2020年3月7日土曜日

2020.03.07 浦和散歩

● クラースヌイ・フィルハーモニー管弦楽団の定演を聴くために,浦和にやってきた。用事はそれだけだから,それがすみ次第,すみやかに退散するつもりだけれども,ぼくのような田舎人にしてみれば,浦和は昔も今もまばゆい都会に映っている。

● 今,浦和と聞いて思い浮かぶ名前のナンバーワンは浦和レッズ。レッズが浦和の知名度をどれだけ上げているか,計りしれない。レッズの浦和か浦和のレッズか。
 常時,J1の上位に付けているのがすごい。大宮はこの点で,浦和に遅れをとっている。

● 浦和に来たときの楽しみのもうひとつ。蔦屋書店を覗くこと。駅から直結。改札を出れば,そこが蔦屋書店の店内。
 本屋というよりは,本好きな親戚のオジサンの書斎に来て,書棚を眺めているような気分にさせる。代官山くらいになってしまうと,大きすぎて親戚のオジサンの書斎というふうではなくなるが,ここくらいならそういう趣に捉えることができる。

● 文芸書っていうのは売れないんですかねぇ。ここでもメインはビジネス関連のように見える。あとは旅行と生活。文芸書はあまりないようだ。
 自分の読書を振り返ってみても,もう隠居するというのに,わりとわりとビジネス書を読むことが多い。ここ30年ほど小説は読んでいない(ごく少ない例外はある)。どういうものなんでしょうねぇ。隠居したらゆっくり小説を読んで日々を過ごしたいと思ってるんだけど,本当にそうなるかどうかは,われながら覚束ない。

● 若い頃は,この小説を歳を取ったらまた読み返してみようと思うことがしばしばあったけれども,それはどうやらなさそうだ。それはたぶん,時の流れがゆっくりしていた頃の感懐なのだと思う。
 今の時代には合わない。どんどん新しいものが出てくるからだ。読書もザッピング的にならざるを得ない。でも,漱石なんかは読み返してみたいよなぁ。

● 蔦屋書店のお約束ごとである,書店内スタバ。混んでるね。勉強中の高校生もいるねぇ。この光景を見ると,公立図書館の閉館なんて,何の意味も持たない形作りにすぎないと思えてくるわね。
 高校生だけではなくて,昔の喫茶店的な使い方をしている中高年もいる。お喋りに興じている。今のカフェは静かで,お喋りする人は少なくなっている。カフェでもスマホだからね。
 書店にカフェを入れるという発想も,ひょっとするとそうしたカフェ事情の変化があってのことかもしれない。が,書店にお喋りがあっても,邪魔になるわけではない。

● いけないのは,パソコンを持ちこむことだな。ファッションあるいはスタイルとしても,あまり絵にならなくなってしまっている。バカの代名詞という位置づけになった。
 実際,わざわざパソコンを開いて何をしているかというと,愚にもつかないネットサーフィンってことが多そうだし。それはスマホでやったらいい。
 こういう場所でどうするのがいいかといえば,思い思いでいいのだけれども,パソコンを広げるのだけはどうもあまりゾッとしない。

● こんな飲み屋のアーケード街もあるんだね。昭和チック。こういうのは,ワタクシ,大好きでございますよ。
 ところで,写真に見える「買取所」なんですが,こんなに堂々と看板を出して大丈夫なのかね。パチンコの玉の買取所なんだよね。買取所ならいいのか。引換所ではいけないけれど。そういうものなのかね。

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