● Twitterで,ワクチン接種を推奨する人(まともな人)が反ワクチン主義の人(リテラシーの低い人)を難詰しているのを見かける。
最近だと,参議院会館で彼らが集会をやったらしい。参議院会館をそういう目的のために貸出すのはどうなのか,というツイートがあった。
● 議員会館側がそれを理由に断ることなどできるわけがない。使用目的や主催者が誰かによって,許可したりしなかったりできるはずだとどうして思えるんだろうか。
集会が集会にとどまると思われれば,他と区別しないで貸出すのは当然の話だ。
● それよりも,反ワクチン主義者たちの運動に反対の声をあげることは,彼らに力を与えることになると思う。
一切とりあわないで,放っておくのが正解なのではないか。韓国に対して日本政府が採っている戦略的放置がよろしいと思う。
何もしないで,好きなようにさせておけばいい。バカにはバカの道を行かせるしかないのだ。バカにつける薬はない。古今の真理だ。
● バカに説得を試みても,効果はない。声を荒げて力で変えさせようとしても,うまく行くはずがない。
なぜなら,人は正しいものを信じるのではなく,信じたいものを信じるからだ。まず,信じたいものを選び取る。この過程は半ば以上は無意識に行っているだろう。しかる後に,それを正当化する理由を作りだす。
理由がまずあるのではない。理由はあとから作るものだ。あとから作ったものを攻撃したところで,元からあるものは微動だにしない。
人の神経細胞も,あのペンを取ろう→手を動かす,という順番で働くのではないらしい。ペンを取るために手を動かす準備を始める→脳がペンを取ろうと思う,ということのようだ。それと似たようなものかもしれない(似てないか)。
● 家族や仲間から感染者が出て死亡するのを見れば,彼らも改心するだろう。彼らを変えさせるものがあるとすれば,それしかない(じつは,もうひとつある。後述)。
で,変わったときにはワクチン万能論者になっているだろう。バリバリの左翼が極右になることは,わりとあるのではないか。極端から極端に振れるのがバカの特徴だ。中庸の美というものがない。
● もちろん,彼らによって大きな問題が引き起こされている。「この層(ハイリスク層)の一定数が打たない自由を行使してると医療への過負荷で永遠にそれ以外の層の自由が奪われる」という問題だ。永江一石さんがかねて指摘している。
しかし,バカがそれを理解して自分の行動を改めるなど,あり得ない。だからバカというのだ。
ではどうするか。幸いにして彼らは少数派だ。残りの多数派が彼らが作る弊害を最小限度に留めるための制度を作っていくだろう。
● 具体的にそれがどんなものなのか。ぼくにはわからないのだが,たぶん色々と出てくるはずだ。あるいはもう出ているのかもしれない。
建前(制度目的)と本音(運用実態)の乖離,なし崩し。そうしたやり方で,バカの害を中和する。バカをかわしていく。
● そうしている間に,ワクチンを打たないのはダサいという空気が支配的になる。そうなればバカもワクチンを打つようになるだろう(もちろん,100%ではない)。
元々,バカは確たる理由よりも空気で態度を決めているからだ。あと,目立たがりと跳ねっ返り気質もあると思うんだが,それもダサいと思われたら速やかに消えていくしかない。
● のであるから,好きなようにさせておけ。騒ぎたいやつには騒がせておけ。彼らの言うことに反応することで,彼らにエネルギーを与えるな。
彼らの相手をするのは自分の人生の一部を捨てるのと同じことだ。
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