潮見から直線距離だとかなり近いのだけども,いったん明治通りに出て,コの字型に歩かなければならない。それでも大した距離ではないので,行ってみることにした。
東陽橋から一般道に戻ってさらに歩き,かつて洲崎遊郭に。
西洲崎橋から洲崎を眺めてみる。今はこの川が木場と洲崎(川の左側)の境界になっている。
洲崎遊郭は空襲で焼け野原になり,戦後は “洲崎パラダイス” と呼ばれた赤線地帯になるのだが,規模は縮小されたらしい。写真に移っているエリアは戦後は住宅地だった。
こじつけようとすればこじつけられるものがなくはないが,こじつけても仕方がない。
というより,そうだと知ったうえで歩いているからこじつけのカケラ程度は見えてくるのだが,予備知識なしで歩いたら何も感じないで通り過ぎるだろう。
ここが遊郭だったのは明治21年から昭和33年までの70年。短い期間ではないが,それがこの土地のDNAになったわけではない。
昔の遊郭は永井荷風や吉行淳之介といった作家を作ったが,今の風俗街にはそこまでの “妊み” は感じられない。時代が求めていないのだろう。
八百屋の娘から将軍の実母になったのは「出世」なのか。随分とつまらん出世だと思う。玉の輿などに乗ったところで,いいことは何もあるまい。わざわざ人生を辛くするだけだ。そんなものに乗るのは,少なくとも賢さからは遠い。
ここからは,古石場文化センターが近い。小津安二郎の展示を再見するかとも思ったのだが,メトロ東西線の木場駅から表向きの東京(?)に出ることにした。日本橋→銀座→丸の内 と経巡ってみよう。
平日の昼間でも東西線は混んでましたよ。いつもこんなものなんですか?
東京メトロ木場駅ホーム |
0 件のコメント:
コメントを投稿