いったんやめたくらいだから,これを興行的に成り立たせるのはかなり難しいのだろう。というか,単体で黒字にすることは最初から諦めたうえで始めたことだろう。
● すでにあるフィルムだ。新たに撮影するわけではない。古いものは著作権も切れているだろう。どうなんだろう,座席の半分も埋まってくれれば御の字なんだろうか。
どれくらいの集客があるんだろう。行ってみればわかることだけどさ。古いものは古いというだけで,お客は付かないってことはわかる。時代との間に少しだけ隙間ができる。
● それでもしつこく続けるのは上映者の良心というやつですかね。良心だけでは進めまいから,集客のノウハウもあるのかもしれないけれども,それでもこれは難しい。
公立図書館などで無料の上映会を開催しているが,ほとんど老人クラブと化しているのが実情でもある。Amazonプライムで見られるものもかなりある。
● あるいは,自分たちの士気を高める狙いもあるのかもしれない。文化や芸術に寄与する仕事をしているのだ,と。遊びの種を提供しているだけじゃないんだぞ,と。だから,誇りを持って仕事に勤しもうじゃないか,俺たちは価値ある仕事をしているんだよ,と。
つまり,この事業は社内向けだったりするのかもしれない。
● 文化や芸術がナンボのものだという見方(文化も芸術も遊びの1つに過ぎないという意見)はいつだってあると思う。ぼくの意見もそれに近い。
この2つを声高に言う人に知性を感じることは,極めて稀だろう。声高に言う人の多くは,自身がその分野で仕事をしている人だが,自分の立ち位置から社会の事象を照らして,事象のあれやこれを批判するのはバカでもできる。
● しかし,社会の側から自分の立ち位置を逆照射して,自分の位置を相対化することは,バカではできない。文化や芸術と呼ばれる分野で身過ぎ世過ぎをしている人で,このバカに呑まれないですんでいる人がどれくらいいるのか。
映画業界で仕事をしている人には,文化や芸術を意識するのではなく,娯楽を提供するのだと割り切って仕事をしてもらいたいと,ぼく一個は思っている。
● とはいえ,TOHOシネマズがこうした形で往年の名画を届けようとする試みを否定する理由はどこにもない。1mmもない。往年の名画はすべて良質な娯楽映画でもあるだろうからだ。
ただ,無理をして体力を消耗しすぎないで欲しいとは思っている。
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