● Snapchatは「写真や動画を個人かグループに送信する」アプリであり,「1秒から10秒の間で閲覧時間を設定」できる。「閲覧している間,受信者は端末のタッチスクリーンを触り続けなければなら」ず,「閲覧時間の終了後,写真はアプリ上から見ることが出来なくなる」(Wikipedia)という,写真共有を主目的としたSNS。
Instagramに似ているが,見たら消えるというところに特徴がある。類似のアプリにSNOWがあって(消えるからSNOWという名前にしたのだろう),こちらはLINEと同じ韓国生まれ。日本を含む東アジアではSNOWの方が普及しているらしい。
● 見たら消えるんだから,それについてコメントをやりとりすることはできないのだろう。そういうことを目的とするのではなく,「これ,ヨクネ? 笑ってよ」と道化を演じたり,刹那を伝えるためのものなのだろう。
だから,SnapchatにしてもSNOWにしても,不特定多数に公開するものではなく,限られた仲間内の中でのやりとりになるのか。といっても,不特定多数を相手にそれをやってはいけないということもない。たぶん,それもできるのだろう。
● そうか,今の若者はアーカイヴされるものではなくて,すぐに消えるものに惹かれるのか。ストックにあまり興味がなく,フローがすべてということか。と,とりあえず思った。
であっても,ぼくは自分の投稿なりツイートをストックしておきたいという欲望(?)から自由になれない。データベース幻想を棄てきれない。
● データベース化するのがいいのか,読まれたらすぐに消えてしまうのがいいのか。こういうふうに二者択一で考えてしまうのが,すでにしてオヤジ思考なのだろうな。
若い人は多様化を受け容れているのだろう。すぐに消えるものを受け容れたからといって,従来型の残るものを棄てるわけではない(たぶん)。SNOWを受け容れるけれども,LINEも使い続ける(中高年にとってLINEといえばチャットだけれども,若い人はSNS機能を活用しているらしい)。
● ぼくらロートルは,すぐに消えてしまった方がいいものはネットに出さないようにしている(それをしないヤツが,特にFBには多い印象があるにはある)。セーブをかけている。
それが習い性になっているから,今さらSnapchatやSNOWを与えられても,使いこなすことはとてもできないと思う。
● こうして中高年は時代のメインストリームから離れていくのかもしれないけれど,何でもかんでも若者のマネをしなければいけないというものではない。自分の流儀で進むしかない。そう居直ることにしよう。
が,自分の流儀が正しいとか,それがすべてだと考えないようにしないとね。そこは最低限だ。中高年はそうなりがちだから,注意しないといけない。
● 多様化とはいっても,重心は消える方に移行していくのではないか。若者の間では。
つまり,中高年に新しいものは作れないということだ。中高年はそのことにも自覚的であるべきだと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿