● “Facebook つまらない”で検索をかけるといくつもの記事がヒットするわけだけども,その中のいくつかを読んでみた。「Facebookがつまらない理由 最近のFacebookについて思うこと」にほぼ尽くされていると思うのだが,もっと低次元からFacebookがつまらない理由をウダウダと述べてみる。
● FBななぜつまらないのか。第1に,ネット上のコミュニケーションがそもそもつまらないものになりがちだからだ。
第2に,FBはコミュニケーションツールとしてしか使い途がないからだ。それ以外の使い方をするのが難しい。どうしてもといえば,非公開に設定したうえでやるしかない。が,誰かが見ているという感覚は欲しい。それがあった方が張りが生まれるからだ。
● ここでホテルを思いだす。ラウンジで仕事か遊びかわからないけれども,パソコンをいじっている人がいる。けっこうな数,いる。そんなものは部屋でやったらいいのにと思う。
が,部屋で1人でやるより,誰かがいるラウンジでやりたい。これはよく理解できる。人は人恋しさを内包しているのだ。
受験勉強だって自宅でやるより,大勢の仲間(ライバル?)がいる図書館の学習室でやった方が捗るような気がする(気がするだけだろうが)。1人遊びでも自宅の庭より公園でやりたくなることがある。
かといって,ラウンジでパソコンをいじっているところに,誰かに話しかけられるのは迷惑だ。ぼくはそういうことをしたことがないのでわからないのだけれども,たぶん,迷惑だと思う。
● SNSに何ごとかを書きこむのは,ラウンジでパソコンをいじるのと同じようなものだ。
人がいるところで1人でいじっていたいのだ。人を感じながら1人で気ままにいじっていたいのだ。人と話をしたいからラウンジにいるのではない。
● FBはそれを許さないところがある。話をしろとしつこく勧めてくる。
FBが想定しているほどのコミュニケーションはごく少数の人とやればいいものなのであって,ネット上に友だちが100人,200人という世界でその疑似形態を作ったところで,それを維持するのは苦痛でしかないだろう。
● FBはGoogle検索を受け付けないし,自分の投稿はFB上の友だちにしか表示されないから,人を感じるといってもその範囲が限定される。
かつ,その“誰か”との関係が濃密になりがちだ。FBでコメントを無視するのは難しい。
● FBに溢れているのはおおよそがゴミだ。FBを始めるというのは,ゴミの山に分け入っていくのとほぼ同義だ。自分が発するのもゴミなのだから,そこはお互い様ではある。
ところが,ゴミを素材にやり取りまでするのは,じつにもってバカバカしい。FBはそのやり取りを強制するようなお節介な機能がいくつもあるというわけだ。やり取りに特化しているのがFBの特徴だと言えるわけで,だからつまらないのだ。
● それ以前にネット上に不要な友だちを作ることのバカバカしさにも多くの人が気づき始めている。ネット上のコミュニケーションはつまらないものだ。つまらないと言っては言いすぎなら,虚しいものだと言い直そうか。
そのつまらなくて虚しいものをメインにしなければならないとあっては,FB離れは必然のように思われる。若者はあらかたFBから離れたようだから,次は中高年が若者の後を追う番だ。
● ぼくはFBはなくなると思っている。現時点でいったん使ったIDで再開することはできない仕様になっているようだが,それをかなぐり捨てて再集客を試みても,状況は好転しないだろう。
ので,現状でFBを推奨する人,FBは楽しいと思っている人の多くは,タレント-ファンの構図で,自分をタレントになぞらえている人ではないか。つまり,裸の王様というかバカというか。
● 実名主義が問題なのではない。匿名で,実名では言えないようなことをネットで放言するのは,みっともないことこの上もない。むしろ,実名主義を日本にも根付かせたことは,FBの功績の1つに数えていいのではないか。
ネットで濃厚なコミュニケーションを実現させようとしてもうまくいかないことを証明したのも,FBの功績だ。
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