2014年6月29日日曜日

2014.06.29 白鴎大学法科大学院の学生募集停止

● 27日の地元紙が報じていた。来年度から学生を募集しない。ずっと定員割れが続いていたらしい。

● 弁護士はすでに過剰で,食べていけない弁護士も増加中なんてことも言われてきたからね。
 医者なら生きている人の全部がマーケットになる。人は誰でも病気をするから。
 が,法的問題で訴訟を起こす人はそんなにいない。弁護士のマーケットは狭い。

● アメリカ型訴訟社会が住みづらい社会であることくらい,相当なバカでも想像がつく。生きていくためのコストも高くつく。
 アメリカで民事訴訟が多発するのは,理由があってそうなっているのだろうけれども,国の成り立ちから歴史から,アメリカとはまったく違う日本が,好きこのんで訴訟社会になる必要はない。
 業界人がいくら権利意識の高揚などと煽ってみても,それに乗るほど市井の人々は愚かじゃない。

● それに,弁護士の仕事って後ろ向きで,面白くなさそうだ。民事にしても刑事にしても(特に民事は),人間の最も汚い部分,愚かな部分につきあうことになる。ご苦労さんだね,ってなもんだ。
 企業法務にしても,ゲームとして楽しめる感覚の持ち主でもない限り,さして面白いもんじゃないだろう。面白くなくても誰かがやらなきゃいけないんだろうけどね。

● 大学を卒業してから,2年も3年もかけて,しかも高い学費を払って法科大学院に行っても,ペイしない可能性が高い。
 それでも法科大学院に行きたがる学生はいるようで,このニュースを知って,残念ですと言っている。せっかくの機会だから進路を考え直した方がいいんじゃないか。モラトリアムは大学の4年間で充分だろう。

● 余剰人員の始末をどうつけるか。駅東に建てたビル型校舎をどう活用するか。学校法人の理事は頭が痛いだろう。実務担当者の頭はもっと痛いだろう。
 これも後ろ向きの仕事だ。しかも退却するわけで,そのための仕事は消耗するだろうね。

2014年6月25日水曜日

2014.06.25 暑いこの時期はスターバックスのフラペチーノ 2

● 2日続けて同じスタバに。「普通にアイスコーヒーでもいいんだけどね」というわけで,アイスコーヒーのグランデを注文。388円。
 結論。フラペチーノがいいですな。

● 外に面したカウンター席に座ってみた。ここでも女子中学生がふたり,ノートと参考書を広げて勉強中だった。喋ってばかりであまり勉強は捗っていない様子だったけど。
 ここを学習室がわりにしている子はほかにもいたけど,総じて女の子が多いですね。
 対して,ノートパソコンを広げて何かしているのは,男性に多い。

● じつに,ここは学習室であり,オフィスですな。したがって,お一人様のご利用が多い。ぼくもそうなんだけど。
 普通のというか昔の喫茶店とは様相がだいぶ違う。デートの場には適さないかもしれない。
 この利用のされ方が,つまり,スタバが提供しているサービスってことになる。お客さんもそれを求めてくるんでしょうね。

● すぐそばにモスがあるんだけど,モスと比べてもそうした利用のされ方が顕著だ。モスにだってカウンター席はあるし,テーブルの大きさも似たようなものだし,ひとりで入るのに躊躇はいらないんだけど,雰囲気も使われ方もけっこう違うように思える。
 モスはセットメニューがメインになるけれど,スタバはコーヒーのみというお客さんが多い。コーヒーだけだから場所を占有しない。その分,ノートやパソコンを広げやすい。

● でも,それが違いの理由ではなさそうだ。何かね,棲み分けができてるような感じがするんですよ。
 おそらくなんだけど,スタバにくる人は,モスなんてカッペだと思ってるんじゃないかなぁ。家族連れはモスに行きなよ,的な感じ?

2014年6月24日火曜日

2014.06.24 暑いこの時期はスターバックスのフラペチーノ

● 暑くなるこの時期には,避暑をかねてスタバで冷たいものを飲むのが楽しみ。ダークモカチップフラペチーノのグランデ,税込みで550円。
 ま,普通にアイスコーヒーでもいいんだけどね。

● ぼくが行くスタバはだいたい宇都宮駅ビル「パセオ」にあるお店。大きな長方形の8人がけのテーブルの端が空いていたので,そこに座りましたよ。
 中高生が3人いて,お勉強中だった。あとから,大学生か専門学校の生徒がやってきて満席になった。
 このテーブルはすなわち勉強机だね。図書館ではなくて,ここに勉強にきているんだな。

● かく申すぼくも,セリスキンに脳内妄想を書きつけた。6ページ。

2014年6月23日月曜日

2014.06.23 喫茶店はどうなってしまうのか

● 今さらなんですけどね。ドトールが燎原の火のごとく広まったのは,もうだいぶ昔のことになるし,スターバックスもすっかり定着してるし。
 それ以前からあった喫茶店,だいぶなくなってしまいましたよね。さして旨くもないコーヒーをけっこうな価格で提供してもお客が来てくれた時代は去ったとか,味ではスタバに勝てないし料金ではドトールに勝てないとか,まぁ言われてきたわけで。

● マックやモスやロッテリアも競合するし,そこにきてセブンイレブンのセブンカフェ。百円であの味ですよ。
 ぼくにしたって,暑くなるこの時期,セブンのアイスコーヒーはちょっとしたオアシスになりますからね。

● であっても,スタバとモスとセブンイレブンでしかコーヒーを飲めないような街に住みたいか。うぅーん,と考えてみたんだけど,ぼくが住んでいる田舎町にはセブンイレブンしかなかったんでした。
 でも,ですよ。こうした店ってアルバイトしかいない。短期間でどんどん人が替わる。それで何も問題がないような業態のお店なんだけど,それしかないっていうのはどうなのかなぁ。

● というのは感傷ですかね。実際,昔からの喫茶店ってよほど田舎に行かないとないもんな(そんなこともないんですか)。
 で,そういうお店に入って,コーヒーを注文すると,たしかにさほど旨くもなくて450円とかだったりするわけで。べつな意味で,うぅーん,となる。

● セブンカフェは単純にコーヒーを売るだけだけれども,喫茶店はコーヒーを飲むための空間を提供する。しかも,喫茶店でコーヒーをそそくさと飲んで出てくるってことはないわけで,本や雑誌を読んだり,ちょっとした調べものをしたりする。喫茶店は簡易書斎を提供してもいる。
 このあたりで何か考えられますかねぇ。でも,この簡易書斎提供機能においても,競合するところはたくさんある。コーヒー1杯であまり長くいられても,っていうのもあるんだろうし。

● 素人の部外者が少しばかり考えても,使えるアイディアは出てきませんね。それでどうにかなるようなら,とっくにどうにかなっているはずだもんな。

2014年6月22日日曜日

2014.06.22 JR烏山線のACCUMに乗った

● 3月のダイヤ改正に合わせて,烏山線に導入された蓄電池電車(EV-E301系)。その名のとおり,バッテリーで走る電車ですな。
 愛称はACCUM。そのACCUMに乗る機会があった。

● 烏山線に限らず,電車に乗ることはあまりないって人が,栃木県では普通。公共交通機関しか移動手段がないとなると,栃木県のたいていのところは陸の孤島になってしまう。車利用は生活の前提だ。
 だから,高齢になり運転がおぼつかなくなると,相当以上に困ったことになるのではないかと思う。日用品や食べものを買いに行くのが難儀になる。近くに商店はない。
 若い人と同居していればいいけれど,高齢者だけの世帯はどうなってしまうのか。そろそろ,そのことを本腰いれて心配しないといけないようになってきたのではないか。

● ぼくは若い頃から車があんまり好きじゃなくてね。車なしでも生活できるように,駅の近くに住むことを考えていて,そのようにしましたけどね。
 今のところ,通勤も電車。自転車野郎でもあるので,近場は自転車で間に合う。だから,車がなくて困ったことは特にない。
 あったとしても,わが家に1台しかない車は奥さんが毎日使用するから,ぼくが使えることはない。
 なので,栃木県人のアベレージよりは電車を利用することが多いと思うんですよ。
 で,先日,烏山に用事があったので,久方ぶりに烏山線に乗ったら,それがACCUMでしたよ,と。

● 烏山線は,宝積寺駅で宇都宮線から分岐して烏山まで。なんだけど,実際の運行は宇都宮-烏山っていうのがほとんど。走行距離は約30キロ。
 この程度だったらバッテリーがもつってことですかねぇ。蓄電性能はどんどん良くなるんだろうから,宇都宮線(上野-黒磯)も蓄電池電車でOKになるかもしれない。
 ありえない夢なんだろうけど,日本中がすべて蓄電池電車になれば,線路の架線が要らなくなるな。スッキリするだろうねぇ。
 架線事故ってけっこう多いでしょ。その事故もなくなって,遅延も減る。いいことずくめなんだがな。JRもメンテナンスコストが節約できるし。

● ACCUM導入当初は烏山駅前でイベントっぽいこともあったようだし,もの珍しさもあってかけっこう乗客が多かったようなんだけど,今は落ち着いてしまっている。いつもの烏山線に戻っている。
 すなわち,朝夕の通勤通学タイムを除けば,車内はいたって閑散としている。ぼくが乗ったときもそうだった。
 乗り心地は普通の電車と同じ。気動車に比べればずっと静かで快適。

● 烏山線ってさ,構想では烏山から馬頭を経て水郡線の常陸大子に接続させ,一方,茂木まで伸ばして今の真岡鉄道につなげることになっていたんだってね。八溝開発のため。勇壮というかねぇ。
 もしそうなっていたら,今頃はもろともに廃線になっていたろうなぁ。

● この沿線はぼくにとっては馴染みがありすぎるところなんだけど,ヨソの人が乗れば,けっこう小さな旅的情緒を味わえるんじゃないかなぁ。
 運賃は,宝積寺-烏山間,410円ですよ。

2014年6月16日月曜日

2014.06.16 ブログを書く人

● まぁ,こうしてくだらないことを書き散らしている。自分の書くものがくだらないからという理由だけではないんだけれども,人さまのブログってあまり読まないですね。
 必ずチェックするブログはない。ブックマークもしてないし,RSSリーダーも使ったことがない。
 ところが勝手なもので,自分のブログは読まれてほしい。ほんと,勝手。

● ところで。自分が読むブログって,わりと年配者が書いているものが多い。こちらもいい年配だから,類は友を呼ぶで,同年代の人たちが書いたものに惹かれるのかもしれない。

● なんだけど,ブログってわりと年配の人たちが若ぶって書くものだというイメージができちゃって。人口からいったって,若い層より年配層の方がずっと多いんだから,そうであっても別段,不思議でもない。
 ブログは簡単に始められる。障壁はないに等しい。年配者が“ITに強いオレ”“時代についていけてるオレ”を演出して,自分にもそう思わせるのに,こんないいものはない。
 自分がそうだから人もそうだとは限らないかもしれないんだけど。

2014年6月15日日曜日

2014.06.15 スマホでできることの全貌を知ってる人っている?

● 「Sleep as Android」を使ってみて,スマホでできることってどんだけあるんだろうと思った。どんんなアプリがあるんだろうってことと同義ですね。

● 現時点でぼくが知っているスマホの用途は次のようなもの。
 ・通話 メール ネット検索
 ・ブログ更新 SNS
 ・簡易スキャナ カメラ ビデオカメラ
 ・テレビ ラジオ ボイスレコーダー
 ・音楽プレーヤー 動画プレーヤー
 ・電卓 ストップウォッチ 目覚まし時計
 ・電子辞書 電子書籍ビューア
 ・ゲーム
 ・地図 ナビ
 ・メモ Office
 ・カレンダー スケジュール TODOリスト
 ・家計簿
 ・移動記録 睡眠記録

● 「Sleep as Android」を使っての睡眠記録を除けば,音楽プレーヤーとして使っている時間が,ぼくの場合は最も長い。メールやLINEも重宝している。それ以外はあまり使っていない。
 が,将来は使うかもしれない。加えて,ぼくの知らない用途がたくさんあるに違いない。

● 要するに,えっ,スマホでそんなこともできるの,と驚きたい。どんどん驚かせてほしいね。

2014年6月14日土曜日

2014.06.14 お金はないけど,楽しく生きたい

● 海外旅行に行くとか,ディズニーランドに遊びに行くとかってことになると,とたんにお金がかかる。そういうものに向かうと,お金がないとどうにもならない。
 旅行に行きたい,ディズニーランドに行きたい,だから,がんばってお金を稼ぐ。ぜんぜん悪くない。そのためにバイトしている学生さんとかいるかもしれない。

● ぼくのようなインドア派は,あんまりお金がなくてもすむ。本やCDは図書館で借りればいい。
 むしろ,借りられるものは借りてすませた方がいい。所有するのは次善の策。
 借りたものは必ず返すことになるから,ブツが手元に残らない。それがいい。だんだんモノが増えてくるのは気ぶっせいだ。
 昔は,書斎(という言葉)や本に囲まれる暮らしに憧れたものだけれども,本なんか溜めこんでもいいことは何もないと今は思う。

● あとは,コーヒー代があればいいかな。ぜいたくを言わなければ,それ以上のお金はいらない。
 基本,車もいらない。買いものはあらかたコンビニですむし。

● あんまり山の中だとそうはいかないから,住むなら駅の近くがいいですな。良好な自然環境を求めすぎないことだな。
 自然環境だけじゃ生きていけない。歳をとって車を運転することもできなくなったら,ある程度街中じゃないと困りますよね。
 人は都市を好むものだ。都市の方が安心だからでしょ。

● お金を遣ってする遊びは必ず飽きる。高級ホテルなんてのも必ず飽きるはずだと思っている。お金のかからない遊びはなかなか飽きない。囲碁とか将棋とかはその典型ですよね。CDで落語を聞くなんてのも,そうそう飽きないと思う。
 であれば,別に奨めはしないけれども,お金をかけないで人生を楽しむ方策はある。じつのところ,インドア派でなくたって,工夫の余地はあるはずだ。

● 楽しく生きていくのに大金はいらない。できれば健康でありたい。ほかには,常識とか世間とか識者の意見とか流行とか,そうしたものをそのまま自分の価値観としない割りきりがあれば,それで充分ではあるまいか。

● ただし,パソコンは必須だと思う。できれば,スマホも。ぼくは17,000円で買った中古パソコンを使っている。スマホのSIMはOCNの千円SIM。それで充分だ。
 けれど,「お金をかけないで楽しく」を成立させるためには,このふたつはインフラとしてどうしても必要だと感じている。理由は省略。

2014年6月13日金曜日

2014.06.13 いい時代に間に合った幸せ

● ぼくの年代だと,パソコンはビジネスマシンだし,スマホも仕事に使えるかどうかをまず考えてしまう。その理由ははっきりしている。パソコンはまずビジネスに使われだしたからだ。しかも,その時期が長く続いた。
 その前にワープロ専用機の時代があった。昭和の末に初めてワープロに接したときの驚愕はよく憶えている。そのワープロも仕事で使うものだった。

● その後,パソコンが普及し,インターネットが普及し,スマートフォンなどという掌サイズのパソコンまでがあたりまえに使われるようになった。
 もはや仕事の道具じゃない。仕事にも使える道具だ。MicrosoftのOfficeも,ビジネスユースだけじゃないよとアピールするようになった。
 画像や音声や動画を扱えるだけの性能を,つまりプライベートユースに耐える性能を,パソコンが獲得したということですよね。ビジネスマシンとしては今のパソコンは明らかに過剰スペックだろう。

● つまりは何でもできる。何でもできるから,それで何をするかは人それぞれだ。少なくとも機械に自分を合わせる必要はない。自分に合わせて機械を使えばいい。
 で,ぼくはこうして駄文を垂れ流している。ブログを始めていなければ,パソコンはけっこう遠い存在のままだったかもしれない。いろいろ便利だけれどもそれだけだよね,っていう感じでね。

● インターネットの恩恵を享受している。そのことは日々実感している。いい時代に間に合って幸せだ。インターネットがなかった時代を知っているからねぇ。

2014年6月11日水曜日

2014.06.11 豚児との日帰り温泉行きがわりと頻繁になる気配あり

● 豚児が幼少のみぎりにはけっこう一緒に行ったんだけど。日帰り温泉。その後は,諸々の事情があって,バッタリ行かなくなった。
 で,今年の4月に久方ぶりに二人で行った。そのときは喜連川の「道の駅」。

● その後,今月の1日に高根沢の「元気あっぷむら」に二人で行った。豚児はここが気に入ったらしい。なので,7日にまた行った。
 お湯はね,喜連川がいいと思うんですよ。あと,旧小川町の「まほろばの湯」もなかなか。
 ただ,施設は「元気あっぷむら」が最も整っていますな。露天風呂も広くて開放感は限りなし。
 あと,寝湯。温度が低めなので長く浸かっていられる。そのまま寝てしまいそうになるほど,気持ちがいい。

● サウナで汗を絞ってから水風呂に飛び込んで(体にはあまりよくないらしいですね),露天風呂の縁台に座ってボーッとする。最高だ。下世話に申せば,酒も女もいらない。
 もちろん,このあと宴席が用意されててもいいし,美女が俯きがちに迎えてくれてもいいんだけれども,風呂あがりのビールっていうのはぼくの採らないところだし,世の中に美女は少ないものだからね。

● 今の時期は露天風呂を囲む緑も濃い。露天に浸かりながら,森林浴とはいかないまでも,緑の癒しというのはたしかにあるなと実感できる。

● 豚児は露天は夜がいいねと言う。さよう,然り。
 最近,教えたわけでもないのに食べ物の好みも父親に似てきている。遺伝ってあるのかなぁと,少々嬉しく思ってますね。最近までは母親が好きなものが好きという感じだったから。
 ただし,そうなると似て欲しくないものまで似てしまうわけでね。

2014年6月8日日曜日

2014.06.08 サプリメントも百均で

● サプリメントって意味がないっていう人と,いや有効だといういう人と,両方いるね。本当はどうなのかわからない。材料が自然のものか化学物質かで,吸収のされ方が違ってくるとか,そういった話になると,皆目わからない世界になる。
 でも,まぁ,病院で処方されることもあるくらいだから,多少は有効なんだろうという程度に思っている。

● で,数年前からサプリを摂取してます。フィッシュオイルとか,マルチビタミン&ミネラル(絶対に化学物質でしょうね)とか。
 サプリはヤフオクで買うと安いので,もっぱらヤフオクを利用。いちおうね,あまりに安いものは避けてますよ。マツキヨとかカワチでも販売しているものにしてます。

● ただね,ドラッグストアに置いてあるサプリを調べたら,謳っている成分がまったく含まれていないか,含まれていても表示の半分だったとかっていう話がありますな。
 まぁ,この世界は魑魅魍魎たちの住処というか。

● でね,どうせそういう世界なら,ダイソーで売ってるサプリでもいいんじゃないかと思ったりするんですよ。
 じつは,以前,ダイソーサプリを使ってたこともあるんですけどね。含有量が他社のものに比べるとひと桁少ないようなので,すぐにやめたんでした。

● でも,含有量の表示がいい加減なメーカーが多いんだとすれば,実際はダイソーサプリと似たり寄ったりかもしれない。であれば,安いダイソーサプリでいいじゃないか。
 再び試してみようかなと思ってますよ。

2014年6月7日土曜日

2014.06.07 パソコンの風景

● パソコンはWindowsを使っているんだけど,昔はMacに替えようかと何度か考えたことがある。
 理由はMacってカッコイイから。パソコンのデザインや質感にこだわったっていうか,こだわりたいと思っていたっていうか。

● 今はそれがない。Macのほかにもうひとつ憧れていたのがThinkPadで,そのThinkPadを使っているせいもあるだろう。
 でも,ぼくのThinkPadはヤフオクで17,000円で購入した時代遅れの中古品だ。それでまったく不満がないのはどうしたことだろう。

● 性能的には数年前に天井に届いている。これが主な理由だろう。
 もうひとつ。昔,パソコンがまとっていたオーラが消えたこと。いわく都会的,時代の先端,できるビジネスマンを演出する小道具,そうしたものが消滅した。自分表現のアクセサリー的な意味合いを失った。いまどき,Macユーザー=クリエイティブ系の職業人,とは誰も思わないだろう。

● パソコンは完全に道具になった。スッキリした。道具なんだからどこまで使い倒すかだけだ。昔からそうだったはずだけれども,それが露わになった。
 そうなると,「17,000円のパソコンでここまでやってるオレ,けっこうすごいじゃん」的な倒錯も出てくるわけで,これはこれでいやらしい。

2014.06.07 スマホのバッテリー問題など

● 愛用中のGALAXY SⅢ(SC-06D),唯一の不満はバッテリー。
 最近のスマホは3日もつというのがウリなんだけど,バッテリーは3200mAh。ほんとにこれで3日もつんですか。当然,使い方によるんだろうけど,GALAXY SⅢだって2100mAhなんだけどねぇ。
 バッテリーの問題は充電器を買い足せばすむ話ではあるね。ただ,それも一緒に持ち歩かなければいけないよ,と。これが意外に面倒そうでね。

● スマホの機能って,GALAXYでいうとⅢで完成形に達して,以後はブラッシュアップという感じがする。iPhoneだったら4sで充分で,以後はメーカーの都合による機種更新ではないかと思う。
 なので,買い換えるのは癪にさわる。壊れない限りは,使い続けてやるぞと思ってるんですけど。
 SIMもOCNに替えてるから,キャリアの2年しばりだの何だのの影響も受けないし。

● で,使い続けるんだったら,docomoショップに持ちこんで,3,000円を払ってSIMロックを解除してもらおうかなと考えたりね。
 日本型機能全部入りのSIMフリーモデルはいつ出るかわからない。それを待つより3,000円の支払いですませましょ。

● docomoのサイトには「契約者ご本人であることを、お名前・生年月日などで確認させていただきます」とあるから,すでにdocomoとの契約を解除している場合は,ロック解除してもらえない? そんなこともあるまいと思うんだけど(→ドコモと契約をしていなくても,手数料の3,240円を支払えば応じてくれる,とのこと)。

2014.06.07 「Sleep as Android」を使うメリット

● 「Sleep as Android」の使用を継続中。睡眠の深さに関しては,自分の実感と必ずしも一致しないことがありますな。当然ながら,自分の実感の方を信じることにしている。ここの部分は何というのか,お遊びという感じで。

● ただ,就寝と起床の時刻は正確に記録してくれる。したがって,睡眠時間(布団の中にいた時間)もピタッと出る。
 これがですね,やはり自分の実感と違っていたんですよ。こちらは,自分の実感を優先するわけにはいかない。
 自分としてはざっくり1週間の平均睡眠時間は7時間くらいかなぁと思ってたんだけど,6時間を切っていた。5時間台のことが多い。睡眠についてこれだけ乖離のある実感って何なんだ。

● 「Sleep as Android」を使いだしてから,休日の起床時間も平日と変わらないようになった。アラーム効果ではない。若い頃から目覚まし時計って使ったことがない。そこにアラームが加わったから起きられるようになったというのじゃないです。
 「Sleep as Android」を使うことそれ自体がもたらす効果ですね。あるいは,睡眠のログが残ることがもたらす効果といいますか。

● というわけなので,14日間のお試し版(無料)から正式版に変更。449円だったけな。多くのアプリが無料で使える時代なので,有料だとンッ?ってなるんだけど,これで永久使用だから。
 アプリケーションソフトって昔は数万円があたりまえ。それが一桁下がって数千円になり,今じゃ(パソコンでも)たいていのものは無料。表示される広告の煩わしささえ我慢すればいいんだから,ありがたいことですよ。

2014年6月6日金曜日

2014.06.06 スマホでわりを喰ったモノたち

● スマホは便利に使用中。スマホがあるのがあたりまえになると,その前の時代がどうだったかつい忘れちゃうけれども,夢のようなガジェットですよねぇ。ありえない便利さ。
 スマホ単体でもかなりいろんなことができる。そのうえでネットにいつでも繋がるんだから,娯楽はスマホさえあればすべて足りるという人だっているに違いない。

● となると,スマホに駆逐されたか,駆逐されないまでも大幅に売上を減らしたモノもあるはずだ。
 携帯音楽プレーヤーなんか,その最たるものだろう。国内ではSONYが細々と続けているけれども,いつまでもつか。

● デジカメは一眼レフのような高機能品に特化せざるを得ないでしょう。普通に写真を撮るだけだったら,スマホのカメラで充分だもんね。充分っていうか,充分すぎるというか。
 ゲーム専用機も難しいだろうし,電子辞書だってウカウカしていられないはずだ。カーナビ的なものはどうなんだろ。最近のスマホはバッテリーが持つようになっているから,ずっと地図を表示させてても問題ない。

● スマホというかそれ以前のガラケーのときからそうだったんだけど,腕時計をしないようになった。時刻はケータイで確認できるもんね。
 腕時計ってずっと前から,実用品というよりもアクセサリー的なものになっていたと思うんだけど,実用品としての意味合いはいよいよなくなった。
 ぼく一個は,アクセサリーとしてなら,男だって腕時計よりブレスレットをするべきだと思ってますね。その方が潔い。ネックレスだってブローチだって,じゃんじゃんすればいい。実用品にことよせたアクセサリーって不純じゃん。

2014.06.06 スマホ以前が思いだせない

● 初めてスマートフォンを買ったのがちょうど3年前。遅かったですね。docomoのSH-12C。今は2台目のSC-06D。

● タイトルはちょっと以上に大げさですけどね。音楽プレーヤーとして使っている時間が最も長いんですよ。歩きながら。電車の中。始終,音楽を聴いている。スマホ以前はどうしてたんだろうな,って。
 iPodとか持ってなかったんですよ。ということは,家で聴くか,車を運転中にカーオーディオで聴くかしかなかったはずなんだけど,具体的なシーンが浮かんで来ないんですよねぇ。

● 家で聴いたことなんてあったんだろうか。スピーカーはあったから,聴いてはいたんだろうけど,具体的なシーンが思いだせない。
 なんか,スマホ以前と以後には断絶がありますな。今はスマホがあたりまえになっていて,ずっとそうだったような気になってるんだけど,わずかここ3年ほどのことに過ぎない。

● 聴いてる時間は圧倒的に今の方が長い。外ではイヤフォン,家ではヘッドフォン。要するに,家でもスマホで聴いている。
 当然,再生できる音域には限界があるんでしょうね。そういうもので聴いても聴いたことにならないよ,と言われるのかもしれない。
 ではあっても,スマホのおかげで,音楽があらたまって聴くものではなくなった。あらたまって聴いた方がいいのかもしれないんだけどね。

2014年6月2日月曜日

2014.06.02 ふたりの小さな哲人

● 31日はサーティワンのアイスクリームが31%引きになりますね。だから,その日は混んでますな。アルバイトさんは大変でしょう。
 とまれ。先月の31日に行ってみましたよ。さくら市のイオンに入っているサーティワン。

● お客さんの中に小さな姉妹がいた。お姉さんが5歳で妹が3歳くらいかなぁ。5歳のお姉さんが妹の手を引いて,買いにきてて。
 無事に買えて,買ったアイスクリームをなめながら去っていく姉妹の様子がねぇ。この世の幸せを一身に引き受けてるような感じでねぇ。嬉しくてしょうがないって感じで。
 こういうのって,見ている人たちをも幸せにするよね。幸せのお裾分けって,こういうのをいうんだろうなあと思いましたよ。

● 幼子であること。姉妹であること。アイスクリームが大好きっていうのを,ああいうふうに表現できる年齢であること。気取りとも照れともわざとらしさとも無関係であること。子どものみが持つ説得力。
 同時にね,幸せってこういうものなんだろうなぁと思わせるわけですよね。幸せって小さいものだよな,って。確固たる永続性のある幸せなんて,この世にはないものだよな,って。

● 恋愛競争に打ち勝って,意中のマドンナを奥さんにできた男。その幸せは3日しかもたない。もたないだけならいいけれども,不幸に転化するかもしれない。万事,塞翁が馬。
 でも,あの姉妹の幸せは,すぐに消えるかもしれないけれども,不幸に転化することは(たぶん)ないだろう。

● 小さな,すぐに消える幸せを,それがある間に,身体全体で味わうこと。よき人生にする秘訣はこれに尽きるのではないか。
 ふたりの小さな哲人に幸いあれ。

2014年6月1日日曜日

2014.06.01 計画的であることへの疑問

● 国とか自治体とかでナントカ5ヵ年計画とか,10ヵ年計画っていうのをたくさん作る。法律で策定を義務づけているものも多いらしい。
 無駄を義務づけてどうするんだと思うことがある。計画といいながら総花的だし。こういうことをすべてやめれば,行政のスリム化にも貢献するのじゃないか。

● 計画信仰のようなものがあるように思われる。個人でも計画的であることを推奨される。
 計画というからには,達成すべき目標があるはずだ。衝動や欲望を抑えて,その目標にスムーズに到達するために計画を立てるのだろうから。

● 計画の前提は現状が変わらないこと。現状をそのまま延長して,その前提で何をどうするかという話だろう。
 現状をそのまま延長していいのは,せいぜい2年じゃないか。それを超える計画は現実の変化についていくことができない。変化を織りこむ計画もあるんだろうけど,織りこんだとおりに現実が変わっていったことなんてあるのかね。
 そうした計画を律儀に実行するのは,東京から大阪に行こうとして,東に向かって走っているようなものじゃないか。いつかは着くはずだと思って。

● 計画の射程距離はかなり短いものになるはずだ。短期計画しかあり得ない。中長期計画というのは語義矛盾というか,拠って立つ基盤を持たないはずだ。
 10年先を見通すことなどできるはずがないからだ。見通せないんだから,目標は立てられない。

● 計画が実効性を持つのは,せいぜい受験勉強くらいのものではなかろうか。
 最近だと定年退職後のライフプランなんかが大真面目に取りあげられるんだけど,その発想,ダメでしょ。
 計画的といういい方は理性的でクールな響きがある。視野を広く持っているというような。が,じつは愚劣で思考停止的なのではあるまいか。

● ではどうすればいいか。人生なんて目先の連続だと達観して,よろしく泥縄で対応すると決めてしまうことだと思う。目先よければすべてよし。あとはなるようになる(なるようにしかならない)。
 実際の話,勉強だって泥縄が一番身につくではないか。あらかじめ備えておくための勉強って,身が入らないでしょ。身が入らない状態でいくらやったって,そっくり時間のムダでしょ。泥縄で間に合わないことって,そうそうないような気がする。