誰しも時代とともに生活スタイルは変遷しているはずだが,それは後になって気づくもの。小さな変化をそれと気づかずに断続的に受け容れるから変われるのであって,変化を変化として強制されれば,誰だって抵抗する。
コロナが今ぼくらにもたらしている変化に対しても,ぼくらは基本的に抵抗しているはずだ。受け容れているのは,やむを得ないものとして,だ。いずれは収束するという前提のもとに,今は我慢だと諦めているだけのことだ。
宇都宮パステリアセットを注文。1,180円。この値段で出てくる料理は右の写真のとおりなのであるし,パスタ(今回はニントマ)の旨さは周知のところだろう。
にもかかわらずこの状態であるのは,コロナの影響が満遍なく出てきていると見るしかない。人気店だから大丈夫という状態は過ぎた。
テイクアウトのチラシもできていた。この方向に力を入れることになる。飲食店に共通の方向だろう。
● しかし,ぼくらからすると,空いてるよりもお客さんが入っているところで食べる方が楽しい。空いている方が好ましい業態の店もあるけれども,ここはそうではない。
結局,ぼくらは群れたい,集まりたい生き物なのだろう。これはコロナごときが変えられるところではない。
ぼくはどちらかといえば人間嫌いに属するタイプだと思っているんだけども,それでも広場の孤独を愛する的なところにとどまっている。文字どおりそこに自分ひとりしかいないというのは,誰しもキツいものだろう。
● ところで。これだけ客足がまばらになれば,店内で食べても三密は出来しない。もう,そういう問題ではなくなっているんだろうか。三密であろうとなかろうと,出歩くこと自体がダメだ,と。
だとすると,その理由は何なのだ? コロナの感染力が強くなっているんだろうか。
● インターパークビレッジにも行ってみたが,人がいない。若いカップルを何組か見かけたが,こうまで閑散としていては,盛りあがりたくても盛りあがれないだろう。
だから帰省なんかしないで,東京にいればいいものをと思うわけだけれども,それはそれとして,人は群れの中で生きていくものなのだなとここでも思った。群れの中にいるからこそ,孤独を感じることができるのかもしれない。だからこそ,都市を作るのだろうかな。
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