● すでに定年退職を迎えたかこれから迎えようとしている爺諸君。定年後はどうするつもりかね。再雇用で働き続けるつもりですか。それともサッサと足を洗いたいと思っていますか。
● じつは,かく申すぼくも一兵卒としての再雇用で3年目を迎えるんですよ。年金が満額支給になる65歳までは希望すれば再雇用が継続する。
が,3年やって来年はどうしようかなぁと思ってまして。
● 周囲を見回すと,3年くらいでやめる人がけっこう多いようなんですよね。中には65歳までやってさらに再就職先を探して70歳まで仕事を続けている人も,ぼくの知り合いの中にいる。
彼は50歳を過ぎてから子供ができたので,まだまだ稼がなければいけないという事情もあると思うんですけどね。
● 自分はそういうことがないので,わりと自由はきく。で,どうしようかなぁと思っているわけですよ。
人生百年時代を迎えて,最も大事なことは寿命と健康寿命の差を短くすることだと言われる。いつまでも健康でいるためにはどうすればいいか。一番いいのは働くことらしいね。おそらくそのとおりだと,ぼくも思うんですよ。
社会とのつながりを保っていた方がいいという意見もあって,そのためにも仕事を継続するのが最もいい,と。これまた,そのとおりだと思う。
● 一方で,60歳から75歳までの15年間は“黄金の15年”だとも言われる。後期高齢期に入ると何が起こるかわからない。そこは想定外になる。
が,75歳まではだいたい元気で,体も(若者のようなわけにはいかないけれども)動く。その黄金の15年をむざむざ仕事に費やしていいのか。そういうことですよね。
● この狭間で揺れるわけね。ビシッと自分で決められない。黄金の15年でやりたいことがあれば格別,それがない場合は特にそうだ。
やりたいことがないというのは,この時代,不幸になる第一要因かもしれない。
● 自分の場合は読む,見る,聴く,の受け身の趣味はあるけれども,それは正直,今までだってそれなりにやってきている。
毎日が日曜日になれば,その量を増やすことができるのは確実だと思うんだけど,さてその限界効用はどれほどだろうか。
● そのあたりのことで決めかねているわけだけども,決められないのはどっちでもいいからなんだとも思うんですよ。どっちでもいいのでなければ,迷わず選べるはずだから。
気分としては辞めたいんだよね,もう。仕事に燃え尽きたというわけではない。仕事に燃えたことなど一度もないから,燃え尽きることもない。
飽きた。疲れた。そういうことだと思っている。飽きてしまった人間が,職場に居座るのは,たとえそつなく仕事をこなしていたとしても,職場にとっては迷惑だろうしね。
● 経済的なこともある。厚生年金が満額でるのは,65歳の誕生日を過ぎてから。まだ年金の請求手続きはしてないんだけど,13万円程度かな,今もらえるのは。そこから少額といえども税金が引かれる。国保税もね。
金融庁の報告書じゃないけれども,それで無職の老夫婦が暮らしていけるのかという話ね。自分より10歳若い奥さんも一緒に勤務先を退職する意向なので。が,多少の蓄えもあるわけで,ソフトランディングはできるだろう。
● 問題は経済ではなくて,完全引退したあとに,さてやりたいことがあるのかということだ。
じつは,現役世代もそうなのではないか。特にやりたいこともないからサラリーマンを続けているっていう人もけっこう多いんじゃないのかね。とにかく仕事をしていれば時間を埋めることができる。仕事に代わる時間を埋める術がないという。
日本人は勤勉と言われるけれども,消極的勤勉の人が多いかもしれない。消極的勤勉だと,どうしたって受け身になるわね。
● ともあれ。そこが定年後は先鋭に出てくる感じはある。と,ウジウジと書いているのだが,方向性としては来年3月限りで完全引退するつもり。
受け身の趣味しかないと外に出なくなるかもしれず,それだけは避けなければと思っている。
● ついでに申せば,民生委員だとか自治会の役員だとかを頼まれるかもしれない。そういうものは断々固として断る。
地域との接点などというものはこれまでもなかったし,今後持ちたいとも思わない。地域の役に立ちたいとか,世間にもの申したいとか,そういう発想はない。
● 要するに,何て言うんだろ,仕事は完全引退するけれども,人生を引退するわけじゃない。人生に関しては死ぬまで現役でいたい。自治会の役員なんて退役軍人がやればいい。そもそも自治会なんてなくてもいいものだし。
それゆえ,人生について生涯現役でいるための具体的方策いかん,ということが問題のすべてだ。“やりたいことがないのは不幸になる第一要因”というのはそういうことだ。
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