● 学び直しという言葉がある。その際,放送大学,大学院の学生になるというのは,最も手を出しやすい選択肢だろう。
が,22歳で就職したとして,30代で学び直す,40代で学び直すのはあるかなと思うのだが,還暦を過ぎての学び直しは基本的にない。
● 第一,学ぶというときに,人の話を聞く,教科書を読む,学校に通うと発想してしまうようでは,いささかいかがなものか。学び=座学,と考えてしまう時点で,やや前時代的かなぁ,と。
もちろん,座学を楽しいと感じる人が一定割合でいる。そういう人はやったらいい。楽しいんだから。
● が,老いて学ぶのは世間的に評価されることだ,やるべきだという,べき論から入ってしまう人は,度しがたいバカに数えて差し支えない。
還暦過ぎの爺や婆に金持ちはいるかもしれないが,時間持ちは一人もいないはずだ。まもなく死ぬのだ。我慢して何かをする時間などないはずだ。
楽しいと思うこと以外はやってはいけないと律することが必要なのでは。座学に向かうのは誰でもできるが,ここを律するのはかなり難しい。難しい方に挑戦するべきではないか。
● むしろ,今まで学んできたことを外に出すことに意を用いた方がいいと思う。自分は何も学んで来なかったと言いたくなるだろうが,そんなことはない。意識していなくても相当なものが貯まっている。
それを何らかの形で外に出した方がいい。論文とかエッセイとかいう堅苦しい言語表現ではなくとも,表現の方法はあるだろう。
● 世間や社会に受け入れてもらえそうな一般経験,他者と共有できる範囲が大きい経験,は外に出すに及ばないかもしれない。そうではなくて,これは自分の胸に収めておきたいと思うようなものを棚卸しすると面白いのではないか。
そのまま出しては差し障りがあるだろうから,そこを巧く料理してサラッと差しだす。その方が放送大学や社会人大学で“学ぶ”よりもよほど高級だと思う。
● あるいは,自分(だけ)の好みを徹底して追求してみること。世間や他人からの評価はどうでもいい。つまらない,取るに足りない,と思われるようなことでいいのだ。それでいいというより,その方が望ましいのだ。
それを追求していって,その結果をアウトプットする。そっち側に行くべきではないか。還暦を過ぎてまで,自分の外に評価基準を求めているようでは情けないと喝破すべきだ。
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