● 生来のケチ根性で,タダで手に入るものはタダで手に入れればいいと単純に思っている。で,ありがたいのは,娯楽にお金がかからなくなったこと。というより,お金をかけずにかなり高度な文化生活(?)を維持することができるようになったことだ。
日本国憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」というのは,もう死語にしてもいいのではないかと思うほどだ。
● たとえば。図書館で借りたクラシック音楽の楽曲紹介の本を読んで,紹介されている楽曲をチェックした。手元にないもの(CD)は図書館にあるかどうかあたってみようと思う。図書館もネットで確認できるのは便利だ。ムダ足をしなくてすむ。
あれば借りる。借りたCDはパソコンにリッピングする。昔はカセットテープにダビングしたものだが,リッピングならものの数分で終了する。
● インターネットのおかげだ。インターネットにつながっているパソコンとスマホがあれば,タダでいくらでも娯楽を享受することができる。しかも,それをブログやSNSで公開することまで無料でできる。
1月22日以来,Amazonのプライム会員になって,プライムビデオを見られるようになった。さらにその感を深くしている。
● 本も音楽も映画もタダ同然で無尽蔵に読み,聴き,見ることができるのだ。それ以上のものをぼくは望まない。
しいていえば,他に求めるものは手書きの楽しさくらいのものか。紙に字を書くということ。これは百円ショップが満たしてくれる。紙もペンも高いものである必要は全然ないのだから。
● しかも,インターネットの効用は,ブツが残らないというところまで行き渡る。買うと使用後もブツが残る。借りるのはレンタルショップまで出向く手間がかかる。
が,ネットで映画を見るのは,手間が一切かからず,見終えたあとに何も残らない。何も残らないが,もう一度見たければ見ることができる。
● したがって,散らからない。こんないいことはない。
本とCDは図書館まで借りに行く手間,返しに行く手間がかかるが,これは仕方がない。将来はこのあたりも変わってくるのかもしれないが,現状では仕方がない。
が,読んだあと,リッピングを終えたあとは,ブツを返却するのだから,ブツが手元に残ることはない。これだけでも“借りる”は“買う”に勝る。
● 図書館は本やCDを皆でシェアしているようなものだ。所有する必要などない。
ぼくはもう間に合わないが,不動産も借りてすますのが賢い。土地を買って家を建てるのではなくて,貸家ですます方が圧倒的にいい。
ブツがなくなる(要らない)のだから,広い家はお荷物でしかない。アパートでもいいだろう。アパートは持ち家に住めない人の仮の住まいという図式は昔のものだ。賢者は借りて住まう。
● 自動車だって所有するのかいいのかどうか。食料品も日用品も,衣類もそうだが,大衆品のレベルが切りあがっている。ユニクロの貢献が大きいと思うが,着るものなど全部ユニクロかシマムラで用が足りる。
今どきブランド品に惹かれるというのは,愚鈍の象徴のような気がする。
● となれば,不動産もブランド品も価値を下げる。価値を下げたものはさらに見向きされなくなる。そのループに入っていく。
総じて,価値はモノからお金にシフトする。価値とは稀少価値のことだからだ。稀少であることが価値の源泉だ。その稀少価値を持ち続けるのはお金だけになる。動産も不動産も,モノみなすべて,稀少性を失った。
で,そのお金がなくても娯楽を享受できるようになったのだ。お金と所有にも価値がなくなるとなると,これはもう究極かもしれない。
● ちなみに,稀少性を失ったのはモノだけではない。大学の価値はガタ下がりだ。大学が発行する学士や修士の価値も同じ。学歴にももはや価値はないだろう。大学が提供している程度の教育機能は,ネットでタダで手に入る。それを使った方がよほど効率的に学べる。
“勉強ができる”の価値もだいぶ下がっているのではないか。が,“頭がいい”には価値がある。稀少性があるからだ。つまり,“勉強ができる”と“頭がいい”は別物。
● では,クリエイターは儲けのタネがなくなって生きていけなくなるのかというと,そうはならない。音楽でいえばライヴで稼ぐ。映画なら新作で稼ぐ。しばらく待てばタダで見られるようになるとわかっていてもすぐに見たくさせるような話題を作れればいい。
モノ書きは専業で喰っていくのは難しくなるかもしれないが,これは昔から難しかったのだ。それに,本が売れなくなったといわれる現代でもベストセラーは出るのだ。
● それに,だ。いつの時代だって,バカが圧倒的多数なのだ。
たとえば,宇都宮の例でいえば,二荒山神社の参道の脇に高層マンションが建った。完売だと聞く。が,そこに住んでいる人は少ない。
投資用資産として購入した人が多いというわけだろう。誰かに貸して家賃を得ようと考えたのだろう。
が,借り手がいるのか。いなければその資産価値はゼロだ。理論値がいくらになろうが関係ない。マーケットで売れなければ価値はゼロ。おそらく,借り手はそんなに現れないと思う。宇都宮でも人口は減少し,空室率は上昇しているはずだ。
要するに,金はあるが頭はない連中が,こういうものに手をだす。
● すっかり色褪せた大学に子供を行かせようとして,教育費が大変だとアクセクしている親が大半だろう。隣がカラーテレビを買ったからうちもという,半世紀以上も前の自他比較思考から抜け出せない人が多数派だろう。でもって,そのことの言い訳はいくらでも編みだす。
ことほどさように,世の中はバカで満ちている。費用負担はバカにさせればよい。バカに負担させて,ぼくらは軽装でお金をかけずに生きていく。
そう割り切る。そうして,ぼくらはお金から自由になる。
● 貧富の差なんてもうどうでもいいのではないか。無料でできることがこれだけ多くなると,お金の限界効用は大きく下がる。
したがって,これからの時代を賢く生きるためのキーワードは“所有しない”である。所有していいのは現金性資産に限られる。その現金性資産も多ければ多いほどいいという時代ではすでにない。
それを可能にしたのはインターネットだが,その起業家たちが世界を代表する富豪になっているのは,ぼくに言わせれば皮肉だ。ご苦労なことだ。
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