● Facebookはやめたけれども,Twitterはやめられないでいる。なぜやめられないかというと,Twitterでtweetするのは,相手のいない雑談をしているような気分だからだ。
ぼくの場合,仕事を完全引退すると(ひょっとすると1年後かもしれない),話相手は配偶者だけでになる可能性が高い。リアルの話相手はそれで充分だと思うが,配偶者では話相手にならない話題をtweetする。そういう効用がある。
● Twitterは独り言をつぶやくのに適したネット上のツールで,今のところ,これは手放せない。
独り言といっても,tweetするのは虚空に向かって言葉を発するのとはだいぶ趣を異にする。どこの誰かは知らないけれど,何人かには届いているという実感が持てる。
● Google+はサービスをやめ,FBもひょっとしたらその後を追うのではないかと思わないでもない。近い将来の話ではないが,いずれそうなりそうな。
先駆者の若い人はあらかたやめているだろう。次は中高年が去って行く番だ。文化は若者から発祥して,それが上の世代に浸潤していくものだとすれば,FBを始めるのもそうだったように,FBをやめるのもまた,これから上の世代に浸潤していく段階だと思えぬでもない。
● Instagramにはぼくは興味がない。芸能人がファンサービス・ファン獲得に使うにはいいかもしれないと思うが,始める人はすでに始めていて,ここから先さらに大幅にユーザーを伸ばすことにはならないと見る。
FBに続いて衰退に向かうのではないかと推測する。インスタ映えという言葉は半ば死語になっている。今,この言葉を使うのは少し恥ずかしくないか。
FBもInstagramもアカウントはそのままにしていて,事実上使うのをやめている人がかなりの数いるのではないか。主催者発表の数字は大本営発表であるというのは,この分野でも同じだろう。
● マストドンもひと頃騒がれた後,どうなっているのだろう。500字まで投稿できるといっても,500字もあったのでは,そもそも読む対象から外されてしまうのでは。長い文章は本で読めばいいので,SNSではなかなか。
500字を書くくらいなら,もうひと踏ん張りして,ブログにした方がいいような気がする。ブログなら長いものだと読む側も思っているだろうからだ。マストドンはSNSとブログの鵺的な存在という印象。まったく使ったことのないままで言っているわけだが。
● 結局,残るのはTwitterだけのような気がする。140字という字数制限(といっても,140字といえば400字詰め原稿用紙で7行分。けっこう長いのだ)と無言フォローで問題ないというのが,Twitterの生命線。つながりとも言えないかすかなつながりが,Twitterの空間に広さと開放性を与えている。
FBには濃密感があって,これが鬱陶しい。LINEもおそらく同様だろう。鬱陶しいのはリアルだけでたくさんだ。
● で,このTwitterが娯楽にもなり得る。こちらの気持ちが落ちこんで活性度がかなり低下しているときでも,Twitterなら使える。
それゆえ,放っておくと始終Twitterに触っていることになりかねない。その取扱いには工夫と克己が必要かもしれない。
が,FBはアカウントを消してだいぶ経つけれども,Twitterは当面持続という方向。
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