新宿は田舎者には本当に鬼門。新宿駅構内で必ずといっていいほど迷子になる。圧倒的に方向感覚が失われ,現在地がわからなくなる。
ここをスイスイと歩ける人は自分とは別の惑星に生きている人たちだと思う。っていうか,自分が別の惑星に来たわけか。
● その新宿にも駅から少し歩いただけで,嘘のように静かなエリアっていうのはあるものだね。ま,今日が祝日のせいでもあるんだろうけど。
たとえば,西新宿の東京通信大学が入っているビルがあるあたり。えっ,ここが新宿なのと思うほどに閑散としている。駅から歩いて数分なんですよ。
● 東京通信大学って今年の4月に開学するインターネットを使った通信制の大学。従来の通信制大学に比べても,ネットに特化しているというあたりで新しさがあると思えるんだけど,上手く行くのかなぁ。
かつては活字のテキストを読んで勉強するのが中心で,それにスクーリングを付加するタイプしかなかった。そこにテレビとラジオによる講義を主体とする画期的な通信制大学が現れた。それが放送大学。
じつは,ぼくもここの卒業生なんだけど(卒業したのは四半世紀前),当初は首都圏にしか電波が届かなかった。ぼくが住んでいたところだと,ラジオは何とか届くんだけど,テレビは天気のいい日の早朝か夜しか受信できなかった。
その後,CSで全国に届くようになり(現在はBS),インターネット配信もするようになった。日本のどこに住んでいても放送大学の授業は視聴できる。
のに,首都圏にしか届かない地上波放送も依然として維持されているのは,その理由が不可解だ。
● しかし,率直に言って,放送大学はその役割を終えたと思う。速やかに廃止・解体すべき時期に来ている。もっと言うと,大学自体が要らないものになっているのではないか。“学士”という称号の価値は,もはやいかなる意味においてもゼロでしょ。
大学の講義はいろんな形でネットで公開されるようになっているし,講義という型式じたいがどうなのよと思える時代になった。講義以外による情報取得の方が効率がいい。テキスト主体の従来型の通信制の方がむしろ新しく見えてくる。
働いて笑うより,働かないでなお笑えるのが達人。達人になるのは難しござるがね。
● ところで,この人,アップル創業者のスティーブ・ウォズニアックに似てないか。と思ったら,Wozというサインが見える。本人だ。
思うに,ジョブズよりウォズの方が生き方において,見事。何というか,高級感がある。ジョブズは実体以上に偶像化されてる気がする。何の根拠もなく言うんだが。
● 中央線で三鷹へ。三鷹駅は三鷹市の北端にあるんですね。北口を出ればそこはもう武蔵野市。
で,ここから南に向かう。バスに乗ればいいんだけども,乗合バスを使いこなすのはなかなか難しい。どのバスに乗ればいいのかもわからない(ネットで調べりゃいいんだけどね)。
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八幡大神社 |
途中,八幡大神社。この場所にこれだけの境内を持っている。東京では珍しいのじやないか。由緒ありげな神社だ。正月には初詣客で賑わうのだろう。
● 途中の見ものは,でもこの神社くらいですかね。かなり歩いて,三鷹市公会堂に到着。このあたり,市役所,市立図書館,第一中学校などが集まっている文京地区っぽいのだが,空間の色合いは,わりと普通。どこでもこんなものか。
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三鷹公会堂 |
● 三鷹を歩いて感じるのは,自転車が多いことだ。宇都宮の大通り以上だと思う。その自転車がもれなく歩道を走っている。
車道に自転車レーンを設ける余裕はなさそうだから,こうなるのも致し方がないのかもしれない。ではあるが,歩道を歩くのに気が抜けないのでは,住むにはまったく適さない。
特に子育て中の女性や年寄りにとっては,けっこうストレスが大きいような。自分も自転車で走ることがあるからお互い様だよ,ってことなのかもね。
駅に“三鷹の心地よさ”をうたった広告があったんだけど,住んでいる人たちにはまことに申しわけないことながら,三鷹ってあんまり心地よくない。
● 中央線で東京へ。東京から山手線で新橋へ。駅前のSL広場。東京で一番居心地がいいのが,ここかもしれない。
何なのだろうね,この居心地の良さ。自分もここにいていいんだと思える安心感。ここにいる人の多くが田舎から出てきた人たちだと思えることか。いろんなモノを呑みこめる懐の深さのようなもの,あるいはカオスっぽいものを感じることかな。
● 新橋駅構内の「かのや」でチクワ天うどん。スタッフは中国人と覚しきアルバイトがメイン。日本語で応対するのは大したものだと思う。
お客も過半は東洋系外国人。日本の立食いそば屋で,中国人が中国人を相手に商売するの図。で,その中国人どうしが互いに親近感を感じているかというと,そんな気配はまるでない。お互いによそよそしい。
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