2014年6月7日土曜日

2014.06.07 パソコンの風景

● パソコンはWindowsを使っているんだけど,昔はMacに替えようかと何度か考えたことがある。
 理由はMacってカッコイイから。パソコンのデザインや質感にこだわったっていうか,こだわりたいと思っていたっていうか。

● 今はそれがない。Macのほかにもうひとつ憧れていたのがThinkPadで,そのThinkPadを使っているせいもあるだろう。
 でも,ぼくのThinkPadはヤフオクで17,000円で購入した時代遅れの中古品だ。それでまったく不満がないのはどうしたことだろう。

● 性能的には数年前に天井に届いている。これが主な理由だろう。
 もうひとつ。昔,パソコンがまとっていたオーラが消えたこと。いわく都会的,時代の先端,できるビジネスマンを演出する小道具,そうしたものが消滅した。自分表現のアクセサリー的な意味合いを失った。いまどき,Macユーザー=クリエイティブ系の職業人,とは誰も思わないだろう。

● パソコンは完全に道具になった。スッキリした。道具なんだからどこまで使い倒すかだけだ。昔からそうだったはずだけれども,それが露わになった。
 そうなると,「17,000円のパソコンでここまでやってるオレ,けっこうすごいじゃん」的な倒錯も出てくるわけで,これはこれでいやらしい。

2014.06.07 スマホのバッテリー問題など

● 愛用中のGALAXY SⅢ(SC-06D),唯一の不満はバッテリー。
 最近のスマホは3日もつというのがウリなんだけど,バッテリーは3200mAh。ほんとにこれで3日もつんですか。当然,使い方によるんだろうけど,GALAXY SⅢだって2100mAhなんだけどねぇ。
 バッテリーの問題は充電器を買い足せばすむ話ではあるね。ただ,それも一緒に持ち歩かなければいけないよ,と。これが意外に面倒そうでね。

● スマホの機能って,GALAXYでいうとⅢで完成形に達して,以後はブラッシュアップという感じがする。iPhoneだったら4sで充分で,以後はメーカーの都合による機種更新ではないかと思う。
 なので,買い換えるのは癪にさわる。壊れない限りは,使い続けてやるぞと思ってるんですけど。
 SIMもOCNに替えてるから,キャリアの2年しばりだの何だのの影響も受けないし。

● で,使い続けるんだったら,docomoショップに持ちこんで,3,000円を払ってSIMロックを解除してもらおうかなと考えたりね。
 日本型機能全部入りのSIMフリーモデルはいつ出るかわからない。それを待つより3,000円の支払いですませましょ。

● docomoのサイトには「契約者ご本人であることを、お名前・生年月日などで確認させていただきます」とあるから,すでにdocomoとの契約を解除している場合は,ロック解除してもらえない? そんなこともあるまいと思うんだけど(→ドコモと契約をしていなくても,手数料の3,240円を支払えば応じてくれる,とのこと)。

2014.06.07 「Sleep as Android」を使うメリット

● 「Sleep as Android」の使用を継続中。睡眠の深さに関しては,自分の実感と必ずしも一致しないことがありますな。当然ながら,自分の実感の方を信じることにしている。ここの部分は何というのか,お遊びという感じで。

● ただ,就寝と起床の時刻は正確に記録してくれる。したがって,睡眠時間(布団の中にいた時間)もピタッと出る。
 これがですね,やはり自分の実感と違っていたんですよ。こちらは,自分の実感を優先するわけにはいかない。
 自分としてはざっくり1週間の平均睡眠時間は7時間くらいかなぁと思ってたんだけど,6時間を切っていた。5時間台のことが多い。睡眠についてこれだけ乖離のある実感って何なんだ。

● 「Sleep as Android」を使いだしてから,休日の起床時間も平日と変わらないようになった。アラーム効果ではない。若い頃から目覚まし時計って使ったことがない。そこにアラームが加わったから起きられるようになったというのじゃないです。
 「Sleep as Android」を使うことそれ自体がもたらす効果ですね。あるいは,睡眠のログが残ることがもたらす効果といいますか。

● というわけなので,14日間のお試し版(無料)から正式版に変更。449円だったけな。多くのアプリが無料で使える時代なので,有料だとンッ?ってなるんだけど,これで永久使用だから。
 アプリケーションソフトって昔は数万円があたりまえ。それが一桁下がって数千円になり,今じゃ(パソコンでも)たいていのものは無料。表示される広告の煩わしささえ我慢すればいいんだから,ありがたいことですよ。

2014年6月6日金曜日

2014.06.06 スマホでわりを喰ったモノたち

● スマホは便利に使用中。スマホがあるのがあたりまえになると,その前の時代がどうだったかつい忘れちゃうけれども,夢のようなガジェットですよねぇ。ありえない便利さ。
 スマホ単体でもかなりいろんなことができる。そのうえでネットにいつでも繋がるんだから,娯楽はスマホさえあればすべて足りるという人だっているに違いない。

● となると,スマホに駆逐されたか,駆逐されないまでも大幅に売上を減らしたモノもあるはずだ。
 携帯音楽プレーヤーなんか,その最たるものだろう。国内ではSONYが細々と続けているけれども,いつまでもつか。

● デジカメは一眼レフのような高機能品に特化せざるを得ないでしょう。普通に写真を撮るだけだったら,スマホのカメラで充分だもんね。充分っていうか,充分すぎるというか。
 ゲーム専用機も難しいだろうし,電子辞書だってウカウカしていられないはずだ。カーナビ的なものはどうなんだろ。最近のスマホはバッテリーが持つようになっているから,ずっと地図を表示させてても問題ない。

● スマホというかそれ以前のガラケーのときからそうだったんだけど,腕時計をしないようになった。時刻はケータイで確認できるもんね。
 腕時計ってずっと前から,実用品というよりもアクセサリー的なものになっていたと思うんだけど,実用品としての意味合いはいよいよなくなった。
 ぼく一個は,アクセサリーとしてなら,男だって腕時計よりブレスレットをするべきだと思ってますね。その方が潔い。ネックレスだってブローチだって,じゃんじゃんすればいい。実用品にことよせたアクセサリーって不純じゃん。

2014.06.06 スマホ以前が思いだせない

● 初めてスマートフォンを買ったのがちょうど3年前。遅かったですね。docomoのSH-12C。今は2台目のSC-06D。

● タイトルはちょっと以上に大げさですけどね。音楽プレーヤーとして使っている時間が最も長いんですよ。歩きながら。電車の中。始終,音楽を聴いている。スマホ以前はどうしてたんだろうな,って。
 iPodとか持ってなかったんですよ。ということは,家で聴くか,車を運転中にカーオーディオで聴くかしかなかったはずなんだけど,具体的なシーンが浮かんで来ないんですよねぇ。

● 家で聴いたことなんてあったんだろうか。スピーカーはあったから,聴いてはいたんだろうけど,具体的なシーンが思いだせない。
 なんか,スマホ以前と以後には断絶がありますな。今はスマホがあたりまえになっていて,ずっとそうだったような気になってるんだけど,わずかここ3年ほどのことに過ぎない。

● 聴いてる時間は圧倒的に今の方が長い。外ではイヤフォン,家ではヘッドフォン。要するに,家でもスマホで聴いている。
 当然,再生できる音域には限界があるんでしょうね。そういうもので聴いても聴いたことにならないよ,と言われるのかもしれない。
 ではあっても,スマホのおかげで,音楽があらたまって聴くものではなくなった。あらたまって聴いた方がいいのかもしれないんだけどね。

2014年6月2日月曜日

2014.06.02 ふたりの小さな哲人

● 31日はサーティワンのアイスクリームが31%引きになりますね。だから,その日は混んでますな。アルバイトさんは大変でしょう。
 とまれ。先月の31日に行ってみましたよ。さくら市のイオンに入っているサーティワン。

● お客さんの中に小さな姉妹がいた。お姉さんが5歳で妹が3歳くらいかなぁ。5歳のお姉さんが妹の手を引いて,買いにきてて。
 無事に買えて,買ったアイスクリームをなめながら去っていく姉妹の様子がねぇ。この世の幸せを一身に引き受けてるような感じでねぇ。嬉しくてしょうがないって感じで。
 こういうのって,見ている人たちをも幸せにするよね。幸せのお裾分けって,こういうのをいうんだろうなあと思いましたよ。

● 幼子であること。姉妹であること。アイスクリームが大好きっていうのを,ああいうふうに表現できる年齢であること。気取りとも照れともわざとらしさとも無関係であること。子どものみが持つ説得力。
 同時にね,幸せってこういうものなんだろうなぁと思わせるわけですよね。幸せって小さいものだよな,って。確固たる永続性のある幸せなんて,この世にはないものだよな,って。

● 恋愛競争に打ち勝って,意中のマドンナを奥さんにできた男。その幸せは3日しかもたない。もたないだけならいいけれども,不幸に転化するかもしれない。万事,塞翁が馬。
 でも,あの姉妹の幸せは,すぐに消えるかもしれないけれども,不幸に転化することは(たぶん)ないだろう。

● 小さな,すぐに消える幸せを,それがある間に,身体全体で味わうこと。よき人生にする秘訣はこれに尽きるのではないか。
 ふたりの小さな哲人に幸いあれ。

2014年6月1日日曜日

2014.06.01 計画的であることへの疑問

● 国とか自治体とかでナントカ5ヵ年計画とか,10ヵ年計画っていうのをたくさん作る。法律で策定を義務づけているものも多いらしい。
 無駄を義務づけてどうするんだと思うことがある。計画といいながら総花的だし。こういうことをすべてやめれば,行政のスリム化にも貢献するのじゃないか。

● 計画信仰のようなものがあるように思われる。個人でも計画的であることを推奨される。
 計画というからには,達成すべき目標があるはずだ。衝動や欲望を抑えて,その目標にスムーズに到達するために計画を立てるのだろうから。

● 計画の前提は現状が変わらないこと。現状をそのまま延長して,その前提で何をどうするかという話だろう。
 現状をそのまま延長していいのは,せいぜい2年じゃないか。それを超える計画は現実の変化についていくことができない。変化を織りこむ計画もあるんだろうけど,織りこんだとおりに現実が変わっていったことなんてあるのかね。
 そうした計画を律儀に実行するのは,東京から大阪に行こうとして,東に向かって走っているようなものじゃないか。いつかは着くはずだと思って。

● 計画の射程距離はかなり短いものになるはずだ。短期計画しかあり得ない。中長期計画というのは語義矛盾というか,拠って立つ基盤を持たないはずだ。
 10年先を見通すことなどできるはずがないからだ。見通せないんだから,目標は立てられない。

● 計画が実効性を持つのは,せいぜい受験勉強くらいのものではなかろうか。
 最近だと定年退職後のライフプランなんかが大真面目に取りあげられるんだけど,その発想,ダメでしょ。
 計画的といういい方は理性的でクールな響きがある。視野を広く持っているというような。が,じつは愚劣で思考停止的なのではあるまいか。

● ではどうすればいいか。人生なんて目先の連続だと達観して,よろしく泥縄で対応すると決めてしまうことだと思う。目先よければすべてよし。あとはなるようになる(なるようにしかならない)。
 実際の話,勉強だって泥縄が一番身につくではないか。あらかじめ備えておくための勉強って,身が入らないでしょ。身が入らない状態でいくらやったって,そっくり時間のムダでしょ。泥縄で間に合わないことって,そうそうないような気がする。