● 昨年の1月に東京ステーションギャラリーに行った。東京駅の大改装が終わった頃で,東京駅じたいを見に行った。ついでに東京ステーションギャラリーもというわけだった。
その際に,東京駅周辺美術館共通券っていうのを買ったんだった。ステーションギャラリーのほか,出光美術館,三井記念美術館,三菱一号館美術館のチケットがセットされている。有効期間は1年(2016年中)。
● ぼくは栃木の在に住んでいるんだけど,東京が比較的近いというのが,栃木に住んでいるメリットのひとつだ。
ニューヨークにもロンドンにもベルリンにも行ったことはないんだけど,東京ほど面白い都市もそうそうないのじゃないかと思っている。おまけに都市としては治安がすこぶるいい。おそらく,世界の諸都市の中で,東京は傑出した成功例ではないのか。
● その東京にチープ・トレイン(つまり特急券の要らない在来線)で2時間で行けるというのは,けっこうなメリットだ。
しばしば東京には行くので,東京はうちの奥座敷のようなものだと思っている。
● その奥座敷にある美術館なのだから,1年のうちには行けるだろうと思っていたわけ。ところが,美術館というのは基本的にぼくの生活の中にはなかったものだったのだ。
つまり,残りの3つにはついに行くことのないまま,有効期限が切れてしまった。ずいぶん高くついたチケットになった。
● 何というのかな,あまり自分を買いかぶってはいけないね。美術館に行く自分というのは,どうもわれながら想定できないのだ。
あのときは,たぶん少しオクターブが上がっていたんだろうな。新装なった東京駅丸の内側を見てね。
2017年3月17日金曜日
2017.03.16 氏家「登竜」の決定版
● 8日に「登竜」で飲んだ。注文したのは,“肉入り野菜炒め”“メンマキムチ”(長芋キムチが切れていた)とウィスキーの水割りだ。
この“肉入り野菜炒め”と“長芋キムチ”でウィスキーの水割りを飲むのを,「登竜」におけるぼく的決定版と認定する。
● なにしろ,旨いのだ。水割りを3杯飲んでも,2千円でお釣りが来るのだ。これは正直,飲まなきゃ損だという気分になる。
じんわり,しみじみ,旨い。一度食べるとやみつきになるというほど,鋭角的な旨さはない。のだが,何度か食べると,これはもう絡め取られたような状態になるでしょうね。
半月も食べないでいると,居ても立ってもいられなくなる。あの活気ある空間に自分を置きたいと思うようになる。つまり,その活気も味のうちだ。
● で,今夜はここで相方と待ち合わせた。早く着いたので,長芋キムチでウィスキーの水割りを飲んで,待つことにする。いくら遅れてもいいぞ,と思うね。
ところが,さほど待つことなく,相方が到着。相方は味噌ラーメンを注文。チャーハンも食べたいなとのたまう。ので,ぼくはチャーハンセットを注文。
● 「登竜」はたくましい庶民の食欲を満たすお店。あるいは,お金がなくても美味しいものは食べられるってことを教えてくれるお店。
地域の宝だ。末永く残って欲しいと思う。
この“肉入り野菜炒め”と“長芋キムチ”でウィスキーの水割りを飲むのを,「登竜」におけるぼく的決定版と認定する。
● なにしろ,旨いのだ。水割りを3杯飲んでも,2千円でお釣りが来るのだ。これは正直,飲まなきゃ損だという気分になる。
じんわり,しみじみ,旨い。一度食べるとやみつきになるというほど,鋭角的な旨さはない。のだが,何度か食べると,これはもう絡め取られたような状態になるでしょうね。
半月も食べないでいると,居ても立ってもいられなくなる。あの活気ある空間に自分を置きたいと思うようになる。つまり,その活気も味のうちだ。
ところが,さほど待つことなく,相方が到着。相方は味噌ラーメンを注文。チャーハンも食べたいなとのたまう。ので,ぼくはチャーハンセットを注文。
● 「登竜」はたくましい庶民の食欲を満たすお店。あるいは,お金がなくても美味しいものは食べられるってことを教えてくれるお店。
地域の宝だ。末永く残って欲しいと思う。
2017年3月16日木曜日
2017.03.16 深い学び
● 「対話的な深い学び」という言葉を聞いた。深い学びかぁ。若い頃にぼくがやっていた学びなるものは,教科書を読むこと,出された問題に対して正解を捻りだすこと,それだけだ。
教科書を読んで重要なところを推測して,そこを頭に叩きこもうという,ガリ勉的な勉強の域を出ていなかったな。受かるための勉強しかしてない。
知識は増えた。が,それだけだ。知識デッカチのバカになった。
● 深い学びっていうと,自分の脳細胞を使って考え抜くっていうイメージなんだけど,それは全然やってこなかった。
外部のどこかに正解があって,そこに辿りつくにはどうしたらいいかということしか考えてなかった。誰かが正解を作ってくれてるっていう発想だ。
● 法律,規則,手引き,要領。そういったものを探し,それを解釈し,それに従う。そこを疑うことをしない。
それは絶対善であって,自分の行動はそれを具体化したものであればいいと思っていた。非常によくいえば謙虚だった。
核が中心にあって,自分はその周りを回っている電子のようなものだ。イメージとしてはそんな感じ。
● 深い学びっていうのは,対話的なのか。生身の人間との対話でなくても,本を通して著者と対話する。一方的に教えを垂れられるのではなくて,著者と対話をしながら読み進める。
そういうことが大事なのかね。そうかもしれないね。
● 大人になって気づくことは,東大を卒業したヤツに面白いのが多いってことだ。彼らはたぶん,もともとの頭のデキがぼくとは違うのだろう。
頭がよすぎるので,勉強だけでは(頭が)満たされない。だから,面白い個性的なことにのめり込んでいく。それがバンド活動だったり,漫画だったり,ファッションだったりする。人によっては,ドイツ観念論だったり,原子核融合の研究だったりする。
そこで,それらをネタに自分の体系を作ってしまう。つまり,学術にしてしまう。
● つまり,何て言うんだろ,深い学びってバカじゃできないんじゃないかなと思っちゃうんだよ。
何らかのキッカケがあれば,深い学びに気づけるんだろうか。どうなんだろ。
教科書を読んで重要なところを推測して,そこを頭に叩きこもうという,ガリ勉的な勉強の域を出ていなかったな。受かるための勉強しかしてない。
知識は増えた。が,それだけだ。知識デッカチのバカになった。
● 深い学びっていうと,自分の脳細胞を使って考え抜くっていうイメージなんだけど,それは全然やってこなかった。
外部のどこかに正解があって,そこに辿りつくにはどうしたらいいかということしか考えてなかった。誰かが正解を作ってくれてるっていう発想だ。
● 法律,規則,手引き,要領。そういったものを探し,それを解釈し,それに従う。そこを疑うことをしない。
それは絶対善であって,自分の行動はそれを具体化したものであればいいと思っていた。非常によくいえば謙虚だった。
核が中心にあって,自分はその周りを回っている電子のようなものだ。イメージとしてはそんな感じ。
● 深い学びっていうのは,対話的なのか。生身の人間との対話でなくても,本を通して著者と対話する。一方的に教えを垂れられるのではなくて,著者と対話をしながら読み進める。
そういうことが大事なのかね。そうかもしれないね。
● 大人になって気づくことは,東大を卒業したヤツに面白いのが多いってことだ。彼らはたぶん,もともとの頭のデキがぼくとは違うのだろう。
頭がよすぎるので,勉強だけでは(頭が)満たされない。だから,面白い個性的なことにのめり込んでいく。それがバンド活動だったり,漫画だったり,ファッションだったりする。人によっては,ドイツ観念論だったり,原子核融合の研究だったりする。
そこで,それらをネタに自分の体系を作ってしまう。つまり,学術にしてしまう。
● つまり,何て言うんだろ,深い学びってバカじゃできないんじゃないかなと思っちゃうんだよ。
何らかのキッカケがあれば,深い学びに気づけるんだろうか。どうなんだろ。
2017年3月13日月曜日
2017.03.13 カップの日本そば
● カップそばは東洋水産の“緑のたぬき”をもって嚆矢とする(違うかもしれんが)。その前に袋のそばもあった(今もある)。あの頃,田舎の少年にはあれがご馳走だった。
今でも年に1回か2年に1回,買って食べてみる。そして,それをご馳走だと思っていた,あの頃の自分の貧しさを思いだしてみる。
● とにかく,マルちゃんの“緑のたぬき”は充分に旨かった。で,この分野はしばらく“緑のたぬき”の独壇場になっていた。特許の関係なのだろうか。
後に,日清の“どん兵衛”が出たとき,“どん兵衛”のアピールポイントは「あとのせサクサク」だった。北大路欣也が「あとのせサクサクじゃあ」と言っていた。
“緑のたぬき”と差別化しないといけない。それをそこに求めたのだろう。
● が,いつの頃からか,「あとのせサクサク」を言わなくなった。察するに,「あとのせサクサク」じゃない方が旨いからだ。
天ぷらは汁に浸してブヨブヨになってる方が旨い。“どん兵衛”も天ぷらを麺に載せて,天ぷらの上から,お湯をかけた方が旨い。多くの人はそうしているのじゃないかなぁ。
● 今はスーパーに行くと,この2つ以外にもカップのそばがある。天ぷら以外にも鴨南蛮やきつねそばも出ている。
でも,東洋水産と日清のシェアがたぶん圧倒的だと思われる。メーカーでは昼夜を分かたぬ研究を続けているのだろう。
2017年3月11日土曜日
2017.03.10 某県立高校の合格発表の様子を見て
● 栃木県では,今日が県立高校の合格発表だった。午前10時に合格者の受験番号が掲示される。もちろん,その前から受験生や親,中学校の先生が詰めかけるという構図になる。
で,その合格発表の直後のシーンを見る機会を得た。
● 胴上げとか,派手なパフォーマンスはないですよね。東大の合格発表じゃないんだから。今どきは東大の合格発表でもそんなことはやらないか。
わりと淡々としていた。とはいえ,抱き合ってる女子中学生がいたりはする。
● 男子生徒に,付き添いで来たとおぼしき女性教師が声をかけていた。これも人生だよっ。わざと吹っ切ったような大きな声で。
男子生徒は答えた。・・・・・・まぁな。
● 初めて世間からはっきり結果の出る判定を下された。そこに自分の番号はなかった。初めての判定でダメだしをされてしまった。
傍らには自分を気遣ってわざと陽気な声を出している,母校の先生がいる。親にはどう報告しようか。同級生にはどんな顔を見せればいい?
万感をひと言にこめた,15歳の少年の「まぁな」だった(のだろう)。
● 入試とはいっても,倍率は1.2倍とか1.3倍といったものだ。大多数は受かる。落ちるのは少数だ。少数の人しか味わえない経験を彼は今,したのだ。
同じ経験をするなら,その方がいい。少なくとも希少価値はある。
大学入試だとそうはいかない。人気のある大学の入試ならば,5倍や6倍にはなるだろう。落ちるのが多数派だ。そんな試験で落ちてみたって仕方がない。落ちることに価値ある入試は,県立高校の今回の入試だけだ。
● 今日の結果がその後の彼の人生を決めることは,絶対にといっていいだろう,ない。臥薪嘗胆して第2志望の高校で勉学に励めば,3年後の大学受験で逆転できる,という大仰なことを言いたいのではない。
それ以前の話だ。入試の結果がその後の人生に何らかの痕跡を残すことなどそもそもないのだ,という,明らかな道筋を指摘しただけだ。
● しかし,15歳の少年にそれは見えていない。今日から,1週間か,あるいは1ヵ月か,ひょっとしたら半年か,鬱々とした日々を過ごすことになるだろう。
その日々は,しかし,彼の一生から見れば,彼の“黄金の日々”になり得る可能性がある。
そのことを15歳の彼に伝えたい。が,彼に伝わる言葉をぼくは持っていない。
で,その合格発表の直後のシーンを見る機会を得た。
● 胴上げとか,派手なパフォーマンスはないですよね。東大の合格発表じゃないんだから。今どきは東大の合格発表でもそんなことはやらないか。
わりと淡々としていた。とはいえ,抱き合ってる女子中学生がいたりはする。
● 男子生徒に,付き添いで来たとおぼしき女性教師が声をかけていた。これも人生だよっ。わざと吹っ切ったような大きな声で。
男子生徒は答えた。・・・・・・まぁな。
● 初めて世間からはっきり結果の出る判定を下された。そこに自分の番号はなかった。初めての判定でダメだしをされてしまった。
傍らには自分を気遣ってわざと陽気な声を出している,母校の先生がいる。親にはどう報告しようか。同級生にはどんな顔を見せればいい?
万感をひと言にこめた,15歳の少年の「まぁな」だった(のだろう)。
● 入試とはいっても,倍率は1.2倍とか1.3倍といったものだ。大多数は受かる。落ちるのは少数だ。少数の人しか味わえない経験を彼は今,したのだ。
同じ経験をするなら,その方がいい。少なくとも希少価値はある。
大学入試だとそうはいかない。人気のある大学の入試ならば,5倍や6倍にはなるだろう。落ちるのが多数派だ。そんな試験で落ちてみたって仕方がない。落ちることに価値ある入試は,県立高校の今回の入試だけだ。
● 今日の結果がその後の彼の人生を決めることは,絶対にといっていいだろう,ない。臥薪嘗胆して第2志望の高校で勉学に励めば,3年後の大学受験で逆転できる,という大仰なことを言いたいのではない。
それ以前の話だ。入試の結果がその後の人生に何らかの痕跡を残すことなどそもそもないのだ,という,明らかな道筋を指摘しただけだ。
● しかし,15歳の少年にそれは見えていない。今日から,1週間か,あるいは1ヵ月か,ひょっとしたら半年か,鬱々とした日々を過ごすことになるだろう。
その日々は,しかし,彼の一生から見れば,彼の“黄金の日々”になり得る可能性がある。
そのことを15歳の彼に伝えたい。が,彼に伝わる言葉をぼくは持っていない。
2017.03.09 Facebookが悩ましい
● ぼくは,ブログ→Google+→Twitter→Facebookと使ってきた。Google+はすぐにやめてしまったけれども,残りの3つは同時並行で使用中。
もともと,ブログのPVが伸びないので,Twitterで“更新したよ,読んでチョーよ”と告知してみるかってのが,Twitterを始めた理由。ところが,Twitterの仕様がかなりよくできていて,それまでブログにあげていたこと以外にも,Twitterで囀るようになった。
つまり,Twitterが総合窓口で,すべてTwitterを通す。そのうち,ブログ1本分になるような囀りはまとめてブログにする。そういうスタイルになった。
● 問題はFacebookだ。Twitterにあげたものの一部をFacebookにも投稿しているんだけど,Facebookに何を載せるべきか,けっこう悩ましい。Twitterでかなりのアクセスがあったものでも,Facebookでは“いいね!”がひとつも付かない,なんてことがある。
かといって,これなら“いいね!”が付くだろうというものを選んで載せるのも,違うような気がする。
● Facebookの友だちは8人しかいないのでね,当然,そういうこともある。わずか8人では傾向を見ても仕方がない。であっても,“いいね!”がひとつもない投稿はあまり載せたくない。
“いいね!”をもらうためにFacebookに投稿してはいけないとしても,“いいね!”が付くか付かないかでだいぶ気分が違うのもたしかだ(友だち8人じゃ,“いいね!”が2つも付けば御の字なのだが)。
● 現時点では友だちも少ないし,したがって滅多にコメントもない。だから,たまにコメントがあると必ず返している。
が,友だちが4桁になっているような人はそんなことはできないだろう。その前に,そのすべてがタイムラインに表示されることに耐えられないだろう。リストを作って,管理可能な人数に絞っているはずだ。
だったら,その人数と友だちになっていればいい。友だち申請が多くて,自動的に承認するしかないという事情はあるのだろうけどね。
● つまり,8人は少なすぎるとしても,むやみに増やせばいいというわけでもないなぁ。
Facebook疲れという言葉は今でもあるんだろう。あまり律儀にFacebookと向きあわないことも,わりあい大切だろう。
● それ以前に,Facebookとリアルを連動させるべきか,それとも切り離すべきかを決めておかないと。切り離していいと思っているんだけど,それならそうで,もっと友だちを増やす算段をしないと。
友だちが数百人になったあとのFacebookをどう作っていくか,そこも考えておかないと。
で,それが見えないから,友だちを増やそうとしないのかもな。自分のことなのにこんな書き方になるんだけど。
● 究極はブログだと思っていることもあるんだろう。ブログがあるんだからFacebookは要らないかな,と。
Facebookを考えるより,ブログのPVをどうやって増やそうかと考える方が先か。
● どうも散漫な議論になっている。Facebookに何を載せればいいかという問題だった。
あまりにシリアスなものはブログのみにする。それ以外はTwitterを窓口として,ブログに仕立てられるものはブログにする。
Facebookに載せるのは軽いもの,フワッとさせるものに限定する。シリアスなもの,重いものは載せない。読み手に負荷をかけるから。
この点,Twitterは140文字以内なので,負荷をかけるとしても,その負荷はさほど重いものにはならない。
だいたい,このような仕分けでいいだろうか。
もともと,ブログのPVが伸びないので,Twitterで“更新したよ,読んでチョーよ”と告知してみるかってのが,Twitterを始めた理由。ところが,Twitterの仕様がかなりよくできていて,それまでブログにあげていたこと以外にも,Twitterで囀るようになった。
つまり,Twitterが総合窓口で,すべてTwitterを通す。そのうち,ブログ1本分になるような囀りはまとめてブログにする。そういうスタイルになった。
● 問題はFacebookだ。Twitterにあげたものの一部をFacebookにも投稿しているんだけど,Facebookに何を載せるべきか,けっこう悩ましい。Twitterでかなりのアクセスがあったものでも,Facebookでは“いいね!”がひとつも付かない,なんてことがある。
かといって,これなら“いいね!”が付くだろうというものを選んで載せるのも,違うような気がする。
● Facebookの友だちは8人しかいないのでね,当然,そういうこともある。わずか8人では傾向を見ても仕方がない。であっても,“いいね!”がひとつもない投稿はあまり載せたくない。
“いいね!”をもらうためにFacebookに投稿してはいけないとしても,“いいね!”が付くか付かないかでだいぶ気分が違うのもたしかだ(友だち8人じゃ,“いいね!”が2つも付けば御の字なのだが)。
● 現時点では友だちも少ないし,したがって滅多にコメントもない。だから,たまにコメントがあると必ず返している。
が,友だちが4桁になっているような人はそんなことはできないだろう。その前に,そのすべてがタイムラインに表示されることに耐えられないだろう。リストを作って,管理可能な人数に絞っているはずだ。
だったら,その人数と友だちになっていればいい。友だち申請が多くて,自動的に承認するしかないという事情はあるのだろうけどね。
● つまり,8人は少なすぎるとしても,むやみに増やせばいいというわけでもないなぁ。
Facebook疲れという言葉は今でもあるんだろう。あまり律儀にFacebookと向きあわないことも,わりあい大切だろう。
● それ以前に,Facebookとリアルを連動させるべきか,それとも切り離すべきかを決めておかないと。切り離していいと思っているんだけど,それならそうで,もっと友だちを増やす算段をしないと。
友だちが数百人になったあとのFacebookをどう作っていくか,そこも考えておかないと。
で,それが見えないから,友だちを増やそうとしないのかもな。自分のことなのにこんな書き方になるんだけど。
● 究極はブログだと思っていることもあるんだろう。ブログがあるんだからFacebookは要らないかな,と。
Facebookを考えるより,ブログのPVをどうやって増やそうかと考える方が先か。
● どうも散漫な議論になっている。Facebookに何を載せればいいかという問題だった。
あまりにシリアスなものはブログのみにする。それ以外はTwitterを窓口として,ブログに仕立てられるものはブログにする。
Facebookに載せるのは軽いもの,フワッとさせるものに限定する。シリアスなもの,重いものは載せない。読み手に負荷をかけるから。
この点,Twitterは140文字以内なので,負荷をかけるとしても,その負荷はさほど重いものにはならない。
だいたい,このような仕分けでいいだろうか。
2017.03.09 氏家「みやこ家」で飲んだり喰ったり
● つまり,相変わらずってこってすよ。
5日はハイボールを飲んだ。肴はチーズ巻き(初めて注文した)と餃子。
● チーズ巻き,もちろん旨いんですよ。旨すぎてそればかり喰ってしまって,肴にならないというきらいがあるくらいだ。
何でもない食べ物なんだと思うんですよ。チーズを餃子の皮で巻いて素揚げするだけだからね。でも,そうしたものでも家庭で作るとなると・・・・・・。
● 相方が,チーズと大葉を餃子の皮に挟んで油で揚げたのを作ることがある。大葉が効いている分,チーズだけのより旨いかな。ま,ここは人によって好みが分かれるところでしょうけどね。
家庭料理とこういうお店で出る料理の違いっていうのは,エッジが立っているかどうかだ。エッジた立っているとオッと思わせる。
が,味はまた別であって,家庭がお店を超えることもある。
● 今日(9日)は海老つけ麺。海老つけ麺は季節限定で,そろそろその季節が終わる頃だ。今のうちに食べておかねば。来年のこの時期まで生きていられるという保証はないからな。
「みやこ家」のこの極太麺,噛みごたえあり。セモリナ粉も使っているのではないか。そんなことはない?
● つまりね,この極太麺はそのまんま生パスタとしても通用するんじゃないかと思ってね。パスタ用の濃厚ソースを絡めて出せば,即,イタリアンになりそうだ。
他では見かけない。「みやこ家」オンリー。ゆえに価値がある,と言ってしまっていいのかどうかわからないけれど,一度は食べてみて損はないと思うね。
● 相方は「みやこ家」の濃厚つけ麺を食べると元気が出るという。仕事で嫌なことがあったり疲れたりすると,濃厚つけ麺を食べたくなるんだそうだ。
で,そういうときは大盛りを注文する。もちろん食べれっこないんだけど,並盛りでは気持ち足らないのかもしれない。
ほぼ確実に,ぼくが手伝うことになって,ぼくも満腹を通り越した状態になるというのが,いつものことだ。
5日はハイボールを飲んだ。肴はチーズ巻き(初めて注文した)と餃子。
● チーズ巻き,もちろん旨いんですよ。旨すぎてそればかり喰ってしまって,肴にならないというきらいがあるくらいだ。
何でもない食べ物なんだと思うんですよ。チーズを餃子の皮で巻いて素揚げするだけだからね。でも,そうしたものでも家庭で作るとなると・・・・・・。
● 相方が,チーズと大葉を餃子の皮に挟んで油で揚げたのを作ることがある。大葉が効いている分,チーズだけのより旨いかな。ま,ここは人によって好みが分かれるところでしょうけどね。
家庭料理とこういうお店で出る料理の違いっていうのは,エッジが立っているかどうかだ。エッジた立っているとオッと思わせる。
が,味はまた別であって,家庭がお店を超えることもある。
● 今日(9日)は海老つけ麺。海老つけ麺は季節限定で,そろそろその季節が終わる頃だ。今のうちに食べておかねば。来年のこの時期まで生きていられるという保証はないからな。
「みやこ家」のこの極太麺,噛みごたえあり。セモリナ粉も使っているのではないか。そんなことはない?
● つまりね,この極太麺はそのまんま生パスタとしても通用するんじゃないかと思ってね。パスタ用の濃厚ソースを絡めて出せば,即,イタリアンになりそうだ。
他では見かけない。「みやこ家」オンリー。ゆえに価値がある,と言ってしまっていいのかどうかわからないけれど,一度は食べてみて損はないと思うね。
● 相方は「みやこ家」の濃厚つけ麺を食べると元気が出るという。仕事で嫌なことがあったり疲れたりすると,濃厚つけ麺を食べたくなるんだそうだ。
で,そういうときは大盛りを注文する。もちろん食べれっこないんだけど,並盛りでは気持ち足らないのかもしれない。
ほぼ確実に,ぼくが手伝うことになって,ぼくも満腹を通り越した状態になるというのが,いつものことだ。
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