まずは,八芳園。二度目になる。庭園じたいが見事。手入れも見事。ぼくなんかが入り込んではいけないところなのではないかと思う。自分がこの景観を汚してしまうような気にさせる。
歩くのやめて,ホテルに戻ろうかなと思った。
● もちろん,そんなことはしませんでしたよ。
高野山東京別院。実家の旦那寺は,新義(智山派)だけど真言宗なので,ここを素通りすることはできない。
弘法大師がおわします遍照殿の中に入ると,自然に手を合わせてしまう。厳かな雰囲気。その背後には,厳しいヒエラルキーに枠をはめられた僧侶群と集金システムがあるのだろうな,と不埒なことを思ったりもしたんだけど。
● ちなみに,和歌山県の高野山には行ったことがない。だいぶ前に仏教に興味を持って,高野山大学院の通信課程で密教を学んでみようかと考えたことがあった。
でも,いい年をした大人が,何かを学ぼうとするときに,大学や大学院を発想してしまうのは,それじたいがその人の愚かさの証明でしょうね。
社会人大学(院)もひと頃の熱気というかブームは去ったかに見受けられるんだけど,有為の人材,できる人っていうのは,そんなものを相手にすることはなかったろうと思う。
● 桂坂を少し降って,東禅寺。立派な伽藍。昔はお寺が学校でもあったのだなと教えてくれる。修行の場であり,勉強の場でもあった。知というものが希少だった時代にはこういう形になるのかもしれないね。男性はお寺,女性は吉原で鍛えられたのだろう。
ミンミン蝉が元気に鳴いていた。東京には緑が多く,したがって蝉も多い。
八芳園もそうだったけど,これだけのものをこの水準で維持しなければならないのだから,お金がかかるだろうねぇ。高級を形成する要素として庭園があるっていうのはわかりやすい訴求ポイントだと思うんだけど,大変ですよ,高級を維持するのは。宿泊料金に転嫁するのも,そうそう簡単じゃないだろうし。
● ここまで歩いただけで,だいぶ疲れた。もう動けないという感じ。ひとつには猛暑。もうひとつは寄る年波。
品川駅東口(港南口)の吉野家でエネルギーと水分を補給。朝,あれだけ炭水化物を摂ったのにね。ひょっとすると,ぼくはかなり燃費が悪い体質なのかもしれない。
● 品川駅で大休止して,5月にも来た泉岳寺。今回はかなり雑に,たんに通り過ぎたっていう感じ。何せ暑いので。ここ,日陰がないんだよね。
● 魚籃坂。魚籃寺が坂の中腹に。こちらはこじんまりとした小寺。
中には入りづらい感じもあって,ここも外から一瞥しただけで終わってしまった。うーん,あと一歩の押しが必要かなぁ。
● 「くすのき公園」の楠。立派な一本木で,見応えあり。ただし,一度見れば気がすんじゃうところがあるかも。二度三度と見たくなるものではないような。
「旧細川邸のシイ」。これまた見応えはあるものの,同じように一度見れば充分かもしれない。
● 「大石良雄外十六人忠烈の跡」。赤穂浪士のうち,16人が切腹した場所であるらしい。門は閉ざされているので,隙間から撮影。
ここはでもたんなる跡ではなくて,何かちょっとゾクゾクと来るものがあった。腹を切った浪士たちの“気”がまだそこに残っているような。
しかし,よくぞこの場所をこの状態で残したものだと思う。
● こうして歩いていると,東京はほんとに坂の街だと思う。アップダウンが多い。しかも,けっこうな勾配のところもある。
自転車で移動するのは辛くないか。電動自転車が売れるはずだよね。
● ホテルが近づいてきた。途中に,東海大学の高輪キャンパスがある。情報通信学部と大学院の情報通信学研究科が置かれている。
キャンパスといっても,そこは都会のことゆえ,ほとんどが校舎のビルで埋められていて,空き地といえばテニスコートくらいしかない。それでいいんでしょうね。っていうか,移動時間がなくてすむから学生にも歓迎されるのかも。
唯一,キャンパスがたこ足になってしまうと,総合大学のメリットが失われるのではないかという懸念がある。東海大学情報通信学部というより,東海情報通信大学になる。他学部の学生と駄弁る機会が事実上なくなってしまうだろう。教授陣も同じ。そこのところをどう見るか。
ただねぇ,じゃぁ全学部が同じキャンパスにあれば,そうした交流が活発になるのかと言われるとね,あんまり関係ないのかなぁとも思ったりする。
● とにかく暑かった。首筋や背中から,面白いように汗が流れていくのがわかる。ホテルに戻ったときには,その涼しさに涙が出そうになった。何て涼しいんだ。
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