● 男性は若い女性に目が行きがちで,女は若い方がいいと思っている,と女性は思っている。で,人生の辛酸をなめて経験値を深めた女を敬遠するのは,自分に自信がないからではないのかというお叱りをいただくことがある(ぼくがではなく,男性一般が)。
この意見には一理ある。いや,二理も三理もあるかもしれない。
● が,ぼくが向かうとすれば若い女性だ(ぼくの年齢からすると,30代は充分に若いことになる)。理由は次の3つだ。
第1に,年配の女性を見ていて,経験値が魅力になっている人はあまりいないように思えるからだ。バカのまま年だけ重ねたという女性がほとんどではないか。男も同じだが。
● ほとんどの人は毎日毎日同じことを繰り返してきたはずだ。同じことを何千回何万回と繰り返して,今日に至っている。ゆえに,経験のバラエティは極めて少ない。
経験の総量は海ほどもあるに違いない。しかし,1人の人間が経験できるのはバケツ1杯分くらいのものだ。
それゆえ,経験値の限界はかなり低いところにあるのではないかと思っている。バケツ1杯分の水でもって海を論じがちなのが,年寄りの通弊だ。それをつまり,バカと呼ぶのだ。
● 人には言えないような,辛かったこと,恥ずかしかったこと,悲しかったこと,自分を責めずにはいられなかったこと,そういう経験は誰でもしている。死んでしまおうかと思ったことのない人は,むしろ少数派かもしれない。それでも大方の人間は笑って生きている。人間ってなかなかのものじゃないか。
しかし,笑えてしまうのも事実だ。時間薬が効くからだ。そのように人間はできている。時間薬が効いたあと,その死んでしまおうかと思ったほどの体験が,その人に何らかの深みを残しているかどうか。じつは,ぼくは疑問に思っている。
経験は人を賢くしない。これが理由のひとつめ。
● ふたつめは,同年代よりも若い女性に向かう方がはるかに難易度が高いからだ。どうせやるなら,難易度の高い方にチャレンジするのが面白い。
普通,20代や30代の女性が50代や60代の男性を相手にすることはない。洟もひっかけないのが普通だ。そもそも,彼女たちにすれば,ジジイやオジンなど男の範疇に入っていないだろう。
仕事で上司-部下の関係にあれば,仕事に必要な範囲で口もきくだろうけれども,その前提をはずしてもなお,口をきいてもらえるジジイやオジンがどれほどいるか。
● そこをどうにか,この人なら相手になってもいいと思ってもらわなければならない。この人になら時間を使ってもいいと思ってもらわなければならない。
そのためにどうすればいいのか,どうあればいいのか。そこを色々と考える。考えるだけではどうにもならないが,それでも考えることはいいことだ。
若い女性に向かう方が難易度が高いということ。理由のふたつめはこれだ。
● 三番目の理由は,それが勉強になるからだ。何だかんだいって,若い人は今の時代の空気を吸っている。これが大事なところだ。
ぼくなんかが考え方や価値観の骨格を形作ったのは,昭和40年代だ。その頃に思春期を迎えたからだ。その時代の空気の中で自分の骨格ができた。
● 考え方や価値観の骨格ができたあとに,バージョンアップをしてきていればまだしもだが,そんなことはしていない。大方の人たちも同じだろう。
その骨格のまま何十年か生きてきた。その骨格を尺度にして物事を測るという水準から一歩も出ないまま,馬齢を重ねてきた。重ねていうが,それをバカと呼ぶのだ。
● つまり,ぼくらは(少なくともぼくは)今の時代の空気を呼吸できていない。時代に添えていない。若いしかも女性と接すると,そのことを痛切に知らされる。自分と相手の段差に驚く。
その驚きがつまり勉強だ。ある程度の年齢になったら,年上よりも年下から学ぶ方向に舵を切るべきだろう。年下から学ぶ方が難しい。難しい方を選択しなければいけない。
● ぼくらは所詮はバカなのだと思う。バカでしかあり得ない。そういう存在なのだろう。
そうではあっても,バカであることに抵抗しようじゃないか。バカに居直っていたのではどうにもならないじゃないか。
その抵抗の方法として,若い女性と接する機会を増やすのは,考え得る方法の中で最善のものだと思う。
当然ながら,若ければ誰でもいいというわけにはいかない。僭越ながら,相手は選ばなければならない。年寄りでも若くても,バカはバカで,バカと付き合っている時間はないのだ。
● ババアやオバンも若い男性と接する努力はした方がいいと思う。同年代の男と昔話に興じるのは楽しいだろうが,それだけでいいのか。
ただし,それはジジイが若い女性に向かう以上の困難を伴う。若い男性はジジイ以上に若い女性しか眼中にないからだ。針の穴を通すコントロールを発揮するのは最低限だ。できなくはないはずだと思う。
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