2017年8月22日火曜日

2017.08.22 Facebookの魅力?

● Facebookを始めてまだ1年余にしかならないんだけど,一度,FBから離れようと思ったことがある。閉鎖的な空間でずっとここにいても仕方がないなと思って。
 閉鎖的であるのが,FBの特徴であることはわかっていた。

● 不特定多数に向けて情報を発信するのがホームページ以来のネットの真骨頂だ。ブログしかり,Twitterしかり。
 が,FBは“友だち”を作って,“友だち”の間でコミュニケーションを取り合うツールだから,自分の発信が届く範囲は“友だち”に限られる。“友だち”の誰かが「いいね」やシェアをすれば,彼の“友だち”にまで届くけれども,基本は情報拡散には適さないSNSだろう。

● 基本的にGoogleの検索にもかからない。そういう閉じた空間ってつまらないと思った。
 で,しばらく離れてみよう,と。が,1週間で舞い戻ってしまった。

● 舞い戻ったのはやはりFBにそれなりの魅力があるからだろう。その魅力というのは,雑談の魅力だろうか。アップされるのはおよそどうでもいいことばかりだ。自分の投稿も同じだ。
 夕食に何を食べたか。休日にどこに行ったか。そんなことは,基本,どうでもいい。そのどうでもいいことのやり取りはしかし,けっこう引力が強い。

● で,そうしたどうでもいいことのやりとりを楽しむには,“友だち”の数が一定数いることが前提だろう。ぼくがFBを離れようと思ったのも,“友だち”が10人程度しかいないからだと思う。それだけではないが,それが大きな理由であることは間違いない。
 ぼくはリアルでも友人は少ない。というか,ほぼいないので,それがFBにも反映されている。その結果,FBがあまり面白くならないのであれば,ぼくのリアルもあまり面白くないものなのか。

● ではあっても,“友だち”の数を増やすことを第一義にするのは,はっきり間違いだ。来るものは拒まずの結果だろうけど,4桁の“友だち”がいる人もいる。
 あらかた,フォローをはずしているのだろうと思うが,それでも使いづらいFBになっているだろうなと愚察する。

● しかし,だ。FB内をザッピングしてみると,面白い投稿が多いものはやはり“友だち”も多いようだ。しかも,類友の法則が利いていて,水準の高い人が多そうなのだ。ぼくが無理にそうした輪の中に入ろうとしても,いかにも場違いという気がする。
 FBはわりと正直にその人の格を写す。その人の性格や活動の質量,幅を総括して“格”という言葉を使っているのだが。

● 翻って,自分のFBはひと言でいえば貧相だ。ぼくの格を写した結果だと思う。友人の数を追うつもりはないけれども,そうはいってもかなり貧しい感じがする。
 それが現在の自分の実相なのだと思うしかない。

● FBを離れてみようと思ったのも,その実相から目を背けたくなった結果かもしれないと,今,思いあたった。

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