虎ノ門駅の渋谷方面ホームにある壁画(とは言わないと思うが)。これってアレだよね,どこから見るかによって表情が変化するってやつだよね。中谷ミチコさんの「白い虎が見ている」という作品。
日中のあまり混んでいない時間帯に行って,移動しながら眺めてみるしかないでしょうね。
● こうした駅のホームに展示されているパブリックアートとしては,同じ銀座線の京橋駅にも中西信洋「Stripe Drawing – Flow of time」がある。知られた存在。
って,偉そうに語っているけれども,ネット情報で知っているだけで,実物を見たことはない。近い将来にその機会はあると思うけど。
● 銀座線で表参道へ。A5出口を出るとすぐに赤い鳥居がある。ほんと,東京ってどこに行っても稲荷社があるねぇ。都民こぞって稲荷教の信者のようだな。といって,稲荷教に教義はない。ご利益だけがある(ないかもしれない)。
ちなみに。性は稲荷,名は麻紀という女の子がいたとしよう。絶対にヒダリマキってあだ名が付くぞ。ぜんぜん関係のない話だけどさ。
● 岡本太郎記念館に着いた。入館料は650円。岡本太郎が84歳で亡くなるまで,50年近く暮らしたアトリエ兼住居を公開したもの。実際にここで暮らしていたのだから,自ずと濃密な空気感が残っているだろう。
で,そのとおりだった。まず庭だ。これでもかというほど作品が置かれている。ギッシリと詰め込まれているという印象。
しかし,岡本太郎はずっとこのアトリエにこもって,作品を作り続けるというふうではなかったらしい。「絵を描いていたかと思ったら,庭先の彫刻の作業場へバーッと走り出て彫刻を彫り始めたりと」しょっちゅう動き回りながら,複数の事柄を同時進行させていたようだ。
● 玄関からアトリエに行く途中には,岡本太郎の等身大のマネキンが立っている。小柄な人だったようだ。かなりリアルだけれども,不気味さを漂わせるほどではない。ありがたいことに,マネキンだとわかる程度にとどまっている。
岡本太郎は“洋画家”としてキャリアをスタートさせたけれど、絵の内容は普通の洋画家とは大きく異なるものでした。風景画、人物画、静物画、裸婦画……など、一般的な西洋画題をまったく描いていないからです。ではいったい太郎はなにを描いていたのか? 残念ながら、それがなにを表しているのかは、絵を見ただけではわかりません。ただ、ひとつだけはっきりしていることがあります。「眼」です。太郎の絵にはかならず眼が描かれている。しかも多くは複数の眼です。具体的なことはわからないけれど、少なくとも太郎が描いていたのは“生きもの”であり、“いのち”だった、ということだけは疑いありません。岡本太郎はいのちを描いた作家だった、ということです。とりわけモチーフとして頻出するのが「対峙する眼」です。ふたつの“いのち”が語りあい、睨みあい、笑いあう。そしていつのまにか、複数の眼が生命力をたぎらせ、群れをなして鑑賞者を睨みつけてくる。
● 抽象画とは違うんだろうけど,他者からの理解を拒むというのが,岡本太郎の真骨頂ですか。
「太陽の塔」が注目された時期は,ぼくは中学生だった。まるでわかりませんでしたよ。どこかの玩具メーカーが出した金属製の人形かと思ったくらいで。
世間でも毀誉褒貶があって,誉褒より毀貶が勝っていた。大衆が理解しないのはいいとして,その道の専門家だってかなり怪しかったのではなかったか。
● 鑑賞するという行為は受動態では成立しない。こちらから対象に向かうのでなければ何も始まらない。
が,この濃密な空間にいても,ぼくの感性はピクリとも反応しない。ベタッと地面に寝そべったまま,起き上がってくる気配がない。何だかね,情けないですよ。
とはいっても,わざわざここに来ているのだ。全く何も感じないのなら,今ここにいるはずがない。自分の中で何かが引っかかっているのは間違いないと思う。しかし,それが何なのか,どうやったらそれをズルズルと引っぱり出せるのかがわからない。
● 帰りは骨董通りを歩いてみた。これが名にし負う南青山か。港区女子のフランチャイズか。日本の最先端か。
といっても,ちょっと歩いたくらいでそうしたものを体感できるわけでもないだろう。かつ,それを体感することは諦めた方が賢いような気がする。ぼくには無理だと思う。
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