● 7日には蒲田に行く用事があった。蒲田駅西口に東京工科大学(デザイン学部と医療保健学部)がある。閑散としてた。何か外部のイベントが入っていたようだけど。
学生がたむろできるような広場がない。都会の新興大学にはありがちなことだ。そんなものは要らないのかもしれないんだけど。
● この場所にグラウンドや中庭や広場的な何もない空間を確保するのは,かなりの贅沢というか,ほぼ不可能だろう。
あるいは,建物の中に,広場的な空間があるんだろうか。
● 駅からここまでは,カオスに満ちた飲食店街がある。蒲田だもんね。学生はここを歩いて大学に通っているんだろうか。毎日のこととなれば,あたりまえの光景になるんでしょうね。
えぇっと思うのは,田舎者の反応なのだろう。閑静な場所に広い敷地を確保して,低層(せいぜい4階建て)の建物がまばらにあって,緑が多く,そこを学生たちが歓談しながら歩いている。あるいは芝生に腰をおろしてくつろいでいる,という大学のイメージ。時代がかっていますかね。
● 8日には新宿駅からオペラシティまで甲州街道を歩いた。その途中に文化学園がある。甲州街道沿いにあって,これまたビルだけで空き地がない。これでキャンパスといえるのか。
いえるんだよね。新宿の街がキャンパスなんでしょう。大学の敷地内に学生を囲い込んでおく必要なんてない。大学が地域に貢献するには,学生を地域に開放すること。
● 「栄華の巷 低く見て」という,選民思想というか超然主義的な発想は,大学生が文字通りのエリートだった大昔の話だ。であっても,この発想は鼻持ちならない。
大学生など大衆の一人にすぎなくなった今では,「栄華の巷」に大学も浮かんでいるという構図に不自然さは感じない。というか,「栄華の巷」以外に常人が生きる場所などない。
● であっても,大学のある場として,新宿はかなり強烈だ。文化学園と新宿の街の間に緩衝帯は何もない。ここでも田舎者はうぅんと思ってしまう。
しかし,今を生きる若者たちには,そんな緩衝帯など必要ないんだろうな。むしろ,緩衝帯など邪魔なんだろう。
● 知というものは,研究室に籠もる人からじゃなくて,「栄華の巷」と教室の間をシームレスに往来する人たちから生まれてくるのかもしれないなぁ,と思ったことだった。
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