2018年2月27日火曜日

2018.02.27 若者の活字離れ

● 右は今日の下野新聞。大学生の活字離れを報じるもの。こういう記事を読むと,何とかのひとつ覚えという言い方を思いだす。
 自分が大学生だった頃も,本を読んでいる人はそんなにいなかったような気がするんだが。50歳や60歳になった元大学生にお尋ねしたい。あなたは本を読みましたか。

● 当然,本を読むのはいいことだという前提がある。が,その前提は本当に成り立つのだろうか。
 出版社や書店,本を書くことを業としている人や学者,教育者。そういう人たちにとっては本を読んでもらった方が都合がいい。そんな彼らの利害関係を反映した前提にすぎないのではなかろうか。

● そこで,元大学生の諸氏に再度お尋ねしたい。
 もし読んでいたとすれば,本を読んでもあなた程度にしかなれないんだから,読書の効用なんて言われるほどのものではないのだと思いませんか。

● この問題を考えるときには,2つほど留保が必要だ。
 ひとつは,同年齢層に占める大学生の比率の増大。今は誰でも大学に行く時代になったということ。定員が入学希望者を上回っている。定員割れの大学は珍しくない。大学生=読書人,ではとっくになくなっている。
 要するに,向学心のある人が大学生になるわけではないのだ。

● もうひとつはネットの普及。本の形になっていないものも含めれば,今の若者の方が,ン十年前の若者よりも,圧倒的にたくさん読んでいる。これに異論をはさむ人はいないだろう。
 というと,ネットの断片的な情報だけではダメで,著者の思考が体系的に展開されている本を読み砕く努力が必要なのだと言われるわけだが,本当にそうかね。

● 小説や文学作品を別にすれば,今どきの本っていうのは,構成作家が著者にインタビューしてまとめたものが大半じゃないか。
 断片を集めたものを体系的というのか,と毒づきたくなる。

● 活字や読書から若者が離れているのだとすると,ひょっとしてひょっとすると,彼らは賢い時間の使い方を身につけつつあるといえるのかもしれない。
 そういうことを思ってみたりもする。要するに,そんなに騒ぐほどのことではないんじゃないの,この問題は。

2018年2月26日月曜日

2018.02.26 下野新聞の高根沢町特集

● 右は今日の下野新聞。高根沢町の広告特集。
 この宝積寺駅東口のちょっ蔵広場の景観はかなりいい。高根沢町の顔になっている。電車で通勤,通学している人にとっては,毎日利用するところだ。
 言うなら,それまでそこに存在していた“自然”を使って,人工的に作りあげた景観。古い大谷石蔵を取り壊すのではなくて,それを素材にして新たな空間を作りあげた。

● 町をアピールする場合,どうしても特産品,名産品に偏る。あるいは(もしあれば)名所旧跡とか。
 名産品にいたっては,ゼロから作ろうとする場合すらある。高根沢町だと焼きちゃんぽん。
 これはねぇ,そろそろ失敗だったと総括すべき時期に来ているのじゃないか。あまり引きずらない方がいい。なぜって,旨くないもん。思いつきの域を出ていない。
 思いつきから始めるのはいいんだけど,見切り千両という言葉もある。相場だけの話ではないはずだ。

● ゼロから作るんだったら,できあがったものが圧倒的な魅力を放っているのでなければならない。何でもいいんだけど,とにかく圧倒的でなければ。
 個人的にはさくら市の氏家うどんには可能性を感じている。モノがいいからだ。
 ただし,あと一段の企業努力が必要。つまり,もっと安くすること。今のままではなかなか販路は拡大しない。売れなければ存在していないのと同じこと。だから,あと一段の企業努力。

● 街おこしというときには,文字どおり街が問題なのだ。名物や特産品,名所旧跡ではなく,街の魅力度をどう上げるかの勝負なのだ。
 従来型の観光資源をどうこうする話ではないのだ。

● その典型が東京だ。国内最大の観光地は東京。定期観光バスで圧倒的な集客を誇るはとバス。そのはとバスは名所旧跡を回るものは少ない。というか,東京に江戸以前につながる観光資源はさほど多くはない。
 東京という街の魅力だ。商業施設の集中。食堂,レストラン,屋台の連たん。そうしたものが放つ魅力。

● だから地方は大変なのだ。それでも,街の魅力を付加すること。その典型的な成功例が宇都宮市の餃子だろう。餃子は宇都宮の名物だったわけではない。
 が,知恵者がいて,餃子にスポットをあてた。宇都宮を餃子の街にした。ヨソから餃子を食べに宇都宮に来るのだ。宇都宮の街に来る。そこが肝要。

● 街おこしという手法がそもそも有効性を持つのか。どこも同じようなことをやっている現状は,壮大な消耗戦に過ぎないのではないか。
 何もしないでいると不安だからという消極的な理由で,そもそもやらなくてもいいことをバタバタとやっているだけなのではないか。
 と思うこともある。座して死を待つのが最善の策かもしれないんだよね。実際に街が死ぬことはないわけで,底に着けばいやでも何かが変わっていくだろうから。底に着く前に変えようとするのは,膨大なエネルギーの浪費を強いられそうにも思える。

● 高根沢に関していえば,名物をゼロから作るのは民間(たとえば朝日屋本店)に任せればいい。公共から出てきたものはだいたいダメだ。生産者の都合しかカバーしていないから。
 高根沢町の魅力,ヨソから人を呼べる魅力,は何か。まだどの市や町もやっていないことで,高根沢がやれることは何か。

● ぼくにわかるはずもないが,住民のひとり一人がヨソから人を呼べる人になるといいんだよね。もしそうなったら最強だよね。
 たとえば,高根沢に住んでいるAさんに会いたいという人がヨソからやってくる。Aさん宅で会ってもいいんだけども,そこはちょっ蔵食堂を会議室代わりに使うことにして,ちょっ蔵食堂で待ち合わせる。BさんもCさんも同じようにする。
 それだけでわずかながら賑わいが生まれる。そうなったら凄いんだが,街おこしよりも難しいわなぁ。

● でも,そういう魅力的な人って,高根沢にもいるよね。あるいは,ヨソから高根沢に働きに来ている人の中にいるよね。

2018年2月24日土曜日

2018.02.24 また,宇都宮スパ屋

● 18日に行ったばかりの「宇都宮スパ屋」に今夜も。相方が誕生日の割引券(500円分)をもらっていて,その有効期間が今月いっぱいらしいのだ。で,割引券を使わなきゃと焦っていてね。
 割引券の効果,甚大なり。わずか500円なんだから,流してしまってもいいのじゃないかと思うんだが。

● 今日は我を通させてもらった。つまり,パスタは安いニントマ(ニンニク&トマト)にした。
 これにホタテやムール貝が載ったのもあるんだけど,シンプルなこちらの方が旨い。シンプル イズ ベスト。
 高いものも選べるんだけどね,こういうときに値段で選んじゃいけないよねぇ。

● 今朝も自分で作ったパスタを食べていてね,さすがにちょっと完食するのに時間を要した。相方よりも遅れたのは余程のことだ。
 つまり,今日はスパ屋に行くべきではなかったのだよね。

2018.02.24 エルメスのバッグを使ってみた

● ぼく,トートバッグの愛好者。今はレスポのナイロン製のを使用。軽いのがいい。エルメスとかヴィトンの1枚皮を仕立てたやつは,見た目も風格があるんだけど,重いのがねぇ。
 どっちがいいかって,断然,前者だ。バッグにはバッグとしての存在感以上の何ものかを持ってもらいたくないし。

● ところが,エルメスのトートを相方が数年前に買っていたらしいのだ。それは,ま,いい(たぶん,ほかにもあるんだろうし)。
 が,ン十万円の品物を買って,今まで一度も使わずに放っておいたようなのだ。一度使ってみて,やはり私には合わないと思って放っておいたのなら,半分は理解できる。
 けれども,一度も使ったことがないというのでは,何のために買ったのか。お金を捨てたようなものではないか。

● 中古品の買取業者のところに持っていったら,ン万円と査定されたらしい。それじゃ売るのはバカバカしいと思って,持ち帰ったという。
 アホか。まったく使わずにそこまで減価させるとは。会社員なら責任問題だぞ。

● じゃ,あなたが使いなさいよ,と。ん? 何でその方向に行く?
 とは思ったものの,使ってみましたよ。生まれて初めてのエルメスバッグ。
 実際に使ってみれば,普通のバッグだよね。頑丈なんだろうけど,今どき,頑丈なんてあたりまえなんだし。

● ロレックスの腕時計もそうだけど(そうだと思うんだけど),ブランド品をまとったからといって,自分の何が変わるわけでもないし,自分の見え方が変わるわけでもない。
 そんなことで変わってしまうような安い自分じゃしょうがないよなぁ。

● あるいは,持ち物で人物(主には経済力だろうが)を判断する人が今でもいるのだとしても,そういう手合いはこちらから遠ざけるに若くはないと存ずる。
 ホテルマンは靴を見てその人を判断するとはよく言われることだけれど,本当なのかね。今どきいるのか,そんなホテルマンが。

● このエルメス,手入れをしながら使えば,まずは一生モノだろう。いいモノを長く使う方が,安物を買い換えるより安くつく。しばしば言われることだ。
 でも,頑丈で長くもつのはエルメスに限らない。っていうか,いわゆるブランド品に限らない。たいていのモノはじつは一生モノなのだ。

● ところが,長く使うというのが難しい。洋服でも車でも食器でも,商品寿命よりユーザーの飽きが早く来る。
 いいモノは飽きが来ないとも言われる。本当にそうか。検証を要する。エルメスといえども,「飽き」には勝てまいと思うのだが。
 「飽き」がなくなれば,資源のムダは大きく減殺する。それで経済が回っていくかどうかは不明。本当に一生モノにされたら,エルメスもヴィトンもシャネルも,みんな左前になってしまうのではないか。

2018年2月23日金曜日

2018.02.23 価値のすべては稀少価値?

● パソコンを叩きながらつらつら惟るに,かつては記憶容量が40MBもあれば一生ものだと言われたものだった。ハードディスクの価格は1MBにつき1万円だった。一生ものの40MBハードディスクは40万円。
 当時は扱うデータがテキストだけだったからで,テキストなら1.4MBの2HDフロッピーディスクにかなりの量を保存できた。自分が一生の間に生産するテキストが40MBに達することなどあるまい,と思われた。

● 当時の基準なら,現在のPCは100億円はすることになる。そのパソコンを今は誰もが使っている。実売価格は10万円ほどか。
 これほど短期間にこれほどの価格下落が起きることを,身近で体験できたのは幸運だった。

● 価値っていうのは,それ自体に内在するものではなくて,他者(社会,時代)との関係性によって決まるものなんでしょうね。
 他者との関係において,稀少だからこそ価値がある。何事もだ。

● 稀少性がなくなれば価値もなくなるとすれば,人間(個人)の価値は下がっているはずだ。ここまで平均寿命が延びてしまえば,下がらないはずがない。
 特に,年寄りの稀少性はゼロに近づいている。したがって,年寄りの価値もまたゼロに近づいていると思わなければならない。古希などという言葉は,はるか昔に死語になっている。

● 娘=乙女=若い女性,が珍重されるのは,人類の発生以来だと思うんだけど,それも若い時期がごく短くて稀少だからだ。あっという間にオバサンになってしまうから。
 おばちゃんたちが一生懸命若作りをしていて,もしこぞってそれに成功するようなことがあれば(ないと思うが),若く見えることに価値がなくなるだけのこと。

● ダイエットもそうだ。現状ではダイエットに成功する人がほどんどいないから,スリムやスレンダーに価値がある。スリムがあたりまえになってしまえば,スリムであることの価値は暴落する。
 はやい話が,よほどのデブでもない限りは,デブであることに健康科学上の問題はないだろう。メタボの基準にエビデンスがあるんだったら,ぜひとも教えてもらいたい。

● “稀少性が下がる”とは“大衆化する”いうことだ。大衆化してしまったものに価値はない。
 この伝でいえば,日本ではエルメスやヴィトンにもはや価値はない。持ちたい人は持てるようになっている。したがって,ブランド品に耳目を惹きつける魅力は失せた。
 ブランド品はさすがに良くできているから,大事に使えば一生もつ。それが年々生産されて積みあがっていくわけだから,稀少性はなくなって当然でもある。
 昔,シャネラーと呼ばれる人たちがいて,特に芸能人の女性がシャネル製品を集めに集めて,それがテレビで放送されることがあったけれども,今それをやっても笑いの対象にしかならないだろう。バカか,こいつ,としか思われない。

● 東大卒の価値も下がっているし,総じてインテリの価値は,大幅に下落している。これも知の稀少性が減ったことによる。知へのアクセスが簡単になったからだ。
 しかし,東大はまだいい。誰でも入れるわけではないから,稀少性は保たれている。かわいそうなのは東大以外の大学生だろう。誰でも大学に行くとなれば,しかも誰でも入れる大学となれば,そんなものの価値はその辺に転がっているゴミと同じだ。

● 自転車による世界一周なんてのも,その価値は大きく下がっている。多くの人がやるようになったからだ。
 テレビに出るというのもそうかもしれない。それ以外にも数えあげれば,星の数ほどもありそうだ。

● ぼくらがやっていること,やろうとしていることは,その「こと」の価値を下げることでもある。
 となってくると,さて,ぼくらは何をやればいいんだろう。

● 稀少性だの,価値だの,そんなことは考えずに,やりたいことをやるのがいいのだ,となるだろう。おそらく,それしかないはずだ。
 ただし,その結果どうなるにしろ,それは自己責任だよ,と。

2018年2月22日木曜日

2018.02.22 米空母が朝鮮半島に集結

● という記事がネットに出ていた。20日にアップされている。

● 米軍が北朝鮮を攻撃すれば,決着はすぐにつく。ソウルが火の海になる間もないだろう。そこはハッキリしていると思う。戦力の質量がまるで違う。
 アメリカからすれば,北朝鮮の地上兵器など,鉄くずでしかないだろう。脅威なのは核だけだ。

● が,問題はその後だ。決着がついた後,アメリカは北朝鮮をどうするつもりなんだろう。
 アメリカが戦後処理で上手くやったのは,太平洋戦争後の日本に対するものくらいで,それ以外は失敗の連続だもんなぁ。

● 考えてもいないだろうけど,韓国と統合するのはあり得ない。そんなことをしたら韓国がもたない。東西ドイツの統合とはわけがちがう。
 北朝鮮は北朝鮮として維持しなければならない。

● 金正恩をアメリカが打倒することになるわけだから,戦後処理について中国は発言権を失うことになる。特に瀋陽軍区のプレゼンスは大きく低下することになるだろう。
 米中関係も必ず緊迫するわけだが,アメリカは落とし所を決めているんだろうか。北朝鮮をめぐって中国の内部対立が先鋭化するから,中国なんぞは放っておいても勝手に潰れる,と読んでいるんだろうか。

● 本来ならね,これをやるのは中国の仕事なのだ。習近平が瀋陽軍区に対して,平壌制圧を命じなければいけない。とっくにやっていなければいけなかった。北朝鮮がここまで核開発を進める前に。
 金正恩は殺すかスイスに亡命させて,金正男を後釜に据え,中国の傀儡政権を作る,という手はずはじつはできていたんじゃないかと思うんだが。アメリカもそれを了承していたんじゃないのか。

● それができなかったというのは,習近平が瀋陽軍区を掌握しきれていないってことなんだろうか。だとすると,その状態で北朝鮮に異変が発生するのは,習近平にとっては歓迎できる事態のはずがない。
 アメリカは習近平に見切りをつけたぞと中国に知らせるためなのか,今回の動きは。

2018年2月21日水曜日

2018.02.21 押しつけがましく暑苦しい

● 右は今日の朝日新聞「天声人語」。懐かしき立て看について語っている。

● 興味がないのに目に入ってくる。これが音だったら騒音っていうんだよね。
 立て看やポスターは景観を壊すことが多い。「押しつけがましく暑苦しい」のは,それだけで充分な罪だと思うが。その罪を贖えるだけの立て看なんてあるのかい。

● が,立て看の書体は独特だった。立て看には立て看独自の美学があったのかもしれない。
 立て看は大学の風物詩のようなものだ。若い頃をすごした場所とそこに立て看が醸す独自の雰囲気が,ノスタルジアを掻きたてる。それが立て看独自の美学なんぞということを誘発するのかもしれない。

● 「押しつけがましく暑苦しい」のは,立て看だけじゃない。オヤジやジジイは立て看よりも暑苦しい。だから,その存在自体が罪なんだよ。困ったものだな。
 いや,ほんとにねぇ。50歳や60歳の男がFacebookのタイムラインに自分の写真を掲載するって,何を考えているのかと思いますよ。それ自体,公共の福祉を損ねる行為だろうに。

● でも,それは沃野でもあるんですよ。押しつけがましさや暑苦しさを払拭できれば,それだけで世の娘たちに好かれる可能性が激増するんだから。付け入る隙はいくらでもあるってことですよ。
 付け入ってもしょうがないと思ってしまうのが,安きに流れるということで,それをつまり老化というんですよ。

● ということで,もう少し頑張ってみましょうや,ご同輩。

2018年2月20日火曜日

2018.02.20 FBの使い方は依然として試行錯誤中

● 特にTwitterとの切り分けが悩むところ。FBのタイムラインへの投稿は,Google検索にひっかからないわけだから,情報の受発信に使うには不向き。情報の受発信にはTwitterが向く。
 FBは基本,閉じた世界で,“友だち”とのコミュニケーションを楽しむもの。

● とはいっても,いわゆるオピニオンリーダーと目される人たちの中には,FBをメインに使っている人もいるので,そこはFBでフォローするしかない。
 そうした友だち申請をするには畏れ多すぎる人たちについて,フォローしてはやめるを繰り返してきた。現在のところ,成毛眞さん,疋田智さん,仲野徹さんの3人をフォロー中。これはこれで落ち着きそうな感じ。
 いや,正直なところ,FBを使っている理由の半分は,成毛さんをフォローするためだ。

● FBではほとんどの人が,自分中心主義というか,自分周りのことを書いている。そうならざるを得ないわけで,FBはリア充自慢をするのに向く構造になっている。
 それを免れるには,世間の事象に対する意見を述べることを投稿のメインにするしかないが,それで読ませる投稿にするには,相当な力量が要求される。何か言えばマスコミ的正義から一歩も出ないような人が,FBにマスコミと同じことを書いたところで仕方がない。

● こういったことはTwitterでもブログでも同じことではあるんだけれども,TwitterのフォロワーとFBの友だちでは,だいぶ風合いが違っていて,そのため“FBは閉じた世界”感が強くなる。
 ぼくらのリアルのコミュニケーションも,自慢と人の噂話(陰口)とどうでもいいことのやり取りでできあがっている。だからこそコミュニケーションがコミュニケーションたり得るのであって,どうでもよくないことをやり取りしなければならない局面は,多少なりとも緊張感をはらむものになる。

● しかしねぇ,仲間内でどうでもいいことを言い合って,互いに「いいね!」し合ってっていうのが,すこぶる幼稚に映るのも事実。
 いくらリアルもそうなのだからといっても,FBは文字に残ってしまうのでね。

● “友だち”とのコミュニケーションを楽しむといっても,その“友だち”の数をむやみに増やさないのが,FBを運営していく上での基本になるだろう。いかにして繋がるかではなくて,いかにして繋がらずに済ませるかの方が重要。
 人によってFBの使い方に濃淡があるのは当然だが,そこを踏まえても,投稿に対して“いいね”の数が平均して友だち数の2割を割り込んだら,無用なつながりが多すぎるのだ。

● ぼくの友だちは14人で,これはいくら何でも少なすぎるけれども,自分のリアルを反映した結果なので仕方がない。しかし,それでもどんどん友だち申請して,友だちを増やしてみても,いいことは何もないと思う。
 特に,地方議会の議員や首長と友だちになるのは,絶対に不可。友だちが多すぎる人(おおよそ500人以上)と友だちになるのも不可。

● というわけで,FBはけっこう面倒くさい。上に書いた3人をフォローするためだけに用途を限定しようかと思わないでもない,今日この頃。
 ただ,FBでコメントのやり取りをする中で,ぼんやりと思っていただけのものに形を与えられることがあるんだよね。そういうときって,けっこうな快感を感じるんだよ。
 だものだから,やめちゃおうかと思っても,踏みとどまってしまう。

2018年2月19日月曜日

2018.02.19 氏家の「みやこ家」で310gのまぜそばを食べてみた

● 氏家雛めぐり,開催中。でもって,地元の飲食店が協賛サービス実施中。
 「みやこ家」では餃子一人前が無料に。それを知るとじっとしてられないヤツが,わが家に若干1名いる。

● で,相方と「みやこ家」に。310gのまぜそばを注文。760円。
 かつての210g(600円)と量はそんなに違わないような気がした。旨いんだけどね。

● 210gのときは,半ライスを一緒に頼んでいた。どういうふうに食べても具が残る。ので,最後にその具をご飯に載せて,丼にして食べると,これが何とも旨いんですよ,というわけでした。
 が,310gとあっては,さすがに半ライスは要らないだろう。と思って,麺だけにしたんだけど,半ライスを付けてもいいかもしれなかった。

● というわけで,まぜそば310gは気がすんだ感じ。次は何にしようかね。濃厚つけ麺,煮干しつけ麺,海老つけ麺あたりが定番かと思うんだが。
 最近は極太麺ではなくて中太麺を食べたいと思うことが多くてね。煮干しつけ麺とまぜそばは自動的に中太麺になるんだけど,あっさりつけ麺にして,麺を中太麺にしてもらうという手はあるな。
 そうしたことも何度かあるんだけどね。汁と麺の組合せは,基本的に店側が決めているデフォルトのままにした方が間違いないかもしれない。

● この店はガッツリ食べる系だから,一人で来ている男性客が多い。が,それに合わせてしまうと,店側としても現状維持に傾きがちになりそうだ。
 そこはそれ,女性客を意識したメニューも加えているのだけども,どうもガテン系のイメージを払拭できているとは思われない。ガテン系に徹してしまうのもありなんだろうかねぇ。
 って,素人が口を出してもしょうがないんだけどね。

2018年2月18日日曜日

2018.02.18 相方と「宇都宮スパ屋」

● 昨日は好き勝手をさせてもらったので,今日は相方のサーヴァントを務めることに。
 昼前に出かけて,まず岡本の「宇都宮スパ屋」で昼食。相方がスマホでクーポンを当てたらしい。

● 2人前のセットがあるので,いつもそれにしている。そこに,クーポンが使えるマルゲリータを追加。サラダが出,ワインとピザが出,パスタが出て,最後にスイーツが今日される。
 赤ワインを飲んでしまったので,これより後は相方が運転。サーヴァントの重要な役割を代わってもらうことになってしまった。

● パスタは生ウニが載ったカルボナーラ。どうも,この生ウニはなくてもいいもののように思われる。
 ところで,カルボナーラというのは卵かけパスタのことだと解してよろしいか。ということになると,乾麺よりも生パスタの方が卵の絡み具合がいいわけだから,カルボナーラは生パスタに限る,と決めつけてよろしいか。

● 乾麺か生麺かというのは,うどんや蕎麦に関しては検討の余地もないと思うが,パスタに関しては議論になり得る。
 ひょっとすると,つい最近までぼくらは乾麺のパスタしか知らずに来たからかもしれないんだけど。

● この店で供される生パスタは,極太の中華麺に近いようでもあり,固めに練ったうどんのようでもあり,洋の東西の違いを溶かしたような趣がある。
 もちろん,旨いんですよ。旨いんだけれども,乾麺でもいいかなぁという気がしないでもないという。

● このあとはベルモール。相方の3歩あとを,相方の影を踏まないようにして歩いた。主には,荷物の運搬人でござる。

2018.02.18 藤井五段,朝日杯優勝

● 昨日のこと。
 さあて,今日は朝日トーナメント杯の羽生竜王VS藤井五段戦だ。藤井五段が勝って,さらに決勝戦でも勝つようなことがあれば,史上最年少の優勝者になるし,六段に昇段する。中学生六段は前代未聞。
 すでにC1への昇級は決めているわけだから,いよいよもって天才現るを強く印象づけるし,史上最年少名人の誕生も期待させるじゃないですか。
 時の名人と竜王が中学生の新人に続けて負けるようなことがあっては,タイトルの鼎を問われる。が,そこをひっくり返してきてるんだよね,谷川も羽生も,大物はみんな。

● ありゃりゃ,藤井五段が竜王に勝っちゃったよ。永世七冠が止めると思ったんだが。手応えを感じてるだろうね。
 勝ち方も堂々たるものなんでしょ。ぼくに内容はわからないんだが。

● 藤井五段,続いて,決勝でも勝って優勝。29連勝に次ぐ二度目の勲章。恐るべし。どんだけ凄いんだ。
 寄らば切るといった風情の剣士は二流かい? 淡々としてて,外に凄みを見せないものかね,剣豪は。しかも中学生なんだよね,この剣豪はね。

● 天才集団の中で一頭地を抜く天才中の天才って感じですよ。現時点で,最強の棋士でしょう。
 運とか勢いとかもあると思うんだけど,それを引き寄せるのも実力のうち。というか,実力の大きな部分は,じつはそこにあるんでしょうね。

● で,藤井新六段を称える今日の読売新聞。どうやらプロ棋士にとっても,藤井六段の成長の速さは想定外だったらしい。
 が,スポットライトだけを見て,将棋界なり棋士なりの全体を測ると,当然,誤ることになる。藤井六段の周囲には,夢破れて奨励会を去っていった,何百人もの“天才”がいる。ひとりの“藤井六段”が現れるためには,膨大な数の犠牲者が必要だった。
 圧倒的多数は敗者側に回る。藤井六段の背後は死屍累々のはずだ。実力だから,結果に対して言い訳が効かない。

● まちがっても,わが子を将棋指しにしようなどと思ってはいけない。あなたの子供は,いかに努力したとて,藤井六段にはなれないのだ(おそらく,奨励会にも入れまい)。
 なぜなら,天才ではないからだ。ありていにいえば,凡庸だからだ。

● 休日にヘボ将棋を指している方が,プロ棋士を目指して散っていくよりはるかに幸せというものだ。総じて,なまじな才能を持ってるよりも,凡庸である方が,幸せである。
 と思って,だから自分は幸せなのだ,と自らを慰めようではないか,ご同輩。

● 実力のみで上を目指せるってのは,選ばれた人たちにだけ許される,神から与えられた特権なのかもしれないね。
 普通のサラリーマンは組織に守られている。組織内にいると理不尽なこともあるけれども,逆に楽なこともある。組織のヒエラルキーって,けっこう自分を守ってくれてるところもあると思うよ。

2018年2月16日金曜日

2018.02.16 相方の誕生日に花を買う

● 宇都宮駅ビルの「第一花壇」で花束を作ってもらった。相方の誕生日なので。結婚以来の習慣。
 最初,驚いたよ。何も持たずに帰ったら,家に入れてもらえない。ってことはないんだけど,ネチネチ言われるのだよ。誕生日を祝うっていう発想がぼくにはなかったものだから。
 以来,毎年実行している。ときどき,忘れることがある。催促される。1日遅れで買って帰ったことも何度かある。

● 田舎の実家ではそんなことしたことがなかったしね。誕生日って淡々と過ぎるものだと思ってましたよ。
 誕生日なんてどうだっていいと,ぼくは心から思っているんだけど,相方はどうもそうではないらしい。そういう世界があるんだなぁ,と。

● これを男女差に還元していいものですかね。
 ぼくと同じように考える女性もいるよね,たぶん。ひょっとしてひょっとすると,誕生日は祝うものと思っている男性もいるかもしれない。
 性差に求めてはいけないのかもしれないね。個人差で説明するしかないものですかね。

● 誕生日もそうだけど,結婚記念日もね。入籍記念日とかも。たまたまその日になっただけなんだがなぁ。
 サラダ記念日という言葉を作った女流歌人もいた。“記念日”が大きな顔をするようになったのは,社会全体が女性化したからでしょうね。
 それを悪いというつもりはないんだけどね。悪いとかいいとか,そういう話ではなくて,平和と経済的な安定が続けば,必ず社会は女性化するものだろうしね。

2018年2月15日木曜日

2018.02.15 「登竜」で肉入り野菜炒め定食

● 夜,相方と氏家の「登竜」。肉入り野菜炒め定食を食す。920円(+税)。
 相方は,ここで食べるのは味噌ラーメンに決めているようで,それ以外のものを注文するのを見たことがない。たまに,チャーハンも食べるが。

● 野菜炒めはハイボールにも合いますなぁ。これと長芋キムチでハイボールを2,3杯飲んで,締めに醤油ラーメンを食べて帰る。1年前まではそんなこともしてたんだけどなぁ。
 いくらなんでもカロリー取りすぎでしょ,と我ながら思うんだけど,まぁ,そこはそれ,深くは考えない。

● 何というのか,安心感に包まれる旨さ,とでも言いますかねぇ。腹いっぱい食べてもらいたいという,店主の思いがね,直截に伝わってくるようで。
 ダイエットだのコレステロールだの,そんなのはアナタね,死んでから考えたって遅くないよ。生きてる間は食べなさいよ。美味しいものを食べるのは,アナタね,人間の一番の幸せでしょうよ。食べられてればたいていのことは大丈夫よ・・・・・・と,言われているような気がするんだよ。

● 飲むなら,銀座より新橋。着るなら,アルマーニよりユニクロ,食べるなら,ホテル・レストランより「登竜」(ちなみに,書くなら,モレスキンよりダイスキン)。格好を捨てて実を取れば,そういうことになります。
 服装を整えて,ナイフやフォークを操って食べるのも,それはそれであっていいと思うんだけど,究極は緩みが許されないと辛くなる。職業や収入の多寡を問わず,人は誰でもそうだと思っているのだが,ひょっとするとそうじゃない人もいるんだろうか。

● 「登竜」があるのに,氏家にはバーミヤンもあれば,他にもラーメン屋がいくつもある。それぞれに成り立っているのが,不思議といえば不思議。どうして「登竜」に集中しないのだろう,と。
 社会は複雑なのだよね。ぼくの直線的な把握の仕方では掴まえられないだけなんでしょうね。

2018年2月12日月曜日

2018.02.12 東京散歩-新宿・三鷹・新橋

● 三鷹に用事があった。だいぶ早めに家を出た。湘南新宿ラインに乗って,新宿で中央線に乗換え。その新宿を少し歩いてみることにした。
 新宿は田舎者には本当に鬼門。新宿駅構内で必ずといっていいほど迷子になる。圧倒的に方向感覚が失われ,現在地がわからなくなる。
 ここをスイスイと歩ける人は自分とは別の惑星に生きている人たちだと思う。っていうか,自分が別の惑星に来たわけか。

● その新宿にも駅から少し歩いただけで,嘘のように静かなエリアっていうのはあるものだね。ま,今日が祝日のせいでもあるんだろうけど。
 たとえば,西新宿の東京通信大学が入っているビルがあるあたり。えっ,ここが新宿なのと思うほどに閑散としている。駅から歩いて数分なんですよ。

● 東京通信大学って今年の4月に開学するインターネットを使った通信制の大学。従来の通信制大学に比べても,ネットに特化しているというあたりで新しさがあると思えるんだけど,上手く行くのかなぁ。
 かつては活字のテキストを読んで勉強するのが中心で,それにスクーリングを付加するタイプしかなかった。そこにテレビとラジオによる講義を主体とする画期的な通信制大学が現れた。それが放送大学。
 じつは,ぼくもここの卒業生なんだけど(卒業したのは四半世紀前),当初は首都圏にしか電波が届かなかった。ぼくが住んでいたところだと,ラジオは何とか届くんだけど,テレビは天気のいい日の早朝か夜しか受信できなかった。
 その後,CSで全国に届くようになり(現在はBS),インターネット配信もするようになった。日本のどこに住んでいても放送大学の授業は視聴できる。
 のに,首都圏にしか届かない地上波放送も依然として維持されているのは,その理由が不可解だ。

● しかし,率直に言って,放送大学はその役割を終えたと思う。速やかに廃止・解体すべき時期に来ている。もっと言うと,大学自体が要らないものになっているのではないか。“学士”という称号の価値は,もはやいかなる意味においてもゼロでしょ。
 大学の講義はいろんな形でネットで公開されるようになっているし,講義という型式じたいがどうなのよと思える時代になった。講義以外による情報取得の方が効率がいい。テキスト主体の従来型の通信制の方がむしろ新しく見えてくる。

● 新宿駅地下というか小田急百貨店にこんな広告があった。働きましょっていう内容。広告主が誰なのかは確認しなかった。
 働いて笑うより,働かないでなお笑えるのが達人。達人になるのは難しござるがね。

● ところで,この人,アップル創業者のスティーブ・ウォズニアックに似てないか。と思ったら,Wozというサインが見える。本人だ。
 思うに,ジョブズよりウォズの方が生き方において,見事。何というか,高級感がある。ジョブズは実体以上に偶像化されてる気がする。何の根拠もなく言うんだが。

● 中央線で三鷹へ。三鷹駅は三鷹市の北端にあるんですね。北口を出ればそこはもう武蔵野市。
 で,ここから南に向かう。バスに乗ればいいんだけども,乗合バスを使いこなすのはなかなか難しい。どのバスに乗ればいいのかもわからない(ネットで調べりゃいいんだけどね)。

八幡大神社
● 目的地は三鷹市公会堂。もう何度か行ったことがあるので,勝手はわかっている。三鷹通りを南下すればいい。いたって単純だ。
 途中,八幡大神社。この場所にこれだけの境内を持っている。東京では珍しいのじやないか。由緒ありげな神社だ。正月には初詣客で賑わうのだろう。

● 途中の見ものは,でもこの神社くらいですかね。かなり歩いて,三鷹市公会堂に到着。このあたり,市役所,市立図書館,第一中学校などが集まっている文京地区っぽいのだが,空間の色合いは,わりと普通。どこでもこんなものか。 
三鷹公会堂
 市立図書館もわりとショボい印象を受ける。外観の印象なので,中に入ると違うのかもしれない。図書館はここだけではなくて,他に分館がいくつかあるのかも。

● 三鷹を歩いて感じるのは,自転車が多いことだ。宇都宮の大通り以上だと思う。その自転車がもれなく歩道を走っている。
 車道に自転車レーンを設ける余裕はなさそうだから,こうなるのも致し方がないのかもしれない。ではあるが,歩道を歩くのに気が抜けないのでは,住むにはまったく適さない。
 特に子育て中の女性や年寄りにとっては,けっこうストレスが大きいような。自分も自転車で走ることがあるからお互い様だよ,ってことなのかもね。
 駅に“三鷹の心地よさ”をうたった広告があったんだけど,住んでいる人たちにはまことに申しわけないことながら,三鷹ってあんまり心地よくない。

● 中央線で東京へ。東京から山手線で新橋へ。駅前のSL広場。東京で一番居心地がいいのが,ここかもしれない。
 何なのだろうね,この居心地の良さ。自分もここにいていいんだと思える安心感。ここにいる人の多くが田舎から出てきた人たちだと思えることか。いろんなモノを呑みこめる懐の深さのようなもの,あるいはカオスっぽいものを感じることかな。

● 新橋駅構内の「かのや」でチクワ天うどん。スタッフは中国人と覚しきアルバイトがメイン。日本語で応対するのは大したものだと思う。
 お客も過半は東洋系外国人。日本の立食いそば屋で,中国人が中国人を相手に商売するの図。で,その中国人どうしが互いに親近感を感じているかというと,そんな気配はまるでない。お互いによそよそしい。

2018年2月11日日曜日

2018.02.11 一番安いのが一番旨い,というのはしばしばあること

● 相方に頼まれて,宇都宮駅ビル(パセオ)の「銀だこ」でたこ焼きを買ってきた。
 正月に相方がここの福袋を買っていて,それに引換券が入ってたわけです。この券1枚でお好きなたこ焼き1舟と引き換えますよ,って。

● でね,「銀だこ」で一番旨いのは,一番安いやつじゃないですか。上に何も載ってないやつ。花かつおだけのやつ。
 その一番安いやつでいいかというと,相方はダメだって言うんだよね。高いのと引き換えないと損だという発想。

● イタリアンの店で,ランチセットとかあるじゃないですか。パスタとかピザは,いくつかある中から好きなのを選べる。で,パスタもピザも,一番安いのが一番旨いんだよね。ピザはマルゲリータが一番旨い。
 その一番旨いのにしようとすると,相方からダメ出しがくる。同じ金額なんだから,単価の高いものにしなさい,って。
 生ウニが載ってたり,牡蠣が入ってたりする,わざと不味くしたとしか思えないのを注文することになるわけですよ。

● 本人には言えないので,ここで言うけど,おかしいでしょ。まるでおかしいよ。全然ダメでしょ。

2018年2月10日土曜日

2018.02.10 最も価値が下落したのは年寄り,特にジジイ

● 昨今,魅力を失ってきてるものはいろいろあるな。
 まず,平均寿命の長さ。平均寿命の限界効用はすでに大きく逓減している。平均寿命がさらに延びたとニュースで聞いても,それがどうしたってなもんだ。香港に抜かれた? イイじゃねーか別に。

● それから,豪邸。今どき豪邸に住みたいなんぞと考えるのは,よっぽど貧乏に育ったか,損得計算もできない馬鹿に決っている。
 総じて,豪華絢爛は魅力なし。黒塗り車も嘲りの対象に変わりつつあるか。

● 黒塗り車が嘲りの対象になりつつあるのは,それが年寄りの象徴だからでもある。つまり,一番価値が下がったのは年寄り,特にジジイだろうな。
 黒塗り車でゴルフなんてのは,ジジイのシンボル。洟もひっかけられない。

● 数が増えすぎたのと,退くことを知らないのが,価値が暴落した理由。なぜ退かないのかといえば,自分の考え方のすべてがとっくに時代に取り残されていることを自覚できないからだろう。
 生涯現役なんて老害の元凶なんだよ。社会の迷惑だよ。トットと消えろよ。というのが,現役世代の本音だろうよ。ぼくもそう思っていたもん。

● 最も問題だと思うのは,彼らジジイが,いい年こいてもなお,若さをもって良しとする若さ第一主義からまったく脱却できないどころか,いよいよそこにこだわろうとするところだ。
 この浅薄な価値観って,いったい何なんだろう。死を認めたくないというところから来るのかね。死を受容できない,と。
 だとすれば,一番肝心なところから目をそむけて,営々と馬の年齢を重ねてきたということだぞ。

● 老いてなお,若々しくあることを価値の優先順位の第1位に置いているのが歴然としているジジイって,ほんとに迷惑だし,哀れだ。
 案山子がアルマーニを着て歩いてみたってしょうがねーだろーと思う,今日この頃なのでした。

● とはいうものの,だ。若くありたいという思いから自由になるのは至難だ,ってことはわかるんだよね。
 死の受容の問題のほかに,広く文化というものは若者から勃興し,それが上の世代に浸潤していくもので,逆は絶対にない,ということがある。年寄りは文化を生みだせない。
 年寄りのライフスタイルを象徴的にいうと“いいものを少し”となるだろう。主には食生活について言われることだが,その“いいもの”を作るのは,たいてい若者だ。
 文化の近くにいたいという潜在的欲求があるのかもしれない。

● そのジジイの一員としての自分が,さてではこれからどうしていくか。若く装うことはしないでいられる自信がある。世間にしゃしゃり出ないでいられる自信もある(っていうか,そんなの面倒だもんね)。
 のだが,若者とのつながりは保っていたいよね。彼らからパワーを分けてもらうっていうんじゃなくて,世間知らずになることは避けたいと思うからだ。世間に口を出すつもりはないけれども,世間がどうなっているのかは知っていたい。
 新聞やテレビからはその情報は得られない。SNSにも少数の賢者と大量のバカしかいないので,中間がわからない。

● そのためには若者に嫌われないジジイでありたい。媚びるのではなく,自然体でいて嫌われないという。
 そこがつまり,ぼくの課題のほとんどすべてだと言っていいと思っている。

2018年2月9日金曜日

2018.02.09 相方がインフルエンザに罹った

● 相方が職場でインフルをもらってきた。6日(火)のこと。
 ぼくは記憶する範囲で,インフルに罹ったことがない。そのことをソチコチで触れ回っているんだけど,果たしてどうなることやら。潜伏期間があるはずだから,今すぐどうということはないだろうが。

● 相方の食事をどうしようか。ご飯くらいは炊けるんだが,それ以上となると。ぼくは熱があるとリンゴしか食べなくなるので,リンゴを剥いといてやればいいか。
 というようなことを考えた。これさ,自分がインフルになった方がいいよな。その方が気楽。

● 7日。相方がインフルをもらってきて,さて,ぼくは今日,出勤していいんだろうか。目下は何事もないんだけど。
 やっぱりまずいでしょうね。休んで,病院で検査してもらうことにした。午後,近くのクリニックに行ってみた。隔離待合室(?)で待たされた。ここでインフルを拾っちゃいそうだ。念のための検査も考えもんだ。

● インフルの結果は(-)だった。配偶者がインフルでも,ぼくはインフルにならない男なのだった。予防のためにタミフルが出た。
 受付にうるさいババアがいて,ちょっと閉口したが,やれやれだ。
 相方もわりと軽症で,チョコチョコと家事をやっている。リンゴの皮は自分で剥ける状態。ありがたや。

● 9日。明日からの3連休,白金台のシェラトン都で過ごす予定にしてたんだけど,さすがに無理で,キャンセルのやむなきに至った。
 人様にうつしてしまっては,どうにもならないからね。

● こういうとき,相方は,また連れっててくれるよね,と言うんですよ。
 連れてくも何も,相方がネットで安いプランを見つけてきて,勝手に予約を入れ,ぼくには事後連絡というわけなんで,おまえがオレを連れてってんだろ,と思うわけなんですよ。

● ぼくはもう,彼女のこの言い方に慣れてしまっているんで,あぁいいよ,また連れてくよ,と答えてるんですが,これって自分が絶対に責めを負わないですむ,高度に巧妙な言い回しに思えますなぁ。
 皆様のご家庭ではいかがでありましょうや。弱者の仮面を被った支配者の物言いをお許しでありましょうか。

● ちなみに,相方がインフルで辛そうだったのは昨日(8日)までで,今日はかなり元気になった。
 ホテルをキャンセルしたのを後悔している様子だった。が,ホテルは逃げていかないからね。

2018年2月8日木曜日

2018.02.08 センター入試で満点を取った人がいるんだけど

● センター試験満点の東大出願者がいたというニュースなんだけど。学習マシンなのかよ,おまえは,と言いたくもなるんだけど,とんでもない人だね,凄いね。
 おそらく,ガリ勉タイプではないと思う。スイスイとできちゃう人じゃないか。

● センター試験では,理Ⅲより理Ⅰの方が平均点が上なのか。文Ⅰは凋落してるのかい? 法学部不人気ってこと? 昔とは違ってるんだなぁ。
 こういうところからも世相が見えてくるかもしれないよね。

● そもそも論でいえば,賢者は大学に行かない時代がすぐそこまで来てるよね。4年間も大学で過ごしてしまうのは,お金と時間をドブに捨てるようなものというのが,そろそろ共通了解事項になりそうだ。
 大学で学べるようなことは,ネットを使えば,半分の時間で身につく。優秀な人なら1年も要らないだろう。

● 大学を出ないとなれない職業(医師とか教師とか)もあるじゃないかと言われるけれど,そういう職業に優秀な学生は行かなくなる(っていうか,すでにその傾向はあるのじゃないか)。それに伴って,だいぶ遅れるだろうけど,受験資格も見直されることになると予想しておく。
 学部を卒業していなくても大学院への入学を認めるとか,高校を卒業していなくても大学への入学を認めるとか,そういうふうにならないと世の中は回っていかなくなる。途方もない頭脳の持ち主が,その頭脳を腐らせないで仕事ができるようにしないと。彼らに牽引してもらうしかないんだから。

● 知的生産の分野のみならず,あらゆる分野で,才能の持ち主にその才能を使ってもらえるようにする。その結果,格差が拡大するのはむしろ望ましいことだと腹をくくる。
 国内で完結するなんてとっくにできなくなっている。アメリカやインドや中国から,それこそこの世のものとは思えない才能がやってくる。ボトムアップばかりやっていたら,日本は彼らに牛耳られてしまうんじゃないか。ボトムなんて少しばかり引きあげたってボトムなんだから。引っぱる側に移行することはあり得ないんだから。

● 大学は長年にわたって惰眠を貪りすぎたんだと思う。それを社会が許してきた。
 日本にはバカンスという習慣はないが,日本人は大学生の間に一生分のバカンスを楽しんでいるのだから,帳尻は合っているのだ,と言う人もいた。
 大学生(特に文系)は勉強しないというのは,誰もが知っていたことだ。社会もそれを良しとしてきた。それをいいことに大学はずっと眠っていた。年々進学率は上がり,受験料収入も授業料収入も増えるんだから,自らを変える必要を感じなかった。制度の上に胡座をかいていればよかった。

● 大学の危機という言葉はかなり前から使われていた。が,当事者の危機感が現実にまるで追いついていなかったってことかなぁ。
 教授会自治なんてことを言ってれば,当然そうなる。実際,どうなんだろ,758校ある大学のうち700校がなくなり,教員諸氏が失業してしまったとしても,日本から失われる“知”はほぼゼロなのではなかろうか。

● ということだから,大学の授業料を無償化するなんていうのは,時代錯誤もいいところの議論ではないかと,ぼく一個は感じている。
 潰れてしかるべき大学を残す結果になってしまいかねない。それだけでも,まったくもってよろしくない。

2018.02.08 世界一周クルーズ,今も催行中

● 世界一周クルーズ。以前は,日本の「飛鳥」や「にっぽん丸」など複数のクルーズ船が毎年催行していた。それでもすぐに予約が埋まった。
 同一国の乗客だけで世界一周クルーズを満員にできるのは日本くらいのものだと言われていた。バブルがはじけてからもしばらくはその状態だったようだ。

● が,今は昔の物語。「飛鳥Ⅱ」も「にっぽん丸」も「ぱしふぃっく びいなす」も世界一周はやらなくなった。いや,「飛鳥Ⅱ」は今年はやるんだったかな。来年の告知はないようだが。
 その代わり,JTBがサン・プリンセスをチャーターして催行する。

● 世界一周クルーズが下火になった一番の理由は,地中海に海賊が出没するようになったことだ。さらに,中東での戦争の影響。
 「飛鳥Ⅱ」のクルーズが復活したのも,海賊の取締が効果をあげたからのようだ。

● つまり,日本人の経済力が落ちて,参加できる人が激減したからクルーズを取りやめたわけではない,ということになっている(?)。とはいえ,それがまったくないのかどうか。
 世界一周に要するコストも上がっているはずだ。となれば,料金も上がるのが道理なのだが,それでもかつてと同じように,定員の倍も予約が殺到するという状況になるのかどうか。

● ところが,このJTBのクルーズ。「飛鳥Ⅱ」とは設備もサービスも違うんだろうから,単純比較はできないんだけど,価格もだいぶ安くなっている。
 300万円が平均的なところとして,夫婦で600万円。「飛鳥Ⅱ」の半値近くではないか。98日間でオールインクルーシブなんだ(ろう)から,300万円は安い。
 もっとも,ピースボートならツインで198万円からあるらしいんだけどね。

● 対象となる顧客はリタイア世代に限られる。彼らがあとに何も残らないものに300万円を一度に使えるかという話。
 ぼくなんかは新車が1台買えるなと思ってしまいそうだし,家も直さなきゃいけないしとか考えてしまいそうだけど,この料金なら殺到するよね。
 リタイア組もかつてほど豪放磊落ではなくなっているようにも思えるんだけど(ぼく一個はそれでいいのだと思っている),安けりゃお客は集まる。

● というわけで,皆さん。世界一周クルーズ,だいぶ障壁は低くなってますよ。
 一世紀前なら,そんなことをできる大金持ちは世界にひとかけらしかいなかった。一部の貴族と大富豪。
 それが,たったの300万円ですよ。ちょっと無理すれば,誰でも行けるようになってるんですよ。

● しかし,そうなってしまうと,世界一周クルーズの価値が大きく低減するのも事実。行ったところで,話のタネにもならないかもしれない。
 希少だから価値がある。希少価値以外の価値っていうのは,なかなかないものですなぁ。

2018年2月7日水曜日

2018.02.07 セブンプレミアムの讃岐うどん

● 石丸製麺謹製であります。これを卵ぶっかけ(卵かけうどん)にして喰ってやったんであります。旨いんであります。困るんであります。卵ぶっかけが続きそうなんであります。

● 特にですね,この中に入っている「うどん醤油」がいいんでありますね。鎌田醤油(株)謹製。
 これ,市販されていないんだろうか。こちらのスーパーでは見かけないんだが。つーか,うどん醤油っていうのがありませんわね。
 市販の麺つゆに醤油を混ぜればいいか。やってみよう。

● というわけで,やったんでありますよ。この讃岐うどんは2袋買ったんだけど,あっという間に喰っちまったんで,スーパーで買った乾麺を茹でて,卵ぶっかけにしたんでありますよ。
 ヤマキのツユをかけて,醤油を加えて,かきまぜた。まぁまぁ旨かった。

● けど,あれですな。乾麺を茹でたところで讃岐にはならないんだよね。市販のツユと醤油を適当にまぜても,鎌田醤油(株)謹製の「うどん醤油」にはまぁ及びませんわね。
 でも,麺喰いなら,それでも喜んで食べるでありましょう。

● あぁ,うどんを喰いに香川県に行きたくなってきた。世に地名を冠した食べ物(麺)はいくつもある。長崎ちゃんぽん,盛岡冷麺,信州そば,札幌ラーメン・・・・・・。
 が,いずれもわざわざご当地まで食べに行かんでも,たとえば,ちゃんぽんなら「リンガーハット」でいいかと思ってしまうわけですよ。ごめん。ぼく,長野県で蕎麦を喰って旨いと思ったことがないんですよ。

● 讃岐うどんだけは例外だ。讃岐まで食べに行きたくなる。
 しかぁし。讃岐はあまりに遠い。ちょっくら行ってくっか,ってわけにはいかん。
 うどんを食べるためだけに高松空港まで飛行機に乗るという酔狂をやるには,ぼくも年を取りすぎている。せめては,セブンプレミアムの讃岐うどんを買って,自宅で讃岐を味わうのみ,か。

2018.02.07 株価「暴落」

● 先週末のアメリカ株の「暴落」を受けて,日本市場も5日,6日の2日間で大きく下げた。こういうニュースに接すると,株は博打だな,自分はそんなのに手を染めてなくてよかったよ,と,お金に縁のない一般大衆は考えるわけだ。

● でもね,下げたといっても,「昨年10月13日以来,3カ月半ぶりの安値水準」ってことなんだよ。騒ぐほどのことじゃないでしょ,これ。もしこれで騒ぐんだとしたら,3ヶ月半の間の値上がりを何で騒がないの?
 上げるときは時間をかけてジリジリと上がるのに,下げるときは一瞬。だから目立つ。それだけのことだよね。

● でもね,株式市場は上げるのが基調だよ。下げは例外で,かつ,常に必ず調整過程にすぎない。
 アメリカ株が暴落したっていったって,リーマンショック直前の水準よりはるかに高いところにあるんだからね。
 いいかい,覚えておきなよ。基本的に資本は増殖する。その増殖過程に自分の手を入れないと,お金持ちにはなれないよ。

● 労働をお金に替えることしかできない人のことを貧乏人っていうんだよ。労働は尊いとする社会通念は,貧乏人を貧乏人にとどめておくための麻薬のようなものだろうな。
 あのさ,日本のサラリーマンって奴隷階級だからね。つーか,古代ローマの奴隷だって,今の日本のサラリーマンよりは自由があったよ。よぉく歴史を調べてみな。

● そんでもって,アクセクしたり鬱になったり。いつまでそんなことを続けるつもりなの?
 貧乏で鬱になって,それじゃアンタの一生,何だったの?
 一生って一回しかないんだよ。いいのかい,そんなことで。

● では,どうして株の失敗で命を捨てる人が出てしまうのか。
 理由は単純。買い方を間違えているからだ。信用取引っていうのは昔からあったんだけど,最近はレバレッジとかね。要は,人の褌で相撲を取るってやつだね。
 証券会社が手数料を稼ぐために,色々と考えてくれるわけだよ。そういうのを見て,欲の皮が突っ張ってしまうんだな。100万円で1,000万円の株が買えるのか,儲けも10倍だ,ってね。

● こういうとき,どういうわけか君たちはさ,自分が勝ち組になったシーンしか想像しないんだよね。
 100万円で1,000万円の株を買って,2割下がったら自己資金じゃ間に合わなくなるわけだよ。しかも,人のお金は返済を待ってはくれないわけでね。

● 人の褌で相撲を取っちゃダメだよ。株は現物で買って,買ったら何があっても数年放置。
 目先の波を掴もうとしないこと。掴めるわけがないんだから。濡れ手に粟を考えてもいけない。短期間で何倍にもなると思っちゃダメなんだよ。短気は損気だ。
 それだけでいいんだよ。四季報も経済新聞も読む必要はない。

● それから高齢者に言っておく。退職金で株を買うのは論外だからね。
 だいたい,退職金ってアンタがもらったものかもしれないけれど,アンタのものじゃないでしょ。奥さんのものだよ。人のお金で株を買っちゃいけないよ。

● さて,ではおまえは株で億万長者になったのだろうな,と言われるかな。残念。ぼくは奴隷を定年まで勤めあげてしまった人間だよ。
 以上は,昨日までの自分に言ってやりたいことなんですよ。もう遅いんですよねぇ。

2018年2月3日土曜日

2018.02.03 日本のスタバは安い

● スタバは日本のコーヒー文化を変えたと思うんだけど,その筆頭はフラペチーノを持ちこんだことだ。アイスコーヒーではなくて,フラペチーノ。しかも,それを夏だけじゃなくて通年で提供していること。
 ほかにも,コーヒーカクテルとでもいうべき,コーヒーベースの飲料を開発して,それを商品という形で見せてくれたこと。

● 昔の「純喫茶」もコーヒーだけではなかった。レモンスカッシュや,オレンジジュースや,何やらかにやらがあった。それらは,今スーパーで売られているものとどっこいどっこいの味だったのではないかと思うのだが,スタバはここでもそういう間に合わせじゃないものを提供している(ように思われる)。
 で,宇都宮はベルモールのスタバ。マンゴー&パッションフルーツティーフラペチーノのグランデサイズをば。

● その日本のスタバは安い。1月に香港のスタバに入ってみて,そのことを痛感した。これじゃ従業員の給料を上げるどころじゃない。
 かといって,値上げできる環境にはない。デフレとはそういうこと。

● 英国や米国ではもっと高い。スタバに限らないが,ワンコインで外食できるのは日本くらいのものではないか。いわゆる先進国ではという限定をとりあえず付しておくけれど,東南アジアでもそれは難しくなりつつあると聞く。
 で,その英米の状態を知った人が,日本の状況を批判するわけだ。不当に人件費を抑制している,つまるところ,われわれは不当な抑制の恩恵を受けて,安い食事を享受しているのだ,と。
 が,これに関しては日本が先頭ランナーだ。いずれ英米も日本のようになる。日本並みの価格に下がるということではなく,値上げなどしたくてもできなくなるということね。

● それに,だ。日本の賃金は世界一高いといっても,物価も高いので実質購買力は韓国並みだ,と言われていたのは,そんなに昔のことではないぞ。つい最近までそう言われていたのだ。でもって,高賃金の負担に耐えかねた日本企業はどんどん海外に拠点を求めて日本を出て行ったのだ。
 今だって“1ドル=78円”でドル換算すれば,日本の賃金は相当な水準になると思うんだが。

● 労働者には辛い環境だが,経営者はもっと辛いだろう。飲食店が原材料の高騰を受けて,相次いで値上げを発表しているが,戦々恐々のはず。
 この動きを受けて,便乗値上げを監視すべきだなどと言っている昭和原人がまだ棲息しているらしいんだけど,この手合に完全引退を促す手段はないものか。

● 消費者にとっては,今は天国だ。立場の100%が消費者なら,笑いがとまらないだろう。
 しかし,いかんせん,消費者の多くは労働者でもあるわけで,デフレの光と影を両方とも引き受けなければならない。そこが辛いところだ。

2018年2月2日金曜日

2018.02.02 氏家「登竜」でチャーハンセット

● 久しぶりの氏家「登竜」。チャーハンセット。チャーハンとミニ醤油ラーメンのセット。
 安くて旨いものを腹いっぱい。やはり,これが幸せの基本ですなぁ。人間,何が一番大事かといって,旨いものを旨いと感じられること。でもって,それをガッツリ喰える健啖家であることだな。

● 「登竜」のこの安心感は何なのだろう。存在している長さだろうか。昔からあるという。昔懐かしい雰囲気が残っているということか。
 が,これは絶対に違う。昔のままの店だったら,まず現代では受け入れられないだろう。ほんとに昔の味のままだったらソッポを向かれるだろう。

● 店主の一意専心だろうか。長く続けてきて,なお飽きる気配を見せずに,厨房に立っている姿だろうか。それはあるような気がする。
 というより,第一にはやはりそこなのだろうな。この店は店主でもっているのだろう。

● 調理の技術や原材料に格別の秘密があるわけではないように思える。あとは店主の心ばえを盗めれば,第二の「登竜」,第三の「登竜」ができる。
 暖簾分けを惜しんでいるわけではない。が,暖簾を分けてもらって続いている店がない(ぼくの知る限り一店だけあるが)。
 あまり頭がいいとダメかもしれない。世間が見えすぎるのも,たぶん,マイナスに作用するだろう。

2018年2月1日木曜日

2018.02.01 氏家の「魚べい」 2

● 相方と百均寿司で夕食。氏家の「魚べい」。
 味噌汁も高速列車(?)が届けてくれるのだが,中身がこぼれていたりする。汁物のときは少し速度を落としたらどうか。

● 利益の源泉はサイドメニュー(その中心はスイーツ)だと思うのだが,そのためには若いカップル(or女性どうし)と家族連れを呼び込むことが大切でしょ。
 そのための工夫もしているのだろうな。というより,最初からお客の主力は若いカップルと家族連れかもしれない。

● それ以上に儲かるのはアルコールではないか(飲んでいる人を見かけることは少ないんだけど)。
 肴メニューも用意されている。が,鶏の唐揚げ,ポテトフライしかない。揚げものだけだ。しいていえば,サラダがある。
 魚はあるわけだから,マグロやイカの刺身を出せばいいと思うんだけど,それをなぜやらないんだろうか。まさか法律で禁止されている? ないよね,それは。居酒屋業界との協定があるんだろうか。
 ま,大人の事情ってのがあるのかもしれないけれども,何だかモッタイナイ気がする。

● というのも,1年前は,ぼく,こういうところでも飲んでいたからなんですよね。儲けさせてあげようと思っていたわけではなくて,単に安く飲めるからという理由で。
 でも,ツマミがどうもというわけで,今は回転寿司店で飲むことはなくなった。

● 全品サビ抜き。これまた「魚べい」に限ったことではないんだけど。工程を省くため? でも,それで省ける工程は微々たるものか。お子様が多いからなんだろうか。
 客への告知には,「本わさび本来の品質と香りをお客様に味わっていただくために」サビ抜きにしているとあるんだけど,これは少し理解に苦しむところがあるな。

● 回転寿司の功績のひとつに,鮨ネタを拡大したことがあると思う。回転寿司が登場する前は,鮭が鮨ネタになると思っていた人はいなかったろう。今ではあたりまえになった。
 鮨ネタに使うための工夫や技術革新がいろいろとあったに違いない。とにかく,サーモンというのは今やあたりまえになった。
 が,目からウロコだったのは,茄子の浅漬けだ。薄く切ってシャリに合わせれば,立派な一品になる。店にとっても原価率を抑えられるんじゃないか。これはクリーンヒットだった。

● 回転寿司は進化が速くて,色々と思いを巡らせることができる。退屈せずにすむんだけど,できれば職人が握った寿司を食べてみたいものだよ。
 価格と実質が比例する食品の代表が寿司らしいから,回転寿司には回転寿司の良さがあるとしても,回転寿司で寿司を語ってはいけないよなぁ。
 百均寿司はシャリにネタを載せているだけで,ネタとシャリをなじませるってことはしていないもんね。いや,しているのかもしれないけど,あまりなじんでいないもんな。これすなわち握りといっていいんだろうか,っていう。

● でも,なかなか食べられないね,回らない鮨。宇都宮駅ビル(パセオ)の1階に,立食い寿司のスタンドができている。しばらく前だよね。
 まずはそこに行ってみるかと思うんだけど,それでもぼくには敷居が高い感じがしちゃってね。

● ところで,この氏家の「魚べい」で何を推すかというと,ぼく的にはマグロですね。立派なマグロですよ。これで百円でいいのか,とホント思いますよ。
 そのマグロを2皿食べてきた。あと,なんだかんだで7皿。若い人には負けるけど,これだけ食べると食べたという感じになりますよ。