2020年3月31日火曜日

2020.03.31 現役最後の日

● 最後の勤務日。明日からご隠居になるんだけど,今日1日を乗りきれるかどうかで頭がいっぱいで,明日のことは考えられない。
 こういうのって,自分だけじゃないと思うんだな。人間って,ほんと,目先のことしか見えないものだよね。

● 勤務地は真岡。真岡に勤務するのは3回目で,通算9年。サラリーマンなんてのは異動の連続で,真岡勤務の前の職場で相当痛めつけられ(って,自分で自分を痛めつけていたのかも),その都度,真岡に癒やされた。
 ので,真岡の印象はかなりいい。この時期の行屋川や北真岡の桜は見事というほかはない。五行川の堤防
を自転車で走ったのは数知れない。飲み屋はいずれも水準が高い。内にこもれる街だろう。宇都宮に出る必要はない。
市役所前の桜

● その代わり,外に出ようとするとかなり不便だ。公共交通機関は真岡鐵道とバスしかない。バスは運賃が高すぎるのと便数が少なすぎるのとで,日常の足としては使えない。
 真岡鐵道は下館に行ってしまうので,これまたあまり使うことがない。
 日常の移動は車でいいとしても,東京に出るのが不便。石橋まで車で行くしかないだろうが,車を使ってしまうのだから,東京で飲んで帰るなんてことはできない。

● しばらくユックリすることだよ。1ヶ月もすると働きたくてしょうがなくなるから。長くサラリーマンをやってしまった人は,どの組織にも属さないなんて耐えられないんだよ。
 とアドバイスしてくれた人がいた。自身の体験からのものだろう。“親身”が嬉しかった。

● が,言ってることはわかるけれども,自分に限ってはそれはないと思っている。「自由=孤独」は大人の常識。孤独といかに親しめるか。大人度を測るひとつのメルクマールになるだろう。
 漠然と怖れているのは“飽き”だ。自分の行動を制約するものは基本的にはないわけだが,その状態に飽きてしまうこと。
 待てよ。その“飽き”を,孤独に耐えられない状態というのかね。でもって,働きたくて仕方がなくなるのかね。
 不耐性と飽きは,ちょっと違うもののような気がするが,そういうことは自分を実験台にして確かめることができる。

● で,夜の8時になって。終わった。帰宅した。41年間のサラリーマン生活が終り。明日から“毎日が日曜日”。感慨は,今のところ,特にない。

● 現役最後の夜,相方がご馳走を用意して待っていてくれた。どんなご馳走だったかっていうと,「かつや」の海老ヒレかつ弁当。
 すごいよね,二段重ねだよ。何だよ,「かつや」かよ,なんて全然思わない。

● そのカツでハイボール。いつもは3杯飲んじゃうんだけど,今夜は2杯で収まった。ストレスフリーだもんね,アルコールはさほど必要としなくなるだろうな。これはいいことだ。なぜって,酒は飲むな,飲まないで肝臓を休ませろ,と医師から言われている身だからね。

2020年3月27日金曜日

2020.03.27 呆れるほどのバカ

● TwitterにこんなTweetが流れてきた。
音楽家を志している才能あふれる若者が、いまの日本を見て「何かあったら暮らしていけない職業だ」と考えてこの世界に来ることを諦めてしまったら、将来私達が被る文化的損失は計り得ないほど大きいと思うのです。
● 自身が音楽家であるらしい。これに対して引用リツイートで反応した。
そんなことはない。喰えないことは折込ずみで,それでもこの道を行く,と決めた人だけいればいい。食えないからやめておくという人は,それだけの才能しかなかったってことなんだよ。むしろ,才能がないのにこの道を目指そうとする人たちに再考を促す効果が,今回のコロナ騒ぎにはあるかもしれない。
● が,同じ人の次のTweetを知るに及んで,上の引用リツイートはすぐに削除した。
音楽家に限らず、芸術文化に関わる全ての分野に言えるだろうし、観光業や飲食店なども。不測の事態が発生しても全ての人が安心して過ごすことができる世の中であることが、将来の自分たちを豊かにしてくれるのでは。
● 率直に申して,ここまでのバカに何を言っても仕方がないと思ったのだ。これほどのバカに言語で橋を架けることは不可能だ。
 蛇足もいいところだろうが,その所以を一応書いておく。「将来私達が被る文化的損失は計り得ないほど大きいと思う」のが,まず間違い。自分の属する領域を実態以上に大きく見てしまっている。

● 自分の立ち位置をモノサシにして世間や社会を見るのはバカでもできることだ。逆に,世間や社会の側から自分の立ち位置を逆照射するのは,バカではできない。
 専門職と呼ばれる領域にいる人たちに,わりとこの類のバカが多いという印象を持っているが,その立ち位置を正確に座標化できないというのでは,バカを越えている。

● この人は「不測の事態が発生しても全ての人が安心して過ごすことができる世の中」というものがあり得ると思っているらしい。安心して過ごすことを脅かすものを,不足の事態というんじゃないか。
 「不測の事態」とは今回のコロナウィルスを言っているのだろう。コロナウィルスで亡くなる人が,東日本大震災で亡くなった人を超えるとは思いたくないが,しかし,どうなるかわからない。


● それでも「全ての人が安心して過ごすことができる世の中」ってどういう世の中だよ。そんなものは洋の東西を問わず,今まであったことはないし,これからもないだろうよ。
 もしあったら,それを天国と呼ぶのだろう。現世を天国にできると思っているって,小学生や中学生がそういうことを夢想するならわかるけど,大人の発言なんだよ,これ。

● しかも,その「不測の事態が発生しても全ての人が安心して過ごすことができる世の中」を建設することについて,自分も当事者だという意識はまったく感じられない。他人事だ。誰かがやれと思っている。
 自分はあくまで受益者。バカにとどまらず,際限なく卑しい。

● おそらく,その誰かは政治家や官僚なのだろう。政治家や官僚が “打ち出の小槌” を持っていると思っているんだろうか。どういう世の中を作ろうとするにせよ,その原資は税金しかない。税金でなければ国民からの借金だ。あたりまえのことだ。
 たとえば,アメリカから買う戦闘機を全部キャンセルしたって,「不測の事態が発生しても全ての人が安心して過ごすことができる世の中」を作るコストの万分の1にもなるまいよ。焼け石に水にすらならないだろうよ。


● まことに,世の中にはモノを考えるということを知らないバカがいるってことだね。それをわからせてくれるのがSNSの功徳のひとつだ。
 教訓は,『自分は自分,バカはバカ』(西村博之さんの著書のタイトルね)ということ。自分と考えを異にする人のTweetに絡んでも,たぶんいいことはない。

2020年3月22日日曜日

2020.03.22 宇都宮散歩 JR駅~東武駅

● 21日。これから東京に出かける。のだけれども,何時まで着かなきゃいけないっていう用事はない。急ぐ理由がない。ので,東武電車で行こうと思う。東武の方が安くあがるからだ。
 東武駅まで歩くわけだけど,勝手知ったる大通りは避けて,今まで通ったことのない裏通りを行き当たりばったり歩いてみようと思う。

● 右の写真はJR宇都宮駅近く。田川堤。コロナで重苦しい空気だけども,春は春。
 清少納言は春はあけぼのと言った。さすがの着眼であろうけれども,凡人には春はピンクでありましょう。ここのところの温暖化で,ピンクに染まる時期が毎年早まっているんでしょうかねぇ。

● ときどき,女の人って何でピンクが好きなんだろうと思うことがある。春を思わせるからという理由なら,男にもピンク好きがもっといていいはずだ。いるのかね,男にも。隠れピンクファン。
 ぼくはわりとピンク,好きなんですけどね。シャツとかピンクをわりと着る方だと思う。それでも,女性のピンク好きとはレベルが違うわけで。女の人って何でピンクが好きなんだろうね。

● 宇都宮も大通りから外れて路地に入ると,色々と想像を刺激してくれる空間があって,けっこう面白い。
 東京の玉ノ井とか鳩の町とか元吉原の人形町1丁目とか,そういうところの路地に昔の残り香がないかと思って,何度か歩いてみたことがある。
 かすかな残り香はあるものだ。江戸時代初期の,戦前の,戦後しばらくの間のざわめきを想像してみるんだけども,これはなかなか上手くいかない。

● しかし,かすかな残り香なら,わざわざ東京のそういう場所に行かずとも,宇都宮でも見つけることができるのだった。
 日本がというより世界が貧しかった時代が長かった(今だって未来の人類から見れば貧しいのかもしれないが)。その貧しい時代に生きた人々の残り香。

● 江戸期の吉原の花魁は書を能くし,和歌も詠んだ。女性を代表するインテリだった。男の学者もタジタジになったと聞く。苦界に身を沈めるというイメージからはみ出すものがあった。
 それでも,当時と今と,どちらがいいかといえば,圧倒的に今だろう。という余裕をこきながら,残り香などと気楽なことを言っているわけだ。今はいい時代だ。

● 22日。東京からの復りも,大手町から半蔵門線に乗って,そのまま東武で。
 すっかり安酒場街と化したオリオン通りを歩く。日曜日だというのに,お客が入っているんだよねぇ。もちろん,店によって差異はあるんだけど,ひと頃の寂れ具合が嘘のようだ。印象としては若者が多い。

● ぼく一個の例をとれば,職場の飲み会は昔に比べれば激減している。たぶん,どこでも同じだと思うんだよね。
 にもかかわらず,これだけ入っているというのは,若い人たちが職場抜きで飲んでいるんだろうか。どうも,ロートルにはわからない現象だなぁ。

● コロナはどうするんだよ。クラスタになるかもしれんぞ。どうにかこうにか爆発を防いできた日本においても,蟻の一穴から壊滅するかもしれない。
 といったって,そろそろコロナに飽きてきてる。それが油断というものかもしれないのだが,飽きてきている。

2020.03.22 大手町の丸善で高校社会科の教科書を探す

● 大手町の丸善を覗く。高校の社会科の教科書があったら買おうと思って。学習参考書の類いは3階にある。日本史と世界史は山川の『詳説』があったんだけど,それ以外はなし。
 山川の日本史,世界史の教科書だけは,一般的に需要があるんでしょうね。ぼくのように高校の教科書を読んでみようとするオッサンより,山川以外の教科書を使っている高校生が,参考書代わりに買っていくんだろうな。

● ぼくとしては山川にこだわる理由はない。山川でもいいが,山川じゃなくてもいい。
 地理,政治経済,倫理も含めて,Amazonでまとめて買おうかと思ったんだけど,Amazonだと高額になる。どういうわけだ。
 大久保には教科書専門の販売店があるらしい。これって,都道府県ごとにあるようなのだが,どうもわかりづらくていけない。

● ともあれ。「現代社会」はいいとして,高校社会科の5科目の教科書を読めば,この分野については日本人の中で上位5%の知識人になれるだろう。もちろん,高校の社会科教師全員を含めたうえでの上位5%だ。
 そんなものだよね。ぼくらが知っていることなんて,その程度のもの。上位5%に食い込むなんてそんなに難しいものではないわな。

● 高校教科書は別にしても,こういう大型書店を覗いてみることも,たまにはした方がいいと思う。夥しい書籍を見て,教科書から哲学,サブカル,音楽の楽譜に至るまで,この世の森羅万象はすでに書かれている,自分が付け加えることなど何もない,という気分に浸ることができるからだ。
 圧倒的なボリュームを目の当たりにすることが必要で,これは図書館よりも新刊書店の方がいい。当然,大型書店でなければならない。

2020.03.22 3回目のブラッサム日比谷

● 今週末は3連休。が,20日(金)は家で過ごし,21日に東京で1泊した。わが家のホテル奉行がそういうスケジュールを組んでいた。泊まったのはブラッサム日比谷。

● 部屋は2701号室。宿泊費は約2万円。朝食付き。この場所でこの料金は安い。
 近くのコンビニで缶チューハイを買っておいた。部屋に入って,まず缶チューハイをクイッと。このホテルにラウンジはないので,部屋をラウンジ代わりにしている。何時からカクテルタイムにするか,飲み物も料理も自分で決めることができる。といって,デパートで惣菜を買ってくるわけなのだが。

● ま,1杯やって,風呂に入った。外はまだ明るい。明るいうちから風呂に入るなんて贅沢なものだ。
 で,その後は,惣菜を買うために銀座三越に行ってきた。ちょっと飲んでいるし,風呂に入っているしで,わりと疲れた感じ。

● で,その惣菜(沈菜館のチヂミ)でまた缶チューハイを飲んだ。チヂミで飲むには,レモン風味が強い缶チューハイよりウィスキーのハイボールがいいですな。
 そんなこんなで夜になった。

● 今度はひとりで新橋を歩いてみた。前回も同じことをしている。銀座にしろ新橋にしろ,自分が住んでいない街をフラフラと歩くのは気持ちのいいものだ。

● 朝食。もともとはブッフェ形式なのだが,コロナウィルスのために,ブッフェ形式はやめている。スタッフがお客の注文を聞いて取り分ける方式。
 が,これだとちょっと遠慮ができる。ぼくは同じモノを何度もお代わりすることがあるんだけども,スタッフに取り分けてもらうとなると,さすがに遠慮がでる。

● その点,うちの相方もそうなんだけど,女のお客さんって遠慮がないよね。ガンガン行く。どう思われるかなんて考えないようだ。もちろん,それが正しいのだ。あるべき姿なのだ。
 が,わかっていてもなかなかそれができないのが男ってものだよねぇ。ねぇ,ご同輩。

● ご飯と味噌汁,あとご飯に明太子を載せれば,すでにしてひとつのご馳走だ。相方とぼくとで完全に見解が一致しているのだが,このホテルの朝食は水準が高い。
 運営がJR九州のこととて,明太子が典型的にそうなのだが,さつま揚げや蒲鉾も九州の名産が並ぶ。和食党にはかなり嬉しい品揃えではないかと思う。

● 問題は食べすぎること。ぼくのような糖尿病患者にはここが難しいところ。結局,食べてしまうんだけどね。昼食を完抜きにして帳尻を合わせるわけだが,昼食を抜いたくらいではおっつかないかもしれないんだよね。そのくらい,食べてしまう。
 いや,スタッフに遠慮して,抑えているつもりなんだけどさ。

● チェックアウトは正午。それまでぼくはロビーで過ごした。ロビーにおいてある写真集や画集を見て過ごす。何て言うの,眼下に大都会のパノラマが広がっているわけでね。それを借景にして,温々と写真集を見てるなんて,何て優雅なんざましょ。
 トンビだか鷹だかしらないけれど,鳥が3羽,高層ビルの合間を悠々と飛んでいた。いやぁ,格好いい。自分も鳥になりたいとは思わなかったけれど。

● ところで,やっぱりコロナでだいぶ影響を受けているんだろうねぇ。こんなチラシがあってさ。このホテルはアーバンネット内幸町ビルの上層階(18~27階)に入っているのだけど,あとは企業が入居している。その企業の社員に向けたもの。
 が,6~16階には日本軽金属ホールディングスが入っていて,日軽金には当然,社員食堂がある。なかなか18階には上がってきてくれないだろう。ひょっとすると,いったん1階まで降りないとホテルには上がれないのかもしれないし。

● もともと,シティホテル的な宴会やウェディングで儲けようというのじゃなく,宿泊主体のホテル(ビジネスホテル的な)かと思えるのだが,その宿泊客がコロナ騒ぎでかなり減少している。
 早く収束してくれないと,洒落にならない結果になりそうだ。ひとり日本だけではないわけだが。

2020年3月21日土曜日

2020.03.21 日比谷~銀座~新橋

● 浅草から銀座線で新橋。新橋のホテルに入って,部屋で1杯やってから,東京ミッドタウン日比谷へ。16時を過ぎたところ。ガード下の居酒屋はもう店を開けている。
 道路に花壇を作っている。
ちゃんと手入れされている。ぼくはパンジーだと思っていたのだが,ビオラなのか,これ。

● このあたり,演劇のメッカなんですか,そうですか。クリエの前にはお客さんが並んでいた。催行自粛はしてないようだ。
 それでいいのか。いいような気がするんだよね。ひとつには,たぶんガラガラだと思えること。密集要件を満たすほどにはお客は入っていないだろう。
 街にはこれだけの人が溢れているのだ。催行自粛って,面の中に点をうがっているだけなのではないかと思えてくるんだよ。素人の考えそうなことだと,われながら思うんだけどさ。

● ミッドタウン日比谷のショッピングモールに初めて入ってみたよ。東京駅前のKITTEを思いだした。KITTEからくすみを取り除いた感じ?
 一等地ゆえどんだけ高級&高額なんだろうとビビってたんだけど,別にどってことはない。気安い居酒屋もある。カフェなんかも若者が普通にデートで使えそう。
 日本ってほんとに物価の安い国になったよね。この場所でこの値段でコーヒーやビールが飲めるんだからな。

● 隣にはこんな居酒屋ビルもあるしね。よかった,こういう場所にも俺の居場所があったと思うんだけど,こういうのがなくたって,ショッピングモールの中で飲み食いできますよ。
 しないけどね。ぼくはホテルで部屋飲みだからさ。

● 前回,行列の長さに驚いたところ。が,相方がこれを見て入ってみたいと言いだした。香港で見たことがあるという。飲茶の店らしい。
 が,今回も長い列ができているので,ぼくはパスしたい。テイクアウトのカウンターで肉まんを買ってすませることができた。その肉まん,メロンパンふうの生地の中に甘めの餡が入っている。この味,たしかに香港で何度か口にしている。
 香港に来たみたいと相方は喜んでおりました。めでたし,めでたし。

● 銀座に移動。並木通りから中央通りへ。歩きやすい。つまり,人が減っている。中国人が消えた(コロナ騒ぎが
広がってもしばらくはいたんだけどね,中国人)。静かな銀座が戻ってきた。
 三越で酒の肴を買った。沈菜館のチヂミがぼくのお気に入り。酒を飲んではいけないと言われているんだけど,これで缶チューハイをやるのだ。

● で,ホテルに戻ってそのようにした。そうしてから,今度はひとりで新橋へ。遊興街というか歓楽街というか。いつもの新橋という感じを受ける。コロナの影響はあまり受けていないのではないか。
 途中にある居酒屋も,お客さんで埋まっていた。お客さんがキラキラしてる感じが眩しかった。つまり,一生懸命に話している様子。楽しそうだ。それがキラキラしているという印象になる。
 唯一,小さな子供を連れてきている人がいて,さすがにそれはちょっとまずくないかと思ったけどね。しかも,喫煙エリアだったし。ところがさ,その子も楽しそうなんだよね。大人が集まる場所にいられるのが嬉しくてしょうがないっていう感じなんだよ。

● 問題はやっぱりコロナだよな。クラスタになりやすい場所だよね。密室,密集,密接の3要件を見事に満たしちゃってるし。マスクなんかしてちゃ飲み食いできないから,そんなものはしてないしね。
 困ったことに,人はこの3要件を満たす場所が好きなんだよね。コミュニケーションに最も適した場所だからね。どうでもいいことを話題にしてああだこうだと言い合うのは楽しいもんね。

● 新橋がお好きでしょ。はい,はい。何ていうんでしょ,新橋って解毒エリアなんでしょうね。港区の下町。新橋があるから,東京は東京でいられるんじゃないかと思うんですよね。
 日比谷と銀座と日本橋しかない街ってあり得ないからね。そんなのは街になり得ない。

● でね,1人で新橋の居酒屋に入る勇気はなくてさ。結局,立食いそばを食べたんだけどさ。420円のちくわ天うどん。
 激しく後悔。食べちゃいけない身体なのにね,よりによってこういうものに負けちゃ
うって,何なのよ。

2020.03.21 浅草の喧噪

● 東武線に乗車。曳舟で浅草行きに乗換。浅草に着いた。雷門や浅草寺の方に行ってみるつもりはない。
 隅田川堤。こちらも春爛漫。ムダな活力で溢れている。“ムダな”というのが活力の生命線。コロナに負けてないぞ日本人,と思うのだが,これがいいことなのかどうかは,正直,ぼくにはわかりかねる。

● ただ,ぼくもこうして用もないのに浅草に来ている。不要不急の移動だ。その典型だ。それ油断だろ,と言われれば,そうですねと申しあげるほかはない。

● とはいっても,ソメイヨシノが満開にはまだ遠いけれども,花を咲かせていれば,どうしたって浮き立ってしまう。スマホのカメラを向ける人がたくさんいる。
 三々五々,春の日差しを楽しんでいる。平和という二文字を絵に展開すればこうなるだろうという,典型的な光景だ。

● 欧州ではそれでも外出禁止にしてるんだっけ。日本も紙一重のところで感染爆発を防いでいるのかもしれない。油断がその紙一重を破ってしまうかもしれない。
 では,こうした行楽をやめて,誰もが家にこもっているのがいいのかってことになると,どうなんだろ。手術は成功しましたが患者は死にました,ってことにならないんだろうかな。

● 結局,わからない。わからないから,ぼくはできるだけ通常を維持しようと思っている。

2020年3月18日水曜日

2020.03.18 “毎日が日曜日”になることへの覚悟が決まらなくて,ウダウダと考えている

● 働ける間は働いた方がいいという意見があって,これがなかなか説得力を持つ。そう考えている人は多いのじゃなかろうか。ぼくもそう思っていた時期があった。
 働くということは単に仕事をするというだけではない。生活が規則正しくなる。毎日,他人に囲まれることになる。これが耐え難い苦痛をもたらす元凶にもなるんだけども,単調に墜ちることを防いでくれる防波堤にもなる。

● 特に若者と接することができるのなら,社会から遊離することも防いでくれるかもしれない。ネットでは得られない類いの情報に接することができる
 そういうものには間違いなく価値がある。その価値を重く見るなら,70歳まででも働けるなら働けばいい。

● 一方で,働ける間は働いた方がいいと考えがちなのは,経済問題を別にすれば,環境の激変を避けたいと身構えるゆえであるかもしれない。
 自由に使える時間で日々が埋まるとなると,自分の人生観,自分は生涯で何をどうしたいのかという根本的なところを考えることを余儀なくされる。定年後あるいは再就職後,いつその幕を引くかは,そこのところにかかってくる。それを無視しては成り立たない。
 特にやりたいことなどないというのであれば,働ける間は働こうとなる。何もしないでボーッとしているのは,働いているよりも消耗するかもしれない。

● もっとも,今どきは,文字どおりにボーッとしていることは難しくなった。インターネットのせいだ。勝手に情報が入ってきてしまって,ボーッとさせてくれないようになっている。
 が,それもボーッとしている範疇でしょうけどね。働くよりも消耗するのはその場合も同じでしょ。

● しかし。やりたいことがないからとりあえず働こうというのも,何か違う気がする。自分が感じる楽しさが働くことの中にあるならいいけれども,そんなことはまずない。今まで働いてきたのだから,そんなことは百も承知,二百も合点のはずだ。
 働くことの中にはない,自分にとっての楽しさを追求してもいいんじゃなかろうか。ぼくらは年金には間に合った世代だ。厚生年金を受給できるのなら,世間ではいろいろ言われているけれども,とりあえず老夫婦が暮らせるだけの費用は賄えるだろう。東京で借家に住んでいるのでもない限り。

● 問題は自分にはやりたいことがあるのだろうかってことだ。自分は何に楽しさを感じるだろうかと突き詰めることだ。
 自分はどうも人づきあいを望んではいないようだ。それがいいか悪いかを評価してはいけない。いいも悪いもない。自分はあまりコミュニケーションの場にいたくないタイプなのだ。それをそのまま受容しないといけない。この歳になってなお,苦手を克服しようなどとするのは,滑稽の極みというべきだ。

● 1人遊びは得意な方だ。人づきあいを避けたいというのは,子供の頃からそうなのだから,勢い,1人でいる時間が長くなる。いやでも1人で時間を埋める方策は身につく。
 読む,聴く,見る,の受動態の趣味は作れている。受動態だからと舐めてはいけない。たとえば,定年になるまで読書をしたことのない人が,暇になったから本でも読むかとなったところで,読めるわけがないのだ。本を読むための体力がないからだ。その体力を定年後に付けようとしても無理だろう。
 老後を持て余さないだけの受動態の趣味をどうにか作ってこれた。これは自分の強みだと秘かに思っている。

● が,働くことを拒否して,すべての時間をそこに注ぎこみたいとまで思っているわけではない。なぜというに,若い頃から職場に体重を預けることはしてこなかったからだ。仕事が自分の最大の関心事であったことはない。といって,では何が関心事だったのかとなると,そんなものはなかったような気がするのだけど。
 受動態の趣味を,やれる範囲でずっとやってきた。その範囲を狭めようとする要因に対しては,基本的に戦う姿勢だったと思う。職業人としては落第であろうが,働き方改革なんぞという言葉を聞くと,時代が自分に追いついてきたと思ったりもする。

● というわけで,これまでもけっこうやってきたのだ。だから,その時間をさらに増やしたいとはじつはあまり思っていないのだ。
 思ってはいないのだけれども,もう人の中にいるのはいいかなぁ,と。苦を遠ざけて楽に没入したいかな,と。だってさ,この世の中にある仕事のかなりの部分はなくてもいいもの,ひょっとするとない方がいいもの,のような気もしていてさ。
 ま,その真偽はさておいて,自分中心の世界,自分しかいない世界に移行しても許される年齢になったよね,と思いたいっていうかね。

● アンチエイジングにはムダが多い。そういうことには興味がない。そこは自然体でいるのがいいと思っている。のだが,精神は若々しくありたい。若々しさの基になるのは好奇心だろう。その好奇心を涵養することは大切だと思っている。
 自律的に,内発的に,それができるかどうか。自信はない。出口治明さんが言う,本・人・旅の3本柱の中で,今日以後の自分がどうにかこうにか維持できるものは本くらいのものか。
 それだけでも維持できればたいしたものだと思うが,好奇心を刺激するに,人と旅を欠いては致命的かもしれない。

● しかし,旅といっても大きな旅でなくてもいいような気はする。「角の煙草屋までの旅」とは言わないまでも,小さな移動も旅に含めていいのではないか。というか,そう考えた方が自分にとって都合がいいので,そう考えておくことにしたい。
 人もそうで,友人は多くなくてもいい。完全に1人というのはどうかと思うが,極端な話,配偶者以外に1人か2人と,年に1回か2回話す程度でもいいとしておこう。
 本(とインターネット)を味方につけるという前提で,旅と人についてはその程度に考えておいてもいいのではないか。わずかな人とのお喋りと小さな移動で,好奇心を刺激し続けることはできると思いたい。

● であるからして,4月以降,誰かとツルんだり,群れたりする可能性はない。もともと,放っておくと群れから離れるタイプなのだし。
 したがって,たとえば老人大学校やシルバー大学校と称される高齢者のサークルに入るなどということは,まずもってあり得ない。群れないと大きなことはできないのかもしれないが,そんな大きなことをやりたいともやれるとも思わない。

● 誰かと一緒じゃないと動けない,何をしたらいいのかわからないというのでは,その歳になるまで何をしてきたのかということになる。歳を取ったからといって賢くはなっていないのが普通だろうが,それでもリスクを覚悟して,1人で見切り発車ができるようになっていることは,年寄りの必須徳目のひとつだろう(ちなみに,必須徳目にはもうひとつある。若い人たちがやることにダメだしをしないということだ)。
 いや,それは取って付けた理屈だ。結局,コミュニケーションにあまり興味がないというわけで,これは持って生まれた性格だ。それがつまり,完全引退を自分に選ばせた究極の理由だ。ぼくは人と一緒よりも,1人でいることが好きなのだ。

● 堂々巡りをしているのだが,働き続けることと,働くのをやめて毎日を日曜日にするのと,どちらが自分に向いているか。本当はどちらを自分は望んでいるのか。
 正直,自分でも判然としないので困るのだが,おそらく後者であろうかという程度のことなのだ。かくなるうえは,せめてKKO(キモくて金のないオッサン)と呼ばれないように,精進しなくてはならぬ。

2020年3月17日火曜日

2020.03.17 Amazonプライムビデオに復帰 2

● 今夜もAmazonプライムビデオを見た。8日連続。もう習慣になったか。こうなってみると,なぜずっと見ないでいたのだろうと思う。
 ぼくは23時に就寝しているのだけど,何をして23時まで起きていたのだろう。ほんの数日前までのことが,何だか不思議なことに思えてきますな。

● いや,不思議ってことはない。ダラダラとTwitterやGoogleニュースを見ていたわけだ。何もしないで時間を流していたってこと。
 Amazonプライムで映画を見るのはムダではないのかと言われると,そこは何とも言えないのだけど,酒を飲んでずっとPCでネットをザッピングすることがムダであることは間違いない。そのムダを途方もない長い間,続けてきたことも間違いない。

● Facebookをやっている頃は,一層そうだった。ネットを使って自分が何かを発信するようになると,自分が発信したものを何度も見ることになってしまうのだ。そうじゃない人もいると思うのだが,ぼくは自分が出したものに粘着してしまうタイプだ。
 それに対して,強制的に時間制限をかけられるといいのだけど,それがなかなか難しい。それをやってくれるのがAmazonプライムビデオだ。しかも,何らのストレスなしにそれを実現してくれる。

● そのAmazonプライムビデオをある時期からパタッと見なくなったことが問題なのだ。その理由は何か。見たいと思う映画が見えなくなってしまったってことなんだけども,リアルにそんなことが起こるはずはないのだから,こちらの心構え,姿勢に何らかの空白ができてしまったというわけだろう。
 その空白はこれからも繰り返し発生するものだと思うが,可能な限り今の状態を維持して,ネットをザッピングする時間を抑制したいものだ。

2020年3月16日月曜日

2020.03.16 Amazonプライムビデオに復帰

● Amazonプライムの会員になったのは昨年の1月22日。プライム会員になったのは,送料無料で買物をしたいからではなくて,ひとえに映画を見たかったから。
 年会費が5千円に満たない額で,映画見放題なんて夢のようだ。ビデオのレンタルショップを初めて利用したときも,ここは宝の山だと思ったものだが,Amazonプライムはそれ以上だ。

● ショップに行かなくていい。期限内に返さなければというプレッシャーもない。延滞金もかからない。返す前に巻き戻す必要もない。まったく手間いらず。
 ビデオテープやDVDといったブツが介在しないのが何よりいい。デジタルってすばらしく便利だ。
 何より,レンタルショップより安い。利用すればするほど安くなる。毎日1本見ていくと,1本あたりの料金は13円だ。レンタルショップがどんどん少なくなっているのは,じつにもって理にかなっている。

● ところが,以上はあくまで理屈であって,それ以上ではない。リアルが理屈に添うとは限らない。というのも,プライム会員になってしばらくは怒涛の勢いで見ていたのが,だんだん疎遠になり,そのうちひと月に1本しか見ないようになってしまったからだ。
 結局,1年目は151本見たのだけど,あらかたは最初の半年に見たものだ。その8割は最初の3か月で見ているかもしれない。

● プライム会員になった頃は,たとえば三谷幸喜作品をまとめて見るとか,気になった俳優が出ているものを全部見るとか,下世話なテーマを作りやすかった。それが推進力になったかもしれない。
 ある程度,そういうことをやると気がすんでしまうところがあったのだと思う。自分の映画好きはその程度のものなのだった。

● 今年になってからは,今月に入った時点で2本しか見ていなかった。2年目に入ってからは1本だけ。義務として見るものではないから,これはこれで仕方がないと思っていた。
 ところが,10日に久しぶりに見たところ,再びエンジンに点火したようで,15日までに9本ほど見ることになった。復活したわけだ。きっかけ? 特にない。わずかに風が吹いたのかもしれないが,自分でも知覚できないのだが。そういうのを含めて,バイオリズムかもしれない。

● 勢いに乗ったら,棹ささないで,そのままその勢いに運ばれるのがいい。行けるところまで行けばいい。で,また,停滞期が来るのだろう。
 ことはAmazonプライムビデオに限らない。人生はその繰り返し。何度か繰り返して最期を迎える。そういうふうにできている。

2020年3月15日日曜日

2020.03.15 4月からの“毎日が日曜日”の予行演習

● 嫌味っぽくなるかもしれないが,今年になって初めて東京に泊まらない週末を過ごした。2日間とも家でグータラした。
 4月からの“毎日が日曜日”の予行演習にはなるまいが,見る,聴く,読むの受動態の趣味で,どうやら時間を埋めることはできそうだ。午前中は家事見習い,午後と夜は受動態の趣味。
 つまり,朝ご飯を作って(ただし,炊飯器で飯を炊き,ネギと油揚げの味噌汁を作るだけになりそうだ),洗濯物を干したり,家の周りの雑草を抜いたり,3日に1回は掃除機をかけたりして,午前中を過ごす。

● 午後はWALKMANで音楽を聴きながら図書館まで歩いてみたり,線香と百円ライターを持って墓参りに行ったり,Amazonプライムで映画を見て過ごす。
 そんな感じになるか。これで1,2ヶ月やってみて,それで行けそうならずっとそれで行く。映画も本も楽曲も無尽蔵にあるわけだから,見る,聴く,読むで時間を埋めるというスタイルに飽きない限り,5年や10年はそれで行けるだろう。
 それで行くならお金はかからないので,年金だけで経済的には足りる。

● 夕方は1週間に1回はカレーを作りそうな気がする。コーンとエンドウ豆とニンジンの冷凍ミックスだけのカレー。糖尿病だから朝食を食べたら,昼は抜く。夜はこのカレーだけを食べる(ご飯は食べない)。
 おそらく,ストレス激減によって,アルコールは身体が欲しなくなるだろう。いやはや,健康的なものだ。

● あとは自転車をどうするか。キャンプツーリングで日本一周くらいはやりたいものだが,踏み切れるかどうか。
 老後の暮らしにその程度の彩りは添えたいものだと思うが,ここは踏ん切りがつくかどうかだけの問題。踏ん切りがつくかどうかは,面倒くさいをなくせるかどうかの問題でもある。

● 休みに家でダラダラするのもいいわね,とホテル奉行の相方が言う。そりゃそうだ。お金を使って東京に泊まるのをいつまでも続けるわけにはいかないし。
 お金を使ってする遊びは必ず飽きるものだと思っている。東京にもホテルにもまだぜんぜん飽きないけれども,このまま続ければいずれは飽きる。
 飽きる前に家暮らしに切り替えるのが賢いやり方だ。飽きてないんだから,たまに行く東京はキラキラを湛えたまま,ぼくらを迎えてくれるはずだ。

2020.03.15 氏家の「みやこ家」で“大吟醸魚介味噌つけめん”を食す

● 何ヶ月ぶりになるか,久しぶりに氏家の「みやこ家」へ。なにせ,土日に東京に行かないで,地元で過ごすのは,今年になってこれが初めてなのだ。
 もうひとつ。ぼくが糖尿病になったせいもある。糖尿病なんだから炭水化物の摂取は抑制しなければいけない。「みやこ家」に行ってつけ麺の大盛りなんぞを食べた日には,血糖値がドッと上がりそうだものな。

● が,ここのところのコロナ騒ぎで,飲食店や旅館・ホテルは閑古鳥が鳴くようになっていると聞く。であるならば,こういうときこそ,お世話になってきた飲食店に出向くべきではないか。もし営業しているのなら,こちらにできる応援って,それしかないではないか。
 というような義侠心にかられたわけではないが,ともかく,つけ麺を食べに「みやこ家」に来ましたよ,と。

● 着いたのは14時過ぎ。カウンター席は空きなし。テーブル席もけっこう埋まっていた。コロナ禍はあまり受けていないように見えた。こちらが義侠心を発揮する余地はあまりないようだ。
 久しぶりに来てこんなことを言うのもなんだけども,消費税が10%になった折りに,「みやこ家」ではけっこうな値下げをした。お客さんはゲンキンなもので,これでお客が再び増え始めたように思える。いったん増えたお客が,コロナ騒ぎにもかかわらず,「みやこ家」から離れていないという印象。

● “大吟醸魚介味噌つけめん”というのがメニューに加わっていた。大盛りにしても値段は同じです,という。ので,それを注文。720円(+税)。魚粉たっぷりの味噌つけ汁。
 魚粉たっぷりつけ麺は品川の「中本」で二度食べている。味は当然同じではないが,「みやこ家」には「みやこ家」の魚粉つけ麺ということですな。煮干しつけ麺とどう差別化するかというところで,味噌を持ってきたんだろうかな。

2020年3月14日土曜日

2020.03.14 宇都宮スパ屋

● 宇都宮スパ屋。正午少し前に着いた。コロナ騒ぎで空いているかと思いきや,そんなことはなく,しばらく待たされた。が,駐車に困ることはなかったから,普段よりは客足が落ちているのかもしれない。
 この時間帯だと駐車に苦労するので,時間をずらすのが常だった。もし,いつもどおりなら車を停められないかも,と相方と話していたのだが。

● 今日はコーヒーから。ピザはペスカトーレ。ピザにシーフードは合いますなぁ。隣のテーブルは4人の家族連れ。男の子が可愛くて,こちらまで頬が緩んでしまったよ。
 パスタは“栃木県産黒毛和牛極上ミートソース”。甘味のあるミートソース。

● パスタもピザも安いのが旨いのだよね。ピザはマルゲリータが一番だし,パスタだってこの店ならニートソースにするかニントマ(ニンニクとトマトのパスタ)にするかでいつも迷う。この2つのどちらかなんだけどね。
 雲丹だの牡蠣だのが入ったのより,シンプルで安いものの方が旨い。おそらく,多くの賛同を得られると思っている。

● ところが,セットで頼んで,ピザもパスタも選べるとなると,値段の高いものを選んでしまうとは,どういうわけのわけがらか。この品性の下劣さたるや,形容する言葉がない。まったく困ったものだ。
 世の女性の大半は反省せよ。何でもかんでも値段に換算して,目先の得を取りに行くのは,魂を悪魔に売り渡すファウストさながらではないか。

● 宇都宮スパ屋の生パスタは「みやこ家」の極太麺とそっくりで,パスタと中華麺の違いは那辺にあるのかと悩んでしまう。麺の縮れ具合まで似ているように思える。
 よく打った手打ちうどんを想像してみる。この3つは相互に用途を変えても問題ないような気がしてきた。

● でもって,デザート。これで1,680円(+税)。
 旨いから残さず食べてしまう。ぼくは糖尿病で糖質をあまり摂るなと言われている。旨い店には近づいてはいかんのだが。

● ともあれ。コロナ騒ぎはここではさほどの影響を与えていない印象。もしそうなら,慶賀の至りだ。
 こういうときこそ,その店がどんな姿勢で営業してきたのか,足腰を鍛えていたか,その結果が自ずから現れるもののようにも思える。

● まぁね,ぼくらが今日行ったのは,相方が500円のクーポンをもらっていて,それを使わなきゃという,何ともファウスト的な理由によるものではあるんだけどね。

2020.03.14 コロナと株式市場

● コロナ肺炎というか武漢肺炎というか,名前はどうでもこのウィルスによって人の移動が著しく制限されている。人が動けないということは,経済も動かなくなるというわけで,したがって株価に甚大な影響が出ている。
 正直,ここまで株価が木の葉のようになるとは、ぼくは予想できなかった。起きてみれば,これもありだよなと思うけれども,事前にはわからなかった。

今日の下野新聞
● 日経平均はつるべ落とし。対して,アメリカのダウは史上最大のという形容詞が付くジェットコースター展開。史上最大の下げ幅で下げて,史上最大の上げ幅で戻し,また史上最大の下げ幅で下げる。
 ジェットコースターになっていること自体,アメリカの活力の現れかと思う。日本市場はこんなダイナミックな動きは起こせない。

● こういうとき,大底で買おうなどと考えてはいけない。そんなのは神様しかできない。不思議なんだけど,株価には先見性がある。何で?と思う動きをする。その数ヶ月後にリアルが株価を追うように動いていく。
 ぼくらの意識はリアルを見て遷移するから(遷移しないこともある),リアルよりも更に遅れる。

● ゆえに,株価がどう動くかを読み切るなんて,人智を大きく超えたこと。ぼくらができるのは中長期的にどうなるかを予想することだけだ。
 だから,デイトレとか(株ではないけど)FXのようなものは,もしやるなら完全にAIに任せるのがいい。人間が口出ししないこと。

● しかし,これは言えると思う。株価は上がるのが常態であって,下げるのは異常局面だ。いくら下げようが一時的なものだ。
 いつまでも続く嵐はないということ。いずれ戻す。そして,戻したところからさらに上がっていく。
 したがって,ここは買い局面だ。今日買うのがいいのか,明日がいいのかはわからない。しばらく様子を見ることになるだろうが,いつまでも様子を見ていてはいけない。ここで買えないでいつ買えるのだ? 基本的にはそういうことだと思う。

● こういうときに機敏に動けないといけないのだが,わかっていても動けないという,ぼくは最悪のタイプ。なんだけど,まずやるべきは銀行に行って定期預金を解約することだな。200万円か300万円はあったと思うんだがな。
 全面安なんだから何を買ってもいいのだが,銘柄選びが株の楽しいところだろう。人が何を選んでいるかは気にせず,自分で決めるのが吉。

● 株はこういうことがいつ起こるかわからないのだから,信用取引には手を出さないのがいいと思う。レバを利かせるのもほどほどにしておくこと。
 株でギャンブルをしたいのなら別だけれども,何が起きても落ち着いていられるためには,現物買いにとどめておくべきかと思う。
 たぶん,報道されないだけで,自殺者が増えているのではないか。お金と命を引き換えるほどの愚はない。扱い方を誤ると,わかっていても,その愚に堕ちていかざるを得なくなる。

2020.03.14 コロナとTwitter

● コロナが深刻さを増してくると,見えてくる世相がある。まず,マスコミは害しか為さないことがわかる。マスコミと見ている方向が同じかと思われる野党も同断。足を引っぱることしかしていないように,ぼくには見える。
 前回の選挙で話題になった令和新選組など,いったいどこに行ってしまったのか。屁のつっかい棒にもなっていない。

● いや,マスコミや野党を非難するわけにもいかない。ワイドショーの意見を自分の意見にしているぼくら大衆も同じだからだ。それはTwitterを見ると明らかだ。タイムラインがゴミだらけになる。
 東日本大震災のときも同じだったのだろうな。あのときはTwitterが情報伝達の手段として褒めそやされたけれど,それは一部の人間の我田引水的な発言で,おそらくゴミだらけで,読むに耐えないものになっていたのではないか。当時,ぼくはTwitterをやっていなかったので,まったくの想像で言っているのだが。

● しかし,逆もある。冷静に良心的な情報を出す人がいる。そういうことができる能力を持っている人。有事のときは,フォローする人を入れ替えるチャンスなのだろう。
 遠慮しないで,ゴソッと入れ替えたらどうか。そもそもが,Twitterをコミュニケーションに使おうとしている時点で,どうしようもなく大衆だ。
 ネットで個対個のコミュニケーションを実現しようとしてはいけない。無理だ。文字だけでできるはずがない。ネットで誰かとつながろうという発想は,もう周回遅れになっているのではないか。

● Twitterの使い道は情報収集が第一。新聞やテレビよりも良質な情報を得られるツールとして使うのがいい。さほど工夫を要さずとも,そうした使い方はできる。
 が,残念ながら,ぼくらは与えられるだけで,自ら与えるものは持っていないこともわかる。Twitterユーザーの99.9%がそうだと思う。
 そのことを自覚しないと,Twitterがゴミの山になる。事実,ゴミの山になっているわけだから,99.9%のTwitterユーザーは自覚に欠けているのだろう。

● かく申すぼくも次々にゴミを吐きだしている。それゆえにこそ,Twitterの賢い使い方はこのようなものになる。
 自分が吐きだしているのはゴミであることを自覚し,自分だけではなく大方のユーザーが同じであることを弁え,自分がフォローすべき0.1%を見つけだすこと。
 コミュニケーションはリアルだけにすること。どうでもいいことをやり取りするから,コミュニケーションはコミュニケーションはたり得るのだ。どうでもいいことをやり取りするから,コミュニケーションは快適なのだ。そんなのはリアルだけでいいではないか。SNSを使ってまでやることではない。

2020年3月8日日曜日

2020.03.08 宇都宮駅構内の吉野家とモスがどちらも閉店

● 宇都宮駅構内の吉野家とモス。ぼく的には最も高頻度に利用してたんだけどね、どちらも2月いっぱいで閉店になっててさ。
 お客さんはそれなりに入ってたと思うんだけどねぇ。閉店の理由がわからないっちゃわからないんだよね。まさか,コロナは関係ないだろうしねぇ。
 儲けが出てなかったんですかね
ぇ。ここでダメだとすると,宇都宮で商売するのはかなり厳しいってことになりそうだけどなぁ。

● 「いろり庵きらく」はどうなんだろうかな。駅ビルの丸亀製麺はどうなんだろ。正直,吉野家とモスには残って欲しかったがなぁ。
 これからどうすればいいのかね。モスの代わりってロッテリアになる? 少し歩けばマックもあるんだけど,このモスは入りやすくて良かったんだよね。

● 糖尿病と言われてから,吉野家に行ったことはじつは一度もない。モスは直近では2月26日に入っている。記念にそのときの写真を貼っておこう。
 このときはチキンバーガーがなくて,チキンの照り焼きバーガーを頼んだんだったかな。でもさ,26日にはまるで気づかなかったよ。そんな気配は感じなかった。

● なんていうの,寂れゆく宇都宮? パルコもなくなったし。東武百貨店だって,どうなるかわからないよね。旧来型の百貨店が地方で生き残るのは,なかなかに厳しいのかもしれないよ。東武だって建物じたいがだいぶ老朽化している印象を受けるしね。
 郊外のベルモールは賑わっているから,JR駅~東武駅の旧市街の地盤沈下が止まらないってことでしょう。駅東の開発事業が成った暁には,旧市街は滅ぶんじゃないかと思えてくるよ。

● でもさ,ターミナル駅でちょこっと食べたり休んだりできる安直な店がなくなってしまうのは困るなぁ。ぼくの場合は市内に分け入っていくことはあまりなくてさ,だいたい駅周辺で用が足りることが多くてね。
 その用が足りるところが寂れてしまうのは,うん,困るなぁ。

2020.03.08 ブラッサム日比谷に2回目の投宿

● 週末の度に不要不急の外出を繰り返している。7日も電車で東京に出た。新幹線はかなり空いていると聞くのだが,在来線は普段とさほど変わらぬように思える。
 有楽町で下車。東京ミッドタウン日比谷にやって来た。ミッドタウンに用があるわけではなく,要は宿泊予定のホテルまで行く通り道にあたるだけだ。

● 「添好運」という中華料理店があってさ。その店に行列を作る人々がいてね。もしこの中にコロナ感染者がいたら,君たち全員,濃厚接触者だかんな。好運に添えるどころか,肩身の狭い思いをするよ。
 行政は罹患者の個人名は公表しないけど,どういうわけか割れちゃうものでしょ。ウィルスをばらまいてくるといって,そちこち歩いてしまった爺さんは身がすくむような思いだろうよ。自分独りじゃすまないからね。子供や孫にも迷惑をかけまくりだろうからな。
 ま,老人とはそういうものだと,ぼくは思っているけど。なぜなら,自分が老人だからだ。

● ミッドタウン日比谷の隣は重々しい感じのする帝国ホテル。警備が厳重な感じ。VIPが泊まっているいないに関わらず,宿泊者の安全を守るというハンパない決意が形になって出ているような。帝国ホテルはやっぱ特別なところなのかなぁと思わせるに充分な光景だ。
 そこからパンジーの花壇が作られている道路を歩いて,新橋へ。今夜はブラッサム日比谷に2回目の投宿。ぼくらには帝国ホテル
よりこちらの方が相応しい。いや,帝国ホテルにも泊まってみたいけどさ。

● 部屋は2709号室。前回と同じ25㎡のスタンダードツイン。大都会の眺望,絶佳。
 今回は朝食込みで23,500円。前回よりちょっと高い。しかし,この場所でしっかりした朝食が付いてこの料金は,充分にリーズナブルだと思う。

● まずは,冷蔵庫のビールをゴチになる。その後は,銀座まで歩く。少し雨模様だったけどね。
 三越で酒の肴になりそうなものを物色。今日はかなり売行きがいいようで,タイムサービスが始まる前に品薄状態になっているようだった。こういうところで買って帰って,
外食を避けようとしているのかねぇ,と相方に話してみたんだけど,ここの混雑と外食先の混雑では,おそらくこちらの方が混雑の度合いは高いように思われる。ここに来るのを避けて,外食先に行くべきではないか。

● ともあれ,銀座三越で“綾鶏”のとり天を買ってきて,ホテルの部屋でハイボールを飲んじゃう。“綾鶏”のとり天,とても美味しいです。鶏ってこんなに旨かったんだなと再発見させてもらえるような。おまえ,普段どんな鶏肉を喰ってんだよ,と言われますかなぁ。
 そういうわけなので,酒を飲んではいけない身体であることは,ここ10日間ほど(いや,もっとか)忘れっぱなしになっている。

● ホテルの部屋ですっかり酔っ払ってから,新橋を歩いてみた。夜も遅くなると,客引きもけっこう堂々と声をかけてくる。
 コロナ騒ぎで閑古鳥が鳴く飲食店という図式は,どうもここでは成立していないように見える。これでも普段よりはお客が少ないんだろうか。
 いつもと変わらない人出だとすると,人間は飲む動物なのだな。ホモ・ドリンクスとでも命名した方がいいな。
 客引きに何度か遭遇して,相方は少し引いてた感じ。もう,新橋を一緒に歩くことはないのじゃないかと思う。

● 飲食店街の人通りは普段と同じようにぼくには映ったのだけど,烏森神社とSL広場には人影は少ない。が,烏森神社もSL広場もこの時間帯に来るのは初めてなので,いつもと同じなのか違うのかはわからない。
 この後は日比谷通りに出て,帝国ホテルの横を通って,銀座との際を辿ってホテルに戻った。この狭いエリアの中で街は何度も表情を変える。そこが東京の面白いところだと思うが,これほど劇的に変わるところは東京でも少ないんじゃないか。

● さて,一夜が明けて。ブラッサム日比谷の朝食。会場はホテルで唯一のレストラン「十十六(そとろく)」。
 ブッフェ形式はトングなんかを多くの人が触るのでよろしからず。というわけで,予め小鉢に取り分けてあるオカズはお客が自分で取るのだが,それ以外はスタッフに取って
もらうようになっていた。ジュースもヨーグルトもスタッフにお願いする。
 スタッフの負担は増えるが,お客が減っているから,それでも回していけている。

● もれ聞くところによると,東京ステーションホテルでは朝食の提供を取りやめているらしい。あの品数でブッフェ形式を廃するのは困難と判断したのだろう。朝食が楽しみでステーションホテルに泊まるお客さんが多いだろうに。
 じつにもって苦渋の決断のはず。朝食会場に入る際に必ず消毒液を使ってもらって,あとは通常のブッフェ形式を維持するというやり方ではダメなのかね。

● 朝風呂。昨夜は酔って歩いて,そのまま寝ちゃったのでね。浴槽が深い。ここもブラッサム日比谷のいいところのひとつ。日本人のリフレッシュ手段は何と言っても入浴でしょ。浴槽が深いとリフレッシュ効果が高い。
 シャンプーなどは福岡県遠賀町の㈱フィードの製品なのだが,口径がやや大きめで,サッと出てくるところもセッカチにはありがたい。

● 18階がロビー階。写真集を主体に何冊かの本と新聞が置いてある。風呂の後はロビーで写真集を眺めて過ごした。
 これも贅沢だな。ちょっとしたラウンジでしょうね。

● ちなみに,「十十六」の昼食メニューがこちらこの中のけっこうな部分は朝から食べられる。特に朝蕎麦,旨いです。天ぷらも朝からある。今日は食べなかったんだけど。
 昼食をここで食べる宿泊客はあまりいないと思う。宿泊客以外の人がここに食べに来るのも少し考えづらい。なにせ,ここは銀座を背負っているのだ。お金持ちは銀座のレストランに出かけるだろう。新橋も背負っているのだ。お金持ちじゃない人は,新橋にあまたあるラーメン屋をめざすだろう。

● ので,ここで昼食を食べる人はどんな人なのだろうと想像してみる。連泊する宿泊者のはずだが,外に出るのを躊躇うほどに,忙しく何ごとかをしている人だろうか。その何ごとかは仕事かもしれないし,仕事以外の何ごとであるかもしれない。
 ラブホ的な使われ方もしているか。もっというと売買春もあるかもしれない。ジムで汗を流して昼のご飯を食べてる間に,部屋を掃除してもらって,掃除が終わる頃に部屋に戻る。
 そういう使い方をまったくされないホテルは,ダメなホテルだ。ぼくはそう思う。