● 今朝もホテル内の「四川」で朝食。すっかり和食党。今日はカットフルーツは食べず。ジュースがフレッシュだったからで,だったらジュースでいっか。
朝からカレーもあるので,以前は,ご飯と味噌汁のあとにカレーも食べたりしたもんだけど,さすがにそれは卒業。
● ホテルの庭園。今年は紅葉が遅かったんだろうか。まだ紅がかなり残っている。
ところで。庭園の小径を“哲学の道”と名づけることにした。歩きながら深淵なことを考えるからだ。今日の昼飯は何を喰おうかなとか,今日は帰らなくちゃいけないのか,帰省ラッシュとかち合ったらめんどくせーなーとか。頭が痛くなるほど考えるのだ。
● この3日間,毎日サウナを使わせてもらった。相方は部屋の風呂にゆっくり浸かるのを好む。男の人ってサウナ好きが多いよね,性差? と言う。
たしかに女性はじんわりするのを好む印象。砂風呂とか岩盤浴とか。男性はサウナのような短期決戦タイプに走る。何でかね。
● あと,あれだね。脱衣場で洋服を着脱するときに寒くないのがいい。わが家では脱衣場に暖房が入っていないので。
ともあれ。浴槽が大きければ,温泉じやなくてもいいなと思う,今日この頃。ジャグジーの必要もないと思っている。
● サウナの後,休憩室で爽健美茶で水分を補給して,備え付けの週刊誌を読んでボーッとするのが,超贅沢。
ロビーで人を見てるのもいいんだけど,今回はサウナの休憩室で過ごす時間の方が長かった。
● シェラトン都でも,各部屋にスマホを配備して,ご自由にお使いくださいというサービスをしていたのだけど,これは廃止された。需要がないのだろう。自分のじゃないスマホなんか使いづらくて,したがって使う気にならない。
ロビーにはインターネットにつながったパソコンも何台か置かれている(Link@Sheraton)。これも使っている人はあまり見かけない。時々,所在なさげにいじっている人がいるけれど。これもやめてしまっていいのではないか。もし継続するなら,キーボードを何とかしてほしい。けっこうガタが来ている。
● そうして,今回,最後のラウンジ。ア
フタヌーンティーと言えればいいのだが,炭水化物の大量摂取に走ってしまうオレ。上海焼きそばが旨かったんですよねぇ。
● チェックアウト。去年は
30日までは安いプランがあったので,大晦日の昼までいられたんだけど,今年は今日(29日)から高くなってしまう。オリンピックの影響とかではないと思うんだけどねぇ。
● 恵比寿に行くと,このフリーペーパーをもらってきて読むのも,楽しみのひとつ。57号の表紙は富永愛。懐かしい。
特集も彼女のインタビュー記事。彼女の発言をいくつかピックアップしておこう(いずれもP7)。
あの頃の自分を愛おしいと思うし,あんな子がいたらおもしろがると思う。あの頃の私を,まわりの大人たちがおもしろがってくれたように。
『負けたくない』という感情はまだ私の中にあって,それが原動力になっている。
根本的にモデルの何が好きかというと,自分を好きな自分を楽しめるからだと思う。自分を好きじゃないと,たぶんあんな顔をして歩けないと思うから。
『こういうスタイルがモデルだ』という大前提があった時代とは違う。だからこそ私は私のスタイルで,モデルとはなんなのか追求していきたい。
● 次が巻頭の特集記事にちなむ書籍の紹介。「フカボリ! 恵比寿」というタイトルの恵比寿の街を紹介する連載。
「恵比寿おとなレストラン」と題する,恵比寿のレストランの紹介が続く。「恵比寿シネマ案内」も。他に,コラム的なエッセイがいくつか載っている。
● それぞれにプロのカメラマンが撮った見応えのある写真が添えられる。あるいは,写真が主役かもしれない。
紙質も良くて,こんなに格調高いフリーパーパーのタウン誌は,ぼくが知る限り,他に存在しない。フリーペーパーにありがちなセコサがまったくない。
発行はサッポロ不動産開発株式会社。潤沢な資金があるんだろうな。
● で,この「YEBIS STYLE」のたたずまいが,恵比寿が標榜する街のイメージを形にしたものなのだろう。ハイソで知的な大人の街というね。
光があれば影も絶対にあるはずなのだが,その影はとりあえずないことにしておく。少なくとも,恵比寿ガーデンプレイスにはないことになっているはずだろう。
● というわけで,あまり眠れなかったのだ。ただ,ぼくはロングスリーパーで,最低7時間。6時間だと“あまり寝てない”になる。
● 今日から大寒波が来てしばらく居座るらしい。申しわけない。セーター姿でスマホを叩いている。快適避寒ライフ。ライフといっても,明日限りなんだが。
ホテル内の「四川」で朝食。カットフルーツとトマトをたらふく喰ってやった。あと,ご飯大盛りね。
育ちの悪さが露呈する。満腹するまで食べてしまう。いやいや,満腹を過ぎても食べてしまう。満々腹になるまで食べる癖がいまだに続いている。
● その「四川」,空いている。今日あたり混んでいるはずはない。役所も今日が仕事納めだ。
● このホテルから最も近いところにある名所は泉岳寺だと思う。けれども,すでに2回行っている。高野山別院にも行った。あそこは一度行けばいいかなぁと思っている。
ので今日は,そっち方面じゃなくてこっち方面,白金から広尾,代官山を歩いてみることにした。相方は銀座に行ってみるという。
● というわけで,歩いてきた。ホテルに戻ったのは15時半の頃。行ってみたいところには行ったという満足感がある。
これだけ歩くと足がしびれている。朝食は大食いしたけれど,昼は抜きで歩いたので,腹ペコでもある。相方はすでに戻っていた。浅草まで行ってきたらしい。
昨日と同じく,LINEで連絡を取り合って,ホテルのラウンジで落ち合った。水分と糖分を補給。
● その後はサウナ。今日は例のジイさんたちはいなかった。
足(特に右足)がだいぶ痺れている。サウナでスパッと取れるというわけにはいかない。いかないが,サウナは気持ちいい。
● 夜は夜で,バーボンのハイボールを飲む。十年一日のごとし。今夜はローストビーフはなし,小エビのから揚げもなし。
代わりにタコのカルパッチョ。スープはビーフシチュー。スープというよりメインの一品になるでしょ。
この中で相方が食べられるのはビーフシチューしかなかったようだ。ぼくは好き嫌いはないので,っていうか食べられないほど嫌いなものはないので,何の問題もなくハイボールを飲むことができた。
● 今夜も家族連れがいた。が,今日の家族連れは貴族。静かなものだった。凄いなと思う。慎みがあるというのは少数派だから,それだけでかえって存在感を増すのだ。
ちなみに,わが家はその他大勢の庶民派だった。息子はうるさく騒ぐ方ではなかったけれども,やはり庶民派だったろうと思う。
● さらに,夜も遅くなった頃,コーヒーを飲みに行く。
これが効いたせいではないと思うんだけど,前の晩あまり眠れずに,今日はかなり歩いたにもかかわらず,サウナにまで入っているにもかかわらず,どうもうまく眠れない。
● 東京の別荘に泊まる。今回は2泊3日。別荘滞在にしては異様に短いが,諸般の事情でやむを得ない。主には経済的な事情ね。
● ここまで相方とは別行動。ちなみに,夫婦仲を毀損させないテクニックの第一は,一緒にいる時間を取り過ぎないことかもね。お互い,別々に好きなことをした方が我慢しないですむし,相手にも我慢させないですむ。
我慢が限度を超えると,夫婦を維持するのが難しいレベルにまで至ってしまうことがあるかもしれない。
● 今回,スーツケースは宅配便で送ってあった。身軽だとホテル(もとい,別荘)に入るまでの時間の使い方に制約がなくなる。これはコスト以上の便益を享受できると思う。
帰りはたいてい送ってたんだけど,往きもそうすればいいと考えたのは,ぼくではなくて相方のファインプレー。が,そのファインプレーを生んだのはぼく。
あまり自慢できることではないけれども,2泊しかしないのに大きめのスーツケースに満杯の荷物ができてしまう。あれもこれも持っていこうとするんだよねぇ。ホテルでお洒落をしたいからと言うんだけど。
でも,ぼくが文句を言うものだから,彼女も考えたらしい。それが,荷物を送ってしまえば,バカなダンナも文句を言うことはないだろう,という今回の対処法だったんでした。
● その相方と別荘のラウンジで落ち合った。相方はすでにチェックインをすませて,先に来ていた。こういうときのやり取りはLINE。
LINEって便利だなと感じることは2つあって,ひとつはこういうときのやり取り。電話よりもはるかに簡単だし,間違いがない。
もうひとつは,海外にいるときの無料通話。ケータイが海外でも使えるようになったときは,すげぇ,ここまで来たのかと思ったことを思いだした。そんなに昔のことじゃない。それが国際電話も無料になるところまで来た。もちろん,相方との通話は国内でもLINEでやっている。
逆にいうと,それ以外にLINEの有難味を感じる局面はない。それですべて。つまり,LINEの友だちは相方しかいないので,それ以外の局面じたいがないからだ。
● サウナに行ってみた。平日のこの時間,たいていジイさんたちが何人かいる。ホテルの宿泊者ではない。何者だろうと思っていた。たぶん,ゴルフ帰りなのだろうと思う。ゴルフの話をしているから。
けっこうな上流階層らしいのだ。自分のことをぼくと言う。ぼくもブログでは一人称に「ぼく」を採用しているけれど,普段しゃべるときはそうじゃない。
● 都内に一軒家を構えているらしい。今日は車の話をしていた。日産のGT-Rの話。走りだけを見れば,ポルシェのターボと同じかそれ以上だとか,最低でも1,100万円はするけど,手放すときにも値が崩れないんだよとか。本で得た知識ではなくて,経験したことを語っているようなのだ。ぼくの知らない世界の話だ。
その話がジイさんたちの間でスイスイと進んでいくのだ。トンチンカンなことを言う人はいない。
● 仕事もしているようなのだ。明日の午前中で終わりだよ,とか言ってる。かといって,サラリーマンなら定年を過ぎているはずなんだよね。
30日までゴルフの予定が入っていると言ってるヤツもいれば,今年はスキーに行くことになりましてね,と話しているヤツもいる。
● このことを相方に話したら,会社の社長さんたちじゃないの,と言う。ライオンズクラブとかロータリークラブとか,よく知らないけれど,そういうところの連中なのか。社長じゃなくても役員たちの集まりか。
いや,このサウナは都ヘルスクラブが運営してるんだけど,会員とビジターからなっている。ホテルにある施設だから宿泊者のためのものと思っていたのが迂闊だった。ぼくはビジターなのだ。
メインは会員のはずで,ジイさんたちは会員なのだろう。たぶん,団体会員なのだろうな。
● 夜もラウンジで1杯。っていうか,3杯。肴はローストビーフ,小エビのフライ。トマト味のスープもあった。これも肴になる。
〆はナポリタン。当然,生パスタ。セモリナ粉だけじゃなく,普通の小麦も混ぜている(と思われる)。ナポリタン,普通は食べないんだけども,美味でありましたよ。
● 小さな子供を連れたいわゆる家族連れ。庶民と貴族がくっきりと分かれるのが,この家族連れだと思う。大半の庶民とたまにいる貴族。
今日は昼も夜も庶民にあたった。庶民の特徴はうるさいことだ。子供がうるさいのはいいのだ。子供は騒ぐのが仕事だから。親がうるさい。猿よりうるさい。
共生,共生と,自分に言い聞かせてみる。
● 眠れなかった。前の晩もあまり寝てないんだが。このホテルでは初めてだ。
23時に就寝して3時までは一睡もできず。何度もベッドを出た。半端に酔ったからかなぁ。飲み過ぎたとは思わないのだけど。暑かった(暖房の効きすぎ。設定温度はかなり下げたんだが)。加湿器の電動音。そんなのが理由か。
● お茶の水に来た。10年ぶりか。若い頃は,東京とはつまりお茶の水のことだったのだが。
学生街という言葉が生きていた頃だ。中央大,明治大,日大,東京医科歯科大,順天堂大,ちょっと足を伸ばせば東大。ここは他とは違うという感じだったんですよね。学生街だから(いや,そうではないのかもしれないけど)大型書店や古書店も密集していて。
ところが,お茶の水で降りることはまずないようになった。こちらの変化も当然ある。が,この街の変容も理由のひとつだと思っている。
● まずは聖橋を渡ってみる。ここに来るとたいてい絵を描いてる人がいる。
今日はいなかった。穏やかで悪くない日和だと思うんだが。あれは休日限定なんだろうかな。
● 聖橋で真っ先に思い浮かべるのは,さだまさしの「檸檬」。昭和男の性というべし。
まるで この街は 青春たちの 姥捨て山みたいだと 言う
ねぇほら そこにもここにも かつて 使い棄てられた 愛が 落ちてる
時の流れという名の 鳩が 舞い降りて それを ついばんでいる
スクランブル交差点というのができて間もない頃のこと。今は斜めに渡るのはあたりまえになってて,スクランブル交差点という名称じたい,あまり使われなくなった。
何だかねぇ,若いというのは愚かということでもあって,しかしその愚かさには抗し難い魅力もあってねぇ。
● 湯島聖堂。ここに来るのは二度目。神田川が区境になっているから,JRお茶の水駅は千代田区にあり,湯島聖堂は文京区になる。
スッキリしたいい空間だと思う。必要な建物が必要なだけあって,それ以外の余計なも
のがないという印象を受ける。つらつら思うのは,昔の人は寒さに強かったのだなぁ,ということ。
こういうものをちゃんと残してきたのは大したものだと思うし,残しておきたくなるものだろうなとも思う。東京って,こういうところがけっこうあって,そこが東京の凄いところだ。日本最大の観光地は東京だけれども,それにはそれなりの理由がある。
● 湯島聖堂の北隣りが神田明神。このあたり,区境が入り組んでいて,神田明神は千代田区になる。というか,神田明神を取り込むように千代田区が突きだしている。
ここには初めて来た。ずいぶん立派なお社だ。
門前の食堂には銭形平次の名を冠した定食(そばセット)があった。素通りした。こういう場所でこういうものを食べるのも悪くはないと思うんだけど,今日はその気にならなかったので。
● 善男善女が次々にやってくる。善男善女とは何かといえば,願うだけでご利益を得ようとする人のことね。図々しいといえば図々しい。願う暇があったら努力しろよってことだろうからね。
が,人生は苦でできている。努力でどうにかできることなどほとんどない。である以上,ぼくらは誰もが善男善女にならざるを得ない。温かい目で見てやってくださいよ,お願いしますよ。
● さて,ここで引き返すことにする。再び,聖橋を渡って,ニコライ堂。正式名称は東京復活大聖堂教会。ロシア正教の教会だ。ぼくなんかは,これがイスラム寺院だと言われても,そうなのかと信じてしまうだろう。
300円を払って中に。宇都宮の松が峰教会とはちょっと違う。キッチュな感じは皆無。
● ぼくはどうもキリスト教会の荘厳には感応しないタイプのようで,ステンドグラスとか肖像画とか,少し飾り過ぎではないかと思った。密教にも同じ印象を持つんだけど,荘厳が過ぎてうるさいと感じてしまうんだな。
しばらく中のベンチに座って内部の雰囲気に浸ってみたが,特に何の感慨も湧いてこなかった。いや,縁なき衆生は度し難い。暴言多謝。
● 御茶の水駅の御茶の水橋口に戻って,駿河台下まで歩くことにする。若かりし頃,御茶の水といえばこの区間だったのだ。
シンボルは明治大学。明大通りというくらいだから。広い土地を求めて多摩に引っ越した大学もあれば,残って高層化に活路を求めたところもある。今となっては後者が正しかった。
大学は単体で完結することはないのだ。場の力というのがあるのだろう。大学が巷から隠居してしまってはダメだ。
● ひょっとすると,大学の教養過程で体育実技が必修になっていたから,運動場を確保しなければならないという事情もあったのかもしれないと思ってみる。
大学でどうして体育を必修にしておいたのか,今となってはよくわからないが,平成3年にいわゆる「設置基準の大綱化」と呼ばれる規制緩和が行われて,このバカげた規制は一応は消えた。遅きに失したのは常のごとしだが。
● 道路を挟んだ対面には日大のやはり高層ビル。何かとお騒がせの日大だが,幸いなことに,普通の人はかなり強度の健忘症だ。この騒ぎはじきに忘れられる。忘れられればなかったのと同じことになる。案ずることはない。
● このエリアのもうひとつのシンボル。山の上ホテル。泊まったことはない。作家先生をはじめ,文化人御用達のホテルというイメージ。ぼくなどが足を踏み入れてはいけない場所のひとつと心得ている。
心得ているけれども,気になるホテルのひとつだ。天ぷらが有名だけど,食の水準が高いホテルなんでしょ。
● で,天ぷらでわからないことがある。天ぷらは揚げたてを食べなければいけないと言われる。冷めてしまっては何にもならない。
ということはだね,天ぷらって酒の肴にはならない食べものなのか。たとえば冷たい日本酒を合わせるとする。日本酒はガブガブ飲むものじゃない。ビールじゃないんだから。チビチビとやる。当然,天ぷらは冷めてしまう。
ということはだね,酒の肴になるものは冷めてもかまわないものに限られることになるね。
● あるいはこういうことだろうか。つまり,酒というのは腰を据えて長時間飲んでるものじゃなくて,さっさと切りあげるものだ,と。エビを一尾か二尾,揚げてもらって,それが冷めない間に飲んで,それで終わりにしろ,と。
でなければ,少量ずつ揚げてもらえということかい。
● もうひとつ。天ぷらというのは,会話をしながら食べるものではないってことになるね。話に夢中になってたんでは,揚げる方は甲斐がないことになる。
天ぷらを食べてるときの会話量はラーメンを食べてるときのそれと同等であるべし,ってことか。となると,デートには使えないね,天ぷら屋って。
● 坂を下ったところで三省堂書店が出迎える。中に入ってみた。20年ぶりか30年ぶりか。隣にあった書泉グランデはなくなっている。
三省堂書店から小川町方面にブラブラ歩く。このあたり,千代田区の下町なんですかねぇ。何だか気持ちがイイなぁ。
今回の散歩はここまで。そろそろ,今夜の宿に向かおうと思う。
● 相方が近くのスーパーでマグロの刺身を買ってきてくれた。近くのスーパーというのは「オータニ」なんだけど,オータニはかなりいい魚を扱っているっぽい。
その中でも高い方の本マグロを買ってきたようだ。太っ腹だなぁ。
● それから牡蠣鍋を作ってくれた。もうこれで十二分。ハイボールを3杯飲んだ。けっこう大ぶりのコップなので,3杯飲むとかなり酔う。
こうなると外に飲みに行く必要がない。家の方がいいと思ってしまう。
● 若い頃は,飲みたくなったら外に出て飲むべきだと思っていた。赤提灯でも立ち飲みバーでもどこでもいいから,とにかく外で飲むべきだと考えていた。
家で飲むことは自らに禁じていたというか,家には酒を置かないようにしていた。若気の至りだったのか,若いときの自分は志が高かったのか。
● 家で飲むときの物足りなさは,情報が入ってこないということだ。大勢の中に1人でいるのと,そもそも1人しかいないのの,大きな違いはそこだ。
ほかのお客さんがどんな話で盛りあがっているのかとか,街の様子,そういう五感から入ってくる情報がなくなる。
何より,店の大将や女将さんとポツリポツリと話す,あの風情が味わえなくなる。
● 家で飲むことにすれば,飲むときの環境は百パーセント自分の好きなように設定できる。今どきだから,家で飲むときにTVを見ながらという人は減っているだろう。ネットが娯楽の中心だ。だから,パソコンかタブレットかスマホを置いて,ネットを検索しながらとか,好きな動画を見たり音楽を聴きながら飲む人が多いだろう。
とにかく,外で飲めば否応もなく入ってくる情報は入って来なくなる。その否応もなく入ってくる情報というのが意外に大事で,好きな情報だけに囲まれていると,何というのか,人間が縮小再生産に入ってしまうような気がする。
● その代わり,家で飲むと疲れない。酔ったらそのまま横になればいいという気安さがある。何より,家飲みは安くつく。
数倍のお金を払って疲れながら飲むのを補填してあまりあるほど,“否応なく入ってくる情報”にメリットがあるかとなると,うぅ~ん,それほどのものでもないかもなぁ。
● 家飲みは1人飲みでもある。外で飲むときには自分以外の誰かと飲むことが多い。疲れる要因はこれかもしれない。
ま,あまり頭で判断しないで,身体がどちらを望んでいるかに耳を傾ければいいだろう。二者択一ではない。そのときそのときの気分で決めればいいだけのことではある。
● 若い頃って,大将や女将さんのほか,水商売のママや女の子を人生の先生と捉えていたところがある。いろいろ教えてくださいという姿勢で接していたような気がする。
その姿勢も今は取りづらくなっている。こちらが歳をとった。そういう人たちにもいろんな人がいることもわかってきた。先生にしてはいけない人もけっこういるもんね。
● というわけで,外で飲むメリットは,刺激があって肴がうまくて,複数で飲むなら他に選択肢はないということだ。家飲みのメリットは,気を遣う必要がなく,安上がりで,1人で好きなように飲めることだ。
ぼく一個は,外から家に傾いてきた。おそらく,その傾向はこれからも続く。歳をとることの外的表現のひとつであろうとも思う。
● 夜は相方が作ってくれた大根と油揚げの煮物&ツナポテトサラダで,極安ウィスキーのハイボールを2杯半。充分なクリスマス・イブ。イブは静かに飲むべかりけり,ってか。
● バカ騒ぎは若い衆に任せておけ。今は若い衆も静かなものか。私生活のネット化というのが,特に若い世代では静かに深く進行中かもしれない。群れる必要は基本的にないのだ。ネットで自分の時間を過ごすことができる。
が,それではネット対個人だから,たまには生身の人とつるみたくなるだろう。それがハロウィンの渋谷に代表されるバカ騒ぎになるのかもしれない。ハロウィンという場ができてよかったね,というわけだ。
● が,このエネルギーも1年間溜めに溜めた結果だろうから,発散の場がしばしばあると,発散の度合いが下がってしまう。地震や火山の噴火と同じだ。
どうせやるなら,溜めに溜めてやってもらいたい。発散の場はハロウィンだけでたくさんだ。
● 田舎の若者がこういうバカ騒ぎに行かないですんでいるのは,夏祭りだの秋祭りがあるからだろうね。それで発散できる。いわゆるお祭りというのは,習俗行事であると同時に,そうしたガス抜き効果も兼ねているのだろう。存分に若者に暴れてもらえばいいのだ。
その若者が少なくなってしまっていることが,お祭りの現場が抱える問題の最たるものになっている。これはつまり,バカ騒ぎにも効用があって,それが発生する可能性が皆無になってしまった地域は,地域として臨終間近だということだ。
● ともあれ。今日が商売のかきいれ時だって人もたくさんいるでしょ。お疲れ様です。
ぼくは,そういうわけで,家で静かに飲んでおりますよ。これっていつもやっていることだから,聖夜もいつもと変わらなかったということ。日本国民の7~8割はそうじゃないかと思う。
だから,ご同輩。クリスマスだ,イブだと騒いでいるのはごく一部に過ぎないことに思いを致して,取り残された感に沈むことのないように,くれぐれもご自愛のほど,お願い申しあげ奉る。
● 宇都宮駅コンコースの一画で,洋菓子店やモスバーガー,ロッテリアといったところが,ワゴンを並べて,ケーキや鶏のから揚げを商っている。お客を呼びとめようと声をからす(ほどではないが)様子は,この時期の風物詩という言葉がピッタリだ。
要するに,お祭りだ。各店が同じ場所でワゴンを並べているのは,相乗効果を期待してのことだろう。
● どれくらい売れるものなのだろう。ケーキはクリスマスに関係なくいつでも食べるという人が普通だろう。ケーキはハレからケに移行した食品といえるだろう。
クリスマス・イブに売れる度合いも,昔に比べれば下がっているのではないか。
● わが家でもケーキは買わない。相方は食べたいときに買って食べてるし,ぼくがケーキを好まないのは知っているから,クリスマスだからケーキを買おうかという話にもならない。
特に普段と変わったところはない。わが家だけではなく,たいていのご家庭ではそうではないかと思う。
● ハレの場もあまり増えすぎると,ひとつひとつは盛りあがらなくなる。1年なら1年の間,人がハレの場に注げるエネルギーとお金と時間の総量は一定なのだと思う。
だから,ハロウィンができると,その分,クリスマスに割けるエネルギーは減少する。ハロウィンは(今のところは)若者の祭典だから,若者がクリスマス・イブにはしゃぐ度合いはだいぶ下がっているのでないか。
● 一流ホテルを予約して,彼女とひと晩を過ごすなんて風習(?)はとっくに昔のものになっているのだろう(よくは知らないが)。
というより,今どきの若者にとっては,Hじたいが特別なものではなくなっているんだろう。Hもまた節目節目の通過儀礼的なものではなく,ケ的なものになっているのでは。
● それやこれやで,クリスマス・イブはもはや特別な夜ではない。いつもと同じ。
それでよいのだ。むしろ,その方が聖夜らしいではないか。
● 宇都宮のヨドバシ。パソコンの取扱をやめるので,その前にいろいろと取り揃えたから,ぜひ見ていってくれ,というアナウンスが聞こえてきた。
パソコンを売らなくなるのか。そうなのか。といって,さほどに驚きはしなかった。
● 売れないんだろうな,パソコン。ぼくはパソコンなんか中古で充分と思っているから,もっぱらヤフオクだ。相方もネットで買うようになっている。
おそらく,ぼくらだけではないだろう。ヨドバシの店舗はショールームになっているんだろうな。ここで実機を見て,買うのはネットという人が多いんだろう。ヨドバシでも販売の主なルートは「ヨドバシ.com」になっているのでは。
● それ以前に,パソコンは買い換えるものではなくなった。一度買えばそれで終わり。ずっと使えるんだから。すでに充分なスペックを備えている。
ぼくなんか,ほとんどテキストしか扱わないから,10年前のパソコンで充分だ。20万円も出して新しいパソコンを買う気になんか全然ならない。
● 今までのようにメーカーが年に2回か3回のわりで新製品を投入したところで,買い換えるユーザーがどれほどいるだろうか。笛吹けど踊らず,なのではないか。
OSのバージョンアップも同じで,OSをバージョンアップすれば買換え需要が起こるというのは,すでに過去の話だろう。ぼくはWin7を使っているが,MSの保全サービスが続く間は7のままだ。
というか,Winに関しては10は使いたくない。ま,慣れの問題だとは思うんだけど。
● パソコン(とスマホ)にはかなり助けられている。便益を受けている。15年前には想像もできなかったほど活用してもいる。Googleの検索エンジン,ブログ,SNSなどなど。
けれども,それがあたりまえになると,便益を便益として認識できなくなる。パソコンはもう夢を与えてくれるものではなくなったと,勝手な感想を言うようになる。今,パソコンでやっていることは,15年前からすれば夢のようなことなのだが。
● 昔はMacに替えようかなどと思いもした。Macにすれば何かが変わるかもしれないと思えたからだ。今はもうWinから動くつもりはない。それもパソコンそのものにトキメキを感じなくなっているからだ。
パソコンが夢の機械であった時代は,ショップで買って,それを自宅に持ち帰る時間もワクワクする時間であり得たかもしれないけれど,そんなのはもはや今は昔。Amazon(ヨドバシ.com でもいいが)で買えば,自分で商品を運ぶ必要もないのだ。
● というわけで,ヨドバシがパソコンの取扱いをやめても,それで自分が困ることはないという事実。
ヨドバシに限るまい。この分野での実店舗販売はなかなか厳しい。宇都宮程度の人口集積ではなおさらだ。
● ベルモールからの帰り,宇都宮(東宿郷)にある「みやこ家」に寄ってみた。宇都宮店は今年の1月以来。
カレーつけ麺(並盛り)を注文。麺は変わらぬ味で,がっつり食べた。半ライスが付いてくる。残った汁をご飯にかけて締めるというわけだ。
が,クーポンの餃子があったので,ご飯は餃子で食べた。動きたくない。喰い過ぎた。
● その「みやこ家」の壁にこんなのが掛かっていた。「みやこ家」では酒も供するが,日本酒は出さない。ビールとウィスキーと焼酎だけだ。
とすると,これは単純にオブジェというかアクセサリーとして飾っているんだろうね。なかなか悪くないと思った。
栃木県の日本酒でどれかひとつ選べと言われれば,ほぼ躊躇うことなく惣誉を選ぶけれども,日本酒は飲まなくなって久しい。重すぎるのだ。
● ぼくは気がつかなかったんだけど,相方によると,厨房内で外国人スタッフが叱られていたらしい。それが聞こえてくるわけだね。
それは客席を冷ましてしまう理由になる。その場で叱らないわけにはいかないだろうけどね。だから難しい。難しいけれども,ここをクリアできないと,お客はたぶん離れていくんだよね。
● 説明するだけでなく,やって見せる必要がある。相手が外国人なら,説明だけで足りるとは思えないから。
こういうのって,相手に伝わっていないのだとすると,常に必ず,伝える側に原因があると考えないと。経営する側が鍛えられるんだよね。
● 石井街道も帰りの4号線も渋滞してて閉口した。時間コストまで考えると,かなり高いカレーつけ麺になった。
このあたり,読みを間違えた。
● 右はJTBがチャーターして来年催行する世界一周クルーズのチラシ。
かつては,飛鳥Ⅱ,にっぽん丸,“ぱしふぃっくびいなす”が,それぞれ世界一周クルーズを催行していたけれど,今はいずれも催行を停止している。郵船所有の飛鳥Ⅱではない船が世界一周に出るらしいけど,詳細は知らない。
チャーターされるサン・プリンセスは,アメリカのプリンセス・クルーズ所有のクルーズ船。
● 日本のクルーズは料金は国際相場の3倍でサービス水準は3分の1という人もいるけれど,このクルーズは,飛鳥Ⅱに比べると料金はかなりリーズナブル。これで少しは国際相場に近づいた?
Wikipediaによれは「2013年より日本発着クルーズとして本格的に投入された。国内客船の半額近い低価格クルーズの登場は「黒船」とも呼ばれ,国内船社に衝撃を与えた」「2019年にはJTBクルーズの全船チャーターにより本船を用いての横浜・名古屋・神戸発着の世界一周クルーズを予定しており,従来の世界一周の相場と比べ4割安い価格でクルーズ初心者を取り込む目論見としている」とある。
● スイートはすでに満室。高い方から売れていく? というより,ボリュームゾーンが残っているってことでしょうね。スイートは数が少ないんだろうからね。
ぼくなら一番安い「内側」にするね。窓がない(たぶん)部屋。関係ないもんね。部屋にいるのは寝るときだけだと思うから。
● それでも200万円。98日間だから,オールインクルーシブで1泊2万円。2人で4万円。かなり安いというべきか。
都内のホテルに98連泊した方が面白いのじゃないかと思ったりもするけど,さすがに飽きるだろう。クルーズは何といったって移動付きだからね。“ホテル+旅行”であるわけだから。
● 言葉とかチップとか煩わしいこともあるけれど,外国で催行されるクルーズにも目を向けた方がいいでしょうね。
煩わしいということは,つまり勉強できるということでもあって,チップに慣れることができると前向きに捉えることにして。客の大半が外国人という方が,非日常感が増して面白そうだ。
● 仮にこのJTBのクルーズに参加するとする。98日間も割くことができるのは暇人に限られるだろう。暇人とはつまり年寄りのことだ。ジジイとババアに囲まれて98日間を過ごすことになる。
さて,ねぇ,どうだろうか。いや,半ば以上はやっかみで言ってるんですが。
● 数ヶ月ぶりにベルモールに来てみた。年末商戦で激混みかと思っていたのたけど,意外にそうでもない。外の駐車場に待つことなく停めることができた。
とはいえ,ここが宇都宮で最も人が多い場所であることは間違いない。いや,ぼくらのように市外からも大勢来ているんだろうけど。
● 落合書店のベルモール店ではカウンターに行列ができていた。本を買う人が宇都宮にこんなにいたのかと思うほどだ。年末年始に本を読んで過ごそうなんて人が,宇都宮にいるとは考えにくいんだがな。
並んでいるお客さんが抱えているものを見ると,雑誌が最も多くて,あとは文庫本か手帳。
● ここの文具売場は好きな場所のひとつ。見ていて楽しい。配列の問題かね。取扱い点数はLoFtの方がずっと多いと思うんだけど。
LEUCHTTURMがけっこう売れたようだ。この高価なノートが地方でそんなに売れるはずはないと思っていたんだけど。あるいは在庫を減らしたんだろうか。
モレスキンを買うくらいなら,こちらにした方が何十倍も賢いと思うが,ぼくはダイスキンで足りてしまう。
● スタバ。ぼくはコーヒーフラペチーノ。相方が注文したのは,期間限定の何とかフラペチーノ(→ ピスタチオ クリスマスツリー フラペチーノ)。旨かったらしい。これでベルモールに来た目的の半分は達成された。
相方は家では寝れないと言ってるんだけど,こういうところではうたた寝をする。うたた寝は気持ちがいいものだし,それはそれでいいんだけども,風邪をひくかもしれない。適当なところで起こして,スタバを後にした。
● 2階にUQショップができていた。ずっと前からソフトバンクショップもあるから,1階のBE-ONEはどうなってしまうのかね。
スマホに関しては,少なくとも日本ではiPhoneが人気で,Androidの端末メーカーは防戦苦戦の連続だった感がある。iPhoneがスマホ市場を牽引してきた。そのiPhoneに失速の気配が見られる。
スマホのスペックもここまで来れば,もう2年で買い換えるものではなくなる。それがつまり成熟ということだが,以前のようにこれで何かが変わるかもしれないというトキメキを与えてくるものではなくなった。さしものiPhoneも例外ではない。
キャリアは通信料で儲けるから,買替期間が伸びてもどうってことはないかもしれないけれど,端末メーカーにとっては自社製品の販売数減。辛いところだ。販売店も同様だろう。
● 最後はイトーヨーカドーで食料品を買いこんで,車に積んだ。ここで半日は過ごすことができる。半日を過ごしたので,帰るとしよう。