2022年6月8日水曜日

2022.06.08 川崎宿を歩く

● 1年前に「東海道かわさき宿交流館」を覗いてみた。川崎では旧東海道が第一京浜に吸収されておらず,旧東海道として残っていることを知った。川崎宿は端から端まですぐに歩ける。その日のうちに歩いてみた。
 その先も飛々に歩いて,結局,日本橋から神奈川宿の外れまでは歩くことになった(品川宿はそれより先に歩いていたのだが)。

● その「かわさき宿交流館」に二度目の訪問。佐藤惣之助の事績が展示されていたので。
 佐藤惣之助なる御仁は,川崎宿で本陣を任されていた名家の出。詩人であり作詞家。
 阪神タイガースの歌(六甲おろし)の作詞も彼の仕事。山本彩が歌っているのを You Tube で聴ける。

● しかし,まぁ,そういう人が川崎から出ましたよ,というだけのことではある。展示もさほどに興味を惹くものではなかったというのが正直なところ。
 川崎出身の有名人といえばこの人(左の写真)だが,もちろん他にもいる。成海璃子も生まれは横浜だけれども,育ちは川崎。生まれよりも育ちが大事でしょ。

● ついでに,もう一度,川崎の旧東海度を歩いてみることにした。
 まずは六郷川(多摩川)。東海道の「六郷の渡し」があったところ。越すに越されぬ六郷川,とは言われなかったのかね。
 海はすぐそこ。流れは目視では確認できない。太公望が何人か釣糸を垂れていた。

● 江戸から京に向かう場合は,川崎宿はここから始まる。六郷川を渡って川崎宿に着くと,万年屋という旅籠があった。「米に栗,大豆,小豆,アワなどを入れ,お茶で炊いた炊き込みご飯」を供した。奈良茶飯と称される。
 宿泊中のホテルの朝食でも供されるのだが,現代の奈良茶飯はもち米を使ったおこわになっている。栗も甘露煮になっているので,江戸時代の奈良茶飯とは別物なのだが,当時の奈良茶飯も旅人にはご馳走であったろう。

● 旧東海道からこういう風景も臨める。すぐそこが風俗街だ。堀之内と呼ばれるソープ街がここなのだろう。規模は東京の吉原に次いで関東で2位。
 川崎はコンパクトで高密度だから,表と勝手口の距離が短い。いや,この短さは川崎に限らない。都市とはそういうものだ。いい悪いの問題ではなく,そういうものだ。
 川崎のこの辺の空気感は東京都台東区日本堤のそれに近い。多摩川に至ってしまえばスコンと抜けるのだが,このあたりを歩いていると,モヤモヤっとした感じがする。

● 親切にこういう地図が道路に出ている。問題は,方向が逆であること。こっち側じゃくて向こう側に掲げるものだ。市役所か観光協会かは知らないけれど

 あ,これじゃ方向が逆ですな。
 まぁ,いいんじゃないですか。何もないよりいいでしょ
 そうですなぁ

 いやいや,これならない方がいいと思うぞ。
 待てよ。元々は向こう側にあったのを,やむを得ない事情でこちら側に移設したのかもしれないね。いや,きっとそうだよ。そうに違いない。







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