2020年3月14日土曜日

2020.03.14 コロナとTwitter

● コロナが深刻さを増してくると,見えてくる世相がある。まず,マスコミは害しか為さないことがわかる。マスコミと見ている方向が同じかと思われる野党も同断。足を引っぱることしかしていないように,ぼくには見える。
 前回の選挙で話題になった令和新選組など,いったいどこに行ってしまったのか。屁のつっかい棒にもなっていない。

● いや,マスコミや野党を非難するわけにもいかない。ワイドショーの意見を自分の意見にしているぼくら大衆も同じだからだ。それはTwitterを見ると明らかだ。タイムラインがゴミだらけになる。
 東日本大震災のときも同じだったのだろうな。あのときはTwitterが情報伝達の手段として褒めそやされたけれど,それは一部の人間の我田引水的な発言で,おそらくゴミだらけで,読むに耐えないものになっていたのではないか。当時,ぼくはTwitterをやっていなかったので,まったくの想像で言っているのだが。

● しかし,逆もある。冷静に良心的な情報を出す人がいる。そういうことができる能力を持っている人。有事のときは,フォローする人を入れ替えるチャンスなのだろう。
 遠慮しないで,ゴソッと入れ替えたらどうか。そもそもが,Twitterをコミュニケーションに使おうとしている時点で,どうしようもなく大衆だ。
 ネットで個対個のコミュニケーションを実現しようとしてはいけない。無理だ。文字だけでできるはずがない。ネットで誰かとつながろうという発想は,もう周回遅れになっているのではないか。

● Twitterの使い道は情報収集が第一。新聞やテレビよりも良質な情報を得られるツールとして使うのがいい。さほど工夫を要さずとも,そうした使い方はできる。
 が,残念ながら,ぼくらは与えられるだけで,自ら与えるものは持っていないこともわかる。Twitterユーザーの99.9%がそうだと思う。
 そのことを自覚しないと,Twitterがゴミの山になる。事実,ゴミの山になっているわけだから,99.9%のTwitterユーザーは自覚に欠けているのだろう。

● かく申すぼくも次々にゴミを吐きだしている。それゆえにこそ,Twitterの賢い使い方はこのようなものになる。
 自分が吐きだしているのはゴミであることを自覚し,自分だけではなく大方のユーザーが同じであることを弁え,自分がフォローすべき0.1%を見つけだすこと。
 コミュニケーションはリアルだけにすること。どうでもいいことをやり取りするから,コミュニケーションはコミュニケーションはたり得るのだ。どうでもいいことをやり取りするから,コミュニケーションは快適なのだ。そんなのはリアルだけでいいではないか。SNSを使ってまでやることではない。

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