2018年12月8日土曜日

2018.12.08 東京散歩 池袋

● 池袋にはわりと行く。駅構内で迷子になったり,駅前の雑踏カオスにウンザリしつつも,ここには東京芸術劇場があるので。あと,伊東屋池袋店があるので。
 だけど,芸劇で用がすむとまっすぐ帰宅するのが常。用がすんだのにカオスの中に身を置く理由はないもんね。

● が,今日は,立教大学まで足を伸ばしてみることにした。ぼくが受験生だった頃は,受験雑誌の表紙を飾る定番大学のひとつが立教だった。絵になるキャンパスなのだろう。
 立教大学が芸劇の近くにあることは知っていたのだけど,上のような理由で,なかなか足が向かないでいた。

● 芸劇から歩いて10分もかからない。残念ながらすでに暗くなっていて,キャンパスの様子はわからなかった。
 正門のそばの樹木にクリスマスツリーのイルミネーションを施していた。ぼくと同じお上りさんがけっこういるようで(近所の人かもしれないが),スマホで写真を撮っている。
 一部の私大にあるような立入規制はしていないようで,誰でもキャンパス内に立ち入ることができる。ぼくも写真を撮った。

● が,それ以上のことはする気にならず(明るければキャンパスの中を歩いたろう),さっさと戻ることにした。
 たぶん,建物が建て込んでいる狭いキャンパスなのだと思う。この立地でそんなに贅沢に土地を使えるわけがない。

● 適度に建て込んでいる方が,学生にとっても教職員にとっても,使い勝手はいいはずだ。昔はキャンパスの広さ,ゆったりさ加減をウリにするようなPRもあったんだけど(アメリカの大学を良しとする価値観からか),今はどうなんだろう。
 個人の居宅もそうだが,大学のキャンパスも適度な狭さが快適さを生むように思う。自転車がないと移動に困るほどの広大なキャンパスは,アメリカ人御用達にしておけばよろしい。

● それに,キャンパスがキャンパスだけで完結している必要は全然ない。街に対して開かれている方がいい。特に東京の大学は,そうでなければ東京にある意味がない。
 極端な話,大学生協や学食なんか,なくたっていいと思う。街に出て食べればいい。学生が集まるところには,安く食べさせる食堂が必ずあるはずだ。
 東京にいる以上は巷に出てナンボだ。キャンパスに籠もっているなら田舎でいい。

● 池袋駅前の雑踏もここまで来るとさすがに失せる。新宿に比べると,カオスのエリアは狭いようだ。とはいえ,駅から徒歩10分なのだ。飲み屋が入っているビルやらちょっと怪しげな雰囲気を漂わせる路地とかがある。
 ぼくの知り合いにも立教のOB・OGが何人かいる。彼らに思いを馳せてこう思った。そっか,あいつら,こんなところで遊んでいたのか。

● 東京には住みなくないねという声を,田舎にいると耳にする機会が多い。たしかに新宿や渋谷,池袋には住みたくないと思う。田舎の人間のみならず,東京人でもそれはイヤなのではないか。
 でも,そうしたエリアだけが東京なのではない。東京をくまなく歩けば,ここなら住んでもいい,住みたいというところがあるに決まっている。
 実際問題としては,住みたくても住めないわけだが。第1にお金がない。東京に住んで家賃を払えるだけのお金がね。

● あと,年齢の問題。もう一つ,田舎に持ち家があること。これが行動の大きな制約要因になる。家を持つのは考えものだと,この年になって思う。一国一城の主などという言葉に踊らされていた自分の愚かさを味わっている。
 ぼくら夫婦がいなくなれば,この家に住まう人はいなくなる。できれば生前に処分したいのだが。

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