● 3月31日,現役最後の日に,「しばらくユックリすることだよ。1ヶ月もすると働きたくてしょうがなくなるから。長くサラリーマンをやってしまった人は,どの組織にも属さないなんて耐えられないんだよ」とアドバイスしてくれた人がいた。
が,自分はそうはならないだろうと思っていた。働くことはあっても,働きたいから働くんじゃなくて,お金のためだよな,と。
● 実際はどうだったか。まったくならない。働きたいなんて全然思わない。
じつは,完全引退したあとも,もしウチに来てくれと誘われることがあれば,応じるつもりだった。上に述べたように,お金のためだ。やっぱりお金は欲しい。稼いでいればこそ,今までの生活があった。
毎週末,都内のホテルに泊まって,銀座や日本橋や隅田川テラスを散歩する。そういうリズムが好きだった。長く続ければ飽きるのだと思うが,まだ飽きてはいない。それも稼いでいればこそできるわけなので,声がかかれば働こう,と。
● ところが,1ヶ月経った今は,それも考えられない。お金はもう稼がなくていい。年金がある。満額が出るのはしばらく先になるけれども,多少の蓄えもあるので,何とかなる。
在宅生活だとお金はそんなに要らないのだ。3月までは毎朝,出勤途中にコンビニに寄って,その日の昼食を買った。些細なことだが,もうその出費は必要ない。通勤に使っていた車も廃車したので,ガソリン代も車検費用も税金も払う必要がなくなった。
在宅生活も悪くないのだ。都内のホテルに泊まらなくても別に困らないのだ。無理はしていない。自然にそう思っている。
● 組織に属さない寂しさなんて微塵もない。自由とはこういうことだなと思っている。自分を縛るものが何もないという快感。
もちろん,生きている以上,しがらみはゼロにはならない。また,ゼロになったのではそれに耐えられるかどうかわからない。
しがらみは人間関係という言葉に置き換えていいものだが,たちの悪い(?)しがらみがなくなったのは,副作用のない薬よりもありがたいものだ。
もの心ついてから,つまり記憶する限りでということだが,今が一番幸せだ。幸せというか平穏だ。これだけ恵まれた状態は長続きしないだろう,ひょっとして自分は早死するのか,と思ったりするほどだ。
● 正直なところ,ぼくは比較的若い頃から,定年後に照準を合わせて組立を考えていたところがある。毎日が日曜日という状態。基本的には1人という状態。それで困らないようにするには,自分がどうなっていればいいか。
友だちを増やさない。知り合いを増やさない。職場に体重を預けない。人間関係を複雑にしない。そういうことは生きるうえでの基本だと思っていた。
まぁ,考えてできることなどしれたものなので,持って生まれた性格なり偶然なりが差配したのだろうけれども,わりと上手く行ったなと思っている。
● いや,そんな大仰なものではない。ひょっとすると,コロナが追い風になっているかもしれないのだ。
今は万人が自分と同じ引きこもり状態を強制されているが,自分はそれを強制とは感じない。もともとインドア派なので,コロナがなくても主には家で過ごしていたろう。
コロナが追い風になっているかもしれないというのは,そういうことだ。
● 時代も自分に味方してくれていると思う。インターネットの普及だ。Amazonプライムビデオに助けられている。今月は77本見た。年会費の4,900円など,このひと月で元を取った。相方には「プライム番長だね」と言われている。
老後の必需品だな,Amazonプライム。というわけで,目下,Amazonプライム大学で激しくガリ勉中だ。
● 今月1日にはすでに公立図書館は休館になっていたから,引退後,図書館を利用したことはない。が,それで困ることも今のところはない。
図書館に逃げるという言い方もある。やることがなくて暇をもてあましている年寄が日向ぼっこに行くところ的な,揶揄を込めた言い方。
が,図書館も自分の味方になってくれるだろう。インドア派にとっては図書館は聖地のひとつだ。
● 図書館は本を借りるところであって,本を読む場所としては適地ではないと思っていた。が,自宅よりは適しているだろう。完全引退で家に引きこもると,いっそうそうなる。
いつから利用可能になるのかはコロナ次第だが,目の前の光景を変えるために,児童,生徒が学校に通うように,図書館に日参するのは悪いことではないと思う。
● しがらみ(人間関係)がストンと消えて喜んでいるくらいだから,新たな人間関係を構築することに対しては,はっきりネガティブだ。そんなことをしたのでは引退した意味がない。
社会との接点を保つために,地元の自治会活動に参加しろと説く年寄り啓蒙本がけっこうあるのじゃないかと思うが,とんでもないことだ。そういうものに熱心なやつにはある種の共通フレームがあって(組合活動や市民運動に熱心なやつにも通じるもの),それはぼくの感覚とは相容れないものだ。
● 人は孤が常態だ。孤であることの快感に身を任せていたい。それに飽きたら,さてどうするか。それは飽きたときに考えればいい。
おそらく,飽きることのないまま,あの世に行けると思っているけれど。
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