2020年4月16日木曜日

2020.04.16 またやってしまった

● Twitterで次のような投稿を見た。
芸術が文化として根付いていない日本の現状を,私たちの活動次第で変えられるのではないか。今後,芸術や芸術家がどうあるべきかを考えさせられました。
● ほとんど条件反射的に次のように引用リツイートしてしまった。
日本が芸術が文化として根付いていない国ならば,イタリアもフランスもオーストリアも文化不毛の国なのじゃないか。オペラやクラシック音楽だけが芸術なのではない。歌舞伎や能,狂言をここまで洗練させて今日に至っている国って,そうそうないのでは。初歩的な事実誤認があるように思われる。
● すぐに我に帰って,削除したんだけれども,どうも後味が悪いんだな。この後味の悪さっていうのは3種混合でできている。
 第1は,他人のTweetに条件反射的に絡んでしまったこと。放っておけばいいことに反応してしまうのは,思慮に欠ける。端的に言ってしまうと,バカを放っておくことができなかったことを悔いているのだ。
 この投稿者はクラシック音楽の演奏家なのだけれども,自身の立ち位置からは日本は芸術が根付いていないように見えるのだろう。

● 第2は,まさにそこ。それぞれの立ち位置は違うのだから,それを尊重しなければいけないのに,それをしなかったということ。
 人は道によって賢し。逆にいうと,その道以外ではバカであっても仕方がないのだ。
 第3は,自分を勘定に入れ忘れていること。自分もバカの一員だということを,一時的にでも失念してしまったこと。 

● そもそも,バカと言っては言いすぎなのかもしれない。若ければ世間を知らないのは当然のことだ。若さゆえの視野狭窄はあって当然だ。
 あるいは,猛スピードで走っているがゆえに視界の流れが速すぎて見落としがでることもある。総じて,若い人はスピードが速いのかもしれぬ。

● ぼくがFacebookをやめたのも,バカと関わるのが嫌になったからではなかったか(これまた,自分のバカを棚にあげての物言いなのだけど)。
 なのに,Twitterで同じことを自分から積極的にやっているとは,何としたことか。

● これは個人のTweetに対してだけのものではない。メディアの報道に対しても同様でなければならない。
 ネットは報道に対しても絡めるようにしてくれたのだが,だからといって自分の意見と異なる報道に対していちいち絡んだとて,時間のムダだ。
 一時的にスッキリ感を感じることはできるかもしれないが,そもそもパンピーの反論など誰も相手にしないだろうしね。

● さらに言い募ってしまうと,個人のTweetであれメディアの報道であれ,それに対する返信やコメントは,途中で読むのがバカバカしくなるほどの低水準のものが大半だ。返信したりコメントするのは,それそのものが愚かを現す行為なのかもしれないと思うほどだ。
 ぼくらは所詮はバカなのかもしれないけれども,わざわざ自分からバカになりに行く必要はない。心しよう。

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