2019年5月29日水曜日

2019.05.29 パソコンとスマホは生活インフラの第一

● お金がなくても困らなくなった(いや,文字どおりに1円もないと,米も買えないし,電気料も払えないわけだが)。つまり,お金の価値が下がってきたということだ。
 お金の価値が下がるとどうなるかといえば,人がお金では動かなくなる。お金のために心ならずもということがなくなる。
 女性にとって結婚が永久就職だった時代があった。その時代は,夫婦の性交も売春の範疇にあったと思う。対価の授受が1回ごとではないというだけの話。
 しかし,“男女雇用機会均等”が進行した結果,その状況は様変わりした。そこに,お金の価値が下落するとあっては,基本,男より女の方が優位に立つのが道理だ。一個の生物体として見た場合は,男より女の方が強いからだ。その強さがそのまま現れる。

● インフレとデフレ。インフレはお金の価値が下がることで,デフレはお金の価値が上がることだと,単純に思っていた。
 現時点ではインフレは過去のものになった感がある。ならば,モノは持たずにカネを持っていた方がよい。より価値のあるものを持っていた方がいいというのは,合理的な選択だ。
 しかし,どうも,そういうことではなくなったようだ。お金は命の次に大切なものとされた時代は過去になりつつあるように思える。

● 日本は貯蓄率の高い国だったが,これもすでに昔のことになっている。経済格差が広がって貯金などしたくてもできない層が増えたからだ,貧困化によるものだ,という声ばかりが聞こえるが,それだけでもないのではないか。
 お金を貯めたら負けだと考える人たちが増えてきたようにも思う。使うためにあるものを貯めてどうするのか,と。

● セーフティネットという言葉もかつてほど深刻味を持たなくなったように思われる。お金の価値が下がれば,お金がない状態の深刻さもかつてほどではなくなる。
 といって,お金の価値がゼロになることはないだろうから,セーフティネットが要らないというわけではない。同時に,価値が小さくなれば,国が国民にお金を配ることにも抵抗が少なくなるだろう。ほぼ確実にベーシックインカムが導入されるとぼくは思っているが,そう考える理由のひとつはそこにある。

● お金に価値がなくなった後,では何に価値が宿るのか。当然,モノではない。モノなどお金以上に余っている。
 不動産でもない。不動産それ自体は何も生まない。使われて初めて意味がある。人口が減る時代なのだから,不動産が使われる機会も減る。不動産に価値はない。

● たぶん,広い意味での享楽ではないかと思う。自分が本当にやりたいことをやること,と言い換えてもいい。横並び発想もだいぶ影を潜めるのではないかと思っているのだが,さてどうなるか。
 したがって,これからの時代を生きていくのに一番困るのは,やりたいことなんて特にないという人たちだろう。

● そうなった前提にインターネットがある。インターネットのおかげでお金をかけずにいろんなことができるようになった。パソコンとスマホは生活インフラの第一。何はなくともスマートフォン。
 スマホは強い人にとっても弱い人にとっても,救いの神だ。強者にとっては,さらに生産性を上げるため,あるいは営業用のツールとして絶大な効果を発揮するだろうし,弱者にとっては息たえだえの状態でも気を紛らわせることのできる娯楽ツールとして。
 ちなみに,ぼくはパソコンに3万円以上を出す気はない。メーカーは相変わらず半年ごとに新製品を出すけれども,昔と違って最新型を追いかける必要はない。型落ちマシンを中古で買えば充分だ。スマホも最新型を追いかけて2年で買い換える時期は過ぎたと思う。

● インターネットと無縁でいる人は,お金の呪縛からなかなか解放されないだろう。依然としてお金第一であり続けるだろう(もちろん,そうじゃない凄い人は昔から存在したけれど,ここではパンピーの話をしている)。
 この一点だけでも中高年には厳しい時代になるのではないか。退職金も支給された,年金も破綻前に受け取れることになった,個人金融資産の8割を押さえている,といっても,単純に喜んでいていいのかどうか。
 生活インフラとしてパソコンとスマホを自家薬籠中のものにする努力をした方がよいと思うが,それをしないまま60歳になり70歳になってしまったのだとすると,もはや手遅れかもしれない。

● が,今の中高年の多くは会社でパソコンを使って仕事をしていたろうから,インターネットにも馴染んでいる。そういう人たちが考えるべきは,お金を貯めないで使うことだろう。流れを止めないで,次の人に回していくこと。
 お金の価値はどんどん下がっていくのだから,お金がない状態を必要以上に怖れないこと。医療費の心配をしすぎないことだな。

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