2022年10月26日水曜日

2022.10.26 東京散歩 洲崎

新砂橋から
● 潮見にあるホテルに泊まっている。以前から気になっていたところに行ってみようと思う。洲崎遊郭のあった東陽1丁目だ。
 潮見から直線距離だとかなり近いのだけども,いったん明治通りに出て,コの字型に歩かなければならない。それでも大した距離ではないので,行ってみることにした。

正面の橋が東陽橋
● 新砂橋から見る汐浜運河。遊歩道に降りて,運河沿いを歩く。いやいや,今日は天気もいいし,この水辺を歩くのは気分がいい。
 東陽橋から一般道に戻ってさらに歩き,かつて洲崎遊郭に。

● 洲崎川は埋め立てられて緑道公園になっている。昼時だった。弁当をつかったり煙草を飲んでる勤め人がいた(と,池波正太郎ふうに書いてみる)。
 西洲崎橋から洲崎を眺めてみる。今はこの川が木場と洲崎(川の左側)の境界になっている。
 洲崎遊郭は空襲で焼け野原になり,戦後は “洲崎パラダイス” と呼ばれた赤線地帯になるのだが,規模は縮小されたらしい。写真に移っているエリアは戦後は住宅地だった。

西洲崎橋から
● 
ここが洲崎遊郭だったところかという感慨(?)には浸れない。現在の東陽1丁目に遊郭の遺構は残っていないからだ。
 こじつけようとすればこじつけられるものがなくはないが,こじつけても仕方がない。
 というより,そうだと知ったうえで歩いているからこじつけのカケラ程度は見えてくるのだが,予備知識なしで歩いたら何も感じないで通り過ぎるだろう。
 ここが遊郭だったのは明治21年から昭和33年までの70年。短い期間ではないが,それがこの土地のDNAになったわけではない。

緑道公園
● 遊郭の跡地と聞くと行ってみたくなるのだが,遊郭などない方がいいに決まっている。現在でも風俗街という遊郭はあって,将来もなくなることはないと思うのだが。
 昔の遊郭は永井荷風や吉行淳之介といった作家を作ったが,今の風俗街にはそこまでの “妊み” は感じられない。時代が求めていないのだろう。

洲崎神社
● 洲崎神社は木場にある。桂昌院が建立したらしい。
 八百屋の娘から将軍の実母になったのは「出世」なのか。随分とつまらん出世だと思う。玉の輿などに乗ったところで,いいことは何もあるまい。わざわざ人生を辛くするだけだ。そんなものに乗るのは,少なくとも賢さからは遠い。

● こうして歩いてみると,東京は江東区と墨田区が面白いですな。隅田川の東。
 ここからは,古石場文化センターが近い。小津安二郎の展示を再見するかとも思ったのだが,メトロ東西線の木場駅から表向きの東京(?)に出ることにした。日本橋→銀座→丸の内 と経巡ってみよう。
 平日の昼間でも東西線は混んでましたよ。いつもこんなものなんですか?

東京メトロ木場駅ホーム
● 洲崎についてはウィキペディアの他に,カベルナリア吉田「東京色街探訪」がネットで読める。洲崎の昔と今,さらには参考文献まで紹介されている。

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