2020年11月27日金曜日

2020.11.27 旧新橋停車場鉄道歴史展示室で食堂車の企画展を見る

● 今日も東武電車でコロナ感染者が急増中の東京に来た。ぼくはこの状況を危機と感じない鈍い人間なのだ。
 密室での接待を伴うような店に行かない,個人宅に人を集めない,集団で盛りあがっているところに近づかない,集団でカラオケボックスに行かない。そうしたことを守っていれば,そうそう感染はしないでしょうよ。
 要するに,濃密な交際,人付き合いを封印するという,それだけを実行していれば,まずコロナ感染は避けられるものだと思っている。

● コロナ恐怖が今より強かった頃,感染しているのに夜行バスに乗って帰省した女子大生が叩かれたことがあった。で,その夜行バスからクラスターが発生したとすれば,世界に冠たる日本のマスコミが,鬼の首を取ったかのようにその女子大生を叩くいじめ記事を書きまくったことだろう。
 その記事が出なかったところを見ると,夜行バスからクラスターが発生することはなかったのだろう。業務用の車両は自家用車とは比べものにならないほどに換気が優れているんだろうか。

● 結局,出歩く出歩かないではなく,各人の24時間から “交際” を消し去ってしまえば,コロナに感染する可能性をミニマムに抑えこむことができるということになる。だからそれをやればよい。
 交際を伴わない外出はほぼ問題なし。と勝手に考えて,浅草から銀座線に乗って新橋に出た。地下鉄も乗っているだけなら感染は発生しないことが,これまでの経験から実証されていると言っていいだろう。

● 旧新橋停車場鉄道歴史展示室に来た。食堂車の企画展。ここに来るのは二度目。前回来たときは駅弁特集だった。特に駅弁に付いてくるお茶の容器(土瓶)。
 そのときも,この時代に列車に乗れて駅弁を買って食べることができた人は,日本国民の中の何割くらいだろうかと思った。何割っ
て,1割に満たなかったはずだと思うんですが。


● 今回も同じことを思いましたね。昭和33年のこだまビュッフェのコーヒーが50円。ちょっくらちょっと飲めるものじゃなかったわけですよね。
 しかも,当時のコーヒーって今のより不味かったと思うんですよ。今なら120円で買える缶コーヒーの方が旨いんじゃないでしょうか。
 当時の上位1%の富裕層より,今のぼくらの方が生活水準は上位だと思いますよ。問題は絶対水準じゃなくて他者との比較で満足度が決まってしまうってことでしょうけどね。


● 戦前は1等車,2等車,3等車とあって,食堂車が連結されたのは1等車と2等車。後に3等車にも連結されるようになる。
 で,3等車の食堂車は和食を出したらしい。1等車と2等車は洋食を出したんでしょうね。洋が和より上という感覚があたりまえにあったんでしょうねぇ。今は街場のレストランでは和の方が高くなってますけどねぇ。


● しかも,この頃は1等車であっても食堂車にいられる時間はかなり短く制限されていたらしい。
 乗せてやってるって感じでしょうかねぇ。鉄道省があった頃だものな。役人におもてなしの精神はない。
 あと,労働組合が強いところもダメね。分割民営化前の国鉄は国労の傍若無人ぶりを乗客に示すためにあったようなものだもんな。バカに力を持たせてはいけないと思わせる典型例だったよ。

● 明治時代のイラストも展示されていてね。目が細いんだよね,当時の日本人。パッチリまぶたの人はいなかったんですかねぇ。
 てか,細めが美人の条件だったのか。浮世絵もそうだしねぇ。あるいは,目は細めに描くのが約束ごとだったんですか。


● 鉄道発祥の頃は,ここが鉄道網の起点だった。その遺構がほんの一部だけれども残っている。関東大震災,太平洋戦争を経てきた東京で,一部といえどもそれが残っているのが凄い。
 当時の街並みを頭の中で想像するには,しかし,良くも悪くも東京は変わりすぎている。その想像はなかなか難しい作業になる。

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