2018年12月4日火曜日

2018.12.04 来年の元日は,吉原,山谷,玉ノ井,鳩の街,を歩いてみようと思う

● 昨年の大晦日はひょんなことから山谷の安宿に泊まる機会を得た。翌日(元日)は泪橋交差点から山谷を縦断して,浅草まで歩いた。
 で,今年もまた同じことをしてみたい。東京の地図を見てみると,隅田川を挟んだ狭いエリアに吉原,山谷,玉ノ井,鳩の街がある。それぞれの街ができた時代は異なるものの,半日で歩けるくらいの狭いエリアに集まっているのだ。

● 当然,自然発生のはずもなく,強制的に移転させられた等の理由がある。たとえば吉原についていえば,江戸時代に強制移転があった。しかし,取り壊されはしなかったわけだ。
 昔は大らかないい時代だった,というのは当たらない。今のモノサシをあててはいけない。遊郭が必要とされ,かつそれが成立したのは,第一には人の値段が安かったからだろう。

● 今の吉原は歓楽街(石鹸の国が連なっている)になっているが,青息吐息のところが多いのではないかと愚察する。性道徳が緩やかになれば,専門店(?)への需要は減る。だいぶ減っているのではないか。反発を覚悟で申しあげるのだが,今は性行為にお金をかけるなんてバカバカしいと思う男が多いはずだ。
 性道徳が緩やかになっても平穏が保たれるだけの屋台骨ができている。その屋台骨を作ったのは,経済成長だろう。経済発展は素晴らしい。

● 問題の多くは“貧困”が引き起こすのだ。現在は貧富格差の拡大が言われているが,貧困の絶対ラインが昔とは違う。
 それに,貧困に対するインフラがけっこう整備されていて,お金の多寡と幸せの多寡は連動しなくなっているようにも思われる。

● 2年続けて山谷を歩いてみようというからには,山谷に惹かれているということになりそうだ。今の山谷は怖いもの見たさで行くようなところではなくなっている。
 心情的に近しいものを感じるんだろうか。子供の頃の貧困の経験が下地にあるのかもしれない。あの頃の農村はだいたい押し並べて貧困に覆われていたと思うのだが,それが影響しているのか。貧困は友だちみたいな感覚が自分にあるのかもしれない。

● Wikipediaによれは,吉原は、「江戸幕府開設間もない1617年,日本橋葺屋町(現在の日本橋人形町)に遊廓が許可され」たもので,「吉原の語源は遊廓の開拓者・庄司甚内の出身地が東海道の宿場・吉原宿出身であったためという説と,葦の生い茂る低湿地を開拓して築かれたためという説がある」らしい。
 「明暦の大火(1657年)で日本橋の吉原遊廓も焼失。幕府開設の頃とは比較にならないほど周囲の市街化が進んでいたことから,浅草田圃に移転を命じられた」。

● 山谷は「元々は日光街道の江戸方面の最初の宿場であった」が,「明治初期から政府の意向で市街地の外れの街道入口に木賃宿街が形成され,吉原遊郭の客を送迎する人力車の車夫等,戦前より既に多くの貧困層や労働者が居住していた」。
 そこに「太平洋戦争戦後,東京都によって被災者のための仮の宿泊施設(テント村)が用意され,これらが本建築の簡易宿泊施設へと変わっていった」ということのようだ。
 現在は「簡易宿泊施設には従来の労働者に代わって,各国から日本に旅行にやって来る外国人達(バックパッカーなど)による格安ホテルとしての利用が増加している」。

● 日本の安宿の代表はカプセルホテルだが,女性が泊まれるカプセルホテルは少ない。カップルで来ている外国人バックパッカーが山谷の安宿に集まっているのではないか。
 山谷は交通の便もいい。JRの南千住駅と地下鉄日比谷線の三ノ輪駅が近い。浅草も徒歩圏内だから銀座線も利用できる。都心に出るのに何の不都合もないのだ。
 山谷といい安宿といっても,清潔さは日本水準だ。狭いながらも個室だ。トイレと風呂は共同だけれども,Wi-Fiも完備されている。現在の山谷は治安もほぼ問題ない。若い(若くなくても)バックパッカーにしたら,こんないいところはないと思えるのじゃなかろうか。

● 「玉の井(たまのい)は,戦前から1958年(昭和33年)の売春防止法施行まで,旧東京市向島区寺島町(現在の東京都墨田区東向島五丁目,東向島六丁目,墨田三丁目)に存在した私娼街である」。東武線と国道6号と荒川に囲まれたエリアの南半分と考えていいんだろうか。
 永井荷風「濹東綺譚」や滝田ゆう「寺島町奇譚」の舞台になった街だ。「濹東綺譚」は岩波文庫で,「寺島町奇譚」は今は亡き旺文社文庫で読んだ。
 が,内容に関する記憶はほぼ消えている。「濹東綺譚」は永井荷風が作りあげた架空の世界だろうが,1992年に映画化もされた。主演を務めた墨田ユキのエロスが話題になったが,残念ながらぼくは見ていない。

● 「鳩の街(はとのまち)は現在の東京都墨田区向島と東向島の境界付近にあった赤線地帯」とある。厳密にいうと,赤線地帯ではなく青線地帯になる。赤線はお上が認めた公娼街のこと。鳩の街は私娼街だ。
 「地理的に「玉の井」と近く,1kmほどの距離」。「太平洋戦争末期に,東京大空襲で玉の井を焼け出された業者が何軒か,この地で開業したのが始まり」。
 ここは何と言っても,吉行淳之介の「原色の街」の舞台となったところだ。若い頃に,吉行淳之介の作品は,エッセイ,対談を含めて,たぶんすべて読んでいると思うのだが,初めて読んだのが「原色の街」だった。鮮烈な印象があった。

● 今読み返しても,たぶん,そのときほどの印象は受けないと思うのだが,そのあとの「娼婦の部屋」があったのも鳩の街だろう。であれば,ここは一度は歩いておきたい。
 でもって,ここで“明子”さんが身を売って暮らしていたのか,と無責任な感慨に浸ってみたい。といって,昔の面影はほぼ消えていて,普通の下町的住宅街になっていると思われるのだが。

● ということで,大晦日は上野のカプセルホテルに泊まって,元日は三ノ輪から千束(吉原),山谷を歩いて,白鬚橋を渡って,玉ノ井,鳩の街を歩いてみようと思う。
 曳舟から東武電車で帰ってくればよい。

0 件のコメント:

コメントを投稿