2022年6月10日金曜日

2022.06.10 開高健記念館

● 宿泊している川崎から茅ヶ崎にやって来た。川崎からJRで770円。充分に遠い。
 何をしに来たのかといえば開高健記念館に行くためだ。駅から約1.5kmを歩いて到着。

● 終の住処を記念館にして公開している。瀟洒な家だなというのが第一印象。豪邸ではないけれども,お金持ちの邸宅という感じもしなくはない。
 金土日のみの開館。やはり旧開口邸を公開している「開高健記念文庫」が杉並にある。そちらは事前予約が必要であるらしいのだが,「記念館」はその必要はない。

● 20代の頃,彼の作品は小説,エッセイ,対談,ルポルタージュなど,全て読んでいるはずだが,唯一「ベトナム戦記」だけは最後まで読めていない。
 そのベトナム取材をともにした秋元啓一カメラマンとのやり取りの記録が展示されている。ただ,ここにあるものの多くは書籍化されていると思う。写真も含めてほとんどのものに既視感がある。

● 自筆原稿ももちろんあるのだが,出版物になっている書籍も並んでいる。若い頃の自分に会うような懐かしさがある。
 自分が持っていた開高作品はすべて実家に運び込んだのだが,実家の中で行方不明になっている。探してみたのだけども,見つからなかった。
 残念感はじつはあまりない。主だったものは図書館で読めるだろうし,Amazonでだいぶ手当はできると思うからだ。

● 『生物としての静物』に「書斎のダンヒル」「戦場のジッポ」と題して,ダンヒルとジッポのライターが紹介されているのだが,その現物を見ることができる。夫人が贈ったパイプも並んでいる。
 百円ライターですますようなことはしなかったのだ。が,実用を超えた数がある。コレクション癖があったのだろうか。昨今流行っているやに見える,ミニマリストではなかったようだ。

● こうした記念館ではすべてそうなのだが,白眉は仕事部屋。作家の場合は書斎と呼ばれるが,開高さんちの書斎は,家屋内家屋の趣がある。離れに近い。家族の侵入を拒否している。書斎から直接,外出もできる。
 安くはなかったであろうオーディオ機器も置かれている。書斎で音楽を聴くこともあったのだろう。
 ここに垂れ込めて文章を捻りだしていたのかと思うと,少し立ち去り難い思いがした。

● 作家は58歳で永眠している。夏目漱石は49歳で亡くなっているのだから,早すぎた死というのは当たらないかもしれないのだけれども,ぼくはそれより長く生きている。
 長く生きればいいというものではないことはたしかだ。

● 作家が亡くなったあと,ひとり娘の道子さんも事故死(おそらく自殺)。最後に残った夫人は,この茅ヶ崎の自宅で,死後数日して死んでいることが発見された。
 「記念館」も「記念文庫」も夫人の実妹が寄贈したものだ。相続したくはなかったろう。そのおかげで記念館が誕生して,作家の創作の現場が残ることになったのではある。

● 明日,世界が滅びるとしても 今日,あなたはリンゴの木を植える

 作家が遺した短い箴言がいくつもあるのだが,上記は「悠々として急げ」とともによく知られたものだろう。はるかに先の話だけれども,世界は確実に滅ぶ(地球の寿命の5分の4は過ぎたらしい)。そのときに地球に居合わせた人たちは,どうするのだろう。

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