● 相方が近くのスーパーでマグロの刺身を買ってきてくれた。近くのスーパーというのは「オータニ」なんだけど,オータニはかなりいい魚を扱っているっぽい。
その中でも高い方の本マグロを買ってきたようだ。太っ腹だなぁ。
● それから牡蠣鍋を作ってくれた。もうこれで十二分。ハイボールを3杯飲んだ。けっこう大ぶりのコップなので,3杯飲むとかなり酔う。
こうなると外に飲みに行く必要がない。家の方がいいと思ってしまう。
● 若い頃は,飲みたくなったら外に出て飲むべきだと思っていた。赤提灯でも立ち飲みバーでもどこでもいいから,とにかく外で飲むべきだと考えていた。
家で飲むことは自らに禁じていたというか,家には酒を置かないようにしていた。若気の至りだったのか,若いときの自分は志が高かったのか。
● 家で飲むときの物足りなさは,情報が入ってこないということだ。大勢の中に1人でいるのと,そもそも1人しかいないのの,大きな違いはそこだ。
ほかのお客さんがどんな話で盛りあがっているのかとか,街の様子,そういう五感から入ってくる情報がなくなる。
何より,店の大将や女将さんとポツリポツリと話す,あの風情が味わえなくなる。
● 家で飲むことにすれば,飲むときの環境は百パーセント自分の好きなように設定できる。今どきだから,家で飲むときにTVを見ながらという人は減っているだろう。ネットが娯楽の中心だ。だから,パソコンかタブレットかスマホを置いて,ネットを検索しながらとか,好きな動画を見たり音楽を聴きながら飲む人が多いだろう。
とにかく,外で飲めば否応もなく入ってくる情報は入って来なくなる。その否応もなく入ってくる情報というのが意外に大事で,好きな情報だけに囲まれていると,何というのか,人間が縮小再生産に入ってしまうような気がする。
● その代わり,家で飲むと疲れない。酔ったらそのまま横になればいいという気安さがある。何より,家飲みは安くつく。
数倍のお金を払って疲れながら飲むのを補填してあまりあるほど,“否応なく入ってくる情報”にメリットがあるかとなると,うぅ~ん,それほどのものでもないかもなぁ。
● 家飲みは1人飲みでもある。外で飲むときには自分以外の誰かと飲むことが多い。疲れる要因はこれかもしれない。
ま,あまり頭で判断しないで,身体がどちらを望んでいるかに耳を傾ければいいだろう。二者択一ではない。そのときそのときの気分で決めればいいだけのことではある。
● 若い頃って,大将や女将さんのほか,水商売のママや女の子を人生の先生と捉えていたところがある。いろいろ教えてくださいという姿勢で接していたような気がする。
その姿勢も今は取りづらくなっている。こちらが歳をとった。そういう人たちにもいろんな人がいることもわかってきた。先生にしてはいけない人もけっこういるもんね。
● というわけで,外で飲むメリットは,刺激があって肴がうまくて,複数で飲むなら他に選択肢はないということだ。家飲みのメリットは,気を遣う必要がなく,安上がりで,1人で好きなように飲めることだ。
ぼく一個は,外から家に傾いてきた。おそらく,その傾向はこれからも続く。歳をとることの外的表現のひとつであろうとも思う。
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