2017年6月5日月曜日

2017.06.05 小さな幸せを是とするか

● 帰宅後。スーパーで買ってきたイカとマグロの刺身で焼酎を飲んで,ほんわか酔った。WALKMANのイヤホンを耳に突っ込んで散歩に出た。小1時間。
 諏訪内晶子さんのバッハ協奏曲集を聴きながら,サンダル履きでトロトロと田舎の夜道を歩きのは気持ちがいい。暑からず寒からず。何より静か。

● こういうのを積み重ねることができれば,それがすなわち幸せな人生というものだ。ゆえに。幸せになるのにお金は必須ではない。
 本当に貴重なものはお金では手に入らない。お金がなくても手に入る。そういうものかもしれないや。チャップリンの言うとおり,持つべきお金はサムマネーでいいのかも。

● と,ぼくは考えがちだ。ひ弱というか,豪快さに欠けるというか。
 中には,“戦い”に幸せを感じる人もいるだろうし,ひょっとすると逆境に置かれると恍惚とするなんて人もいるかもしれない。
 何が幸せと思うか,何を幸せと感じるか。当然,人によって違う。いや,同じ人であっても幸せの種類はいくつもあるだろう。

● 若い頃,幸せとは小さなものという言葉を何かで読んで,なるほどと思った。以来,幸せとはそういうものなのだと思って,今日に至っている。
 大きな幸せというのはない気がする。これはどんな人にも妥当しそうだ。数十億の資産を持てば必ず幸せになれるのであれば,その幸せは大きな幸せなのかもしれないが,現実は「数十億の資産家=幸せ」という図式は成立しない世界だろうから。それで幸せな人もいるし,そうではない人もいるだろう。

● ただし,貧乏は不幸につながりやすい。貧困にあえぐと,どういうわけだが口コミの輪から外れてしまいがちになる。あえて人付き合いから距離を置く人はいると思うけど,自分から外れるのと外れてしまうのとは同じではない。
 大事な情報が口コミで伝わることがある。そこからはじかれるのは不幸の始まりかもしれない。

● しかし。幸せとは持っているお金の多寡で決まるものではなさそうだ。幸せとはつまり気分であって,気分は主観的なものだ。
 同じ状況に置かれても,幸せ気分が勝る人と,不幸気分が勝る人に分かれるだろう。

● 結局,その人の気質,体質の問題に帰着するのかもしれない。生まれつき,幸せ体質成分を多く持っている人がいるんだろうな。羨ましい。
 生まれつきではなく,努力で変えられるんだろうか。

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