2017年6月20日火曜日

2017.06.20 一緒に飲んでくれる若い女友だちを持て

● 「社会や世間との接点を減らしていきたい」のだけれども。ゼロにはできないし,すべきでもない。ぜひとも確保しておきたい接点がある。それについて書く。
 その接点は何かと申さば,「一緒に飲んでくれる若い女友だち」を持っておくべきだということ。

● 若いとはどのあたりかといえば,20~30代。ぎりぎり40代もその範疇に入れる。
 しかし,若ければ誰でもいいというわけではない。こちらを刺激してくれるだけの頭の良さを備えていることは必須条件だ。

● さて。問題はここからだ。
 そうしてこちらが選んだ若い女子に,この爺となら飲んでもいいと思ってもらえなければいけない。普通ならあり得ないことだ。こっちは彼女の職場の上司でもなければ,女優の卵に対するプロデューサーのような関係でもないのだ。あくまで,個対個だ。
 なのに,還暦を過ぎた爺と一緒に飲みたいと誰が思うか。

● そこにどうやって道をつけるか。そのために自分はどうあればいいのか。そこを考えて,ジタバタしてみる。ここが肝だ。
 周りにお手本はいない。これじゃダメだというヤツばっかりだろう。だから,これは挑戦しがいのあるテーマになる。

● もちろん,飲み代はこちら持ちになるわけだから,ある程度の現金が必要。といって,飲む場所はチェーンの居酒屋だってかまわない。お金は問題にならない。
 自分の意見を言わないで聞き専門に回れること。相手を否定しないで受け入れる寛容性。しかし,彼女の質問には鋭く本質を衝いた回答を返せること。

● マスコミ的正義を一歩も出ていないような見方しかできないのでは,まずもって論外。自分を勘定に入れ忘れている時点でダメだ。そんなヤツの話は誰も聞きたくない。きつくいえば,そういう人は自分で立って生きているとは言えないからだ。
 そのうえで,活きのよさが必要だろう。何かスポーツをやっているのでもよい。かといって,その話しかできないのではアウトだ。
 大変なエンジンを積んだスポーツカーが一般道路を法定速度を守って走っているような,為体の知れなさがあるといいんでしょうね。
 同世代の他の男性が持っていない何ものかを保有していなければならない。

● でもって,これからそういう人物になれるか。なれっこない。じゃあ,どうすればいい? ジタバタするというのはそういうことだ。
 そのためにはだよ,冠婚葬祭なんかに出ている場合じゃないだろうよ。年賀状なんかどうだっていいだろうよ。

● 同級生の女性ではダメなのかと問われれば,ぜんぜんダメだと即答する。一緒に飲めば,昔話で盛りあがって,楽しかったね,たまにはこうして飲むのもいいわね,という最悪の結果に終わることが目に見えている。典型的な後ろ向き。
 小学校や中学校の同級生の女子と飲むのは,それこそ忘れた頃に開かれる同窓会のみで充分すぎる。

● 幼児体験に共通性のまったくない若い女性がいいのだ。しかも,彼女たちはぼくらよりも今の時代の空気をたくさん呼吸している。学ぶべきことはたぶん,無限にある。
 学ぶというよりも,刺激とか驚きとか,そうしたものを浴びることができるだろう。これが大事だ。自分の世界を閉じないために。

● この部分を開いておけば,近所づきあいをはじめ,他の人間関係は一切閉じていても,何の問題もない。
 ちなみにだ,この挑戦(?)に性は絡まない。そんな元気はもうありゃしない。奥さんに気兼ねすることもあるまい。
 というわけだから,諸君,この困難な課題に立ち向かっていこうではないか。

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