● 社会人対象のカルチャーセンター大学版ではなく,学生と一緒に講義を聴く。単位は取れないが,そんなもの取っても仕方がないので,そこは無問題。費用もかなり安い。
最近は大学もこういうことを始めたのか。宇大がやるくらいなんだから,他の大学もやっているんだろう。
いや, 聴講生というのは昔からいたね。聴講生制度の拡張版であるわけか。
● “大学=キャンパス=青春”というノスタルジックなものが,中高年に対してはわりと吸引力を発揮するのかもしれない。あの頃が自分の人生の華だったと思っている人はわりと多そうだし。
ま,“若い学生と一緒”というところにどれだけ意味を与えるかといったあたりかね。
● が,“勉強する→大学に通う”という発想はもはや時代遅れではないか。勉強するなら独学がよろしいかと思う。インターネットによって独学環境は格段に整った。大勢と一緒に同じ講義を聴くというやり方は,ムダが多すぎる。
ひとりだと続かない,時間割に縛られないと勉強できない,というのであれば,それはそもそも勉強する必要のないことなんだと思うね。
● っていうか,いい年こいて勉強なんかしてるようではダメだとも思うんだよね。少なくとも,若い学生がやっているような勉強を,彼らがやっているようなやり方でやるのは,何だか少し違うような気がする。
ぼくも30代の半ばの5年間は放送大学の学生だった。けっこう楽しかったから,別に後悔はしていないんだけど,今,同じことをやるかと言われたら,断然,ノーだ。
● 学生的な学びが本当に楽しければ,それを続ければいいのだけれども,生涯学習というのを頭から尻尾まで是とするわけにはいかない。
座学って楽だ。教室で誰かから何かを教えてもらうって,ほんと楽。しかも,それである種のエリート意識も味わえる。自分はほかの人よりも有意義な時間の使い方をしていると思うことができる。
世間が学を良しとしているからだ。世間が良しとするものに寄りかかれるのは,これまた楽だ。
● でもさ,残り少ない人生をそういうことに費やしてしまっていいのか。学より遊の方が大事じゃなかろうか。遊ができないから学に逃げていないか。そこは点検する必要がありはすまいか。学も遊のうちだよというのはためにする理屈だ。
ぼくら年寄りは遊ぶべきじゃないかねぇ。好きなことを,思いっきりとは言わないまでも,できる範囲でやってみるべきじゃないか。
● 年を取るとこんなに楽しいんだよと,若い人たちに見せつけてやるべきじゃないか。そこにフリや見栄がわずかでも混入すると,若いはたちどころに見抜くから,天然自然に自分が楽しいと思うことをやっているのでなければいけない。
したがって,モノサシは外にはない。自分の中にある。人がどう受けとめるかは関係ない。外にあるモノサシに自分を合わせてはダメだと思う。
● 言うまでもないけれど,世間にもの申すとか,社会に貢献したいという発想は,学より悪い。そこにだけは行ってはいけないと思っている。
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