● 川崎に移動。鎌倉を発って川崎駅に降り立った瞬間,帰ってきたという気分になった。ぼくの家は栃木の在で,川崎じゃないんだけども。
雑多感が心地いい。自分がここにいてもいいんだと思わせてくれる。身体が寛ぎだすのがわかるというか。
● 鎌倉人はわりと気位が高いかな。神奈川県民の間でも,鎌倉のヤツらは,ってのがあるんだろうな,たぶん。
で,その場合の鎌倉人には大船人は含まれないのだとも思う。昔から鎌倉と呼ばれたところの住民のみで,おまえらは鎌倉人じゃねーよ,気にすんなよ,ということになっているだろう。
● ぼくは京都をほぼ知らないので,まったくの想像でしかないのだが,京都市の中京区,上京区,下京区は,近隣住民から同じように見られているのではないか。同様に,京都市は近隣の市町民からそのように見られており,京都府は他県民からそのように見られがちだろう。
ということは,そういう固定観念が昔から存在していて,見る側がその固定観念に絡められて,勝手に転んでいるという見方もできるかもしれない。ぼくが鎌倉に感じた印象も同じかもしれないな。
川崎駅東口。ストリート演奏家が何組か出ているのだが,客を呼べているバンドがあった。トランペットをしばらく聴いたが,なるほど巧いのだった。
生身の男じゃないんだけど,こういう意匠も雑多感に溶け込んでいて,なかなかいいなと思ってしまうのだ。
● ホテルもメトロポリタン鎌倉からメトロポリタン川崎に平行移動。
同じメトロポリタンでもだいぶ様子が違う。鎌倉にはとりすました感じがある。干渉しないで放っておく,という感じに近い。あるいは,ちょっと違うのだが,慇懃無礼。
鎌倉に合う演出をすると,とりすまし感は避けがたいのだろう。川崎の方はフレンドリー。
どちらが好ましいか。受けとめる人の好みによるとしか言いようがない。
● “とりすまし感” は,いわゆるラグジュアリーホテルにはわりと普通にあるもののような気がする。常連客になるとこの “とりすまし感” は消失するのであろうから,大袈裟に言うと宿泊客に階層を作る契機になっているかもしれない。
そもそも,高級感の中には “とりすまし感” が含まれることが多い。仏像でいうと,地蔵は親しみやすいが,観音はやや近づきがたい。高級なのは観音の方だ。
● メトロポリタン鎌倉はラグジュアリーに分類されるホテルではないが,鎌倉を背負っている。
“とりすまし感” を纏った方が,ホテル側としては無難なのだろうと思う。それを好む宿泊客が多いのでもあるだろう。
● では,お前はどうなのか。鎌倉は今回が初の1泊目なのに対して,川崎には何度か泊まっているので,こっちが基準になってしまっているところがあってね。
が,フレンドリーな方に希少性があるのは確かで,その分,川崎の方がいいかなと今は思っている。
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