● Twitterでも経済格差云々がけっこう話題になっているようで,「経済格差が開くほどに「美」すらも特権階級のみが愛でられる特別なシロモノになってる」というTweetに接した。
これを読んで,故長谷川慶太郎さんがアメリカについて語っていたことを思いだした。経済格差が隔絶すると,同じ英語を話しているのに,その英語が通じなくなる,と。
そうなのかと思った。経済格差が大きく開いてしまうと,言語も橋を架けることができなくなるのか。
● そのときは,アメリカでは起きても,日本で起きる現象ではないと思った。狭い日本で日本人同士が日本語で意思疎通ができなくなるとは思いもしなかった。
しかし,それを笑い話ですますわけにはいかない状況になってきてるんだろうか。資本主義は格差を内蔵する。格差のない自由社会なんてあるわけもない。
● しかし,階層が固定してしまうのは辛い。努力すれば上に行けるという,いわば成り上がることが保障されていない社会は活力を産まない。
大学の無償化は余計なことだと思っているけれども,成り上がるルートを塞いでしまってはいけない。今の日本はそういう社会になってしまったんだろうか。
● 実際のところ,図書館は無料で利用できるんだし,ネットは貧者の救世主になり得ると思えるのだが,そもそもが成り上がろうというモチベーションを持ちにくい社会になっているんだろうか。
貧者は貧者で,成り上がるなんてダッセーとか思っているんだろうか。あるいは,成り上がるなんて無理だと思わせるくらいに,すでに格差拡大が進行してしまっているんだろうか。
● ぼくらはそれぞれ,自分の狭い世界で呼吸をしているから,そこからそれた世界は視野に入りづらい。ただねぇ,まだそこまで行っていないような気がするんだけどねぇ。
いずれは,ベーシックインカムが導入される。それをぼくは必然だと思っている。だから,飢えて死ぬことはない。
● 経済格差というときに,上が優で下が劣かどうかはわからない。上を目指すばかりが能ではない,という気が今はしている。遣えるお金で月100万円あるのと生活保護を受けているのと,神様の目から見たらチョボチョボかもしれないとよく思う。
努力はしないよりした方がいいのだろうし,志もないよりあった方がいいのだろうが,それは結果を保証するものではない。
● 成り上がることを目指さない自由はある。そこは徹底的な自由がある。
しかし,成り上がりたい人は,実力(と運)があれば成り上がれるルートはなければいけない。自由社会の前提にそれがなければいけない。
● この経済格差がモテ格差につながると論調がある。冒頭に紹介したTweetもその流れだ。
若い人の関心事の8割は異性のことかもしれない。自分が若かったときのことを思いだすと,おそらくそうではないかと思う。
それが自分には関係のない格差によって最初からスタートラインが違ってくる。大昔からそうだった。世の中は理不尽なものだ。
が,経済の格差があまり大手を振って闊歩するのは,どうにも面白くない。
● 自分で自分を喰わせることができるようになれば,いかようにも勝負のしようはあるだろうが(勝負しなければいけないということはない),とりあえずは,モテないからといって自分はダメ人間だと思うことのくれぐれもないように,若い人には申しあげたい。
いつだって逆転の芽はあるものだ。若いときから妙に女あしらいが巧いヤツは,たいていロクなものにならないとしたものだ。
● あと,若くいられるのはしごく短いんだよということ。いつまでも若いわけではないのだ。女性はオバサンと呼ばれて過ごす時期が一番長い。次に長いのはオバアサンだ。男もまた同じ。恋愛の比重はこの先,下がっていく。
外見で勝負できる期間は短いものだということでもある。10代や20代の男性は,笑ってしまうほど(女性の)ルックスに弱いものだが,これも30代からは変わってくる。
● 世の中は不公平なものだし,順風満帆の人生などあり得ない。必ず「まさか」という坂がある。ぼくの場合は,還暦手前に一番大きな「まさか」があった。自分の人生を全否定するしかない状態に陥った。主観的にはそうだった。そして,人生は主観がすべてなのだ。
それでも,へらへらと笑いながら生きられるのがまた人間というものでもある。「まさか」で転んでも,さらにその先がある。
● 人の人生は結局は「運」次第かもしれないが,可能ならば,斜め上くらいを目指してほしい。斜に構えるのは楽だし,ニヒルで格好良く思えるかもしれないが(インテリやくざっぽいし),その罠に嵌まらないでほしい。ぼくは若い頃にたっぷり嵌まっていたんだけど。
そしてスパンを長く捉えて短気を起こさないでほしい。たとえ下層であったとしても,それを親のせいにしてヤケを起こしたら,そこで終わってしまう。
● 自分は一個の小宇宙であって,伸縮するものだと思ってほしい。可塑性があるのだ。“今”は永続しないのだ。一寸先は闇かもしれないが,光かもしれないのだ。それは誰にもわからない。
格差の上にいても下にいても,それは同じなのだ。格差が強固な構造物に見えるのは,おそらくは錯覚なのだ。つけいる隙はけっこうあるのだと思う。
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