● 田舎に長く住んでいるとバカになるんじゃないかと思う。そう思う理由のひとつは,田舎の民は500メートルの移動にも車を使うところにある。
歩くのを拒否するのだ。車が下駄代わりなのだ。しかし,車は車であって,下駄の代わりに使うのは不自然極まる。歩かないと脳細胞も動かないようになるのではないか。
● 都会の人は歩いているだろう。地下鉄の乗換えひとつでも,とんでもない距離を歩かされることもある。JRもしかりだ。
京葉線や総武線を使って東京駅で乗換える人は,それだけでけっこうな散歩をしていることになる。武蔵小杉で湘南新宿ラインから南武線に乗換える人も同じだ。それだけで運動量は足りるだろうから,わざわざジムに通う必要はなさそうだ。
それが毎日のことなのだから,都会人の方が田舎の民よりも運動量は圧倒的に多いはずだ。健康寿命(特の脳の健康寿命)の差はけっこうなものになっているのではないか。
● かく申すワタクシも移動はほとんど車だ。田舎の民を地で行っている。退職してからは少し歩くようにしているけれど,都会人が通勤で歩いている距離よりずっと短いだろう。
というわけで,ワクチン接種会場まで歩いていくことにした。わが家から2キロ弱くらいの距離。チンタラ歩いて片道30分。4千歩くらいか。
稲刈りのシーズンだ。今の稲刈りは脱穀という工程が独立していない。稲を刈ると同時に籾になって貯蔵される。
脱穀の前に稲を乾すという作業もしなくていい。ハッテを作って稲を乾していたのは,稲束を軽くして脱穀しやすくするためだったのかね。脱穀じたいがないんだから,稲束を軽くする必要もないわけだ。
ともあれ,もうすぐ新米にありつける。ありがとうござんす,という気分になる。
そして,ここはタンボーランド。日本の田園は徹底的に人の手を入れないとできあがらない。しばらく放置すれば荒れ果ててしまう。精妙な人工物だ。これを自然だと思ってはいけない。日本の農村に自然はない。
● ワクチンを打った帰り,少しだけコースを変えてみた。車では走れないが,こういう近道があったのかという発見がいくつかあった。その近道を自分が使うことは百パーセントないのだが,何によらず “発見” するのは気分がいいものだ。
ウォークマンのイヤホンを耳に突っこんで,音楽を聴きながらそぞろ歩く田舎道。運動不足も解消できて一石何鳥にもなる。2回目のときも歩いて行くことにしよう。
車を避けた理由のひとつは,副反応で運転に支障を来すようなことがあってはまずいと考えたことにあるのだけど,それは全くの杞憂だった。
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