,どうせ団塊の爺ちゃんたちが反対しているのだろうと思った。が,どうも共産党系のビラのようだ。共産党のシンパも高齢化しているのだろうけど。

● 川崎大師に向かっているわけだが,行く途中に地元密着の稲荷神社がある。社を取払ってブランコでも置けば,ちょうどいい児童公園になるが,そんなことはするはずもない。どこまで行っても,神社は聖なるもの。聖なるものとはフィクションだけれども,だからといってそれを外してしまうわけにはいかないものだ。
 付近の住人にとっては,川崎大師より大切な空間だろう。

● 川崎大師が近づいてきた。ケバブにだってご利益があるのだぞ。門前町とはこうでなければいかんよ。
 仲見世通り。どれだけの人が川崎大師で食べているのか。川崎大師って凄いねぇ。浅草はあの身動きできないほどの人出が常態化しているが,川崎大師はそこまでではない。そ
こまでではないけれど,それにしたってこの様子は只事ではない。

● いや,これほどのものを,いったんは「どうでもよくなった」なんて言ってしまって,申しわけない。
 見る人が見れば,社会学(宗教学ではなく)の論文を10本は書けるのじゃないか。たぶん,誰も読まない論文になるだろうけど,論文とはそういうものだから。








● これからがかきいれ時だ。テントの設営など,商売の準備の真っ最中だ。たこ焼き,天津甘栗,焼きそば,などなど。
 彼らには境内のどこでも喫煙していい特権を与えられているらしい。そちこちに煙草を吸う人がいる。しっかりお稼ぎや,と声をかけたくなった。

● 弘法大師の真言宗でも聖徳太子堂があるんですなぁ。このお堂には何が収められているんだろう。
 聖徳太子の人気はまことに絶大。聖徳太子の事績とされていることを厩戸皇子がやったのか。聖徳太子には蘇我馬子が投影されているのではないか。そういうことはぼくらが知るところではないけれども,今に生きているのは後世,長い時間をかけて作られ,伝えられてきた聖徳太子伝説の方だ。
 いい悪いの問題ではない。今も昔も,大衆が求めてきたのは聖人伝説なのだ。この国には昔,聖徳太子という完全無欠の人がいたのだぞという拠り所に寄りかかって安心したいのだ。

● さて,これくらいでいいだろう。もう帰ることにしよう。
 佐野の厄除け大師にはまだ行ったことがないのに,川崎大師の方に先に来ることになった。ま,大師様も,ぼくに来られたって嬉しくもないだろうが。

● ここから川崎大師駅までは表参道を歩くことになる。原宿だけが表参道ではない。仲見世通りほどの密度ではないが,表参道にも土産物屋や食堂が並んでいる。
 せき止め飴と久寿餅というのが,川崎大師の名物らしい。これは交際費だと思って買ってみた。まだ食べていないけどね。相方が喘息持ちで咳がひどいときがあるのだが,この飴が効いてくれるといいなぁ(効かないだろうけど)。

● 川崎大師駅。これ以上歩く気力は残っていない。
 鈴木町という駅がある。佃煮にしてもなお余るほどに,世に鈴木さんはいるんだろうけど(妄言多謝),駅名にもなっ
ているとは知らなかったよ。どういう由来だろうかね。

● 京急川崎駅に戻ってきた。この先,京急大師線に乗ることはないと思う。
 駅構内の立食いそば屋でヤンニョムチ
キンそば,500円。甘辛い鶏の唐揚げが載っている。まぁ,自分には立食いそばがよく似合う。いろんな意味でさ。富士にとっての月見草のごとくだ。

2020年12月20日日曜日

2020.12.20 JRの普通列車で宇都宮から鶴見へ

● 宇都宮発小田原行きの電車に乗っている。鶴見まで行く。もちろん,今日中に帰る。
 ので,“青春18きっぷ” を買った。う~ん,今日買うくらいなら,13日に錦糸町に行ったときに買っておくべきだったなと,プチ反省。が,使用期限の1月10日までには間違いなく使い切る予定。

● その電車,東海道線に入っても空いている。コロナ感染者の急増が効いているのだろうと思う。
 ぼくは,そんなものは誤差の範囲内だと思っているので,電車が空いているのはありがたいぐらいにしか思わない。いや,正確に言えば誤差の範囲内とは思わないが,しかし,新規の感染者数がどれだけ増えようと,それによってこちらの行動スタイルが影響を受けるような話ではないと思っている。
 三密をさけ,手指の消毒を億劫がらず,基本的に口は開かず,開いている集団には近寄らず,ということに気をつけていれば,まずもって感染することはないと思っているのだ。逆に,いくら感染者数が減ったところで,これらに気を抜けば感染する可能性は今とほとんど変わらないのではないか。

● ちなみに,電車内では感染しないというのは,今までの経験から明らかになっていると思う。ひと頃云々された夜行バスもどうやら大丈夫なのではないか。
 最も危険なのは個人の家に集まって飲食することだ。今回の第3波は寒くて乾燥しているという気候条件のほかに,外の飲食店は危ないらしいから誰かの家に集まって飲もうというところから発生したのではないかと,素人考えながら思っているのだが。

● GoToトラベルを悪者にするのは誤りで,その誤りからGoToトラベルを停止してしまって,関係業界を塗炭の苦しみに追いやるという誤りの連鎖が発生しているのが,今の状況だと思っている。
 移動が悪いのではない。交際が悪いのだ。移動を制限するのではなく,交際を制限する必要がある。群生動物であるヒトに対して,群れることを禁止しなくてはいけない。誰かと会うこと,会って話すこと,一緒に飲食すること。そういうことをさせないようにしないといけない。
 強権をもってできることではないから,自ずとそうなるような仕組みが必要だ。が,では具体的にどうすればいいのか,ぼくに妙案があるわけではない。
 喋らせないことが大切だということは,しかし,ハッキリしているように思われる。

● というようなことを思っていたのだが,今日は都内の主だった所の人出はほとんど減っていなかったらしい。そうなのらしい。
 だとすれば,タガが緩んでいるのだろう。それに対して警鐘を鳴らす “識者” もいるだろう。“識者” がウザったいので,そうした連中が登場するテレビ番組は見ないことにしている。
 タガも緩むでしょうよ。そんなに緊張を持続することなんかできやしない。1日のうち1時間だけ緊張していろというのではない。四六時中,緊張していなくちゃいけないのだ。それを持続することは誰であってもできない。

● 電車の中吊り広告。ルミネのクリスマスセールのCM。厳しい商況だ。ハロウィンもそうだったけど,クリスマスも盛りあがっている気配は感じない。それどころじゃない。
 でも,コロナに対する日本人の対応はたしかにほめられてもいいよな,と思う。かなり立派なものじゃないだろうか。何だかんだ言っても。

● ついでに,中吊り広告をもう1つ。宝くじを買うのは愚民税を払うようなもの,とはよく言ったものだ。確率論を知ってる人なら手を出すことはないだろう。
 買わなきゃ宝くじも当たらないよ,と言われて,それはそうだと思って買ってしまうのが愚民。買わなきゃ当たらないのは確かだけれども,買っても当たらないわけだよね。
 その愚民税,ぼくも何度も払っちゃってるんだけどさ。俺は愚民税を払うほどバカじゃないよと言う人も,他のところでバカなお金の使い方をしているものでしょ。ぼくらは誰もが等し並みに愚民だと考えておいた方が,間違いないと思うよ。

● 川崎で京浜東北線に乗り換えてひと駅。鶴見で降りるのは3度目。
 最初は,宮脇俊三さんに影響されて,鶴見線に乗りに来たとき。35年ほども前のことか。2度目は,今の奥さんと横浜で宿なしになって,鶴見まで流れてきたとき。

● ところで。鶴見は横浜市なのだよね。川崎のひとつ前は蒲田だから,川崎市内にある京浜東北線の駅は川崎だけということになる。
 川崎って南北に長い街で,京浜東北線は東西に走るから,そうであって何の不思議もないんだけども,そうだったのかぁという軽い驚きもあるんだよねぇ。

● 駅前に立食いそば。文字どおりの立食いで,座れる席はない。時代への対応を拒否しているような,時代なんか知らないよという頑固さというか,ひょっとすると半分投げているのかもしれないけれども。
 天ぷらそばが350円とは安い。が,13時なのにお客は多くない。コロナ禍によるものか,元々こんなものなのか。
 80歳を過ぎたかと思われるお婆様と,もう1人の女性で切盛りしている。食べていければそれでよし,それ以上に売り上げたって仕方がないという,達観か諦めがあるような感じ。いや,その歳になってなお店に立ち続けていることがすごいんだけど。
 つまり,なかなか好もしい風情の立食いそば屋だった。高度経済成長期の頃の風情を残していてね。

2020年12月14日月曜日

2020.12.14 老人を千人殺すとも,若者一人を死なすことなかれ

● 政府がGoToトラベルの停止を決めた。愛知と東京が対象になっていたが,全国的に28日から停止する(東京は16日から)。これをやらなければ内閣支持率の下落が止まらない。致し方がないというところだろう。
 むしろ,どうせやるのなら28日まで待たないで即日実施の方がよかったのではないか。即日実施は実務的に無理というなら,2,3日後に実施すればよかった。待つ理由がわからないということになる。

● 宿泊業者,観光業者を考えてということだろうが,こういうときに足して2で割るというやり方は,最も拙い。戦力の逐次投入に近いテイストを感じてしまう。つまり,決断力がない宰相だな,と。
 このあたりは決断力というよりセンスの問題かもしれない。ガースーです,もいかにも間が悪かった。

● と思えば,こんな評論家もいる。「今朝も情報番組でGoTo一旦中止の是非論議から,話しがGoToトラベル止めると自殺者数が増える的な話になって,GoToトラベル止めるべきじゃない――みたいな展開になっているのを見ながら,極めて極めて不快極まりない気持ちになりました」と言うのだが,そこが議論の本質ではないか。
 不愉快極まりない気持ちになるのは別に構わないが(あなたの勝手だ),不愉快というのは感情の問題であって,だからGoToを廃止すべしということにはなるまい。

● 「経済的な困窮者は政治の力でいくらでも救えます」と言うのだが,どうやって救うというのだ。GoToは困窮しないようにするための施策で,それを政府はやってきた。
 それをやめて困窮化させてしまってもいい,そうなっても政治の力でいくらでも救えるじゃないか,というのだろうか。具体的な処方箋をお伺いしたい。生活保護で救済すればいいとでも言うんだろうか。
 困窮化させないことが大切だ。困窮化させてしまってからでは遅い。そもそも,困窮化する過程で自殺者が出るのは避けられまい。

● それ以前に「政治の力でいくらでも救えます」というところに,野放図な政治万能論を感じるのだが,政府にだってできることとできないことがあるだろう。
 簡単な理由で,政府が打ち出の小槌を持っているわけではないからだ。政府が財政出動するのは税金を投じるということだ。その税金は国民が負担している。
 とすれば日本の国民は「いくらでも」負担できると言っているのか。あるいは,「いくらでも」負担させればいい,と。

● まぁ,こういう人もいるということだ。もちろん,そんな人ばかりではなく,数字を積みあげて事実の輪郭を特定しようとする人もいる。たとえば,これは永江一石さん。
 東京都のコロナで亡くなった人全体の平均年齢は79.3歳。男性の平均は77.1歳、女性の平均は82.9歳。
 男性の平均寿命は79.64年、女の平均寿命は86.39年。
 死者数の43%が院内感染。既往症もちの高齢者の寿命を僅かに伸ばすために飲食店や旅行、サービス業の現役の未来をぶち壊すというのがコロナ禍の本質
● 客船が難破したとき,誰を救命ボートに乗せるか。それには順序があって,その順序は古今と洋の東西を問わず同じらしい。
 老人は一番最後ということになっている。それはそうだろう。生殖期にある人,それ以前の人から先に助けないと,未来が危うくなる。いつだって,どんな社会や集団にとっても,過去より未来が大切だ。
 過去しか持たない老人には申しわけないけれども,最後になってもらう。それを受け入れるのが老人の矜持でもあるだろう。
 今はまだ,救命ボートの例を参考にしなければならないほどに差し迫った事態ではないが,しかし,底に秘めておくべき覚悟とは,そういったものではないか。

● ありがたいことに,ぼくらは民主政治の下に生きている。民主政治の場合,政治の天井を作るのは有権者の知的水準なのだろう。
 日本に限らず,どこの国でも,大衆とは愚かなものだ。大衆は常に間違え,必ず間違えるものだ,とぼくは認識している。個々のトピックについて大衆の意見が正しかったことなんて,かつてあったろうか。その代表が市民運動だ。ベ平連なんて今から見たら,悲しくて笑えるほどだろう。
 が,ぼくらはしょせん大衆のひとりでしかない。そこから出るのは容易なことではない。

● 大衆には目の前の事象しか見えないから,移動を止めろ,感染を抑えろ,に傾く。考えるとはどういうことかなんて,大衆にはわからない。
 事象を見る見方にしても,マスメディアを通してしか見ることができない。したがって,現状認識そのものがどうにも頼りないのだけれども,大衆はそんなことには気がつかない。
 民主主義は,当然,ポピュリズムと相性がいい。大衆の知的水準が低ければ,何も考えなければ,どうしたってそうなる。日本なんてまだマシな方かもしれない。

● そういう大衆の支持がなければ政権は成り立たないのだ。だから,年末年始の休暇中にGoToを停止するという判断をするのは仕方がないと思うのだが,年寄りを助けるために若者を殺してしまうことにならなければいいがと祈りたくなる。
 コロナがいつ収束するかはわからない。それまでずっとGoToを継続するのかといえば,それも非現実的ではあるだろうけれども。

2020年12月13日日曜日

2020.12.13 日帰りで東京をフラフラと

● 東京日帰り。JRの休日おでかけパスを使った。2,720円。自治医大駅まで行かないと買えないのが難。わが家から自治医大までは片道590円。ので,計3,900円。
 東武の株主優待乗車証を800円で計算し,都内をメトロ24時間券で移動することにすると2,680円ですむんだが,その分,時間がかかる。


● まずは錦糸町。昼時だったので,駅前の「料亭よしの」(吉野家とも言う)で牛めしを喰おうと思ったのだが,満員だった。
 で,ARCA EAST B1の「庄や」に移動。こちらは空いていた。13時を過ぎてはいたんだけどね。ここに来るのは2度目。
 前回はサバ焼き定食を食べたのだったな。今回はモツ煮定食,770円。ご飯は炊いてからけっこう時間が経ってましたかねぇ。
 そのご飯はお代わり自由。元気にお代わりした人がいて,何だか救われた気分になった。


● 秋葉原に。秋葉原駅総武線ホームにミルクスタンドがあってね。名前が懐かしい。こういうものって田舎には残っていない。都会に残る。いや,残ったんじゃなくて,今風に作ったものなんだけれども。
 ところで秋葉原,ぼったくりバーの街に変身しつつあるとの噂もある。そうなった理由の1つに,ヨドバシがこの場所にできたことがあるかもねぇ。人の流れが変わって,元からの電気街に隙間ができた。
 そのヨドバシまで客引きに出張している姫たちもいるようなんだが。


● しかし,それにしても。ヨドバシ1階の混みようはどうだ。スマホとパソコンの売場なんだけど,わざわざ1階が混むようにしてあるわけだよね。2階に上がると呼吸が楽になる。
 秋葉原というと,オタクが集う街とも言われるけれども,ここヨドバシにはオタクまでは行かない素人さんが集まっている感じがする。オタクは電気街の方に行っていて,ぼったくりバーの姫に掴まってドギマギしてるんだろうよ。


東京駅丸の内広場
● ぼくはパソコンもスマホも実店舗で買うことはなくなった。すべてネットだ。ぼくがそうなっているということは,多くの人もそうなっているはずで,ヨドバシに蝟集している人たちも多くは見るだけの人なんじゃないかな。
 ヨドバシも売上げの相当部分はヨドバシ・ドット・コムで稼いでいるのじゃなかろうか。

● 東京駅の丸の内広場。やっぱここは特別だなぁ。その特別感を味わってみたくなって,ここに来た。気品がある。すぐ近くに皇居があることを知ったうえで見るから,そう見えるのかもしれないのだが。
 JPタワー(KITTE)に。4階の元東京中央郵便局長室。東京中央郵便局長って兵隊の位でいうとどれくらい? 局長室にある机,欲しい。ちょうどいい。くれないだろうけど。


● 次は新橋駅前のSL広場。SLが電飾されるのを初めて見たような気がするんだけども,そんなはずはないよね。毎年やってるはずだよね。
 烏森神社。窮屈そうに建っている神社だけど,けっこう儲かってそうだ。神社が儲けちゃいけないとは全く思っていないけどさ。


● 新橋駅構内の「かのや」で夕食。エビ・イカ天丼セット。700円。立食いスタンドで700円っていうと,贅沢してるなぁって気になるんですけど。
 今日は糖質&カロリー摂取過剰。せめて酒は飲まないことにしないとな。

2020.12.13 年賀状

● 右の写真はJRの車中広告(が,写真はネットから拝借したもの)。年賀状とは日本の良き習慣なのか,もはや過去の遺物なのか。
 ぼくは年賀状を出すのは4年前に全面的にやめた。貰っても返さないことにした。それで困ったことはないが,人にもそうしろと勧めるつもりは,全くない。


● 年賀状をやめたのにはいくつかの理由が重なっている。会社を定年になったとか,プライベイトであまり嬉しくないことがあったとか,そういったことだ。
 が,Twitterを始めていたことも理由のひとつだ。年賀状は1年間の出来事を綴って近況を報告するために出していた。おめでとうございますと言うだけなら,それこそ年賀状なんてムダ以外の何物でもないわけだから。
 Twitterを日記代わりに使うようになると,あらためて1年間の出来事をまとめて人様にお知らせする気力が萎えてきたというわけだ。


● 自分について知らせるのはやめるとしても,人様の近況を知りたくはないのかと言われるかもしれない。正直,あまり知りたいとも思わなかった。生きているなら,それだけで結構。もし亡くなれば,何らかの形で伝わってくるだろう。
 おそらく,ぼくのみならず,どなたもそうなのではないか。自分を知らせたいと思うほど,人を知りたいとは思っていない。そんなものだろう。


● 他の人たちは,このあたり,どうしているのだろう。SNSに手を染めている人は年賀状を出すという慣習からは遠ざかる,のではないかと思えるのだが。
 SNSが年賀状を不要にしたんだろうか。そんなこととは関係なく,衰退するはずのものだったんだろうか。


● 年賀はがきの販売枚数はピーク時の半分を下回る。同数の人が買っているが出す枚数が半分になった,というわけではないだろう。買う人が半分になったが買う人は今までと同じ枚数を出している,ということだろう。
 これだけ売れなくなると,年賀状作成ソフトも売れないだろうと思うのだが,ショップに行くと,「筆王」「筆まめ」「筆ぐるめ」はいずれも販売されている。しぶとく頑張っている。
 昔と違って無料のソフトもあるのだろうし,年賀状作成ソフトに限らず,ソフトは無料があたりまえという認識になっているだろうから,なかなか大変なのかもしれないが,それでもここは美味しい分野であり続けているんだろうか。


● 年末年始の特別感は基本的には薄まっていく方向。今年はコロナがあって,一層そうだ。致し方がない。

2020年12月7日月曜日

2020.12.07 立食いそば,3連投

● 12月5日。川崎駅の “いろり庵きらく” でコロッケそば。今日初めての食事。420円。
 立食いそばしか食べない人間がこう言うのもなんだけど,昔に比べると,かなり良くなってますよね,立食いそばって。これでいいんじゃないでしょうか,もう。

● ここは八王子ラーメン「直久」だったんだよね,元々はね。立食いラーメンの店だった。八王子ラーメンっていうのは,玉ねぎのみじん切りをドッサリ載せるのが特徴らしい。それ以外は普通の醤油ラーメン。
 “いろり庵きらく” はどこにでもあるわけだから,できれば希少価値のある「直久」に残っててもらいたかったと思うんですけどねぇ。

● 12月6日。富士そば池袋西口店。久方ぶりに富士山盛りを注文。630円。富士山盛りって,麺の盛りが富士山のようにうず高くなっているからでしょ。3玉分。
 が,店によって盛りつけの仕方は違うようでね。ここはあんまり高くしない。さほどに盛りの多さも感じなかったよ。

● 12月7日。宇都宮駅構内の「いろり庵きらく」でミニ豚丼セット。620円。糖質摂取過剰に陥る。が,この豚丼が旨いっす。「サクサク醬油」という固形(顆粒状?)の醤油がね。
 家で再現しようとすれば,豚コマを茹でて,だし醤油とラー油を絡ませて,ゴマをふりかければいいのかい?