● コロナの影響が甚大だ。ぼくは隠居の身ゆえ,それほどの影響は受けないですんでいるんだけれども,それでも空気が異様なのは実感できる。
世の中の構造を変えてしまうのではないかと思うこともある。たとえばリモートワークですむんだったら,コロナが収束したあともリモートワークでいいわけだ。
その方が通勤電車の混雑も緩和されるし,会社側も固定費を大きく軽減できる。自宅が仕事場になるんだから,本社ビルなんてかなりの部分が要らなくなる。
● 人間関係でメンタル疾患に陥ることも少なくなるだろう。メンタル云々の他にも,リモートワークが続けば職場のウェットな人間関係から自由になれる。
上司・部下・同僚・先輩・後輩との飲み会もなくなるだろう。さっと家に帰れば,家族団らんの時間がそれだけ増える。家族があるべき形になる。
● なにより中間管理職から重役に至る役職者の相当部分は不要だったことが明らかになる。必要のないダメ出しをするしか能がないのに高給を食んでいるこれら役職者をリストラできる。
それはそれで新たな問題を生むけれども,とりあえずはメデタイことに違いない。
● 観光業者は甚大な影響を受けているだろうが,そもそも,観光で飯を喰っている人が多すぎるのだともいえる。観光資源のほとんどはたまたまそこにあるものだ。
それに寄生して飯を喰っているわけで,観光業者の相当部分は失くなってしまっても別に支障はない。むしろ,失くなってしまった方がいいと思うこともある。
たとえば,中禅寺湖畔に連なる土産物屋がそっくり消えてくれたら,湖畔の景観はどれほどグレードアップされるだろうか。
● 家で過ごせるようになれば,それだけで省エネだ。ガソリンの消費も減り,地球温暖化防止に貢献することになるかもしれない。
家で食事をするのがケで,外で食べるのがハレという時代ではもうない。これだけ外食があたりまえになれば,食事はよほどのことがなければケに属する。
だったら,家で食べるのを増やすのがいい。そうなれば,目障りなファストフードのチェーン店が消えてくれるかもしれない。
● GDPは減る。が,GDPと幸せ度は比例しないことは誰でも気づいているはずだ。大事なのはGDPではない。幸せ度だ。
不要不急な外出は控えましょうという。現在において不要不急であるなら,コロナが収束した後においても不要不急であるのは間違いないのだから,そういうものを淘汰する過程が現在なのかもしれない。
● 戦後,東京で最も早く復活したのは映画館だったと聞いたことがある。衣食足りて礼節を知るというけれど,人間は食べるのがままらななくても娯楽を欲するものなのだろう。
だとしても,アミューズメントにおいても従来の形に囚われることはない。インターネットができたからだ。“学ぶ”や“探求する”を含めて,アミューズメントの多くはインターネットから引きだすことができる。
今や,一人ひとりが映画館を所有しているようなものではないか。アミューズメントのかなりの部分がそっくり家の中に入りこんでいるのだ。外に出なければならない理由はよほど減少している。
● 以上を要するに,コロナ禍にある現在の暮らし方があるべきそれに近いのかもしれないということだ。観光業や飲食業に従事している人たちが他の業界に移行すれば,結果において優秀な人材を活かす所以になるかもしれないではないか。
あとは慣れの問題かもしれない。コロナってホントにぼくらの生活を変えてくれてるんだけど,これで新しい均衡点に達すれば,それはそれで新しい幸せの創出になるかも。静かでお金がかからなくて,自分のことは自分でする的な。
● というようなことは,気楽な定年退職者の戯言にすぎないのは重々承知だけれど,何とかね,現在のあり方を正当化したいという欲求が働いてしまうんでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿