● 八千草薫さんが亡くなったとTwitterで知った。彼女の主演映画やTVドラマをそんなにたくさん見たということはない。
記憶する限り,2017年の2月3日に日テレの金曜ロードショーで見た「ツナグ」が直近になる。
● 自分が勝手に抱いている八千草薫のイメージというのは2つあって,ひとつは絶世の美女ということ。この世のものとも思えない整った容姿の美しさ。異論は認めぬと言いたいわけだが,そもそも異論なんて出るわけもない。
その中でも右の写真は忘れることがない。あまりの美しさに呆然とする。「蝶々夫人」ね。DVD持ってるもんね。
● 入手したのはもうだいぶ前。で,まだ見てない。結局ね,「蝶々夫人」は何度か舞台で見ていてね,ストーリーは知っているし,ここでこういう台詞を言うというのもわかっているわけで。
じゃあそれを八千草薫はどうやっているのかを確認してみようということになっていない。
映画だからね。1955年。さすがのぼくもまだ生まれていない。歌はもちろん口パクでしょうね。
● イメージの2つめは,美人なのに敵が少なそうな印象ってこと。実際は知らないけれど,印象はそう。どうしてそういう印象になるかというと,やはり理由は2つあって,ひとつは“整った”容姿の美しさによる。
美がとんがっていない。全体として整っている。整っているから落ち着いている。無闇に他人を刺激しない。
● あまり自分を主張しない性格のように見受けられたことが,理由の2つめだ。環境に合わせるタイプのように思われた。他人と対立することによって自己を際立たせようとするタイプとは対極にいた人。
要するに控えめってことなんだけど,とはいうものの,舞台や映画を作る側の人なのだから,しかもその仕事を長くやってきたわけだから,自分の演技論がないはずがない。けれども,自分の演技論に過度に縛られる愚かさからも自由でいた人のように思える。
● 女性の美貌なんて年齢とともに衰え,40歳になると横一線になる。そこからは中身の勝負だなんて書いてある本を読んだ記憶があるんだが,嘘こきやがれ。まったくそんなことはないわいな。美しい人は老いてなお美しいんだわ。
もっとも,「老いてなお美しい」を維持できたのは,やはり女優を貫いたからでしょ。見られる側に立ち続けたこと。見る側は勝手なこと(しばしば的外れなこと)を言うけれども,それを含めて「見られる」を引き受けたこと。
0 件のコメント:
コメントを投稿