2017年3月16日木曜日

2017.03.16 深い学び

● 「対話的な深い学び」という言葉を聞いた。深い学びかぁ。若い頃にぼくがやっていた学びなるものは,教科書を読むこと,出された問題に対して正解を捻りだすこと,それだけだ。
 教科書を読んで重要なところを推測して,そこを頭に叩きこもうという,ガリ勉的な勉強の域を出ていなかったな。受かるための勉強しかしてない。
 知識は増えた。が,それだけだ。知識デッカチのバカになった。

● 深い学びっていうと,自分の脳細胞を使って考え抜くっていうイメージなんだけど,それは全然やってこなかった。
 外部のどこかに正解があって,そこに辿りつくにはどうしたらいいかということしか考えてなかった。誰かが正解を作ってくれてるっていう発想だ。

● 法律,規則,手引き,要領。そういったものを探し,それを解釈し,それに従う。そこを疑うことをしない。
 それは絶対善であって,自分の行動はそれを具体化したものであればいいと思っていた。非常によくいえば謙虚だった。
 核が中心にあって,自分はその周りを回っている電子のようなものだ。イメージとしてはそんな感じ。

● 深い学びっていうのは,対話的なのか。生身の人間との対話でなくても,本を通して著者と対話する。一方的に教えを垂れられるのではなくて,著者と対話をしながら読み進める。
 そういうことが大事なのかね。そうかもしれないね。

● 大人になって気づくことは,東大を卒業したヤツに面白いのが多いってことだ。彼らはたぶん,もともとの頭のデキがぼくとは違うのだろう。
 頭がよすぎるので,勉強だけでは(頭が)満たされない。だから,面白い個性的なことにのめり込んでいく。それがバンド活動だったり,漫画だったり,ファッションだったりする。人によっては,ドイツ観念論だったり,原子核融合の研究だったりする。
 そこで,それらをネタに自分の体系を作ってしまう。つまり,学術にしてしまう。

● つまり,何て言うんだろ,深い学びってバカじゃできないんじゃないかなと思っちゃうんだよ。
 何らかのキッカケがあれば,深い学びに気づけるんだろうか。どうなんだろ。

0 件のコメント:

コメントを投稿